8話 『銀髪の少女』
「後悔の念を抱くことも、許さ……あ、ぁぁ……な、にが、おこッ……」
ミズキは訝しげな声を上げると急に石床に膝を着いた。釈然としないで出来事にシュウは理解が追い付かない。だが、今はそんなことはどうでもよい
眼前の敵が膝を着き、項垂れているという事実に変わりない。ならばこのチャンスを逃すわけにはいかない、殺らなければこちらが殺られるのだ。
「ば、かな……右手の魔法陣も、きか、ねぇ……ま、まさか、こいつは……」
シュウは拳銃を右手に握りしめ、ミズキの頭部に銃口を向けて発砲した。ぶちまけられた脳漿と血が『グチャリ』と、床にへばりつくが、そんなことにシュウは頓着しない。それは、敵と割り切って殺した相手に負い目を感じるのは『愚の骨頂』とも言えるからだ。
シュウを暗殺しようとしたグループの頭目であるミズキが死ぬことにより、死闘は幕を閉じた。
死んでいてもおかしくなかった魔術師との初の死闘。ここに勝利を掲げられたのは奇跡といえる。
事ここに至っては勝利の女神という存在に感謝せざるを得ない。まあ、神などという抽象的な存在を信仰しているわけではないが。
「だが、クッ……なんで、急にこいつは動かなく——」
「それは、私が原因です。魔術師が対魔術師戦に於いて行使するスキルの一つ、逆流です」
部屋の隅っこにあった机の傍から、シュウの思惟を遮る言葉が投げかけられた。
「誰だ……?」
シュウの声に応じるように何者かが立ち上がり、こちらを見据える。
それは少女だった。腰まで伸ばし、水晶のように透き通った銀色の髪。顔立ちは精錬されたかのように整っていて、可憐で他者を寄せ付けない白いバラを彷彿とさせる。艶やかな蒼眼は、さながら宝石のサファイヤだ。
「先ずは何者なのか、聞かしてもらおうか」
シュウは少女に対して警戒心を解くことなく、睨みつける。
「だからユイで! じゃなかった……は、初めまして、私の名前はユイ。貴方に今しがた助けてもらった貴族の娘であり、魔術師です」
少女は憤懣に声を荒げたかと思いきや、急に言いとどまり、演劇者がミスを演技力で帳消しにするかのように冷静に答えた。
「どうやら本当のようだな。しかし解せないな」
「え?」
「お前……何故、気絶していたのに敵がその女で、味方が俺だとわかった。気絶していたのならば敵味方の区別はできないはずだ」
「そ、それ……は」
ユイという少女は嗄れた声を漏らす。そんな少女に追い打ちをかけるように、シュウは右手に握りしめた拳銃を少女へと向けた。拳銃の残弾は無いため、少女を撃つこともできなければ、元々撃つ気はない。要するに、これは恫喝だ。
「わ、私は……決して貴方に危害は加えません! 敵ではないです!! し、信じてください!!」
「それは、答えになっていないぞ……まぁ、お前が俺に対し、危害を加えないことは、俺が生きている事で証明はされている。お前が敵なら、とっくに俺は死んでいただろうしな……」
室内に蔓延していた煙は霧散し、周囲には沈黙化させた敵が眠っている。その敵から武器を奪いでもすれば、武器を使ってシュウを恫喝するなり、殺すなり出来たはずだ。
しかし、そうしないということは、少なからず少女にはシュウと何らかの対談がしたかったと捉えられる。
『魚心あれば水心』という言葉を思い出したシュウは、警戒はするが一蹴することはまだ早いと判断した。
「そこから、動くな……会話ならこの距離でも可能だ。さっきの質問の答えを聞かせてもらおう」
ビクリと少女は身体を跳ねあがらせ、
「は、はい!! わか、りました……その、魔術……です。相手の脅威を察知する能力なんです。その能力で、貴方だけは危険ではないと……わかったんです」
「——また、魔術か……元の木阿弥だな」
「すいません」
シュウは少女の表情や態度を見て、敵ではないという確信を得た。そして、ただの杞憂だと悟ったシュウは残弾の無い拳銃を降ろす。それを見て、少女はホッと胸を撫でおろした。
「すまなかったな、脅したりして……」
