13話 『迫りくる脅威』
太陽は沈み、辺り一変は黒の世界に染まっていた。
公道に聳え立っている街灯の光をシュウは意味もなく、目を瞬きさせて眺めていた。
チカチカと、窓からカーテンをすり抜けて差し込める光。それを掌で掴もうと、何度も開閉させる。その行動の無謀さを知らしめられたシュウは、あげていた腕を布団へと落とした。
「妙に寝付けないな……」
障子によって仕切られた部屋にはシュウ一人だけで、奥にはエリサとユイが寝床に付いている。喧々囂々と交わっていた会話の名残は綺麗さっぱり消え去り、耳に入るのは時計の秒針が揺れる音と、障子越しに聴こえる二人の寝息だけだ。
——この妙な胸騒ぎは何なのだろうか。
胸の奥で火花が散るような感覚をシュウは感じていた。その張り裂けそうな不安感をシュウは噛み殺し、唾を嚥下させて誤魔化そうとした。右手を自身の額に乗せ、シュウは身体を脱力させてぐったりと天井を眺める。
しかし、不安感は払拭されることなく、焦燥感へと変わり果て、
「駄目だ。一度、見回りでもするか……」
シュウを行動へと駆り立てた。
ユイとエリサに気づかれないように布団から腰を上げる。寝間着から動きやすいジャージに着替え、その上にウィンドブレイカーを着込む。そして、壁に掛けてあった雑嚢を腰に巻いた。
「実は私も寝付けなくて……あ、あの今から何処に……?」
障子を静かに開けて階段を降りようとしたその時、後ろからシュウの機嫌を伺うように、訥々とした声が聴こえた。
シュウは振り返り、
「ユイか? 今から散歩がてらに見回りをしようと思ってな」
「そ、そそそ、その私も、どど、同行を、きぃき、希望したいでございます……」
ルリから借りた寝間着の上に、ユウジから渡された黒のジャンパーを着込むユイ。黒く細長い胴体からニョキっと、反対色の白い髪が露わになっている。
動悸を荒げ、顔を朱色に染めるユイ。そんな彼女の健気な一面を見たシュウは迷いという要素を剥奪し、
「わかった。それに、そんなに畏まらなくていいぞ……」
「は、はい! ありがとうございまふ!」
「ぷ……タハハ!!」
シュウは堪えることが出来ずに、声に出してしまった。普段の毅然とした彼女の印象が崩れ去り、実はおっちょこちょいな部分が垣間見えた。それが要因で、笑いが込み上がってきてしまったのだ。
「最後、噛んだだろ……?」
口元に手をあてがって必死に笑いを堪えるシュウを見てユイは、またもや、顔を朱色へと染める。もう、顔中ケチャップで塗りたくられたような顔色だ。
「か、からかわないでください!」
「悪い悪い……」
「もぉ~」と、ユイは不貞腐れて頬を風船のように膨らませた。その姿は彼女の意外な一面である筈なのに、シュウは何故か彼女らしく見えてしまった。
「行くか」と微笑むシュウにユイは「はい!」と、だけ返す。階段を降りていくシュウ。その背中を彼女はトコトコと静かに追いかける。
話すことは沢山あるのに、二人の間に会話は無い。明日の事。明後日の事。もっと先の事。昨日の事。一昨日の事。もっと前の事。今日だけでは、全てを話し合うことは無理であろう。
なら何故、話し合わないのか。そこに理由など無い。合理的な思考の介入はない。あるのは仲間同士であるからこその怠惰だ。それはシュウとユイが培った絆の証であり、お互いがお互いを尊重し合った結果だ。
「あ、あの……手を握ってくれませんか?」
靴紐を結んでいる途中ユイは、外靴を履終え、玄関に半身を委ねているシュウに秘技『手を握ってくれませんか?』をぶつける。
彼女の心の底から湧き出る熱を味わいながら、シュウは壁から背中を離し、
「あぁ、夜道は暗いし危ないからな、手も温まるし、一石二鳥だな……」
「ありがとうございます! ええっと……では、その……よろしくです」
差し出された掌をユイは一度、弱く振れる。そして、次は強く、シュウの掌を握って破顔した。
「いきましょう!! えへへ」
