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アンリーズナブル(序)【リメイク版】  作者: 犬犬尾
始まりの一端
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18話 『益荒男』

 柄にもないことを言ってしまった気がした。他者に自分の気持ちを伝えるのが極端に苦手なシュウにとって『大好き』など、生涯口にすることは無いと思っていたワードの一つだ。


 暗殺者として生き、暗殺者として死ぬ。ただ無為にその命を費やすことで、シュウは自身の罪をあがなえる。そう思って生きてきたのだ。だが、理想郷ゆめでツグハと会って、その考えは変えさせられた。

 ここでシュウはツグハが何を思い、何を抱えながら自分を育ててくれたか知ったのだ。故に今なら、それが浅慮せんりょであったと理解できる。それが一番、彼女の思いを汚す行為であったと排斥はいせきできる。


 色々なものを貰いすぎた。受け取りすぎた。返し切れない程の借りが多すぎる。だから、少しでもそれを返さなければならない。


「もう行くの? シュウ」

「うん、ここが俺の理想郷ゆめってんなら、もう一つだけ、行かなくてちゃならないとこがあるんだ……それでやっと俺は、俺自身にけじめをつけられる」

「そう。わかった。シュウの一世一代の時だもんね。後ろめたい気持ち抜きで見送るのが、私の務めさね!」


 玄関にて靴を履き、準備が整うとシュウは後ろを振り向か——


「母さん……?」

「ん? どうしたの、そんな女の子みたいな顔して」

「それ言っちゃう? 今ので結構益荒男ゲージが削られ——え?」


 シュウの思考回路が現実世界の時間と引き離される。何をされたのだろうか。シュウは余りに突拍子もないツグハの行動に、ただ固まることしかできなかった。


「はいはい、そうやって強がらない。シュウの顔見れば何を考えてるか分かるって言ったでしょ」


 背後に温かい感触が伝わってきた。肩から胸へとシュウを包む腕に、頬をこそばゆく触れる黒髪。白一色だったシュウの脳に色が沁み始める。


 ——シュウはツグハに抱きしめられていた。


「シュウは逞しくなって、私のところに帰って来てくれた。でもね、シュウは何処まで行ってもシュウ……優しくて、強くて、それで甘えんぼさん……」

「甘えんぼって……でも、ありがとう母さん。ちょっと落ち着いた」

「そりゃよかったさね。シュウ? もしかして、何か大切なものでも増えた……?」


 目敏めざといツグハには頭も上がらない。彼女の前では、シュウの取り繕った表情の壁は無駄骨と化してしまう。欺ことするシュウの思慮は、児戯とばかりに暴かれてしまう。釈迦しゃかに説法ならぬ、母に説法だ。


「母さんは何でもお見通しだな」

「当然さね……それでどんな子なの?」

「——実は、その娘の顔も、名前も、覚えてないんだ。でも、何故だか助けなくちゃいけないって……そう思っちまう。そう思う理由すらも、曖昧なのに」


 その娘を思い出そうとすると、霧がその娘を覆い隠そうとしてくる。手で振り払おうとしても、濃密な霧は晴れることはない。そこにいるとわかっていても、手を伸ばしたとしても届かないのだ。

 その感覚は現実のシュウが忌避する感覚だ。伸ばしても、伸ばしても届かない願い。懇願すればするほど、シュウの精神を摩耗させる。


「そう。でも、シュウはその子を助けたいって思ってるんでしょ? なら、自分の気持ちに正直に、やりたいことをやればいいと思う。理由なんて後付けでいいさね」

「そういうもん、なのかな……?」

「そういうもんさね……」

「失礼じゃないのかな……?」

「失礼じゃないさね……」


 売り言葉に買い言葉でシュウを全肯定するツグハ。聖母の如く慈愛に満ちた言葉には温かくなるものがある。精神の摩耗を癒す魔法がある。それらをシュウはまた、無条件で受け取ったことに自省する。


