20 彼の思い
漆黒の剣が頬を掠める。まるで鳥のように自在に動くそれを、槍で弾き、捌ききれないものはアビリティで止め、退路を確保する。
マヴロは一歩も動いていない。まるで弄ぶように指先を動かして、それだけの動作でルバートを追い詰めている。
目が充血してきた。さっきからルバートはずっと目を見開いている。ひとつでも行動を間違えれば……即死! それがありありと伝わってきたからだ。
レギリィを相手にしているときとマヴロはまるで違った。まさに、部屋に入った虫を潰そうとするような、冷静な殺意だ。
……背筋に嫌な汗が伝う。見てすらいないのだ。もはや敵と認識すらしていない。ただ、羽虫を潰すのと同じ感覚なのだ。
だが、言ったであろう。その羽虫は毒も牙も持っていると。
空中で固定させた漆黒の剣を五~六度素早く突く。あきらかに不自然な行動。だが、マヴロは警戒しなかった。理由は単純、どんな攻撃であろうと、警戒すら必要ないとたかを括っていたからだ。
警戒するまでもない、その前に決着がつく。そう思っていたからだ。
もう一振の剣が生成され、突いたことで無防備になった胴に向かう。この距離ではガードもできないだろう。だが……ルバートは小さく笑った。
……止めていた時を解除する。剣が突かれた分の威力を込めて、文字通り“発射”される! 勢いよく、現代で言うなら銃弾のような速さでマヴロに向かう剣。
「ぐっ……!」
突然の反撃に避ける暇もなく、剣はマヴロの脇腹に突き刺さる。それと同時に、ルバートに向けていた剣のコントロールがずれ、ルバートの腕を掠めていった。
コントロールがずれることなど、ルバートは予測していなかった。つまり、軽傷で済んだのはただのラッキー。
……相討ち覚悟だったのだ。短絡的な思考に陥っている自覚はある。それでも、それでも一矢報いるためなら……
それだけ、ルバートの静かな目は激情に燃えていたのだ。
ルバートの家系は代々首切り役人だった。罪人を裁く死刑執行人。処刑人。
両親は厳しかった。決して愛情がなかったわけではない。ただ、ルバートを立派に一人立ちさせるため、彼には酷な訓練を強いた。
ルバートが初めて殺したのは飼っていたウサギだ。買い与えられ、家族の一員として大切に育てていた。
ウサギの鼓動が、温もりが大好きだった。
だが、唐突に父が告げた。「そのウサギを殺せ」と。
そんなことが度々起きた。最初は困惑し、泣いていたルバートも次第に無感情になった。……死に慣れてしまったのだ。
12の頃から、彼は父の“仕事”に同行するようになった。泣き叫び許しを乞う罪人の姿にショックを受けていたのも最初のうちだけだった。
だが、それらの経験は全て泡となる。
その二年後、死刑制度が廃止されたのだ。とたんに一族は路頭に迷った。屋敷を売り払い、小さな家に住んだ。仕事道具も金に変わった。
……今まで自分は、何をして来たのか
そんな空虚さがルバートを襲った。今さら普通の仕事に着けと言われても、どうすればいいのかわからない。
「じゃあその経験を活かしてみないかい?」
彼に声をかけたのはアルダだった。命を奪った経験、殺し方をよく知った経験、それは、イーターでこそ役立つものだと考えたのだ。
イーターでの彼は優秀だった。魔物相手に臆することもなく、淡々と殺していった。その真面目さも評価された。
だが、それでも空虚なままだった。なぜかはわからない。だが、ずっと、ずっとずっと空虚さを抱えていた。……彼女に、会うまでは。
「優しい、んだね。ルバート」
それは、捨て犬を眺めていたときに聞こえた言葉だった。
「……俺は優しくはない」
即答で返した。確か、相手は……新入りのラトゥリアと言ったか。
ラトゥリアは笑って答えた。相変わらずの、おどおどとした雰囲気で。「違ったらごめんね」と言葉を添えて。
「生き物が……好きなんでしょ? ほら、この子も、ね、そう思ってる」
捨て犬はこちらをじっと眺めている。クゥン、と小さな声をあげる。いたたまれなくなって、顔を背けた。
「俺は殺す側の人間だ」
殺す側の人間。そう。殺す側の人間なのだ。自分は。だから、優しいなんて、そんなことは……
「ふふ、やっぱり、ルバートは、優しいよ。だってあなたは……命を、大事に思ってる」
……何を、言うのか。自分は……! ルバートは振り返った。ラトゥリアは笑っていた。まっすぐな灰色の瞳には、一切の曇りがなかった。
その目を見たとき、気づいたのだ。彼女は本心から言っているのだと。それに気づいたとき、空虚さは晴れていった。
優しい。その言葉は、圧し殺した幼い自分を認めてくれた気がしたのだ。
だからこそ、今、今! ルバートは怒っていた。深い海のような怒りがとぐろを巻いていた。
今ならわかる。本当に優しいのはラトゥリアだ。だから、自分はラトゥリアに思いを寄せていたのに……
それを殺した目の前の男に、そして、泣けなかった自分に! 怒っているのだ!
槍を構え直す。もはや冷静さなど完全に欠けていた。この男さえ、この男さえ殺せれば……
ルバートを囲むように五本の剣が現れる。ルバートは姿勢を低くして、前方に突っ込んだ。もう防御など考えてはいない。今、マヴロは剣を持っていない! 相討ちになってでも、殺せる……!
「ルバート!!!」
赤い鮮血が舞った。鉄の臭いが立ち込める。カラン、と音を立てて剣が落ちた。
ルバートの背後から迫っていた剣を、レギリィが右腕で受け止めたのだ。
「っ……行け!!」
剣が貫通した腕から血が溢れだす。顔をしかめ、それでもルバートに叫ぶレギリィ。ルバートはぎり、と奥歯を噛んだ。
「うああああああ!!!」
槍を短く構え、マヴロに突進するルバート。マヴロは動かなかった。ただ、目を見開いて。
……やがて、槍がマヴロの胴を貫通した。