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アンリーズナブル(序)【リメイク版】  作者: 犬犬尾
始まりの一端
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4話 『弱さと強さ』

 師匠が目に見えて取り乱すことはほとんどなかった。それこそ、シュウが知っている中でも今日を含めて、たったの二回だ。

 一度目はシュウがまだ子供故の幼さからくる無邪気な質問によるものだった。


「師匠は、家族はいないの?」

「どうした? 唐突に……」

「ぼく、あ、俺みたいにいつも独りぼっちだから、気になって……」


 シュウは会って間もない師匠と少しでも仲良くなろうと、稽古けいこの終わりの度に質問を投げかけていた。その質問は千差万別で、小さい質問から大きな質問までり取り見取りだ。

 その質問の嵐を師匠は、遺憾なく答えてくれた。子供の好奇心とは、時には想像を絶するような残酷さを発揮する。


「でも、なんというか……時々寂しそうにしていたから」

「子供に心配されちまうとは……まぁ、なんだ。お前が思っているように、俺には家族はいない。事情を説明するには複雑だし、それに俺の問題でもあるな……まだ踏ん切りがつけられねぇでいる」


 師匠は空を仰ぎ、幼いシュウにでもわかるほどに物憂ものうげな表情をこぼす。シュウはその表情の真意を追求するために、更なる好奇心を掻き立て、


「じじょうにぃ……ふんぎり? 何か嫌なことでもあったの?」

「あぁ、そうだ。だから、その質問にはまた今度答えてやる」


 師匠はシュウの頭を優しく撫で、喜色満面きしょくまんめんに微笑むのであった。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 今思えば、自分の幼さには忸怩じくじが絶えない。相手をおもんぱかるという行動を知らなかったシュウは心身共に子供だったということだ。

 自分を子供だと思っていない子供は質の悪いものだ。弱さを拒むシュウにとって、これほどまでに屈辱なことはない。といっても、その事実に気づけただけでも幸いではある。


「もう大丈夫だ、今から牢屋の外に出してやるぞ」


 シュウはそんな感慨を胸中に抱きつつ、地下牢の鍵を開ける。

 牢の中には十五人の子供達が囚われていて、全員が憔悴しょうすいを訴え掛けるように顔を俯かせていた。服は布切れ一枚のみで、手足は冷え切っているのか、赤く腫れ上がっている。

 子供達は牢の中に入って来たシュウに目を送ると、怯えたように後ずさりした。


「誰? 怖い人?」

「俺はおま……君たちを助けにきたんだ。だから、怖がらなくていい……」

「ほんとう? ほんとうに助けてくれるの?」

「ああ、そうだ。歩けるか? 歩けないやつがいるなら、俺がおんぶしてやる」


 シュウは手前にいた子供に手を伸ばそうとした。しかし、


「そうやって。また、騙すつもりなんだ。私、知ってるもん!! そうやって優しく振舞って、心の中では悪い事を考えてるんだ!」


 シュウの手を払い、まなじりに涙を浮かべながら子供は拒絶した。


「な!? ち、違う!! 俺は本当に君たちを!!」

「嫌だ! イヤダ!! 来ないで!! もう怖いのも、痛いのもイヤなの!! 返して! パパを返して!!」

「————ッ!!」


 シュウは見誤っていたのだ。子供とはシュウが思っている以上に弱く、脆いのだ。裏切られ、酷い目にあった子供達の心は摩耗しきっていた。

 顔も名前も知らないシュウに、心は許せない。いや、大人という存在自体に心が許せなくなってしまったのだ。

「返せ!!」「返して!!」と子供たちはシュウを拒絶する。


「すまなかった……」


 子供達の考えや思いをシュウは知った。まっすぐな怒りを、義憤を見た。ならばその思いを受け止め、親身にならなければ信頼は得られない。


 ——本気の気持ちには、本気でぶつからなくてはいけない。


「助けてやれなくて、すまない。辛い思いをしたんだな……信じられないなら、俺はここで、お前たちが信じてくれるまで待つ。その間、俺に何をしてもいい。罵っても、蹴っても殴ってもいい。お前たちが信じてくれるまで、俺は何もしない」


