24話 『アンリーズナブル』
駆ける。ただひたすらに、己の全力を以って駆け抜ける。自身を刺し殺そうとする魔腕を巧みなステップで躱す。獲物を仕留めきれなかった魔腕は地面へと突き刺さり、固い地盤をプリンのように抉る。
その力は凄まじいもので、乾燥した頑強な地盤が土の噴霧となる程だ。
「——クッ」
シュウは土煙を手で振り払って後方へ跳躍。攻撃主であるデラスから距離をとった。
「ええい!! ちまちま、ちまちまと!! コバエ如きが鬱陶しいぞ! 貴様が何らかの目的のためにこうやって時間稼ぎをしているのは分かっている! 無駄な足掻きはやめて潔く死ぬのだぁぁぁ!!」
デラスは猛獣のような怒号を響き渡らせる。シュウの反撃を食らい、再生しきっていない——いや、些細な傷を傷とは思わない。要は治す必要性がない傷口から流血。飛び散った血が地面を赤く染め上げる。
再びデラスの腕が猛威を振るう。シュウは走り出し、荒野に佇む岩石を盾にして攻撃から身を守ろうろする。しかし、デラスの腕はその岩石を意にも介さず貫いた。
岩越しから『死』を達観したシュウは、咄嗟に身体を翻した。
「岩を背にしたところで私の攻撃は止められないぞ!! アスファルトの地面を貫く植物のように、細胞分裂によって引き起こされる膂力は岩の壁など容易く撃ち抜く!」
腰を低くした状態で地面を蹴りあげ、追撃を試みる魔腕を圧倒的なスピードで翻弄していく。その速さを生み出す脚力は、地面にくっきりと足跡が残こるほど人間離れしていて、まさに神速の名に恥じない速さだ。
人間の通常の感覚であれば困惑して力加減が効かず、本領を発揮できないところだが、シュウは感覚と実際との齟齬に違和感なく対応していた。
理由は、この窮地がシュウの価値観や思想というものを、瓦解させたからだ。酷薄な状況下によってシュウの通常感覚は麻痺し、偶然と偶然が符合して真の力を——過程という自己研鑽を飛び越えて発揮しているのだ。
「チッ……面倒だ。もういい、もういいぞ!! 細胞分裂の操作にも慣れてきたところだ。貴様を串刺しにして、その時間稼ぎという目論見も、その先にある何もかも! ここで終わらせてやる!!」
デラスの腕が二本から十本に分裂。更に胴体、足からも触手のような物体が伸び、シュウを差し穿たんと鉄鞭のようにしなる。
今まで腕からしか伸びなかった魔腕が腕以外の部分からも生え、数は数倍どころか数十倍にかさ増しされる。その、数を撃てば当たるという寸法は単純であるが故に、応用が利くため、凶器と成り得た。
シュウはその読めない攻撃の軌跡を滑り込み、跳躍し、掻い潜り、翻し、飛び込み、避け続ける。
避けられなければナイフで切り裂き、殴りかかり、蹴り飛ばし、うち落とし、受け流し、薙ぎ払い、軌道を変えて身を守る。
当然だが、全ての攻撃を受け流すことは無理に等しく、シュウの身体に数多の傷が刻まれていく。そして、怯んだ時に一瞬の隙が生まれ、一本の物体がシュウの心臓目掛けて伸びてきた。
「まずい!!」
しかし、極限までに研ぎ澄まされたシュウの肉体と精神はソレを許容しなかった。
体の中身から外身の隅々まで、焼き焦がされるような拒否感を覚える。反射的に、腰に巻いた雑嚢を使い捨ての盾代わりにして、シュウは一瞬の猶予を作る。身体をのけ反らせ、魔腕による攻撃はシュウの前髪を掠めるだけで終わった。
「——ッ!!」
攻撃の勢いを殺すことはできず、シュウの身体は後方に吹き飛ばされる。
九死に一生を得たが、二度と同じ手を使う事は出来ないだろう。それに、雑嚢は破壊され、中身が周囲に四散してしまった。
シュウは受け身を取り、散らばった道具を回収するために地面を蹴り飛ばす。不要なものは捨て、絶対的に必要とされる道具だけを手に取るように飛び込む。
シュウを追随する魔腕は、空中で軌道修正が効かない瞬間を逃さない。その隙を好機とばかりに一斉攻撃にかかった。左右に上方向の180度。ありとあらゆる角度から包み込むようにシュウを襲う。
「とったぁぁぁぁ!!」
「いや! まだだ!!」