「多分その子もきっと、シュウと同じ思いをしているんじゃない?」

「なんで、わかるんだよ」

「わかるっていうか、そんな気がするだけ」

「女の勘ってやつ?」

「そうそう、分かってるじゃない」

「そうか、なんかスッキリした。俺は母さんに頼りっぱなしだな」


 ツグハはシュウの捻くれた考えにムッとした表情になる。言ってほしい言葉はもっと他にあると、彼女はシュウの頬を指でツンツンと突っついた。


「またそれ! いい! 私がシュウにそうしたいからやってるの。だからそんな偏屈にならないさね」

「ごめん……じゃなくて、ありがと」


 シュウの言葉にツグハは破顔した。それから、シュウの頭を「愛息! シュウ可愛い!!」と言いながら遮二無二に撫でまわした。穴があったら入りたいと思うシュウは「もういいって」と赤面しながら彼女の手を取る。そのまま、シュウはツグハの手を離すと勢いよく立ち上がった。


「それじゃあ行ってくるよ……」

「うん、行ってらっしゃい。頑張って!! 私はいつでもシュウを応援してるさね!」

「うん、行ってきます!」


 扉を開け、向かうべき場所を見据えながらシュウは外へ出る。手を振り見送ってくれるツグハに、シュウは全力で右手を振って出掛ける合図を送った。

 車軸の如く振っていた雨は跡形もなく消え、夜であった暗い空は時が操られたように明るく光っていた。まるでこの世界がシュウの気持ちと同調しているようだ。


「さてと、あんたの元へ行くぜ師匠」


——振り向くことは無い、強さと優しさを貰ったから。


 自宅を後にして、道路へと移動した直後。シュウは違和感を覚えた。

 こめかみをぽりぽりと掻きながら、シュウは思索の海に潜る。本来ならば自宅のすぐ傍には小さな神社があった筈だ。だが、周囲を見渡しても、それらしきものが見当たらない。向かう方角を間違えた、という可能性も加味したが、どうやらその線も違うらしい。


「あれ? 家のすぐそばに、こんなのあったっけ?」


 そこには、ゴミ山が鎮座ちんざしていた。古今東西、ありとあらゆる場所から集められた——否、捨てられたゴミたちが連なり、陰惨いんさんを極めていた。


 無機物や有機物など関係なく捨てられたゴミ溜めはえた臭いを放ち、鼻を捻じ曲げる程の悪臭だ。中には死体が転がっており、長い間放置されたそれはカラスについばまれ、人という姿を失っている。

 シュウはこみ上げる胃液を嚥下えんげして、後ろを見た。


「これは、嘘だろ?」


 山だ。それもゴミの山。ゴミの山がいくつも連なり、新鮮な空気を侵している。いつの間にかシュウはゴミ山に囲まれていたのだ。先程まであった草木や田んぼなどは見る影もない。あたかも、最初からそこにあったかのようだ。


「いつの間にか景色が変わってやがる。いや、変えられたって言った方があってるか……?」


 仮説にすぎなが、この世界はシュウの理想郷ゆめだ。ならばこの世界がシュウにとって都合良く書き換わっても、何ら疑問は無い。即ち、ここはシュウの見知っている場所であるはずだ。そして、その答えは直ぐに見つかった。


「貧民街。まさかこんなに早く着いちまうとはな……」


 そこはシュウと師匠がかつて、回収屋として仕事に明け暮れていた土地だ。有象無象の人間達が己のルールのみに縛られ生きていた無法地帯。人間としての尊厳はなく、本能の赴くままに凌辱の限りを尽くす獣の所業。

 殺し、殺され、犯し、犯され、搾取し、搾取される。


「思い出してきたぜ。この肌にジリジリ来る感覚。忘れたくても、わすれられねぇ」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 夢とは泡沫で曖昧模糊あいまいもことしている。それは誰もが体験したことがある感覚。これを体験している時は、その玉石混淆ぎょくせきこんこうを疑いはしない。とはいえ、シュウがそのことに対して疑念を抱いてるのも事実。そこは夢ではなく、理想郷ゆめなのだろうと、シュウは割り切った。


 そんなことを考えながら、シュウは起伏のある山の隙間をスルスルと抜けていった。

 時折、シュウの目にはゴミを漁る浮浪者達が写った。かびたパンを貪る者。金銭物を探す者。クッション材量を抱える者。その者たちから物を奪い取る者。


 ——全て、ここでは日常だ。


 ゴミによって出来た不安定な足場を一歩、また一歩と踏みしめながら進む。山から転がり落ちてきたプラスチックのボールを蹴り飛ばし、足場を這いつくばる害虫を踏み潰しながら進行する。