『何と身勝手なことだ』と、我ながら失笑ものである。親身になると決めたばかりなのに、肝心な部分は子供任せなのだ。馬鹿で間抜けなシュウには、それぐらいのことしか出来なかった。

 自分よりもできる人間ならこうはならないだろう。もっと気が利いて、もっと能率的なやり方で子供達から信頼を勝ち取るはずだ。


「だが、もし、俺を信じてくれるなら、この手を取ってくれ……必ず、放さないと約束する!」


 シュウは右手を差し出し、子供達が手を取ってくれるのを待った。しかし、誰一人としてシュウの手を取る子供はいない。当然といえば当然だ。子供達からすれば、突然知らない者から「待つから信じてくれ」などと言われたのだ。言葉巧みに子供達を騙した者たちと、シュウの違いは何一つない。排斥されるのも頷ける。


「あ、お兄ちゃん。危ないよ!! にげ——」

「大丈夫だよ、ルリ。この人は悪い人じゃない」


 その時、一人の少年がシュウの手を取った。


 少年は子供達の中では一番年上のようで、他の子供達より一回り体躯が大きい。優しさのある容貌はどこか既視感があり、そしてその双眸そうぼうには、以前墓場で会った男に近しいモノがあった。


「俺は、あんたを信じるよ。その目とその表情に、俺は嘘が無いと思うんだ。だから、信じる!」

「お、お前、まさか……タツって名前か?」

「え? 何で、俺の名前を?」


 驚愕きょうがくを露わにする少年は、シュウの顔色を窺う。

 少年の表情はどこか幼さがのこっており、思春期の青少年といえる活発さがあった。


「坊主の、恐らく親父から聞いたんだ。眼鏡を掛けて、無精ひげを生やした中肉中背の男だ」

「まじか……それ、俺の父さんかもしれねぇ!!」

「うぉ、お、おい。まだ親父ときまった訳じゃ……」


 シュウから容姿を聞かされた少年は、その双眸に生を宿す。快活かいかつを少年の手の熱と握力から感じたシュウは、早計を危惧するが、


「ルリ!! 父さん、生きてるって!!」

「ほ、本当!? お父さん、生きてるんだ……よ、よかった」


 時すでに遅しだ。一度膨れ上がった風船を縮ませる手段を知らないシュウは、額に手を当てて呆れ顔。

 少年は妹と思われる少女に駆け寄り、両手を掴んで上げて下げての動作を繰り返した。


「子供を宥めるために、旅行に連れて行ってやると言った親の気持ちがよく分かった」


 昔に読んだ本に子育てを主題とした小説があったことをシュウは思い出す。

 師匠から言葉の勉強として本を読むことを一つの課題とされたシュウは、仕事のない日は読書に半日の時間を費やしていた。

 読書程度と思われがちだが、シュウの言語能力は本によって培われ、常識から価値観など様々だ。

 少年はシュウに向き直り、近づくと、


「あんた、じゃないよな。兄ちゃんの名前、教えてくれよ!」

「俺の名前か? 訊いてどうするんだ?」

「んなこと、決まってるじゃないか!! ヒーローの名前を訊くってのは当たり前だぜ?」


 ヒーローとは中々耳心地がいいが、自分には長物だとシュウは思う。しかし、それを否定するほど野暮やぼなシュウではない。

 ここは、景気よく名乗ろうとシュウは心に決め、


「俺の名前は、シュウだ。よろしく頼むぞ」

「よろしくな兄ちゃん!!」


 少年はシュウに向かって「にぃー」と歯を見せながら破顔した。


「お前ら、この兄ちゃんを信じようぜ! いや、信じてくれ!! 今は怖くて、全部が敵に見えちまうけど……塞ぎ籠ってたら、始まらねぇ! 幸せになりたいなら、自分から掴みに行かなくちゃならないんだ!」