二人は手を繋いだまま、外へと出る。空には雲が一つもなく、燦然と光る恒星達はシュウの双眸を魅入らせていた。何色にも彩られた光は、空のイルミネーションといったイメージが強い。
「星、とっても綺麗ですね」
『ぱぁ』口を小さく開け、ユイは感嘆符をあげる。足を止め、空を見上げるシュウと同じようにユイも空を見上げていた。
「そうだな……」
相槌を打つと、シュウはユイへと目を向ける。彼女はシュウの握られた手の反対、空いた手を空へと掲げ、掌を何度も開閉させていた。
それは先ほど、シュウが布団の中で包まっていた時にやっていた『光を掴む』行為を彷彿とさせるものだった。
「こうやって手に届きそうで……届かない星。掴めそうで掴めない星……届かないって分かっていても、必死に手を伸ばして、届いてぇ! 届いてぇ! って。もしかしたら、いつか届くかかもって……心の中でそう思っている。そんな私っておかしいですか……?」
ユイの言葉がどれほど無謀で報われないものなのか、シュウは知っていた。届くと信じ、足掻き続けて、現実の残酷さに打ちひしがれて絶望した。
今は守らなければならない仲間がいて、その仲間に支えられているからこそ、シュウは前を向いていられる。
「俺には、わからない」
シュウが選出した答えは肯定の言葉でもなく、否定の言葉でもなかった。
否定の言葉を飲み下し、自分にとって都合の良い答えを口にした。シュウがそうしたのはどちらの言葉で答えても、結果的に彼女を傷付けてしまうのではないかと思ったからだ。
「実は俺も、そうだった。いや、今もそうだな……」
「え? お兄さんもなんですか……?」
「あぁ、それもガキの頃からずっとだ。ガキの俺は、母さんの背中を追って、亡くなった母さんの代わりに……今度は師匠の背中をずっと、ずっと追っていた」
今度は同情ではなく、共感の言葉を漏らした。だが、その言葉の真意に嘘偽りはない。シュウが心から思うが故の答えだ。
ユイは「ふふ」と唇を綻ばせた。シュウは彼女が嫣然と笑う理由が理解できず、自身の話に落ち度があったのではないか。
「俺、変なこと言ったか?」
ユイはシュウから手を離し、一歩二歩と後ろにさがって両手を背中の後ろで組む。そして、上半身だけを前のめりにして、
「いえ、違うんです……なんだかお兄さんらしいなって」
「なんだよ、俺らしいって……」
ユイの中で自分というキャラが立ち始めているのだろうか、とシュウは眉間に皺をよせて彼女を見る。
そんなシュウの反応を超然とした態度で、彼女は小悪魔っぽく笑い、身体をくるりと一回転させると、
「そういえば、お兄さんの……お母さまと、お師匠さまはどんな人だったのですか? あの、不謹慎かもしれませんが」
シュウはユイの不謹慎かもしれない、という言葉に「いや、そんなことはない」と、返す。自分だって、ユイに不謹慎な事を訊いたりしているのだ。そこは、お互い様であるし、そうでなくても癇癪は起きない。
「俺の母さんと師匠かぁ……そうだな、一言で言うと『強い人』だな。言葉で表そうとしても言い尽くせない程……俺にとっては掛け替えのない二人だ」
『恐らく』なんて曖昧な言葉などでは表現できない。シュウの中で、母親のツグハと師匠は今までも、これからも、変わらずシュウの目標だ。その目標に辿り着くまで、ただひたすらに奔走し続けることがシュウの生き甲斐である。
もし、その目標に至ることが叶ったのなら「強くなれたよ」と、ひと言だけでも告げたい。
——例え、それがもう叶わない願いだったとしても。
「きっと、お母さまとお師匠さんはとても優しい人なのでしょうね。堅物のお兄さんを盲目的にしてしまうなんて……私は——」
ユイは言いかけた言葉を留め、首を左右に振る。彼女は「いえ」と前置きをして、
「なんでもありません……行きましょう、見回りの続きに……」
「あぁ……それに辛気臭い話ばっかりじゃ、気が滅入っちまうしな……ん?」
