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前編

第1話 サヨナラ日常

 仮定の話をしようか。


 普通ならオレなんかがとてもお近づきになれそうにない、おしとやかな美少女クラスメイトがいるとする。

 仮定の話なんだから、おもいっきり美少女を想像しようじゃないか。多分、想像し過ぎって事にはならないはずだから。

 腰まで伸ばしたストレートの黒髪を控えめなリボンで頭の上でまとめて、風にサラサラとなびかせる文学系少女風外見だ。小顔で色白、黒目勝ちな瞳は常時うるうるしてるように見えるし、ピンクの唇はぷるぷるといつも水分を貯えている。出るとこは人並み以上に出て、くびれてるところは古風なデザインの制服越しでもちゃんとくびれてるのがわかる。声は意外にハスキーだ。いつもほとんど聞き取れないくらいの小さな声でしかしゃべらない。

 名前は、そうだな、仮称『柏木マリサ』ってことでどうだろう。

 入学式からこっち二ヶ月あまりになるが、教室や校内で妙に度々彼女と目線が合い、そのたびにマリサが恥ずかしそうに目を伏せるとしたら、これはさすがにもう、彼女がオレをしょっちゅう見てる、つまり、オレに気があるんじゃないかと疑ったりしてもいいんじゃないか?

 彼女がこっちを見てるとき、オレの後ろにいつもイケメンが立っているってわけでもないし、彼女の目が悪いってことでもないらしい。彼女のかわいいペットとオレがそっくりだっていうケースを疑ってみるべきだというヤツがいるかもしれないが、オレは犬似でもネコ似でもない。

 あ、そうかそうか、ひょっとしてオレ自身がモデルみたいなイケメンなんじゃないかと思ったかな? それともサッカー部のエースストライカーか学園一の秀才? あいにくどれにもあてはまらないぜ、自慢じゃないが。

 容姿は、まあ親を恨むほどじゃないし、先日の校内マラソンじゃあクラスで九番だった。この高校に受かったんだから頭も捨てたもんじゃない。だが、いわゆる一般受けして女に惚れられるような要素は持ち合わせちゃいない。人に誇れることといったら、保育園から現在に至るまで、ずっと皆勤賞の丈夫な身体くらいのものだ。そんなものにあこがれる女の子なんて聞いたこと無いね。つまり、ミーハーなファンがついたりするような男じゃないってことだ、残念ながら。

 だから、彼女はうわついた嗜好でオレを見てるわけじゃないってことになり、これはもう、運命の赤い糸か前世の因縁か、なにか超次元的な奇跡が彼女とオレの間にはたらいているとしか考えられない。理由はともあれ、彼女はオレに本気なんだ、うん、うん。


 ほら! また目が合っちまった。

 金曜の放課後の教室。のんびり帰り支度しているのは部活のない十数人のみ。部活がある連中は上級生より遅参せぬようにと教室をとうの昔に飛び出している。

 一方、どこの部にも所属していないオレは、ヲタッキーな学友達とゲームの美少女キャラの落とし方の話をダラダラと続けて、帰りそうでなかなか帰らないでいる。

 そんなオレを待っているかのように、マリサはカバンに教科書やノートをゆっくり入れて、なにやらかわいいカバーをつけた文庫本を開いたり閉じたりしながら、チラチラとこちらを見ている。下校時間をオレに合わせようという下手な工作中だってことだな。

 いじらしいじゃないか。

 ここは、困っている彼女のために、どーでもいい学友とのくだらない話を切り上げて、下校してやるのが男ってもんだよな。

 というわけで二次元美少女攻略話から抜け出し、「また来週」と学友どもに手を振って、教室を出て行くと、案の定マリサにも動きがあった。

 開け閉めを繰り返していた文庫本をカバンにしまって、マリサが席から立ち上がるところが視界のすみをよぎる。露骨に見ないようにしてそのまま廊下を歩いていくと、後ろで彼女が教室を出る気配がする。

 ふふーん、彼女にとって今日はいよいよオレへの告白タイムなんだろうか。

 ふたりっきりになったら、声を掛けてくるつもりかな? でも、あの蚊が鳴くような声では、よほど近づかないと聞こえないぞ。

 う~ん、こちらが後方に聴覚を集中して聞き逃さないようにしてやらなくちゃな。なにせ、あの可憐な乙女が、勇気を振り絞って一大決心で告白しようっていうんだから、しっかり受け止めてやらなくちゃね。

 学校を出てしばらくは、ガードレールと歩道つきの道がつづく。このへんは人通りもまあまああり、告白ポイントにはなりそうにない。彼女は二十メートルほど離れて後ろを付いてくるようだ。

「こらこら少年。こんな時間から家に帰ってごろごろするだけかい?」

 うしろに神経を集中していたら、突然横から呼びかけられた。

 頭の上から降ってきたのかと疑いたくなるようなカン高いアニメ声。うしろに神経を集中していたオレの横にいつの間にか並んでいた女子高生が音源だ。

 これでもかというほどぱっちりした大きな目と、赤髪と呼んでも良いほどの天然茶髪のポニーテール。マリサさえいなければクラス一番の美少女と言われたはずのレベル。彼女はクラス委員の倉西ミクだ。

 なぜか入学式の日にオレに話しかけてきて、瞬く間に押しかけ『ガールフレンド』になってしまった彼女は、登下校で絡んできたり、土日に「ヒマだ」「ほかに誘う相手がいない」と言っては映画や買い物の誘いの電話をしてきたりする。今日も、先に帰っていたはずが、なぜかオレの下校路に来てるわけだ。

 「好きだ」とか告白されたわけじゃないし、デートといっても手とかつなぐわけじゃなく、単に『連れ』としてあちこち行っているだけではあるが、それなりの美少女が、ほかの男じゃなくオレを『連れ』に選んでいる状況は、悪い気はしない。彼女と街を歩くと、ナンパ野郎どもの羨望のまなざしや、歯ぎしりや舌打ちが聞えそうな悔しそうな表情を向けられる。その状況は、はっきりいって心地よい。

 もしもマリサさえいなければ、オレは倉西と充実した高校生活を送るラッキーな男子になっていたかもしれない。倉西で手を打つことができれば、どれだけ幸運であっただろうか。実際、中学までは、倉西レベルの女の子がオレのことをかまってくれる、なんて可能性はゼロだった。こういう女子高生とふたりでデート、なんていうのは夢のまた夢だったんだが。

 しかし、現実には、マリサがいたわけで、マリサの前では倉西は単にまとわり付いてくる小五月蝿い女ということになってしまった。まあ、悪い気はしないので映画や買い物には付き合ってやっているわけだが。

 贅沢だって? だって考えてみてくれ、倉西は例えるならファミレスの一番高いメニューだ。普通は自腹を切って頼めないような『ごちそう』で、それが目の前に並べられていて、食べたきゃ食べられる据え膳状態だよ、確かに。

 これだけなら、迷わず箸をつけちゃうところだろうな。

 問題は、すぐ見えるところで本格的な三ツ星レストランのディナーが調理されていて、今にも目の前の食卓に並びそうな状態だってことだ。

 それがマリサだ。

 三ツ星のディナーを食べるには、ファミレスのごちそうはスルーするしかないじゃないか? ファミレスのごちそうで満腹になったら、三ツ星のディナーを食いっ逸れるんだぞ?

