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第30話 さよなら。

 

(女王様視点)


 フィデリオが仄暗い笑みを浮かべ執務室の外へ向かった後、外から「いやだあああ!!」とか「もう少しだけ待ってくださああいいい!!」と男達の悲鳴が扉越しに響いた。


 フィデリオは普段仕事せずにナンパばかりしている貴族達でストレス発散している様だ。最も主なストレスの原因はナンパに走る貴族達の所為だろう。


 私は哀れなナンパ男達に心の中で合掌した。生きて戻れるといいな。


 心頭滅却すれば火もまた涼し。ヘンリー王子によって疲れたわずわらしい感情から解放されるべく私は目の前の書類に向き直ることする。


 この山の様にうず高く積まれた書類が今は心地良い。紙のすれる音と羽ペンが紙の上を滑る音が静かな部屋に響く。


 そう。私は今幸せだ。例え、外から(やかま)しい男達の泣き声が響いても、私の心は穏やかだった。……だった。


 外からフィデリオの不機嫌そうな声が聞こえた。


「おやおや。ルーナの頭の良いお坊ちゃんが何か御用ですか?」


 ……フィデリオの怒りの矛先が通りかかったヘンリー様に向かった様だ。フィデリオは何をそんなに苛ついてるの?


 哀れな仔羊を助けるべく私は書類仕事を中断して扉を開いた。


 廊下でフィデリオはヘンリー様を冷ややかに見下ろしていた。対してヘンリー様は首を傾げていた。


「フィデリオ。ヘンリー様への侮辱は許しませんよ」


 ルーナの王子様に喧嘩を売るのは国際問題だからやめようね。


 ヘンリー様は私に気付くと優しい笑みを浮かべた。


 ……くっ。胸がっ。苦しいっ。


 私は胸を押さえて襲いくる動悸と戦った。折角、仕事をして心穏やかになっていたのに台無しだ。


 フィデリオは不機嫌そうにヘンリー王子に訴える。


「ヘンリー様。私は貴方のことが良く分かりません。何故、試験を手加減したのですか?」


 ……確かに気になるところね。


「試験?」


「中等部の通知表を拝見させていただきました」


「ああ、それかっ! ……まあ、あの時の俺は人の言う事に振り回されてばかりだったからね。反抗期かな?」


 失礼ながら今も人の言う事に振り回されている様に見えます。確かに、中等部って反抗期の時期だ。でも、ヘンリー様が反抗期って想像出来ない。


「はあ? 反抗期だあ?」


「フィデリオ抑えてっ」


 この宮中伯は自分に厳しく、他人にもっと厳しい。感情に振り回される人が許せないのだろう。だが、冷静になれ! 目の前の人物は曲がりなりにも王族だぞ!


「フィデリオは感情任せな俺が許せないんだね。でも、良いよ。俺はもう自国に帰る」


 清々しい表情のヘンリー王子。自暴自棄で言っている様には見えない。言葉の真意が掴めずにじっとヘンリー様の涼やかな瞳を見つめた。


 フィデリオが息を飲んで戸惑うのがわかる。


 ヘンリー様は私の目を真っ直ぐに見つめ返した。


「アンナ様。俺は貴女をお慕いしております。そして、ルーナの民も愛してます。だから、結婚の話は無かった事にして下さい。さようなら」


 優しいその笑みは尊いものに感じたと同時に胸に重くのしかかる。


 ヘンリー様は深々とお辞儀をして、私に背を向けた。去っていく背中には迷いなどなくとても遠い存在に思えた。


 震える手が彼を追いかけようと無意識に伸びる。だが、身体は鉛の様に重く動こうとはしなかった。




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