間の抜けた声をシュウはあげる。その原因を生み出したのは一匹の犬。夜という要因もあるだろうが容姿は黒く、双眸だけが爛々とこちらを見つめている。それは、まるでシュウとユイを観察しているかのようだ。
「犬? でしょうか。珍しいですね。野良がこの寒い時期に出歩いているなんて」
「確かに……いや、待てよ。本当にあれ、野良か……?」
シュウは怪訝に眦を細める。そうやってシュウに疑問を抱かせたのは犬の首についてあった首輪だ。先程は暗闇で目視することができなかったが、今回は灯りの反射によって確認できた。
「首輪があるぞ、飼い犬なのに何故一匹で出歩いて」
シュウとユイに存在が気づかれたと悟ったのか、犬はそそくさとその場を去る。
本能的にこちらのことを避けようとした、そう考えるのが妥当と言ったところ。だが、それはシュウの直感的な考えではなく現実味を帯びた考えだ。胸の奥で火花が散るような焦燥感とは全くもって無縁であり、
「まさか、飼い主に戻れと指示されたから——」
『杞憂であれば良い』その思惑はここにいる筈のない男の声によって、
「流石はアサシン、慧眼ですね。ミズキが敗北したのも納得がいきました」
——あっさりと覆されてしまった。
「ユイ! 俺の後ろへ!!」
「遅いです! 手遅れです! 既に包囲させてもらいました!!」
寒気がシュウの身体を一周する。それは外の寒い大気から来る寒気ではなく、悪感から来る嫌悪や忌避に等しい。
その嫌悪を生み出した張本人は『ニタァ』と嗤いながら、両腕を空へと掲げ、
「魔術師の少女を捕らえなさい!!」
「そ、そんな……!? 私は、でも……っ」
「くそ! 逃げるぞ!! ユイ!」
シュウは凝然と立ち尽くしているユイの手を咄嗟に掴み、走り出した。状況の飲み込めていない彼女は、シュウの手に引かれるがまま、転がりそうになりながらも身体を動かす。
「あまい! 短慮! 些末! 言ったでしょう!! 既に包囲させてもらったと!!」
「クソ」とシュウは悪態を吐いた。
しかし、何故気づかなかったのか。暗殺者を生業にしていた以上、人気には敏感であった。殺気といった類の気配にも疎いわけでもなく、こちらの分野に関しても、シュウは人並み以上だとは自負している。
そして、単に気づけなかったという可能性は現状、肌にじりじりと感じる敵意や殺気によって却下された。
なにより、不可解な点が多い。夜とはいえ時間は未だ十時頃。人目が少ない時間帯とはいえ、周囲には灯りが点いている家も点々ではあるが見受けられる。
男女二人が大勢の男たちに囲まれているとなれば、違和を感じる者がいるはずだ。しかし、実際は違った。何かがおかしい。
謎の威圧感に席巻されたその時、何もなかったはずの空間から現れた男がシュウとユイの行く手を阻む。
「なに!?」
それは一瞬、空間が歪んだような錯覚。
忽然と現れた男にシュウは反射的に蹴りかかるが、当然のように男は足を受け止めた。
「ふゅぅぅ!! 見境ないところ俺は嫌いじゃないぜ。殺しがいがあるってもんだ——あ? そういや、殺したら駄目だったのか? ま、落ち着けや」
藍色髪の男は空いた片方の手を己の頬にある古傷へと当て、愉快そうに言ってみせた。男は掴んだシュウの足を放すと、両手を小さく上げてふらふらと力なく振る。
他人を見下したように、野卑な笑みを浮かべて顔を歪める。口元からは舌がだらんと垂れ下がり、垂れ下がった唾液が地面に垂直落下した。
「この状況で落ち着いていられる程、出来の悪い人間でなければ、状況把握が致命的にできない人間でもないんでね……」
「そりゃ、そうか!! たははははは!! じゃなきゃ暗殺者なんて務まるわけねーもんな!! あひゃひゃひゃひゃ!!」
シュウのやせ我慢ともとれる必死の抵抗に対し、男は腹を抱えてゲラゲラと卑俗に笑う。
「おもしれぇーなお前……じゃあ暗殺者、その状況把握力がご健在なら、今すぐその小娘をこっちに渡せやぁ……交渉だ!! そしたらぁよぉお……中にいるお前の仲間には手を出さないでいてやる。どうだ……?」