シュウは着地と同時、地面に向かって両足を踏み込んだ。固い地盤がシュウを中心に波打ち、四角いブロックとなって隆起する。シュウは隆起した岩を盾に使うのではなく、今度は武器として岩を蹴り飛ばし、魔腕の攻撃を相殺。瞬時に避難先を確保した。
「小癪な!!」
デラスの虚を突き、シュウは先程手に取った唐紅色の鉱石——魔石を持ってそのまま疾走する。
シュウが何故、魔石だけを回収したのか。それはデラスを出し抜くためのミオと練った簡易案の要となるからだ。魔石による念話。即ち、合図を受け取ること。
『目を瞑ってください!!』
合図に合わせて目を瞑った時、薄暗い荒野に真っ白の閃光と甲高い爆発音が轟いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あの……行かれる前に、簡単な作戦を立てましょう」
圧気や気迫といった翻意を身体全体から放出させる強者。それを周囲の者達に伝播させながら、敵陣に攻め込もうとする傑物——シュウを、ミオは後ろから声を掛けて止めた。出鼻をくじかれたように彼は振り返ると、
「あぁ、そうだな。だが、時間は少ない。手短にシンプルな作戦で頼む」
すぐに怜悧な表情に戻し、シュウは右手を差し出して結論を急かす。
その点に関してミオは得意分野だ。自分で言うのもなんだが、精鋭部隊を率いる前は冷酷非道な情報屋として名を馳せていた程だ。情報を金として売りつけるには、見聞きした陰日向の出来事を客観的視点で端的に纏めたものでなければならない。主観を交えるなど以ての外だ。
これが出来なければ情報屋など務まらない。故に、簡易化することなどミオにとっては朝飯前なのだ。
「では……先ずは部隊を三つに分けます。一つは博物館跡に小麦粉を運ぶ部隊。もう一つはユイさんを護衛する部隊。ユイさんの護衛する部隊の指揮官はアスト……貴方に任せます」
「承知しました。この身の命に代えてでも、ユイ様をお守りします」
膝をついて役目の躍如を誓うアストを横目に、ミオは小さく頷く。精鋭部隊が結成されるまでは、顔も名前も知らなかった男だ。だが、アレクシスが彼を折り紙付きだと賞賛したのも、今なら理解できる。
「最後の三つめは、部隊とは言えませんが、私がシュウさんの補助戦力として加勢します」
「加勢か……しかしどうやって?」
顎に手を当て、訝しむシュウ。その思慮は当然だ。ミオは彼のような力があるわけもなく、弱さを補える戦闘技術を習得している訳でもない。戦闘に於いては瑕疵でしかない。それはミオが痛いほど理解している。
だからこその『主戦力』ではなく『補助戦力』なのだ。シュウも言っていた『適材適所』というやつだ。
「先ほども言いましたが、私は戦闘面は素人です。ですから、補助戦力です。この閃光弾を使ってデラスの目と耳を奪います。その隙に、シュウさんを車で確保します」
ミオは自身の掌に閃光弾を乗せてシュウに分かりやすく見せる。溜飲が下がったようにシュウは「そうか」と言って顎から手を離した。
彼の納得を得たところで、ミオは閃光弾を置いて今度は魔石をシュウに見せる。
ここで使うのは、何度もお世話になっている念話だ。閃光弾は目と耳を奪うために、無線機での指示は無理だ。しかし、直接語り掛ける念話であれば閃光弾の反作用を無視して指示ができる。
「下準備が整ったところで、私が念話で旦那さんに閃光弾の使用することを伝えます。車に旦那さんを乗せ次第、デラスを博物館跡までおびき寄せ、粉塵爆発にて奴を倒す。これでいいですね?」
「わかった。それでいこう……頼むぞ」
シュウは真摯にそう言うと、振り返って走り出した。
ミオはその彼の姿を見て畏敬の念を抱いた。艱難辛苦に突き当たる彼に恐怖からの迷いは一切ない。猛然と立ち向かい、清く正しくあろうとしている。
アキヤマがシュウを『旦那』と言って慕い、信頼を寄せる理由が少しでも分かった気がした。
「先輩が魅了されちゃうわけですね」