 ゴミ山を抜け、橋を渡って河を越え、ボロ屋に囲まれた細い脇道を進み、見晴らしの良い階段を降り、何の変哲もない建物へと辿り着いた。


「何も変わってないな……本当に」


 決して忘れはしない、シュウと師匠が住まっていた建付け不良の家屋があった。お世辞にも良いとは言えない風貌に騒音対策もされていない薄壁。嗜好性を一切無視した最低限の家屋。どれもこれも、シュウを郷愁きょうしゅうに誘う。


 シュウは家の戸を乱雑に叩いた。簡単な取り付けのせいか、戸を叩くたびに木製の扉がギシギシと軋む音が響くが、師匠に会いたい一心のシュウには聴こえているようで聴こえていない。シュウの乱暴さに痺れを切らしたのか、


「わかった! わかったって! それ以上、戸を叩くな! ぶっこわれたらどうすんだ馬鹿野郎!!」


 スライド式の扉から、シュウの身体よりも二回り大きい巨躯の男——ステテコパンツにタンクトップ姿の師匠が出てきた。気だるげそうに、師匠は扉を叩くシュウに目を送った。

 何とも言えないおっさん姿の師匠にシュウはため息。彼の相も変らぬ豪胆な部分には畏敬いけいの念すら抱けるほどだ。益荒男という言葉が彼には相応しいだろう。


「悪い、師匠……そういえば、そうだったな」

「はぁ……反省の意が感じられんが、まあ、いい……久しぶりだな、シュウ。元気にしてたか?」

「あぁ、病に侵されることなく、健康まっしぐらだよ。久しぶり」

「てか何か、お前身体縮んでないか? あ、いや……痩せたって言った方がいいか……?」

「え、あぁ、そうだな。それがどうかしたか?」


 師匠はシュウの全身を嘗め回すように観ると、どこか納得がいったように頭を軽く上下に振った。シュウも自身の身体が矮躯になっていたのは鏡を介して知ってはいた。だが、シュウが自身の身体の変化に驚嘆しなかったのは、自分の身体を普段見る機会がなかったからだ。

 

 そういう観点では、師匠の方がシュウの体つきを見ている回数が多いために、彼が驚くのも納得がいく。


「いや、この世界のお前は、平和に育ったんだと思ってな……まぁ、髪を黒色に染めてきたことは褒めてやるよ! 俺の言ったこと、忘れてなかったんだな」

「師匠に会ったら絶対に髪のこと言われると思ってな……まぁ、けじめってのもあるが」

「そうか! ガハハハ!! 髪染めしたばっかりって丸わかりだし、見た目はまだガキくせぇが、大人になったな。シュウ……」


師匠の濁りがない、ストレートな誉め言葉にシュウはバツが悪そうに俯く。心中では「やったぁ~」という快活の鐘が鳴り響いている訳だが。


「アンタにそれを言われる日が来るなんて、思いもしなかった……」


素直に嬉しくて、その喜びがもう味わえないものだと思っていたシュウは、筆舌に尽くせない万感が自身の体中に席巻していくのが分かった。

 ツ グハとは違った暖かさがシュウの身体を包む。凍った心の芯は彼の暖かさで解凍され、小さい炎が点火される。トラウマという固く閉ざされた氷の壁が溶け、彼の顔にかかっていた靄を蒸発させる。


「お、オレ……師匠に、ししょうに……ごめん、ずっと逃げて……ごめんなさい」

「…………本当に、お前ってやつは……しょうがない奴だ、こっちまで泣けてくるじゃねぇか馬鹿野郎……」


 ポロポロと涙を流すシュウに、師匠は手のかかる奴だと抱き寄せる。

 シュウにとって世界の全てが母親であるツグハだった。そのツグハとの死に別れによってぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれたのが師匠だった。それがどれだけシュウの助けになったかは、助けられたシュウ、助けた師匠にすらわからない。

 そして今、その温かさがシュウから溢れかえり、師匠へと返礼されていく。


 ごめんなさいと謝れた。ここからだ。だから次は、感謝と返し切れていない恩を返さなくては。


「取り敢えず、中に入れ……」

「うん……」


 少し時間が経った後、時間換算すれば約三十分——ほとぼりが冷め、お互いが会話を交えられるようになったのなら、話さなくてはならない。とはいえ、会話の切り出しが見定められないシュウ。