 振り返った少年は、未だ慄然りつぜんと縮こまる子供達を激励げきれいする。本当ならば、シュウがその役を買って出なければならないのだが、少年の心の強さはシュウの予想を上回っていた。


 ——怖い過去から逃げるシュウとは大違いだ。


「しん……じるよ。私、信じる! お兄ちゃんのこと、信じる。信じたい!!」


 少女が決然けつぜんと立ち上がり、兄である少年と同じようにシュウの手を取る。その姿は少年同様の強さがあった。「僕も」「私も」と、二人に不随ふずいするように、他の子供達が立ち上がっていく。


「俺の事を、信じてくれるんだな?」

「当たり前だ!! な?」


 少年がシュウの問いを一片の迷いなく即答。子供達に顔を向け、言外に『そうだろ?』と疑問を投げかける。


「「「うん!!」」」


 無垢で無邪気であるからこそ、子供達の意思表明は偽りがない。即ち、シュウが信頼を得たことの証拠だ。その感慨は筆舌ひつぜつに尽くしがたいものがある。シュウは心を掻き立てられるような感情で身体が満たされた。


「それじゃあ、お前ら! 出発進行!!」





 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※





「シュウ、これで子供たちは全員だな?」

「ああ、この施設にいる子供たちは十五人。これで全員だ」


 禍根かこんを断ち切って子供達を解放し、信頼を得ることができたシュウは、全員を連れて師匠の下におもむいていた。


「わかった。それとだが、この子供たちの身元はわかっていないんだ……取り敢えず、保護機関に預けることになってる。護送用の車が貧民街の外で待っているからそれに子供達を乗せて、今日の仕事はこれで終わりだ」

「意外と、今日の仕事は早く終わったな」

「ああ、早すぎるくらいだ。情報屋から買った情報が確実なものだったのと……どうやら、俺たち以外にも回収屋がいるのか」


 師匠は送られてきた情報を流し見。途中から訥々(とつとつ)と独り言ちた。


「……ん? 何か言ったか師匠?」

「——いや、俺たちのコンビが最強になりつつあるってことだな!! って言ったんだよ!」


 聴き取れなかったシュウは聞き返すが、師匠は誤魔化すように腰に手を当て、親指を自身に向けるようにガッツポーズ。これは師匠が嬉々として、よくやるおふざけポーズだ。

 誤魔化されたことは気に食わないが、誤魔化していい程の情報であったとシュウは達観たっかんする。


「調子のいい人だな、本当に……」


 師匠の今の姿は、先程までの彼とは相反する状態と言え、妙な違和感がシュウの胸中に残る。

 心配を、憂慮を、慮らせまいと無理をしているのではないか。例え、切り替えが早く、掴みどころがない師匠とはいえ、ふくみがないとは思えない。


「たりめぇよ! 俺は世界有数の気分屋だからな!!」

「それ、誇らしげに言う事じゃねぇだろ……」


 シュウは師匠の清々しすぎる態度に、手で顔を伏せながら嘆息。彼の周囲を巻き込んでいく豪胆さは恣意的しいてきなのか。それとも、意識してやっているのかわからない。


「そう言えば、ずっとお前に付いてるその二人……何、シュウ? もしかして、好かれちまったのか?」


 師匠の指摘を受けたシュウは二人——少年と少女に目を遷移せんいさせる。シュウのうれい顔に少年と少女は無言で微笑むと、


「兄ちゃんは俺の、俺たちのヒーローなんだぜ! だから、仲良くなるのは当然だ!」

「お兄ちゃんの言う通り。お兄ちゃんはヒーローだもんね」


 シュウの右手を少年が、左手を少女が握ってそう言った。師匠は二人の反応に『ふーん』と艶めかしい笑みを殊更ことさらに浮かべてシュウを見やる。それから、少年と少女に目線を合わせるように腰を落とし、