男は自身の掌をシュウに見えるように差し出すと、指を曲げて合図を促す。
そんな旨い話があるわけがない、というのが今のシュウの見解だ。この約定は誓約にはならない言葉遊び。シュウ側にはデメリットしかなく、相手側にはメリットしかない。
「俺にはそれが交渉じゃなく、一方的な命令に聴こえるだが……生憎、デメリットしかない交渉は受けるつもりは毛頭、こっちにはない……」
「そうかよ、じゃあ——」
「人質は多い方がよいです……」
シュウの言葉を受け、額に青筋を浮かべる男に栗皮の髪色をした男が牽制する。
「今はまだ、事を荒立てる時ではありません……どうやら暗殺者と真正の魔術師の小娘を匿っていたのは、ここいら一帯で小麦畑を営んでいるご様子……最近では降雨量は減衰。作物などは不作が続き主食であった米は小麦へと遷移しています。主食を担う小麦、その収穫元である暗殺者の仲間を消すことは俗世……そして、我々の最大の敵、アレクシスに露見してしまうことが危惧されます」
「あれく、しす……?」
『アレクシス』という単語をシュウは反芻させ、記憶の断片を思索の海から浮上させる。
アキヤマと最後に会った時、密かに口にしていた人物名だ。酩酊状態であったため記憶は曖昧ではあるが、留意していた事柄があった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そういえば旦那はしってますか。アレクシスっていう人物を……?」
「なんだ、藪から棒に……?」
突拍子もない質問にシュウは眉間に皺をよせる。シュウのその態度を見ると、アキヤマは諦観したかのようにこちらへと歩み寄り、
「戦争を終戦へと至らせた張本人ですよ。どんな人物か、までは俺も会ったことがないので知らないです。どうやら今はこの国に滞在しているらしいっすよ……敗戦国側の人間からしたら腹立たしい事実ですが……と」
何かを察したかのようにアキヤマは話を途切らせた。
判然としない反応のシュウに彼は「エリサさんが来ましたんで話は後程」と説明を入れて元居た椅子へと腰を下ろした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして、そのままアレクシスに関与する会話はアキヤマから触れられなかったわけだが。そんな思惟に耽るシュウに、現実は甘くはない。栗皮髪の男の言葉はそのまま続けられ、
「ですがこれはチャンスと言えます。人質の価値は高ければ高い程、佳い……」
栗皮色の髪の男は白い歯をむき出して笑い、指を立てて言った。
男の冷徹で清々しい程の利害以外を度外視した物言い。その表情、その思考、その行動の源泉が、シュウに腸が煮えたぎるような激情を抱かせた。
シュウにとって唯一無二の仲間を物としか考えていない悪辣極まる不埒者。その義憤は湧き水のように溢れ出し、口という堤防を崩壊させ、言葉となって、
「————ッ!!」
「お兄さん……」
しかし、激情の言葉は制止させられた。それは今まで足を震わせ、凝然と事の成り行きを見ていただけの者。面貌は恐怖と焦燥で引きつり、シュウの手を強く握ることしかできなかった銀髪の少女。
「私が……私がこの人達に捕まれば、きっと大丈夫です」
ユイが言っている言葉の意味が分からなくて、シュウは「え?」と声を漏らしてしまう。
シュウは彼女の言葉の真意を、段々と理解していく自身の理解力を呪った。そして、彼女に断腸の思いで、そんな決断を強いてしまった自身の不徳は到底、許される愚行ではない。
「ま、待て……それは違う。そんなことをする必要なんて——」
「大丈夫です……最初からこうなる運命だったんです。それなのに私は現実から逃げて、助かりたいだなんて……欲張りな私には、当然の結末なんです」
「ち、違う! そんなことはない! 幸せを、幸福を望むことに罪なんてない!!」