 そりゃあ、三ツ星のディナーがオレのテーブルに来なかった場合、ファミレスのディナーも食えなくなるかもしれないが、それでもぐっと我慢する価値があると思わないか?

 う~ん。倉西が横にいると、今日の『告白イベント』は発生しそうにないな。テーブルの上はファミレスのごちそうで埋まってしまって、三ツ星ディナーの置き場がない。

「あんまりひっつくなよ。誤解されるだろ」

「な~にを誤解されるっていうのかな? だ~れに誤解されるのを心配してるのかな? ちゃんとご希望どおり、クラスではベタベタしてないじゃん」

 倉西は逆にひっついてくる。ひょっとして、マリサがオレをつけていることを知っていて、見せ付けようとしてるんじゃないだろうか。腕をからめてくると、二の腕にやわらかいふくらみが当たってるんだが、おかまいなしのようだ。これもわざとか?

 かわいそうに、オレに惚れても無駄なんだぜ。オレはおまえレベルでは妥協しないことにしたんだ。

 ちらりと後方を向くと、マリサと目が合って彼女がとっさに顔を伏せた。

 罪な男だぜ、オレって。


 と、悦に入っていたこのときが、多分オレの人生のピークだったんだな。


 交差点で左に曲がって住宅街の道に入ったときに、オレは人生のピークから転げ落ち始めた。

 前方に、ヤンキーっぽい男がふたり立ち話してるのが見えたが、それ以外にはずっと先まで人も車も通ってない。裏通りに入ったとはいえ、こんなにひと気がないのは不思議な状況だ、と、このときは思わなかった。

 倉西はオレの横をくっついて歩いていて、いろいろ話しかけてくる。こっちはうしろのマリサに神経を集中しているので、倉西の話には適当に「ああ」とか「うん」とか言ってるだけだ。倉西は帰り道でオレを見つけると、いつもオレんちまでついて来るんだよな。ってか、こいつの家はどこなんだ?

 まあ、いい。後ろのマリサは、交差点をこっちに曲がってきた。彼女の家こそどこにあるかが問題だ。いつもはいっしょになったことないから、たぶんこっちじゃないはずだ。今日はやっぱりオレを追ってきてる。

 こりゃあ彼女は今日、一大決心しているとしか考えられない。

 倉西さえいなければ・・・・・・。

 いっそ倉西を無視してUターンしてマリサのところへ歩み寄り、こっちから声を掛けてやろうか。ファミレスのごちそうにはどうせ箸をつけないんだから、いっそちゃぶ台をひっくり返してしまうっていうのもいいかもしれない。

 意を決して立ち止まって、振り返ろうとしたときだった。オレがまったく注意を向けていなかった方向、『前方』から野太い声がした。

「うおぉぉぉりゃぁぁぁぁあ!!」

「消し飛べぇぇぇぇぇええ!!」

 ヤンキーっぽい男ふたりがかかってくる。

 その手には・・・・・・剣?!

 日本刀や木刀じゃない。西洋の昔の両刃剣だ。あきらかに銃刀法違反、刃渡り百二十センチくらいの剣を両手に持って、一人目の坊主頭は頭上に振り上げ、すぐあとに続く長髪のヤンキーは切っ先をアスファルトに擦るように低く構えて走ってくる。

 今風の服装にはおよそ似つかわしくない持ち物だ。二人とも恐ろしい気迫をこっちに向けながら・・・・・・これが殺気ってやつか?! オレに向かって・・・・・・いや! 違う! 視線の先はオレじゃなく、隣に居る倉西だ。

 剣を受け止めて防ぐような得物を持たないオレは、その場で固まってしまっていた。オレの横に向かって、坊主頭の剣が振り下ろされる。倉西が居るあたりで剣が風切り音を立てる。

 倉西が切られた!

 オレはそう思った。

 百分の数秒遅れで横を振り向いたオレの目には、そこに居たはずの倉西の身体は映らず、剣を振り下ろした坊主頭が、走ってきた勢いで駆け抜ける姿が見えた。

 倉西は、二メートルほど離れたところで倒立していた。いや、静止してるんじゃない。バク転してるんだ。残像を残しながら、後方にはじけるように飛んでいく。

 二人目の男が、その倉西がバク転していく方向へ走って行き、彼女めがけて下段の構えから剣を擦り上げた。

 倉西の身体はさらにスピードを上げてもう一回転バク転してさらに遠くに飛び去った。

 着地した倉西は、オレから十メートル近く離れた車道上にいて、オレとの間に剣を持った二人の男が割り込んでいた。

 男達はオレを攻撃対象にしていないようだ。狙いは倉西だけ?

 それよりも、彼女のあの動きは何だ?

 まるで体操選手が床運動のフィニッシュで見せる助走つきの連続技のようなスピード。街中で剣を振り回す男達も驚きだが、それを避けた彼女の動きもサプライズだった。

 そして、オレの視界の右隅で、もっと驚くことが起こっていた。

 マリサがこっちに走ってくる。

 制服のスカートの裾を激しく跳ね上げながら、長い髪を波打たせ、右手に持ったカバンの中に左手を突っ込んで、

「でぃやぁぁぁあっ!」

っと叫びながら引き抜いた。

 その手には、男達と同じ刃渡り百二十センチほどの両刃剣が握られている。

 通学カバンは対角線でもせいぜい六十センチ。あんな剣が入っているはずがない。いったいどうやったらあんなものが出てくるんだ?