「お兄さんは、そのお兄さんの師匠なんだ。だから、こっちのお兄さんがヒーローなら、お兄さんは大ヒーローだよね?」

「ヒーローというか、なんだか怖い人。顔が怖いし、どっちかというとおじさんだし……」

「た、確かに、ちょっと怖い」

「厳しい評価!!」


 少年と少女に気持ちを頓挫とんざさせられた師匠は、腰をガクリと曲げて倒れ崩れる態勢。どうやら、子供のお眼鏡にはかなわなかったらしい。なんと非情なことか。


「お前ら、名前は何て言うんだ?」

「……俺はタツだよ」

「何だ、今の間は。お前は?」

「……ルリ」

「だから、その間は何だ!! 何? 俺ってばそんなに子供達から悪く見えてるのか?」


 不服そうに名前を答える少年と少女——ルリとタツに、師匠は頭を抱えてシュウに話題転換。悪人顔ではないと、否定したいところだが、ここは師匠をからかうことにしよう。


「ま、まぁ子供は正直だからな……」

「フォローになってねぇ!? そこはいつもの恩として、反対してくれよ!」

「おじさん、怖い!!」

「おじさん、不潔!!」


 同情を求める師匠にルリとタツが追い打ちをかける。『弱り目に祟り目』『首吊りの足を引く』とはこのことだろう。


「駄目だろ? おじさんメンタル弱いんだから。謝らないと」

「あ、ごめんなさい……」

「ごめんなさい……」

「あぁ、すげー悲しい。おじさん悲しいけど、ここは大人として寛大な心で許しちゃうぜ!!」


「フフフ」と、ルリとタツが目を合わせて笑い合う。それに合わせるように、シュウ達に付いている子供達も自然と笑い合う。牢屋に閉じ込められ、憔悴しきっていた子供とは思えないほど、その表情に陰りはない。

 またしても、シュウは師匠に力を借りてしまった。彼への感謝は絶えない。


「そういえば、お前ら腹減ってるだろ?」


 師匠はその雰囲気の流れに乗り遅れまいと、指を高く上げて注目を集める。それから、腰を曲げて振り返り、雑嚢から缶詰を取り出した。


「丁度ここに、飴とスナックが入った缶詰がございます! これを今から、缶開けを使わずに、指で開けて見せましょう!!」


「ではでは」と師匠は前置きをして、缶詰に指を乗せて力強く押し潰す。缶詰は「ががが」と鈍い音を奏でながら師匠の手によって開けられていった。

 何とも力業に尽きる芸当だが、どうやら子供達には好評らしく「おぉ!!」と感嘆符をあげた。


「す、すげぇ!! パンカンが……」

「ははは!! どうだ? 特別にお前たちには、もう二回見せてやろう。さらに、特別にぃ~缶詰の中身も全部あげようじゃないか!!」


 続いて一つ二つと缶詰を同じ要領で開けていく師匠。特別と言っているが、誘拐された子供達の機嫌を少しでも良くするために、師匠は毎回缶詰を用意しているのだ。

 師匠は開けた缶詰を子供達に受け渡し、その反応を堪能するように破顔した。


「あぁ、お前!! 飴ばっか取らないでスナックの方も食べろ……お前は食べすぎだ。他の奴の分は残すんだぞ」


 我先にと甘味である飴を両手で掴みとる子供を、鱈腹たらふく口の中に飴とスナックを押し込む子供を師匠は執拗しつようとがめる。そうやって師匠は子供達全員が平等に食べられるように配慮した。