アキヤマの名前を呼んで、あのときの惨状を思い出す。忘れられるはずもない、大切な人の死の瞬間。アキヤマを救えなかった屈辱が、今も自身の胸を強く抉り続けている。生涯、この痛みを忘れられる時は訪れないであろう。
「——必ず、成功させます。何が何でも絶対に」
もう何も犠牲を出すわけにはいかないのだ。アキヤマにとって大切な存在を失わさせるわけにはいかない。守らなければならない。それか唯一彼に出来る恩返しであり、自身に課せられた贖いなのだから。
ミオは胸に手を当て、心の中にいるアキヤマから力を貰う。勇気を、決意を、誇りを、力の全てを受け取る。それら全てを己の糧にして、ミオは腰を上げて腕を空に掲げた。
「総員!! 聴け!」
憔悴を露わにしている精鋭部隊の者達にミオの声が届く。即座に視線がミオへと向けられ、指揮官からの支持を全員が息を呑んで待機する。
「二十名の精鋭部隊の内、四名が命を落とし、更に我らの渾身の一撃は不発に終わり、敵は更なる力をつけて怪物となりました! 仲間を弔う時間もなければ、後悔する時間も惜しい! ここにいる全員が、自身の至らなさに慚愧しているでしょう!!」
今、ここで精鋭部隊が一丸となり、諸悪の根源たるデラスに歯向かわなければ勝ち目はない。本当に仲間の死を悔いるなら、この窮地を生き残って帰還することが贖罪であるはずだ。
——きっと彼らはそれを望んでいる。
——先輩だって、きっとそれを望んでいる。
「ですが、今は立ち向かう時! 死力を尽くし、勝を取ってこそ精鋭部隊ではないのですか! 我らが何のためにここにいるのか、各々が何らかの決意をもってこの戦いに挑んだではないのですか!! ならば今こそ! その意を示す時です!!!」
俯いて地面を眺めるだけだった精鋭部隊の者達の顔が上がる。憔悴しきった表情に活力が漲り、一人の男が弱まった腰を鼓舞して立ち上がった。
「そうだ、俺はこの戦いでアレクシス様に恩返しをするって決めたんだ!」
そう言って男は隣で腰を落とす仲間に手を差し伸べ、立ち上がらせる。
「俺だってそのつもりでこの戦いに挑んだ」
その仲間の行動を見ていた男が重い腰を上げる。
「俺は、この戦いで出世して、いい嫁さん貰うって夢がある!」
「俺もだ」「そうだ」「その通りだ」と、お互いがお互いを励まし合う。自分たちは負けるためにこの戦いに挑んだのではない。勝つために戦いに挑んだのだ。
『勝って己の価値を示すのだ』と、そうやって一人一人が心を奮い立たせる。
「ミオ様! ご指示を!!」
生き残った精鋭部隊の者達の視線が指揮官のミオに移る。
折れそうな魂を振り払い、主の忠言によって士気を高める。寄せ集めの仮面戦力ならこのような結果にはならなかっただろう。やはり、かの傑物——アレクシスが選び抜いた精鋭部隊の名は伊達ではない。
「勝利は我らの手にあり!! 心して聞け!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ナイスタイミングだ!! 助かった!」
閃光弾によってデラスの虚を突き、シュウが今いる場所はユウジの仕事車の中だ。車内にはミオとシュウの二人のみで、運転席にミオ、後部座席にシュウだけという状態だ。ユイの心配もあるが、そこはアストを信じて託すしかない。
「いえ、礼を言うのはこちらです……あ、もしかしてユイさんの心配してます?」
バックミラー越しにミオがシュウの心配げな顔を見やる。彼女の正鵠を射るような指摘によってシュウは自身の表情筋が緩んでいることに気づいた。
普段から考え事を口にしたり、感情を顔に出してしまう癖があることは周囲の人たちによって知らされていた。何より、ここまで愚直な表情をしている自分を客観視。要はバックミラーで自身の顔を見れば、痛いほどわかるというもの。
「よくわか……いや、当然か。ユイは大丈夫なのか?」
「大丈夫です。アストを含む五人がユイさんの護衛に当たっています」
「そうか、なら大丈夫だな」
隠す必要性がなくなった、と思ったシュウは安堵を包み隠さず露呈させる。しかし現状、やらなければならないことは大詰めだ。安堵している状況下ではないと、シュウは切り替えを挟んだ。