しかし、ユイはシュウの瞳の裏にある万感を見て「いえ」と首を小さく振ると、
「いいんです……私は救われたんです。お兄さんが、壊れた私の心を治してくれたんです。だから大丈夫です……こんなに一杯、幸せを貰った私は幸福者です。だから、今度は私が恩返しする番です」
それは違う。間違っている。そんな終わり方が、幸せなハズがない。今にも泣きだしそうな彼女の表情を見ればわかる。そんな結末を望んではいないと語っている。本当は幸せであり続けたいと嘆いている。
「もっと他にいい方法がある筈だ。それを——」
「おいおい……お嬢ちゃんが必死になって犠牲になろうとしているのに、それはないだろ暗殺者。そこは素直に受け止めるべきだぜぇ……」
ユイの決断を侮蔑する藍色髪の男の超然とした態度にシュウの憤りを感じた。火山口から噴出するマグマが如く、シュウの黒い怨恨の炎が発火する。
奪う側の人間が、奪われる側の人間に同情を買うなど、言語道断だ。皮肉でしかない気色の悪い汚物だ。
「テメェェ!! ふざけるなよ!」
シュウは雑嚢に仕舞ってあるナイフを取り出そうとするが、
「おいおいおい! それはいけないだろアサシン……お嬢ちゃんの厚意を無駄にするつもりかよ。それはいけない……それはいけないぜ暗殺者!!」
肩を竦め、両手をふらふらと振りながら藍色髪の男はそう言った。猥雑な素振りを見せられたシュウは更に憤慨を覚えたが、彼の指摘通り、感情に身を委ねて行動に出れば間違いなく最悪な方向へと向かうであろう。それこそ敵の思う壺だ。
シュウは寸前で手を止め、己の唇を強く噛んで堪える。唇から血が滴るのを感じながらシュウは目を瞑り、拳を背後の岩壁へと叩きつけた。
決意を胸中に抱き、シュウを後ろ目にしながらユイは前へと身体を出す。握りこぶしを胸に当て、
「御託はいりません!! 私がそちらに渡れば、お兄さんたちには手を出さない! この条件を呑んでもらいます!」
「ほう……でかく出たなお嬢ちゃん……それじゃあ、俺たちにその条件を呑むメリットを提示してほしいなぁ……?」
「そうですね。もし、貴方達がお兄さんたちに手をだせば……」
一拍の間が置かれる。小さく、倒錯によって崩れてしまいそうな背中を、シュウは沈鬱な感情を孕んだ双眸で見守ることしかできなかった。
何もできない、非力な自分に怒りの感情が生まれる。
「だせば……なんだ?」
藍色髪の男は、押し黙るユイを煽るように鼻を鳴らす。
「私は、自分自身で己の命を絶ちます……」
——周囲の者、全員が少女の言葉に愕然と息を呑んだ。
「は……? 待てよ。嬢ちゃんそんな嘘っぱちが俺たちに通用するとでも——」
「嘘ではありません。これを見てください」
ユイは胸元に置いた掌の中から一つの紺碧の宝石を出す。
その宝石は、ユイの魔力に感応するように青い光を発する。何故か、その青い光の周りは空間が吸い込まれるように歪んでいる。シュウには宝石が命を吸い取る生き物のように見えた。
「魔壊石……魔術師であれば、聞いたことはあるはずです!」
「対魔術師用の自決剤ですか……魔術師の中核を破壊し、命を奪う……と」
ユイの持つ魔壊石といわれる鉱石に、栗皮色の髪の男は顎に手を当て、忌々しげにぼやいた。
「過去、捕らえた魔術師を尋問に掛けようとした時……尋問を避けるために自害した者がいました。その者の解剖を行ったところ……予め、体内に青色の鉱石を飲み込んでいることがわかったんです」
今まで道化じみた男の表情や行動とは打って変わり、剣呑を含んだ彼の表情は情緒の不安定さを物語っていた。そして、それは違和となってシュウの不安を煽る。
「貴方が言った、その人のように、私がこれを飲めば私は死にます。私が死ねば貴方達の計画は終わったのも同然です!」
「……わかりました。貴方の覚悟を汲み取るとしましょう。暗殺者及びその仲間達には手を出しません。条件はこれでよいですね?」
「はい、それで良いです」
——本当にこのままで良いのか?