 おまけにマリサがあんなに大きな声を出していることも、スカートの裾が乱れるのもおかまいなしの走りっぷりも、なにもかも信じられない光景だった。

 彼女の攻撃の矛先は剣を持った二人組だった。

 坊主頭の男を横になぎ払う。

 男の右腕と首が同時に身体から切り離されるところが見えた。

 血しぶきとともに首と腕が宙に飛ぶ・・・・・・前に、男の身体が--首と腕も含めて--かき消すように消えた。

 男が持っていた剣と、主を失った服だけが残り、その場に落ちた。

 男が消えたことに目を奪われていたオレの視界の隅で、マリサが長髪の男に切りかかっていた。

 男は両手で持った剣でマリサの剣を受け止めた。

 左手一本で剣を振るうマリサの方が、力で押し込んでいた。男は剣を顔の寸前でかろうじて押しとどめている。

 マリサが空いている右手でこぶしを作った。男を殴るつもりだ。

 彼女が右手を振りかぶった瞬間、男の後ろに倉西が飛びつき、まるで親の肩たたきをするように、両手で男の両肩を後ろから叩いた--ように見えたが、事実は違っていた。

 男の肩から離れた倉西の両手には、真っ黒い刃のナイフが握られていて、男の両肩に刃の根元まで突き刺さっていた。

 男の腕の力が抜け、マリサの左腕の力に押し切られて倒れる。

 男の身体は痙攣している。

 マリサと倉西が男を冷徹なまなざしで見下ろしている。

 倉西の両手のナイフは、刃が光って目立つことがないように黒くしてあるようだ。その黒い刃から男の血が滴り落ちている。

 痙攣する男の胸に、マリサが剣を両手に持ち替えて、グサリ! と真上からつきたてる。

 男の身体がビクンと反ったかと思うと、坊主頭同様に身体が消えてしまった。倉西のナイフから滴っていた血も消えてなくなった。倉西の足元の血の跡も消え、ふたりの女子高生の制服に飛び散っていた細かい返り血のしみも消えた。

 男の剣と、一度は血だらけになったはずの衣服だけが、男が倒れたポーズのまま地面に残った。


 ほとんど一瞬のできごとだった。男達は、まるではじめから居なかったかのように生命の痕跡を残さず消えてしまった。風で飛ばされた洗濯物のように、男たちの衣服が落ちている。

 マリサが地面に突き立てた自分の剣を服から抜き、倉西が両手に持ったナイフを同時にくるりと回して逆手から順手に持ち直している姿が、今さっき起きたことが夢じゃないことの証だった。

「な、な、な、なんだぁ?! こりゃあ?!」

 みっともない叫びを上げたのはオレだった。

 さっきまで表情豊かにオレにまとわり付いていた倉西は、別人のように無表情で、ナイフをスカートの腰のあたりにしまった。マリサはなにかに毒づきながら、走ってくる途中で投げ捨てたカバンを拾いにもどり、拾ったカバンに自分の剣と男たちの剣、合計三本をマジックのように差し込んで収めた。男たちの衣服はそのまま置いておかれた。

「ついに来たわね、やつら」

 倉西はオレを無視してマリサと話しているようだ。

 このふたりがクラスで話しているところは見たことが無い。だが、倉西の話し方は、昔からの友人と話すときのそれだった。

「遅すぎだよ。待たせやがって。おかげで・・・・・・」

 マリサは男のような言葉遣いでそう言いながらオレをにらみつけて、こっちに向かってくる。

「この野郎を見張ってる間、何度も何度も目が合っちまって。あ~! 気持ち悪い!」

 え? 何言ってるんだ? マリサは。

「もう、こいつの前で芝居してる必要はねぇんだろ? それにしても、気色の悪い目つきでじろじろ見やがって」

 到底、女の子とは思えない汚い言葉遣いで、オレの前までやってきて、一メートルほどのところで立ち止まり、オレのほうをゴミでも見るような目で・・・・・・これが本当に、あのマリサか?

 マリサの右足が上がった。

 不覚にも、オレはスカートの中が見えそうになったことに意識がいってしまった。だが、次の瞬間、オレの視界を覆ったのは、マリサの右足の裏だった。

 マリサはオレの顔を踏みつけるように蹴りつけたのだ。足が上がったかと思うや否や、オレの顔面に蹴りが命中していた。すさまじいスピードと破壊力だった。オレの頭は後ろのコンクリートのブロック塀に後頭部をめり込ませ、まさに壁向きに踏みつけられていた。

 マリサの右足がオレの顔面を離れて下ろされる際、割れたブロックのかけらがパラパラ地面に落ちる音を聞いた。目を開けたとき、すでにマリサの足は地面に戻っていて、スカートの裾もひざの上にあった。

 なんとかオレが体勢を立て直すと、ブロック塀にめり込んでいた頭がボコリと抜けるのを感じた。

「あれ?」

 オレは自分の後頭部と顔面を手のひらでさすって確かめた。

 コンクリートのブロック塀にめり込むほど蹴られたにもかかわらず、オレの頭蓋骨は無事だったし、顔面も陥没しておらず、鼻血すら出ていない。顔面と後頭部はヒリヒリしていたが、大怪我ではない。せいぜい、鼻の頭が赤くなった程度だろう。

「説明が必要なのよね」

 倉西が腕組みしてオレを面倒そうに見ていた。感情がある分、さっきの無表情よりマシだ。

「あんたがやりなよ」

 そう言い捨てたマリサはもう、こっちを見てさえいなかった。


 おそらく、近くて人目につかないからという理由だけで、説明はオレの家でされることになった。

「・・・・・・ただいま」

 美少女クラスメイトをふたりも連れて帰ってきたわけだが、オレのテンションは下がりっぱなしだ。連れのふたりはニコリともしない。オレが「上がれよ」と言うまでも無く、ずかずかと上がりこんでくるし。

「おかえりなさい」

 家の奥からは、エプロン姿の富子さんが出てくる。

 富子さんは、うちの住みこみのお手伝いさんだ。かーちゃんは仕事が忙しくて家を空けがちで、オレが高校に入学してからこっち、家事は彼女がしてくれてる。まだ二十歳になったばかりのグラマーで和風な美女だ。

 最初にお手伝いさんの話をかーちゃんから聞いたときには、名前に「子」がつくから、四、五十代のおばさんが来るのかと思ったら、来たのは彼女だった。

 彼女を毎日見ているせいで、女性に対する目が肥えたオレは、並の女の子じゃ満足できなくなっちまったんだと思う。

「あら」

 富子さんは、オレの連れのふたりを見て、そうひとこと言っただけで、驚いた様子もなければ追求もしない。いったい何だと思ったのだろう。三角関係の修羅場だとでも思ったのかもしれないな。

 二階のオレの部屋に三人で上がると、オレは自分のベッドに腰掛けた。ガラステーブルの向こう側に、倉西とマリサが正座した。二人はだまってこっちを見てる。無表情な冷めた視線だ。

 トントントン、とドアをノックして、富子さんがジュースを持って入ってきた。

 ふたりは、富子さんが来ると思ってだまって待っていたのだろうか。話を聞かれないように。

 倉西の説明とやらは、富子さんが階下に戻ってから始まるのだろうか。

 そんなふうに予測していたのだが、富子さんはジュースをテーブルの上に三つ置いて、お盆を胸の前に抱えると、なんと、そのまんま倉西の横に座ってしまった。

 富子さんはいつもの笑顔でこっちを見てる。そこに座ることがあたりまえだというふうに、誰にも断ろうとしない。

「じゃ、さっさと説明しちゃいましょうか」

 富子さんとマリサにはさまれて中央になった倉西が喋りだした。

「お、おい! ちょっと待てよ! なんで富子さんいるのに話を始めちゃうんだよ!」

 オレだけがあわてていた。三人は顔を見合わせていた。中央の倉西は左右のふたりを見て、それからオレに向き直って、また話しはじめた。

「だって、わたしたちの話をしなきゃいけないでしょ?」

 あ、そうなのか。

 この三人の共通点――高校入学と同時にオレに近づいてきた女性、ってことだ。

 つまり、高校入学とともに、オレの周囲の美女率が妙に上がってきたな、とよろこんでいたのは、実は仕組まれたものだったわけだ。

 この説明とやらが、オレの家で行なわれるのも、必然ってことか。

「つまり、わたしたちはあんたを守るためにこの世界に来てるってこと」

 倉西はそう言うと、黙ってしまった。

 それっきりしゃべらない。

「終わりかよ!」

「あ、やっぱ簡単すぎた?」

 なんで、ツッコミが必要なんだ?