「そろそろ、閃光弾の効き目がなくなるころです。運転の方は私に任せてください。その変わり、目の役割を頼めますか?」
「当然だ。任せろ」
ほどなくして後ろで爛然と光輝く閃光弾の効力が弱まっていく。
シュウは薄弱となった光の隙間から、人ではなくなった怪物を見据えた。膨れ上がった肉体からは触手のようなものがわらわらと伸び始め、周囲にある岩をなぎ倒し、地面を抉っていく。創作に出てくる巨人、怪獣、妖怪と表現できる言葉は多い。
それを見て「怪物だな」とシュウは総称した。
完全に閃光弾の効力が切れ、怪物の動きに『順応』の二文字が垣間見える。目と思われる部分は荒野を走る車をしっかりと目視していて、シュウの目と怪物の目が合わさった。
「ゴォォォォォォ!!!」
「攻撃来るぞ!!」
仇敵を見たかのように怪物は激昂し、咆哮する。数えるのが億劫になるほど伸び生やされた魔腕がシュウとミオの乗る車に近づいてくる。
「右に避けろ!!」
シュウの指示通りにミオがハンドルを右に回し、車もそれと同時に右に逸れる。振り飛ばされないように重心を車床にのせ、シュウは座席にしがみ付く。複数の魔腕は車を射止めることなく、そのまま地面へと突き刺さり、周囲には小石が飛び散った。
車の後方部分に小石が当たり、ゴンゴンと乱雑に金属音が鳴る。
「一度当たれば即終了の無謀な賭けだ! なんで、お前はそんな勝ち目の薄い賭けに命を掛けられる!?」
シュウはミオに対する疑念を述懐した。博物館跡にまで約2キロ。正直に言えば地に足が着いていない作戦である。攻撃が当たれば即死。それに百キロの速度が出ている。掠りでもすれば車は横転し、魔腕の格好の餌食だ。選択肢は避けるしかない。
「この場で! 更にそれを貴方が言うとは! 馬鹿にされたものです!! それは一番危険な囮役を担った自分自身に訊いてみてください!」
「俺自身……」
それは当然、仲間を助けたいからだ。そしてそれは他人のためではなく、何より自分のため。そこに他者の介入はなく、独善的で独りよがりの自己愛。そうしたいから、そうしているだけ——シュウはその答えに至った時、ミオもそれ相応の考えを以って、補助戦力として加勢しているのだと理解できた。
「そうか、客観視してみれば全く、馬鹿丸出しだな!」
「馬鹿で結構! 次! 頼みますよ!」
「ああ!」
『最悪な状況に陥った時こそ、人は斯くあるべし』
最悪の状況だからこそ冗談交じりに笑い合い、支え合い、力を合わせるべきだ。空元気も元気の内、笑って最後が迎えられれば儲けものだ。
そうこうしているうち、怪物はその巨躯とは思えない速度で車との距離を詰め、攻撃を仕掛けてくる。その攻撃を左へと右へと避け、目的地である博物館跡に車を走らせ続ける。そこにたどり着けばこちらの勝利だと、そう信じ、ただ愚直に、それだけに没頭する。
さりとて、怪物は思考放棄したまま攻撃を仕掛けるわけではない。謂わば考える能がある。獲物を仕留めるために脳を白熱させ、試行錯誤を重ねていく。苛烈さを増す攻撃の中——遂に、怪物は獲物を仕留める一撃を繰り出した。
「まずい!!」
魔腕同士が死角となって、シュウの指示が一瞬だけ遅れる。
果たして、斜めから獲物を射抜くように、魔腕が車を貫いた。
「クソが!! 畜生! すまねぇおじさん!」
車が横転する前に、シュウはドアを蹴り外し、魔腕を自身の腕の膂力のみで引きちぎった。赤黒い鮮血が車内に飛散し、血生臭い臭気がシュウの鼻孔を歪める。
それは、運転席にいたミオも例外ではなく、彼女も同様に血で体中が汚れる。
「こんな状況なのに、俺の身体が疼いてやがる」
苛烈極まりない戦場に身を置いているはずなのに、シュウの内側では闘争心が爛々と猛ている。この生暖かい血がシュウの闘争本能を掻き立て、内側から精神を激励しているのだろうか。或いは、思考回路が麻痺しているだけなのか。
正直なところ、どちらでもよいが、今はその状態は好都合と言える。躊躇いを無くし、自身のことを顧みず、己の全てを博打に投げ出せるだろう。