 粗雑などとは反対と言えるほど師匠は周りに目を配る繊細な心の持ち主なのだ。そして、この子供達のようにシュウ自身も師匠に救われた一人だ。


「元気が良くて、何よりだぜ……お? どうした?」


 シュウの視線に師匠は疑問符を浮かべる。


「いや、師匠は子供が好きなんだな、と思ってな。俺も、初めて会った時は、今みたいな感じで接してくれたよな」


 初めて会った幼い自分を見て、師匠はこの子供達と同じように思ってくれたのだろうか。或いはこの子供達以上に、自分を思ってくれたのか。

 母親を亡くし、拠り所を失ったシュウにとって師匠との邂逅かいこうがどれほど心の支えになったか、自分自身ですらわからない。


『お前は立派に戦った』その言葉にシュウは救われた。生きる意味を貰い、自分の意味を貰い、強くなる意味を貰った。


 ——彼がいなければ、シュウという男の物語は終わっていた。


「あ? そうだったか? あんまり覚えてねぇな」

「まじか……俺に言ってくれた、お前は立派に戦った。ていう言葉も忘れちまったのか!?」


 シュウにとって救いとなった言葉は、師匠にとっては忘れる程度の言葉なのだろうか。多くの子供を救った彼にとって、シュウはその中の一人にすぎないのだろうか。

 理解は出来るが、それはそれで悲しいことである。


 しかし、その事実を知ったところでシュウが師匠に抱く感謝は揺らぐことは無い。救われたという事実に変わりはないのだから。


「嘘だよ! 嘘!! 覚えてらぁ。寧ろ、魅せられたのは俺なんだからな……忘れるわけがねぇよ」

「え?」


 その言葉に、師匠の言葉にシュウは耳を疑った。思考にラグが発生したように、シュウの理解は遅れて脳内を席巻する。

 それでも納得のいかないシュウは「魅せられたのは俺なんだからな」という言葉を反芻させ、一文字一文字の意味を紐解き——師匠が衝撃の事実を口にしたことを改めて理解した。


「あぁ、やっちまった。つい口走っちまったよ」

「…………」

「だぁ、もうそんな顔すんな! 恥ずかしくなってくるわ!」


 恍惚こうこつとしたシュウの顔を見て、師匠はバツが悪そうに頭を掻きながらそっぽを向く。「それよりも」と割り切る言葉を言って、師匠は話を戻すと、


「もうすぐ貧民街を抜けるが、一応警戒はおこたるな。金目当てでってのはよくあることだ」


 子供十五人と、シュウと師匠の一行は廃れた貧民街を抜けつつあった。貧民街に大人数という、ただでさえ目立つ見た目に子供達だ。

 貧民街に流れる人間は少なからず、何かを抱えている。希望の種である子供に対し、妬みそねみの類の悪感情をぶつけることがあってもおかしくない。


「それと一応、子供達に訊いておいてくれ。保護施設に送る子供は親無しの子供だ。親がいるなら、親の元に返す。辛い事だが、頼めるか?」


 恐らく、その言葉は優しさを孕んだ問いかけであった。ここでシュウが無理だと言えば、師匠は自分の代わりにその役目を果たすだろう。

 それだけはさせたくなかった。子供が好きな師匠に辛いことはさせたくない。それを強制させてしまうと、シュウは本当の意味で彼に頼り切ることになってしまう。

 何千、何万もの思いを積んだ線が乖離かいりしてしまう。それは、酷く怖く、そして、耐え切れないような黒い何かが、自身の奥からにじみ出てきそうな気がした。弱い自分に、心が支配されそうな気がした。


 ——逃げないと、決意した自分を、母さんを裏切ることになる。


 弱さはシュウが一番()み嫌うものだ。弱さとは罪であり、弱さとは悪だ。弱くて良いことなど、この世のどこにもない。強さこそ正義であり、強さこそ善だ。強くて悪いことなど、この世の中のどこにもない。

 弱くては守れない。強ければ守れる。それが理解できているのなら、選ぶのは強さだけだ。


「大丈夫だよ。何から何まで、師匠に任せっきりにできるほど、俺はガキじゃねぇーよ」

「ハッ、まだ十五のガキの癖に、よく言うぜ……任せたぞ」


 ——そこからの記憶が途切れ途切れになっていることに、そして、最初から師匠の顔にもやがかかっていることにシュウは無意識に気付かないふりをした。




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