「えっと。じゃあ、疑問に答えるから何か言ってみる?」

「なんだよそれ。疑問、おおアリに決まってんだろ」

「たとえば?」

「マリサのスリーサイズとか」

 バン!

 間髪を入れずオレの顔に飛んできたのはマリサのカバンだった。

 いかん、いかん。いつもの倉西とのデート中の会話のノリになってしまってた。

「いてぇなあ」

と反射的に言うと

「天罰だ」

と真顔でマリサが言った。

 冗談が通じないのか? こいつ。

「わかった。すまん。まじめに質問するから。あの剣を持ったヤンキーは何なんだよ」

「あいつらは、わたしたちの世界『ガミエン』から来たワルモノ」

 回答役は倉西だ。

「ワルモノって、じゃあ自分らは正義の味方だって言うんだな?」

「オフコース」

 やっぱりいつものデートでの会話のノリだ。こいつは、基本変わんねぇ。あれが素だったんだな。

「やつら、なんで消えたんだ?」

「死んじゃったから」

 そりゃあ、首飛ばされたり、あんだけ刺されたりしたら死ぬだろうけど。

「なんで残んないんだよ、死体とか」

「こっちの世界に来られるのは魂だけなの。身体は仮なわけ。仮の身体が死ぬと、魂はあっちの世界に残した本当の身体に戻り、魂を失った仮の身体は消えちゃうわけ」

 魂が実在するのか、とか、質量保存の法則はどうなったのか、とかツッコミどころは満載だが、とりあえず答えになっているから、次行こう。

「このカバンから剣が出てきたのは・・・・・・」

と、投げつけられたマリサのカバンを開けてみると、教科書やノートといっしょに、剣の柄が入っている。一本分だけだ。死人から奪ったほかの二本の柄は見当たらない。自分の剣以外は柄まで消しちゃってるってことなのかな。

「・・・・・・これか?」

 見えてる柄をつかんで引っ張り出すと、見えていなかった刃がついてくる。途中まで引き出し、どういう現象か把握したので元に戻す。

「なるほど・・・・・・っつ~か、あり得ないだろ、これ」

 現象は把握できても、何が起こってるのか理解はできないだろ。

「つまりね、その剣とカバンは魔法つきなの」

「魔法?」

 ここ、納得しとくところか? 剣と魔法の世界からきたわけか? こいつら。

「わたしら、魂だけでこっち来てるから、剣とかもこっちで入手しなきゃ、ってとこなんだけど、魔法使える仲間もこっちに来てるからね。魔法のアイテムがあったりするわけ」

「仲間って・・・・・・何の? 正義の味方のか?」

「そうね」

 話を聞いてるこっちも、頭を切り替える必要があるようだ。RPGかなにかのファンタジーのノリが必要なんだな、つまり。

「おまえ、さっきの身の軽さとかって、シーフとかってやつなんじゃねぇの? つまり盗賊だろ? 泥棒が正義の味方か?」

「あのね、ゲームに浸かりすぎなんじゃない。わたしを『盗賊』なんていう怪しげなカテゴリーに入れてもらいたくないわ。ゲームで言うなら『ニンジャ』とかのほうが近いかもね」

 ニンジャもじゅうぶん怪しげだぞ。

「マリサや富子さんもか?」

「マリッサは、そうねぇ、剣士っていうより戦士かな?」横にいるマリサを振り返る「あんた、剣抜いてても盾で殴ったり蹴ったりが多いものね」

 マリサと視線を合わせ、楽しそうに倉西が言った。

「悪かったな」

 やはりマリサは言葉が汚い。悲しいかな、これが素らしい。

「で、トミックさんは、僧兵っていうのが一番近いかな。神に仕える身だけど、兵隊さんなの」

 富子さんはそこでにっこり微笑んだ。兵隊さんって紹介されたとこで笑われたら、逆に怖いんですけど。

「へーそう・・・・・・って、マリッサとかトミックっていうのが本名?」

「そうよ。わたしはクラニス」

 こっちでの名前は本名に似せてあるのか?

「なんでおまえだけ苗字なんだよ」

「音が近い適当な名前がなかったからよ。だからあんたには苗字で呼ばせてたでしょ」

 それでデートのとき名前で呼んだら「いつもどおり倉西って呼んでよ」って言ってたのか。そういえば、マリサはクラスの自己紹介のとき「マリサと呼んでください」と言っていたし、富子さんのときはかーちゃんが「今日から富子さんが来るから」ってオレに言ったっけ。本名に近い名で呼ばれるようにしてたってことか?

「それじゃあ、一番肝心な話。おまえたちにとってオレは何者で、なんでねらわれたり守られたりしてるんだ?」

「ふむ、もっともな疑問だね。あんたは、その~、我が国アテヴィアを守護する竜王の息子で、新たなる希望ってわけ」

 話はとんでもないところへ向かって吹っ飛んでいくようだった。

「竜王は傷ついていて力を失っているから、代替わりに対する期待が増してるのよね。一方で隣国バイルーにとっては面白くないことなわけだ。バイルーでは、最近クーデターがあってね。国王から権力を奪って新たな独裁者となった宰相カシュームは我が国を敵視していて、竜王の代替わりを妨害しようとしているわけ」

「竜……王……?」

 オレ、人間だよな。ま、ここはスルーしないと話が進まないとこか?

「で、妨害っていうなら、なんであの剣持ったヤンキーはオレに切りつけなかったんだ?」

「やつらの目的は、あんたを殺させないことだからだよ」

 え? 耳がおかしくなったかな?