「今から朝飯だから、お前も食うか……?」


 そんなシュウの反応を見ていた師匠が、助け船を出すように話しかける。何とも不甲斐ない。


「え、あぁ……悪いけど俺はもう、朝飯はすませ……いや、でも家にいた時は夜だったよな。ということは、あれは夕飯で朝飯は食ってない」


 もし、この世界が現実世界の時間と対比しているのであれば、シュウは夕食を食べてから食事はしていないことになる。

 そもそも、夢の中で食事をとったところで腹は満たされるのかと言えば、それは否だ。どれだけ食べようと、夢での食事は仮想にすぎない。それ故、食べても満たされない悪循環は悪夢とも言えるであろう。


 ここで一つの疑問点が生まれる。それはシュウがツグハのシチューを食べたいと思った理由の説明がつかないことだ。シュウは確かにあの時、彼女のシチューを食べたいと渇望かつぼうした。その思いに嘘偽りはない。

 とにもかくにも、


「まぁ、腹が減ってないのも事実だ。俺は朝飯はいいよ……」

「わかった。じゃあ、俺が食べるまで待っとけ」


 それからまた、約十分程度。食べ終わるスピードから察するに、軽い朝食を済ませたであろう師匠が、ジーパンをプラスしてシュウのところへと歩いてきた。


「じゃあ、シュウ。腹割って話し合おうや。お前がここに来た理由……大体は分かるが、お前の言葉として聞きたい」


 師匠は一本の酒瓶の栓を開け、悠然ゆうぜんたる態度で飲んだ。彼は瞬く間に、酒瓶に半分程度入っていた酒を飲み干し、中身のなくなった瓶を床へと軽く叩きつけた。「朝から酒かよ」と、指摘しようと考えたが、師匠にとって朝酒は日常とも言えるために野暮だ。それに指摘したところで、屁理屈で丸め込まれることも知っている。


 過去に一度だけ師匠が金銭的に裕福だった時、財布を川へと投げ捨てるという奇行に走った時があった。その一週間後に金欠になるという見事な一級フラグ回収士としての威厳を保ったことには蓋をしておこう。

 その時、シュウが『財布捨て馬鹿野郎』と罵ったところ、「小さい」と言われて窘められたことがあった。寧ろ誇示していた程だ。自称『世界有数の気分屋』というのは本当に間違いではないらしい。


「母さんといい、師匠といい……俺の周りは鋭すぎるよ。年長者の勘ってやつか?」

「なんだわかってんじゃねーか! 及第点だな! ん? いや、ろくだいてん?」


 師匠は、シュウが見識者になってきたと嬉々とするが、途中でやはり違うと、顎に手を当てがって髭を摩った。下げた後に上げるのはいいが、上がった後に下げられるのは、出鼻がくじかれたようで何とも遺憾だ。

 それよりもだ。


「及第点の及は数字の『九』じゃなくて『及ぶ』って方な」

「ん、だよ! こまけーなシュウは! そんなにみみっちい性格してると女にもてないぜ」

「いらねぇーお世話だよ! てか、師匠は出来たことあるのか!」

「あるぜ! だが、俺は一途な男だ! 一度愛した女以外には興味はない!!」


 師匠は『ゲラゲラ』肩を上げて笑いながら、シュウの背中を乱暴にひっぱたく。力加減のなっていない平手にシュウはしかめっ面で、師匠からの新たな情報開示に思案。


 師匠と会ったのはシュウがまだ子供の頃だ。その間、シュウは師匠と毎日のように会い、修行に明け暮れていた。夜も家に帰ってきたことから類推するに、師匠に相方がいたのは、それ以前と考えるのが妥当だろう。

 相方以外に興味がないというのも、敵なら女であろうと殺す師匠なら引っ掛かりはない。


 それよりも、思索の海に潜っているシュウに続けて平手を繰り出す師匠に耐え切れなくまり、


「いてぇよ! 馬鹿!! 師匠はもうちょっと加減しろ!!」

「ガハハハ!! 誰かを叩くの何て久しぶりでな!! 力加減がわからんくてよぉ!! いやぁ、すまんすまん……」


 緊張感のなさにシュウは深く嘆息する。いつも通りの師匠だ。


「さぁ、話してもらうぜ! お前が来た理由を」


 相槌を打つと、シュウは怜悧れいりな眼差しで師匠を見やる。逡巡しゅんじゅんを捨て去り、


「師匠。俺はアンタの意志を継に来た……」


 ——人生二代汚点の二つ目にけじめをつけに来たことを告げた。




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