先生
恩師の訃報を聞いたのは、春のある夜のことだった。
その恩師の同僚である美術専門学校の先生からの電話で、死因の詳細は告げられなかった。
早過ぎる死だった。
受話器を置いた私が微動だにしないので、家族が揶揄した。
私は端的に、事実を告げた。
少し声が震えていたかもしれない。
家族は沈黙した。
その夜、私は自室で、盃を二つ小テーブルに置き、日本酒を呑んだ。
恩師と酌み交わす心持で。
魂を送る儀式に模して。
そんな悲哀の夜があった。
謝りたいことがあった。
たくさん迷惑をかけた。
ある意味で、恩人と感じる人だった。
温厚で、それが彼の経てきた波乱の生涯を思わせた。
もっと長生きしてくれたなら、私であっても何か返せたかもしれない。
けれどそう思うと同時に、そんなことを先生が望んでいないだろうとも思った。
見返りを求めない生き方を、当たり前のようにする人だったから。
悲哀の夜、左党の私が、酒の味を解らずに呑んでいた。
涙が込み上げて、酒を嚥下するのに苦労した。
辛くて苦しく、遣る瀬無かった。
どうしてという疑問は、いつも唐突にやって来る。
何度も、疑問符が浮かんでは消えた。
この話に美しい結末などない。
ただ悲しみだけが残る。
鎮魂。