「コロサセナイコト?」

 三人はオレのリピートに対し、なにも悪びれたとこなくこっちを見ている。まるで、何を不思議がっているんだ、とでも言いたげな様子だ。

「そう」

「え? じゃあ何か? おまえらがオレを守る目的は……」

「うん、あんたを然るべきときに殺すために守ってるんだよ」


第2話 新同居人×2人

 オレは思わず後ろ向きにベッドに這い上がり後ずさった。

「まだだから、安心して。代替わりの成人の儀式をすることになったら、知らせに仲間が来ることになってるから」

 そう言う倉西が無表情なのが怖い。

「じゃなくて! こ、ころ、ころ、コロスゥ?!」

「言ったじゃん。こっちの世界に来てるのは魂だけで、身体は仮なの。この身体が死んだらあっちに戻れるわけ。あんたもそうなのよ。あんたを戻したくないやつらは、あんたを死なせたくなくて、戻したいわたしらは、時が来たら殺しちゃうつもりなのよ」

 すまして言うことか? それ! もっと、すまなそうに言うとか、ないのか?!

「ほかに戻し方がないのかよ!」

 いや、まだ戻ることに同意しているわけではないのだが、さすがに方法がとんでもなさすぎるだろ。

「ゲートは一方通行なのよ。こっちで死んで戻るしかないの」

 倉西は、まるで小学一年生に横断歩道の渡り方を説明するような口調で言う。

 あ、まてよ。なんか、あたらしいキーワードが出てきたぞ。

「ゲート?」

「そうよ。竜王が作った異なる世界同士を結ぶゲート。竜王が、あんたのお母様とあんたを守るために、この世界との接点を作ったの。それから先、あなたのお母様を支援するため、とか、今回みたいにあなたを守るため、とかでこっちの世界へ来ることができたのは、竜王が通過を許した『清らかな乙女』だけなのよ」

 この三人が清らかな乙女? まあ、黙って座ってるぶんには、オレも同意するが、さっきからのマリッサとクラニス(もう、本名のほうでいいだろう)の様子は、どっちかというとあばずれという言葉がしっくりくるんじゃないか?

 むむ、それにしても、なんか引っ掛かるぞ。

「ちょっと待て。こっちで死んだら、ほんとにあっちに戻るのか? そのまんまってことは?」

 三人は、また顔を見合わす。クラニスは左右を振り向いてから、オレを見る。

「たしかに、自分で体験したわけじゃないわ。今のゲートができてわたしらが来るまでに、この世界から死んで戻った知り合いはいないわねぇ。でも、昔っからそういう話よ。異世界から死んで戻ったっていう人には会ったことあるし。まあ、疑えば、ほんとうに異世界へ行っていたのか、そこで死ぬという方法で戻ってきたのか、確認したわけじゃないわね。常識としてだわねぇ。竜のゲートは別世界への一方通行。ゲートの先は魂の仮の居場所って」

 命がけで信じるほどの昔話かよ!

「おまえらは信じてるのか?」

「そこが肝心でしょ」

 そりゃそうだな……。信じてるからオレを殺すつもりなんだから。

「で、あのワルモノどもはどうやってこっちに来てるんだ?」

 今の説明どおりなら、あんなやつらがこっちに来ているはずがないじゃないか。

「別の竜でゲートを作ったらしいのよ。あっちは『清らかな乙女』っていう条件もないみたいね。その情報を得たのが二ヶ月前。こちらに来ていたあなたのお母様のガード役のひとりが、それを伝えるために、わざわざこっちの世界で死んでガミエンへ戻って来たそうよ。それでわたしたちが竜王の息子のガーディアンとして増員されたってわけ。バイルーのやつらは、この二ヶ月の間に、この世界での足場を作り、あなたを探し出し、今日、初めて襲ってきたってことね」

 ここでマリッサが口を挟んだ。

「あれは、こっちの様子を確認するための小手調べだぞ。ミエミエだ。どこかで様子を観察してたやつがいたんだろうよ」

 クラニスも同じ考えらしく、小さく頷いていた。

「ま、そういう訳だから、これからも、わたしたちがあなたに付きっきりでガードすることになるわね」

 ここで、これまで黙って話を聞いていた富子さん――じゃないや、トミックさんが、立ち上がった。

「では、お二人のお部屋を用意しましょうかね。もう、状況はバラしちゃったんですし、守りやすいように、このお家にいっしょに住みましょう」

 え? いっしょにって、クラニスとマリッサが? それって、もしかするとラブコメ展開を期待できる美味しい話ってことか?

 たしかに家はやたら部屋は多い。空いてる部屋で彼女たちの部屋になりそうなのは、オレの部屋の向かいの部屋か、隣の部屋か。一階の客間とかは、オレの部屋から遠いからなあ。

 向かいの部屋なら、たまたまドアを同時に開けたりしてハチ合わせとかあるかもしれないし、隣の部屋なら、ベランダが並んでいるから、夜空を見上げながら、恋人トークとかできるかもってか。

「くぉーら。きさま、なに鼻の下伸ばしてやがるんだ。セクハラしやがったら、直ちにあっちの世界に送り返してやるからな!」

 妄想に冷水を浴びせるような汚いセリフを吐いたのは、やはりマリッサだった。

 ああ、この天使のような外見が悲しい。いっそ、筋肉モリモリの色気ゼロ女だったらよかったのに。

 いや、待てよ。外見は外見だ。いっしょに住んでれば、アクシデントで、フロ上がりとかパジャマ姿とか寝顔とかをゲットできるかもしれない。それは、それで、この性格や言葉遣いとは別に考えればオッケーじゃないか?

 ふたたびオレがしあわせな妄想してるうちに、二人も立ち上がってオレの部屋を出ていくところだった。今まで住んでいたアジトへ、身の回りの品を取りに帰るのだそうだ。オレも一応、玄関まで送っていく。

 廊下でオレのすぐ前を歩くマリッサに話しかけてみた。思えば、彼女に話しかけるなんて、はじめてなんだが、残念ながら妄想していたときめきの会話とはほど遠い内容だ。

「おまえ、その言葉遣い、なんとかなんないのか? っていうか、国のニューホープで竜王の息子に対して、なんか、尊敬の欠片も感じられないんだが」

 彼女は肩越しに振り返った。冷たい目でオレを見る。

「こっちは、内情を知ってるからな。国民には、国の大事が起きたら現れて救ってくれる新しい救世主って宣伝されているが、おまえときたら、竜王の力もを継いでいるわけでもなく、何の訓練も受けていないただのダメ男じゃないか。せいぜいウソ話で盛り上げて顔見せして国民の士気を上げるくらいしか役に立たないだろ」

 あ~、それは言われるとおりだなあ。剣なんて持ったこともないし、魔法が使えるわけじゃなし。オレはただの高校生だよ。竜王の息子だなんて言われても実感ないよ。

「まあまあ。いいじゃないマリッサ。彼の使い方は国のお偉方が考えることよ。それなりに役立てるでしょ。さっさとアパート引き払って、引っ越してきましょうよ。こっちのお家の方が断然環境がいいわ。ケーブルテレビもあるし」

 玄関で靴を履く前に、ふたりの口論がはじまった。

「クラニス、おまえはそうやってこっちの世界で遊ぶことばかり覚えて。任務で来てるんだぞ」

「やることやってれば、いいじゃない。こっちには楽しいこといろいろあるんだし。あ、そうそう、明日は映画を観に行きましょう。ほら、先週の映画で予告編やってたアニメ映画」

 後半はオレに向けた言葉だ。そういえば先週観に行ったハリウッド映画のときの予告編をやたら気に入っていたなあ。

「ずるいぞ! クラニス!」

 ここでマリッサが割り込んだ。おっ、ひょっとして嫉妬か? やはりオレに気があったんじゃないか。

「な、なによ」

「おまえばかり任務にかこつけて、映画だのショッピングだのゲーセンだのカラオケだので楽しみやがって!」

 そ、そういう嫉妬か? っつうか、羨望?