「いえ、ちょっと怖かったですが、大丈夫です。あの、私から質問していいですか?」
戦々恐々としていた少女は逸らしていた視線をシュウに戻す。そして、彼女は決然とその瞳に勇気を宿した。
「ああ、別に構わない」
「それでは……何故、私を助けてくれたのですか?」
「————」
予想の斜め上な質問にシュウは眉を顰めた。てっきり、ここで投げかけられる質問は多少なりとも『今後について』だと予想していた。
言うまでもなく、少女は年端もいかない子供だ。直情径行で純粋無垢で、自分自身の安否を最優先するのは、生存本能が強い子供にとっては当然のことだ。
しかし、
「意外だな……先ずは自分の安否について訊くと思っていたんだが。まぁ、答えると言ったのなら、答える義務があるからな……お前を助けたのは、成り行きだ。俺がそうしたかったから、まぁ偽善だな」
「偽善……ですか。でも、私はその偽善に救われました。ありがとうございます」
少女は銀髪の髪を揺らしながら、深々と頭を下げた。
「偽善で感謝されるなら、偽善者冥利に尽きるってもんだ……」
シュウは卑しく、しつこく、嫌悪されるために卑賎を演じる。
人は生まれ持って役割が与えられる。才ある者には才ある役割を、才なき者は才なき役割があたえられる。その役割を放棄して、他の役割を成そうとするのは無理なのだ。これが世界の掟であり、自然の摂理。
才なき自分の役割は暗殺者であり、『大衆』『万民』からは忌避される存在だ。そのような存在に正義を掲げる権利などない。
——だから答えは『偽善』でよいのだ。
「もう一つ訊きます。何故、貴方は私を助けてくれた理由を、偽善だと言ったのですか」
「——どういうことだ?」
「そもそも、私を助けた理由が本当に偽善ならば『偽善で助けた』と言うのはおかしいです。偽善とは見せかけの善行。故に、偽善者が偽善と言ってしまえば、それはもう偽善ではありません!! そういう嘘は私……好きじゃないです。とにかく本当の理由を聞かせてください!!」
「全くもう」と言って、少女は頬を膨らませた。
痛い所を突かれてしまった。
少女を突き放そうと捻出させた『偽善』という言葉が裏目に出てしまうとは、軽率な言動は却って状況を悪化させてしまうものだと、改めてシュウは痛感した。
「嘘をついて悪かったな……だが、成り行きというのは本当だ」
「はぁ……わかりました。もう、それでいいです」
束の間の静寂が訪れる。
「理由を訊いて、どうするつもりだったんだ?」
「どうもしません。貴方が良い御仁かどうか、知りたかっただけです」
「そうか……服が汚れてるだろ? このタオルで拭いておけ」
シュウは雑嚢からタオルと水が入ったペットボトルを少女に投げ渡した。
「あ、ありがとうございます」
タオルとペットボトルを慌ててキャッチする少女を見届けたシュウは、刺客グループの一人一人の身柄を縄で拘束した。それから所持品を全て奪い取り、自身の持ち物と符合する。
「使えそうなのは、ナイフと拳銃だけか……せめて応急処置でもと思ったが……」
そう一人ごちるシュウ。先程の戦闘で、シュウは左の肋骨を数本折られ、腹には大きな打身跡ができるほどの重傷を負ってしまった。
こんなことなら、携帯の救急箱でも持ってこれば良かったと、シュウは思った。とはいえ、嘆いていても時間の無駄である。
「何をしているのですか?」
屈みこんで所持品を検めているシュウに、背後から物珍しそうに少女が話しかける。一旦、手を止めたシュウは少女へと振り返り、
「所持品を全部奪い取った。拘束しているとはいえ、目を覚ました時に武器を持たれたら危険だからな……」
「確かに、その通りですね。止めを刺さないのも、『傷兵は敵軍に厄を齎す』というやつですね」
「ENDの本に書かれている名言の一つだな……その言葉を知っている奴が師匠意外にいるとはな……二十一年間も生きてみるものだ」
「私の尊敬する人から教わったんです。それと、水とタオルありがとうございます」