——そして、見えてくる博物館跡
「橋を通過! 博物館跡、見えてきました!!」
シュウの目にも橋が見え、既に廃街となった住宅街に車が入っていく。無防備の街はあらゆる自然現象によって破壊され、その姿はゴーストタウンの名に相応しい風貌だ。
その廃街の中を車は速度を下げることなく、博物館跡へと直行。急ブレーキによって動きを停止させた。
「おかしい……」
灯りは月明かりと、車のヘッドライトのみ。車の居場所は直ぐにわかるはずだ。だのに、怪物の姿は周辺を見まわしても見つからない。余りにも静かすぎる。先程まで、獰猛に怒号をまき散らしていた怪物の存在が嘘のような静寂。
「見失ったのでしょうか……」
「——いや、そんなはずは」
月明かりの光を反射させる車窓は、シュウの顔を希薄ではあるが鏡のように映している。自身の面貌は酷く寂寥感を宿し、額には汗が垂れていた。
「————ッ!!」
その希薄な鏡に暗闇という綻びが生じた。それは物体が光を遮ったという証拠だ。雲が月を隠したのではない。異常気象と言えるほど、著しい乾期を迎えたこの地域に、光を遮れるほど雲があるとは思えない。それに、シュウは空に雲がないことを確認している。
故に、違和感を払拭することがでず、シュウは反射的に後ろを振り向く結果となった。
「まずった……」
猶予の暇なく、シュウは身体を乗り出して運転席にいるミオの抱え、ドアに背中を押しあてて飛び出した。空中で軽く身体を捻るシュウの瞳には、車を圧潰させる巨大な物体が映った。
一テンポでも遅れていれば、シュウとミオは巨大な物体——コンクリートの塊によって肉ミンチにされていただろう。
「——チ!!」
着地狩りの要領でシュウに、更なるモノが襲い掛かる。シュウはそれを一歩二歩とミオを抱えながら後ろに跳躍し、飛んでくるコンクリートを間一髪で避けた。
しかし、シュウは自身が敵の術中に嵌っていることに気づけない。
地面へと突き刺さったコンクリートの死角。そこからシュウを射抜くような攻撃。反応の遅れたシュウは回避不能と判断し、せめてミオだけは、と抱えていた彼女を乱暴に吹き飛ばした。
「ぅ、がぁあ!!」
右腕に激痛が走る。辛うじて身体をのけ反らすことにより、致命傷は避けられた。が、シュウの身体は老朽化した壁を突き抜け、そのまま博物館跡の中に入っていく。展示物を覆っている強化ガラスに身体がぶつかり、割れたガラス片がシュウの体中に突き刺さった。
体内をミキサー機で攪拌されるように体中を抉られ、痛楚によってシュウは顔を引きつらせる。
「クッ! ぅぁぐ!!」
「ハハハハ!! 無様だな暗殺者! 私がただ馬鹿正直に貴様の背中を追っていたとおもったのか? 私は敢えて貴様に誘導されたフリをしたのだ! こうやって貴様の虚を突くためにな!!」
壁に貼り付けられるシュウに近づいてくるのは、膨張した体が元に戻ったデラスだ。細胞分裂の弊害か、皮膚は赤く腫れ上がり、腕は完全に人の肌のそれではない。その見た目はまさしく、人ならざる存在——怪物といえるであろう。
「この場所で何かを担くらんでいたか?」
怪物はその双眸で博物館跡の内装をまじまじと観察する。変哲がないことを確認したのか、怪物はシュウの右腕に刺した魔腕を膨張させて獲物を完全に固定させた。
「なら万策尽きた、というやつだ。貴様は今ここで、私のこの手で殺す。予定は崩されたが、それも些事だ」
怪物は己の右腕をうねらせ、鋭利な槍へと形を変える。それをシュウの心臓部へと突き刺さるように狙いを定め、
「安心しろ。外にいる小娘も直ぐに殺してやる。当然、純粋な死を与えるわけではない。絶望による死を、与えるのだ。蜘蛛の子を散らすように、逃げた鼠どもにも同様の、絶望による死を!!」
「クソ! こんなとこで終われるわけねぇってのに!!」
「悔しいか!! わざわざ囮となったのに! 不運な役を担ったのに! 最後の結末は報われぬ死! 悔しいだろう!! 悔しいはずだ!! さぁ貴様の本性を現せ! 絶望しろ!! 死にたくないと命乞いをしろ!! ははははは!!!」