「あ~ら、あなたも彼のガールフレンドになっちゃえばよかったのよ」

 クラニス……。その言い方はうれしくないぞ。ちっともうれしくない。

「そ、そ、そ、そんなことが、できるかーっ!」

 マリッサは真っ赤になってる。そういう照れはあるんだ。奥ゆかしいと、言えるのか? これって。

「じゃあ、やったもん勝ちよねぇ?」

 勝ち誇るクラニスに、マリッサは負けを認めなかった。

「とにかく! もう、話はバラしちゃったんだから、明日はわたしの番だからな! わたしがガールフレンドとしていっしょに出かける。おまえもわかったな!」

 オレに怒鳴らなくっても……。

 ガールフレンドという言葉に反して色気もなにもない話だなあ、もう、これは。

 明日は晴れて、マリッサとデートってことになったようだが、ときめきもなにもあったもんじゃない。まさかこんなことになるとは、なあ。

「遊びじゃないのよ、任務よ?」

 クラニスは片眉を上げて意地悪そうに笑った。こら、煽るな。こっちに飛び火しそうじゃないか。

「おまえが言うか?! 散々遊びまわっておいて!」

 つまり、倉西――いやクラニスがオレにまとわりついていたのはそういうことだったわけか。オレのガードという任務を果たしつつ、この世界で遊びまわる手だったんだ。

 そして、マリッサがオレに送っていた視線は、クラニスのように便乗して遊べる立場になりたかったからなんだ。それをモテてると勘違いしてたわけか、オレは。

 なんだか自分が情けなくなってきた。

 クラニスとマリッサが自分のアパート――彼女たちはそれぞれ一人暮らしだったらしい――から自分の荷物を持って来るために出ていくと、家にはオレとトミックさんだけになった。

「それじゃあ、わたしはお部屋を簡単に片付けておきますから、お食事はちょっと待ってくださいね」

 まあ、まだ夕食の時間ではない。

「どの部屋にするんだい?」

 興味本位で、一応訊いてみることにした。

「この家を襲撃された場合を考えれば、あなたのお部屋の向かいのお部屋とお隣のお部屋ですわね」

 おお、やはりそうなるのか。

 自室に戻ってくつろいでいると、向かいの部屋と隣の部屋に掃除機をかける音が聞こえてくる。その音から想像されるのは、てきぱきとしたお手伝いさんぶりで、富子さんが掃除している様子だ。お手伝いさんをやってる姿からは、僧兵のトミックさんとは思えないよなあ。

 富子さんが掃除機をかけ終わったころに、まずクラニスが到着し、つづいてマリッサがやってきた。荷物運びを手伝おうと玄関まで迎えに出てみたが、二人とも、修学旅行程度の荷物しか持っていない。

 どっちがどっちの部屋に来るのか、どうやって決めるのかと思ったら、意外にも何の相談もくじ引きもじゃんけんもなく、それぞれすんなり部屋に入ってしまった。向かいがマリッサで、隣がクラニスだ。

 さっきのミーティング中にも妄想したが、ラブコメ的展開を期待するならば、向かいの部屋は、ドアを開けたときに予想外の鉢合わせしたりする展開がありそうだし、隣の部屋はベランダで並んで会話っていう展開がありそうなわけだが……。

 さっそく、オレの部屋のドアを用もないのに何度も開けたり閉めたりしてみるが、向かいの部屋のマリッサには動きがない。

 あきらめてベランダに出てみると、隣のクラニスはカーテンも閉めずに、少ない荷物の整理をしているようだった。夕日が沈んで一番星が見え始める時間帯。もうちょっと経って星空と街の夜景の方がいい感じだなあ、なんて思っていると、サッシが開く音がして、クラニスがベランダに出てきた。

 ふたつのベランダは、それぞれの部屋に固有のものだ。隙間が三十センチほど開いていて、繋がっていない。それぞれが二メートル×四メートルほどの、エアコンの室外機以外に何も置いてないゆったりした空間だ。二階だが、家が高台にあるので街が見下ろせて眺めもいい。

 クラニスはピンクのキャミソールにデニムのショートパンツ姿だ。家のなかではかなりリラックスしているらしい。右手を上げて、左腕を頭の後ろから回して右肘を左手でつかみ、大きく伸びをしている。

「ふぁ~っ!っと。……やあ、少年。青春してるかい?」

 青春って、なあ。

 まあ、普通に考えれば、クラスメイト美少女が二人もいっぺんに自分の家に住み込むことになったら、いろいろ期待しちゃう展開なんだが……なあ。

「おまえら、どうやって部屋を決めたんだ?」

 とりあえず、生まれた疑問をぶつけておくことにした。

「マリッサの隣はうるさいからなぁ。本人も分かってるから、あなたの向かいの部屋を選んだんだと思うよ」

 あのマリッサが気を遣ったって言いたいのか?

「何がうるさいんだ? いびきかなにかか?」

 今日生まれた新しいマリッサのイメージからすると、そんな残念なことが思い浮かんだ。

「ま~さか。ほら、聞こえるでしょ?」

 言われて耳をすますと、何か風きり音が聞こえてくる。ブン! ブン! ってやつだ。この音は・・・・・・。

「……素振り?」

「あったり~」

 素振りと言ったって、バット振ってる野球少女じゃなくて……剣を振ってる女戦士なんだな、つまり。

「あれが夜中まで続くよ、多分」

 へぇ~。努力家なんだな。たしかに隣の部屋でやられたら、寝るに寝れないか。

「で、おまえはやんないの?」

「わたしはもっぱら瞑想」

 ほ~、そりゃあ、静かなことで。そういえばケーブルテレビがどうとか言ってなかったか?