「ああ」と、シュウは頷き、少女から空になったペットボトルとタオルを受け取り、雑嚢の中に仕舞った。
「ィ——!!」
用が済み、立ち上がろうとした瞬間——シュウの腹部に激痛が走り、反射的に打身を庇うように手を据えた。
「どうしたんですか!? 何処か怪我を……」
痛みによって表情を歪ませるシュウを少女が気にしたのか、こちらに近寄ってくる。だが自分の身を案じ近寄ってきた少女をシュウは心配ないとばかりに突き放した。
「大丈夫だ、ぁ……クッ! 軽く打っただけだから気にするな」
「軽く打ったって、そんな痛そうにしているのに、信じられるわけないじゃないですか!」
少女はシュウの虚勢の言葉を鵜呑みにせず、服を捲った。
そして、次には血の引けた表情を見せた。少女が見たもの、それは青黒く変色した肌であった。大きく腫れ上がった部分から滲み出てきている血は、その怪我の壮大さを痛々しく物語っていた。
「——これは……酷い」
少女は口元に手を当てて、血の気が引けたように顔を青くした。
「今すぐにでも応急処置をしなければ、感染症になりかねません」
「ここで、もたもたしていると……追手に見つかる可能性もある。だから今は——」
「駄目です!! 私を助けてくれた人が重傷なのに、見過ごすなんて私にはできません! 今ここで治癒魔術を使い、傷を治します!」
「ちりょうまじゅつ? とはなんだ?」
「その名の通り、治療を施す魔術です。応急処置なので直ぐに終わります。だから、大人しく治されてください」
少女の勢いに押し負けたシュウは諦念し、言われるがまま、『治療魔術』という摩訶不思議な力に任せることにした。その姿は親に叱られ、悄然とした幼子のように見える。
少女がシュウの傷に両手を近づけ瞑目すると、彼女の手元が青白い燐光が発した。光を受けた箇所の傷——青黒く腫れていた打身が、瞬く間に色艶の良い元の肌色に戻った。疼痛がなくなり、感覚ではほぼ健康状態と言っても支障はない。
「こいつは……驚いたな。魔術ってのは便利なんだな」
「便利とはいっても、魔術を行使する側は体力と精神が削られるんです。長時間、或いは断続的な使用は無理です」
「そういうものなのか……」
「はい、そういうものです」
少女が右手を下ろすと青白い光は消沈し、元の少女の華奢で白い手に戻った。
「これで良し」と、呟いた彼女は膝の上に手をちょこんと置いた。その仕草は恣意的であり、貴族特有の鷹揚が自然と伝わってきた。
「本当に応急処置、な! の! で! 無理は駄目です。安全な場所に着いた時に、もう一度しっかりとした治療を施しますので……わかりましたね」
「あ、あぁ……わかった。助かる」
「はい! どういたしまして」
ニコッと喜色満面な少女を見れば、異性に耐性のない男は確実に落とされていただろう。しかし、シュウは少女の笑顔を見ても頓着などはしなかった。平常運行——いつも通りの表情だ。
これは、シュウの性質によるところもあるのだが、彼の心の中で肥大化する違和も要因の一つだった。
——それは、『余りにも、相手に対する警戒心が無さすぎる』というものだった。
自分という男は目の前で人を撃ち殺し、さも当然のように人から物を奪い取った異常者なのだ。少女の感覚が麻痺している、とは捉えられない、粘っこい異物。
「取り敢えず……ここから出よう。部下からの連絡が途絶えたとなれば、向こうから新たな刺客を仕向けてくるはずだ」
「そうですね」
考えるより、行動に出ると決めたシュウは今にも壊れそうな木製の扉を無造作に開け、資料室から出た。今は思案する時間をも惜しいのだ。
少女もシュウに連なって、トコトコと歩き出した。
扉を開けた時に舞い上がった埃が少女の気管に入ったのであろうか、コホコホとむせ返った。
「埃っぽいだろ、マスクだ。付けておけ」
雑嚢の中を乱雑な手つきで漁り、取り出したマスクを少女に手渡す。「どうも」と会釈すると少女はマスクを気にせずに身に着けた。
——そのまま、会話は続かずに二人は博物館を後にするのであった。