シュウの憤懣を見た怪物は痛快無比に嗤う。
その間にもシュウは身体を動かし、魔腕から抜け出そうと悶えるが、一向に抜け出せる気配はない。それどころか、魔腕の締め付ける強さが徐々に増していく。
「とはいえ、貴様から受けた教訓もないわけではない。それを教わった身として、せめてもの慈悲だ。苦しまずして殺してやろう。嗚呼、私はなんて慈悲深いんだ!!」
槍の形をした魔腕を奇怪に回転させ、怪物は刺突の構えに入る。脈打つ魔腕はソレ単体で生存している生き物だ。その生き物に人間の知略が加われば、個の力などちっぽけな存在。
今度こそ、シュウは死を達観した。
『まだ終わりではない。役割を果たせ。お前のやりたいことを遂げるために、命を燃やせ。今現在、そして……これから先も命があり続ける限り、運命に抗い、理不尽を終わらせろ!』
ポケットの中にある魔石が暖かくひかり、
——シュウに語り掛ける謎の声と共に、博物館跡に崩壊が訪れた。
脳内の全血液が沸騰し、血管が破裂しそうなほど膨れ上がる。『まだ死ぬわけにはいかない』と、喉奥で焼き切れるような絶叫があがる。
シュウは空いた左手で自身の身体に突き刺さったガラス片を引き抜く。そのガラス片をシュウは自身の右手へと刺し込み、勢いよく両断。数トンもある岩を持ち上げる膂力だ。刃物があれば腕を切り落とすことは容易であった。
「あああぁぁぁぁ!!!」
切り落とされた右腕からは大量の血しぶきが上がり、壁に血の斑アートを刻む。魔腕によって固定されていた右腕がなくなり、シュウの身体は自由落下。怪物の攻撃から自身の命を守った。
「な、なんだ!?」
唖然と事の趨勢を見ている怪物をシュウは無視し、右腕から噴き出る血を服で括って止血する。
「どこの誰だか存じ上げねぇが、感謝だ!!」
シュウの精神はその声によって快復した。『役割を果たせ』その言葉の意味を噛み締める。
支柱が倒れ、天井が崩れ落ち、埃を舞い上がらせながら博物館が壊れていく。シュウは爆発によって崩壊を迎える博物館跡の中、目的地である地下へと足を運んだ。そして、用意されてあった箱——小麦粉を室内全体に蔓延させるように地下へとばら撒いた。
「これで準備は整ったな……」
必然的に空洞となった地下に瓦礫がなだれ込み、唯一の出口である階段は完全に封鎖された。
シュウはポツポツと差し込める光を頼りに、怪物が地下に逃げ込んだことを確認。どうやら怪物も微弱な光によってシュウを見つけたらしく、お互いが仇敵を視認した。
「貴様……まさか自分自身をも犠牲にするとは。つくづく気に食わない奴だ。だが、貴様の自己犠牲も虚しく終わった。私を殺す事さえできず、こうやって地下へと逃げ——」
「それすらも、お前を陥れるための欺瞞だったら?」
御託を並べる怪物の言葉をシュウはバッサリと切り捨てる。暗闇の中で怪物の表情は窺えないが、血相を青くしていることだろう。
シュウはそれが痛快で、思わず笑いがこみ上げてきた。
「は、ハッタリだ! この状況で貴様に何ができる? 暗闇の中、右腕を失い満身創痍の貴様には私の攻撃を避けることすら不可能だ。だというのに、貴様はそれでも私を倒す策があると?」
怪物は敢然と推論を吐き出す。常識的な観点から状況を判断するなら怪物の推論は何一つ杜撰な部分はない。怪物の方が力は上でシュウは右腕を失い満身創痍。さらに怪物は一度死んでも生き返ることが可能で、万が一に敗北を喫してもやり直せる。
そんな状況下、寧ろ完全敗北を想像することの方がよほど難しいというもの。
「最初からこうなる運命だったんだよ」
「何が言いたい?」
「いつの時代も、人間ってのを逸脱した奴の末路なんて、大抵が最悪の終わり方を迎えるってことだよ」
怪物は場違い過ぎるシュウの言葉に、理解不能を通り越して哄笑する。それはシュウを嘲るような笑みだ。シュウの捨て身の作戦は無駄骨となり、逃げ道を塞がれた。
シュウの精神は狂い、少しでも生き延びようと言葉遊びで必死に時間稼ぎを試みているのだと、見え見えで、薄っぺらで、スケスケで、間抜けで、短慮にすぎる愚行だと、怪物は嘲弄する。