 クラニスはベランダの手すりに両肘をついて、ポニーテールをほどいた髪を風になびかせて街を眺めていた。

「ここは、平和よねぇ」

 彼女はしみじみと言った。

 彼女は戦いに囲まれた世界で、ニンジャもどきの兵士として生きてきたわけで、ここがえらく平和に見えるんだろうな。

「今日のことがなかったら、あのまんまあなたが高校卒業するまで、こっちで女子高生として楽しく過ごせるんじゃないかって錯覚しちゃってたなぁ」

 彼女の横顔は、失った幻想への思慕の念に溢れていた。

「おまえ、オレをダシにして結構いろいろ遊んだんだからいいじゃないか」

「えへ~、ごめんね。ひょっとして惚れられてるって期待してた?」

 ちょっと疲れたような笑顔が正面を向いた。そういえば、ポニーテールじゃないこいつを初めて見たなあ。髪がなびいて美少女ぶりが数割アップしてるじゃないか。これならマリッサといい勝負かもしれないぞ。

「……ん、ああ、まあな」

「な~んて、お世辞言わなくていいよ。あなた、マリッサの視線ばっかり気にしてたもんね。わたしとデートしてても、全然上の空だったし。ま、こっちもあなたが目当てじゃなかったから、おあいこよね」

 バレてたのか、やっぱり。鈍感なわけじゃなかったんだな。

 彼女はまた街の方を向いて、今までにないのんびり口調で続けた。

「わたしたち……わたしとマリッサはね、クラスメイトとしてあなたに近づいて、校内と登下校のあなたをガードするっていう任務だったの。家にいるときはトミックさんでしょ。で、あなたが学校以外のお出かけするときはどうするか、って話になったときにね、ガールフレンドになって、デートに引きずり回したり付きまとっちゃえばいいじゃん、ってことになったの。そう決まったら、マリッサとわたしで役の奪い合いよ。役得だもん。任務で来てるから、あなたに関係ないとこでの自由時間なんてわたしたちにはないんだけど、あなたが一緒なら別だものね。任務の一部だもん。わたしもマリッサも、この世界のいろんなことに興味があったしね。……実はマリッサが先手だったのよ、くじ引きで。で~も、彼女、アレでしょ? 結局時間切れでわたしに出番が回ってきて、押し掛けガールフレンドに収まったってわけ」

 入学初日の帰りだったよな。彼女が教室でいきなり声を掛けてきたの。「ねぇ、少年。いっしょに帰ろうよ」って。まわりの級友たちが目を丸くしてたっけ。

 その前にマリッサの熱い視線を感じて彼女ばかり気にしてたオレは、状況つかめなくて、思わず押し切られちゃったんだ。

 あのときのマリッサの視線は、オレに声を掛けるタイミングを図っていたんだな。どおりで真剣そうに見えたわけだ。

「マリッサには悪いことしたわよね。多分、あちこち行きたかっただろうに、わたしだけ遊びまわっちゃって。それに、今日だって、もし逆なら……」

 今日、逆? つまり、オレの隣がマリッサで、後ろから離れてついて来てるのがクラニスだったらってことか?

「今日の二人組なんて、わたしたちのどっちか一人で十分相手できたのよね。もしも離れて見てたのがわたしだったら、こっちの戦力をばらさないように、って頭が働いて、様子を見てたと思うのよね。でも、マリッサは、ほら、考えるより身体が先に動いちゃうタイプだからね。結局、あなたに真実がバレる前にあなたのガールフレンドになることには失敗しちゃって、こっちの世界を満喫する機会を失っちゃった」

 どうやらマリッサに同情しているらしい。さっきのやりとりも、マリッサを煽って、オレのガールフレンドにさせようという、思いやりみたいなものだったのかもしれないな。

「明日、デートするんだから、いいじゃないか」

「でも、わたしらのこと知っちゃったから、あなたは彼女のこと普通のガールフレンドみたいに扱わないでしょ。あなた、わたしに惚れてなかったわりには、あれこれ気を遣ってくれてて優しかったもんね。わかってたよ」

 そういうつもりは、なかったんだけど、そう言われるとこそばゆい。

「彼女もちゃんと女の子として扱ってあげてよね、可能な限り。不器用なとこあるけど、ちゃんと女の子なんだから」

 相変わらず、ブン! ブン! と続くマリッサの素振りの音を聞きながら、そんなものかなあ、とオレは半信半疑だった。


 夜遅くなって、『母親』が帰ってきた。

 スーツ姿にハイヒール。女性のスポーツ用下着メーカーの社長として、パートから起業に成功したやり手の女社長でシングルマザー、っていうのがオレのかーちゃんに対する認識だったが……竜王の嫁?

「おかえりなさいませ」

「おかえりなさ~い」

「・・・・・・」

 富子さんに続いて、部屋着のクラニスとマリッサが顔を出すと、大して驚いた様子もない。

「おやおや、ついにそういうことになっちゃったの? じゃ、よろしくお願いね」

 それだけかよ?

 オレの知らないところで、なにかあったら二人が住み込むって話は出来ちゃってたわけだ。

「富子さん、ビール頂戴。あ~疲れた。明日の土曜日も仕事になっちゃった。帰れないかもしれないし、朝も早いのよね」

 オレの前を素通りして部屋へ向かう。

「おい、かーちゃん。何か息子に言うことはないのか?」

 この場合、一番説明責任ってやつがあるだろう、かーちゃんには。

 たとえば、竜王との馴れ初めがどうとか、今後のオレの進むべき道はこう、とか。

 当人は廊下で立ち止まってオレの方を見ると、

「う~ん」

と、五秒くらい考えて、

「ま、そういうことだから、ヨロシク!」

と、敬礼みたいなポーズを取って、行ってしまった。オイオイ……。


 そろそろ寝ようとベッドに入っても、今夜は簡単に眠れそうになかった。

 ただの高校生だと思っていた自分が、得体の知れない竜王の息子で、クラスメイトの美少女たちが、そのうちオレを殺すつもりでオレのことを守ってるって話は、簡単に受け入れられる状況ではなかった。で、その件については先送りにしようと、モラトリアムを決め込んでいると、次には、クラニスとマリッサが今日から同居することになったっていう事実に思考が移ることになる。

 残念ながら、これから起こるかもしれないムフフな状況にワクワクする、という単純な思いではない。

 実は打算的だったクラニスのアプローチが、今後は無くなったのだというさびしいような気持ちの大きさは、これまでの二ヶ月ほど『倉西』がオレの心に占めていたスペースが、意識していた以上のものだったことの証なのだろう。オレはどうやら、知らず知らずのうちにファミレスのごちそうに、手をつけていたらしい。三ツ星ディナーを横目で見ながらも、ファミレスのステーキに舌鼓を打っていたのだ。

 ところがそのごちそうはニセモノだったわけだ。オレにぞっこんなんだと思っていたクラスで二番目の美少女は、任務でオレに近づきつつ、この世界を遊び倒すためにデートを重ねていたに過ぎなかったのだ。すでに手に入れていたと思っていたがゆえに軽んじていたバラ色の高校生活は、それが虚像だと判ると、その価値の大きさを思い知らされた。

 こんなことなら、もっと楽しんでおけばよかった。あ、いや、もしも本気になっていたら、今日の落ち込みはこんなものじゃなかったかもしれなかったから、これでよかったのか?