シュウの脳内はその言葉で埋め尽くされていた。ここで事の趨勢を静観していればエリサやユウジ達に被害が及ぶことはないだろう。しかしだ、それはユイを見殺しにすることと同意であり、シュウを英雄と信じた彼女の裏切りである。
いや、それは理屈でしかない。本当のシュウはただ彼女を、仲間を救いたいのだ。
「俺は……それでも俺は」
——ユイの笑顔を、居場所を、存在を守りたい。
そんなシュウの考えとは裏腹に、ユイは藍色髪の男の元へと歩み寄っていく。
「あまいですねぇ!! 無警戒とは短慮です!!」
「————ッ!!」
男の言葉の真意が理解できずユイは疑問符を顔に浮かべる。彼女が無警戒で近寄って来るのを事前に理解していたかのように、男がユイの手を掴み取った。
「な!? 何を!?」
不意を突かれたユイは手に持っていた魔壊石が転げ落としてしまった。それを男は見落とすことなく踏み躙り、粉々に砕いた。
「話ガッ——」
魔壊石を破壊されたことと、その理由の無理解にユイは声を荒げる。だが、そんなユイの心境を無視したかのように藍色髪の男は彼女の首に手刀。
気絶する少女を腕で支え、背後にいる者に手渡した。
一瞬、ほんの数コンマ。刹那の空白。シュウの時間が止まる。それは男のとった行動の意味が理解できなかったために起きた世界の制止。反射的に現実から目を背けようとした結果だ。
「テメェェ! 何を!!」
「わかってねぇなぁ……最初から詰んでたんだよ。まぁ、最初は舌を噛み切って死ぬのかと思ったが……それも違ったってわけだ」
一瞬とはいえ、シュウは現実逃避をした自身に激昂する。あれだけの勇気を貰い、あれだけの幸せを感じさせてくれた彼女が、蹂躙されているというのに、シュウという男は、ただ事の有り様を静観するだけだった。
自分が憎い。その一心で体の中にある糧を燃やし、全神経を以って身体に動けと指令を送る。
覚束ない足を走らせ、シュウは腰に携えた雑嚢からナイフを取り出す。
「ユイを離しやがれ!!」
「いいじゃん、そうこなくっちゃなぁ!! よぉし、お前ら手を出すなよ!!」
腰を低く構え、足の膂力を最大限にフル活用。そのまま右手に持ったナイフで一閃。猪突猛進とまでに繰り出された攻撃ではあるが、スピードは充分だ。しかし、シュウの攻撃は掠りもせず、容易く男に避けられてしまった。
「おいおい……そんなんじゃ俺に攻撃は届かないぜぇ!!」
突貫の勢いを殺し切れないシュウにの顔面に容赦なく薙ぎ蹴りが炸裂する。カウンター技を得意としていたシュウにとって、それは盲点——予測できずに吹き飛ばされてしまった。
「あがぁ……ぁぁぁ!!」
視界にラグが発したように、視覚が一瞬だけ黒に染まる。シュウの身体は地面にぶつかり、無造作に倒れ込んだ。
——悶絶。
男は倒れ込んだシュウの右手を踏み、唾をまき散らしながら卑俗な哄笑をする。グリグリと、靴裏の突起した部位がシュウの右手の肉を抉る度に血が滲んでいく。押し潰される痛みによって、シュウは全身に麻痺が起こったような感覚に襲われる。
痛みに耐えかねるシュウの姿を俯瞰し、男はその表情を嬉々に染め上げ、
「いたいか? いたいかぁ? いいねぇその鳴き声!! 俺はミズキと違って殺すより嬲る方が好きなんだ!! 本当は男なんかより、女の方を嬲りたかったんだが、それを我慢してこそのできる奴だよなぁ!! ヒヒヒ!! 俺って慈悲深ぇ!!」
視界の左側に赤い液体が見えた。シュウの頭部から血が流れ、左目を遮るように垂れ流れてきたのだ。
男は「オラよ!!」と恫喝を口にしながらシュウの横腹を蹴り飛ばす。魔術を帯びた蹴りによって、自身のあばら骨に罅が入ったのが分かった。
——立ち上がらなくてはならない。この場で終わるわけにはいかない。
上体を持ち上げ、片膝を立てて立ち上がる。脳内を憤怒によって沸騰させ、目の前にいる男に意識を集中させる。
「まだやるのか? まぁ、その仲間を守るっていう意気込みだけは認めてやるよ……でも残念でしたぁ!! それは叶わないんですぅ!! お前に残るのは『死』だけぇ!! あはは!!」
意識が朦朧とする。
——構うな、目の前の男に一矢報いてみせろ。
足取りが不鮮明だ。
——構うな、怒りに身を任せ、今ある己の糧を燃やし尽くせ。
眩暈が、視界に入る物、全てが歪む。
——構うな! 構うな! 構うな! かまうな! カマウナ! かま、う……
猛然と自身を滾らせるが、シュウの身体は空気の抜けた風船のように力を失っていく。動力源である憤怒すらも消沈していく。徐々に、意志と意識が少しずつ弱くなっていく。
「へ! ようやっと効いてきやがったか。爽やか顔の癖して、タフとは意外だったぜ……」
「ナ、二、ヲ……シタ……ッ」
「冥土の土産に教えてやるよ……認識阻害の魔術だ。お前が疑問に思ったことがこれで解決できただろ? さぁ、これから待っているのは安泰でもなく、希望でもなく、絶望だ……精々、楽しんで行けよ……」
男の手がシュウの頭に触れた瞬時、シュウの意識は遠退いていく。
視界が霞み始める中、シュウの耳には二人の男の哄笑だけが鳴り響いていた。