「ハハハフヘヒ!! 笑わせるな! ここにきて道化を演じるか? 暗殺者。ウヒヒヒ!! それは粗末が過ぎるぞ! アヒャヒャ!!」
「まぁ、そう興奮するな。すぐにでもわかる。室内に粉みたいのが蔓延してるだろ?」
「あ?」
シュウの深慮を知るべく、怪物は小さな光を頼りに周囲を睥睨する。室内に浮遊する白い粉。それを怪物はちびりと舐め、
「こいつは小麦粉? 何故ここに、こんな場所に小麦粉が? こんなに室内に?」
「密閉された空間、その空間に漂う小さい粒子群。そんな場所で火種になるようなモノを使用すればどうなるか……子供でも分かることだ」
おまけに酸素ボンベに焼夷爆弾まで用意されている。精鋭部隊の用意周到さには感謝してもしきれない。ここまで来ても、シュウという人物は周囲から力を受け取ってばかりの自分勝手で他力本願なクズだ。
そんな人物が汚名挽回の名誉ある死を遂げられると考えれば、光栄なことではないか。
「粉塵、爆発!? まさか、貴様!? 最初から死ぬつもりで私をここに招き入れたと? 最初から最後まで、私を欺く演技だったというのか!?」
「そうだよ。お前は俺に騙され、ここで共に死ぬ! お前は文字通り人間を辞め、怪物となった。俺は自分の為だけに多くの罪を犯し、人間を辞めた! なら俺たち二人が行き着く先は同じ、カスみたいな死だ!!」
シュウは焼夷爆弾を手に持ち、怪物を見やる。多量出血で今にも意識が奪われそうで、口から発している言葉の意味すらも曖昧になっても、シュウは斃れない。内臓を抉られた体からは血がとめどなく溢れだし、口から黒い血液が噴き出る。
シュウの豪胆な行動に畏怖の念をさらけ出し、怪物は恐怖という二文字を顔に刻んだ。
眼前にいる男は軽く押せば死んでしまうような弱者だ。しかし、怪物の身体は痙攣し、足を竦めて後ずさりした。その慄然とした姿はまるで、怪物を見ているように——、
「あぁ……そんな!? そんなはずが、間違いだ。嘘だ。夢だ。まやかしだ。幻だ。あり得ない。あり、えない。あ、りえ、な、い……」
瞳に生気は無く、現実と事実を忌避し、怪物の全てが朽ちていく。音にはならず、今にも消えてしまいそうな嘆きの声。
「お前の負けだ!! 怪物!!」
その相手に対して、シュウは慈悲も罪悪感もない言葉を、小気味よく叩きつけた。
死ぬことに恐怖はない。それよりも今は笑って死ぬことができる。仲間を、ユイを助けることが出来た。ツグハと師匠に強い自分を証明できた。それが何よりも、今は嬉しくて堪らないのだ。
「ユイ。お前ならやっていける」
偶には道を踏み外すこともあるだろう。躓いて、傷つくこともあるだろう。転がり落ちて、辛い思いもするだろう。でも、ユイは強い。そんなことは障害物にすらならない。
それに彼女には仲間がいる。強い仲間が沢山いる。その仲間が、マイナスをプラスに引っ繰り返すほどの幸せを、ユイに与えてくれるはずだ。だから、心配することは無い。
後腐れは無い。故に、全身全霊で最後の闘いに挑もう。
——何もかもを焼き払う灼熱の意志を以って、シュウは小さく息を吸い、最後の言葉を発する。
「ここで終わらせてやるよ。俺がこのクソったれた運命っていう名のアンリーズナブルを!!」
博物館跡に爆発が訪れ、廃街を覆いつくす程の爆音が轟いた直後。二人の男の死を弔うかのように、暗い荒野に朝日が昇った。
『やぁ、数時間ぶりだね。是非とも、僕に死んだ時の感想を教えてもらいたいところなんだけど……取り敢えず、状況説明からしようか』
——真紅の髪に赤い瞳の子供が、鎮座していた。
これにて、一章終了でございます。
最後、誰か出てきましたね。
タイトルを見てくださった方なら、もう察しがついているかもしれませんが、まだ続きます。
どのような形で進むのかは「お楽しみ」というやつです。
後は幕間投稿して「アンリーズナブル(序)」は完結となります!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