 どうやらクラニスは、これからもオレとのデートを続けるつもりらしいし、隣の部屋に住み込んだことで、いっしょに居る時間は増えるわけだが、彼女はオレのことを単なる任務の対象としか思っていないわけだ。ううむ。さっきのベランダでの会話の感じだと、ひょっとしてまんざらでもないかもしれない、という可能性は残ってるのだろうか?

 すでに『キープ』していたと思っていた『彼女』は、スタートラインに逆戻りで、新たなスタートラインからコースを眺めると、実は平坦なコースじゃなくて障害走であり、ハードルも高そうだな。

 さて、今日の昼まで、オレの高校生活の中心だったクラスで一番の美少女の方は、というと、こっちは壊滅的だ。ガサツそうなマリッサの実像に幻滅しつつも、なんとか現実を知る前の可憐な美少女という虚像に置き換えて、同居という状況を楽しめないか、という邪まな思いがまだまだ残っていて、未練たらたらなんだと思い知らされる。

 向かいの部屋からは、まだ、彼女が剣を振る音が聞えてきていた。

 宮本武蔵かなにかのノリだな。武道を極めようとする探求者だ。彼女はどうやら色恋とは無縁な存在らしい。

 なんてムダな外見なんだ。宝の持ち腐れにもほどがあるぞ。


 寝付けそうにないし、のども渇いてきたので、という理由付けを自らに対して行って、その実、彼女がシャワーでも浴びに部屋から出てきたりしないかという期待を胸に、階下へ降りて、お茶でも飲むことにする。

 ドアをそっと開けて廊下に出ると、向かいのドアの向こうからは、規則的な「ブン! ブン!」という音が続いている。出てきそうにないな、とあきらめて階段を降りかけたとき、素振りの音が止み「ダダダダ!」と足音がしたかと思うと、バン! とドアが開いた。

「おい! 明日は八時半出発だ! いいな! デートだからな!」

 剣を片手に、空いた手でびしっ! とオレを指差して廊下に仁王立ちしたマリッサは、とんでもない格好をしていた。

 紫色のスポーツブラのようなタンクトップに、ショッキングピンクのハイレグブルマー。それ以外に彼女が身につけていたのは、白いヘアバンドだけだった。

 てっきりジャージ姿かなにか色気のない格好で剣を振っていたのかと思ったら、なんておいしい格好をしてるんだ。

 当の彼女は、自分がいかに男の目を釘付けにする格好をしているかということにはまったく無頓着な様子で、あっけにとられて見ているオレの視線に恥らったりする様子はまったくなかった。多分、単に機能性だけを考えてこういう格好をしているのだろう。

 三時間以上剣を振り続けていた彼女は、全身汗だくで、頬も紅潮していた。ヘアバンドでまとめられた黒髪も素振りのせいで乱れている。

「以上!」

 そう言い残して、彼女はまた部屋に戻ってしまった。

 階段の降りかけで振り返り、ポカンと口をあけて固まっていたオレは、閉じてしまったドアの向こうで再び始まる素振りの音を聞きながら、階段を降り始めた。

 まるで夢か幻を見たようにしか思えない数秒の出来事だった。

 可憐な文学美少女は消えてしまったが、これはこれで、いいかもしれない。彼女の任務に対する責任感や、この世界に対する興味が、オレへの恋愛感情に発展する余地はないかもしれないが、彼女と同居して、デートとかもできてしまう状況は、やはり悪いものではないんじゃないかな。


第3話 ゲーセンデート

「おい! 行くぞ、デート!」

 翌朝、玄関でオレを呼んだマリッサは、制服ふうの白を基調としたワンピースを着ていた。黒のニーハイで強調された白い太ももが眩しいミニスカートだ。

「変な目で見るな」

 おいおい、それが朝一番の挨拶かよ。そっぽむいて、目も合わせない。これで頬でも赤く染めていたらツンデレっぽくてかわいいんだが、そういうわけでもない。

 ま、しょうがないか。

「で、どこ行くんだ?」

 どうせ本当のデートじゃないわけで、こっちとしてはどこ行ったっておんなじなんだが、まあ、どこかに行きたいから倉西――じゃないや、クラニスだっけ? に替わってオレについて来るんだから、リクエストに答えてやろうか、と思ったわけだ。ところが彼女は自分で行き先が選べると思っていなかったらしく、オレの質問にあたふた慌ててる。

 迷った様子はなく、心に決めていた場所があったらしい。ゴクリ、と生唾を飲み込んで、口を開いた。

「げ、げ、げ、ゲゲゲ……」

 なんだか、へんな汗かいているな。視線も下向きであちこち泳いでいる。たかがデート先で何をてんぱってるんだ、こいつ?

「?」

「ゲ、ゲ、ゲーセン!」

 やっと言えた、とばかりに必死に真顔でこっちを見ている。

 その姿だけを切り抜けば、神に懺悔する清らかな乙女の図だ。

「ゲーセンって……プリクラでも撮りたいのか?」

「格闘ゲーム!」

 キラキラ輝く笑顔で叫ぶ。

 ああ、もしも昨日の帰り道の出来事よりも前に、この笑顔を見ていたら、一発でノックダウンだっただろうなあ。しかし、この笑顔はオレじゃなくて格闘ゲームに向けられたものなわけだし。何より、もう、本性を知ってしまってるからなあ。

 この時間から開いている駅裏の一番大きいゲーセンへ連れていく途中も、マリッサは本当にオレをガードしてるつもりがあるのかと疑いたくなるような、ルンルンの様子だ。なにやら鼻歌を歌っているが、聞いたことがない曲だ。あっちの世界の曲なのだろうか?

 とにかく街中を二人で歩いている間中、周囲の視線をたっぷり浴びた。もう、それは、いやと言うほど。

 男共はあっけにとられて彼女を見てる。とびっきりの芸能人かモデルかっていう美少女が、ニコニコでミニスカ姿を晒して歩いているんだから無理もない。隣に並んでいるオレを睨んだり不思議そうに見たりする男もいたが、たいていのヤツははオレのことは目に入らないようで、無視して彼女だけ見ている。

 女性の視線はどうかというと、かなり残酷だ。彼女を見つけると、すぐに隣のオレに視線を振る。しかも、その表情からは決まって、驚き、疑問、不満、期待はずれ、といったネガティブな感情が読み取れる。隠そうともせず、容赦がない。

 へいへい、どうせ釣り合いませんよ。

 そうかそうか、オレが昨日まで見ていた夢は、そんなに分不相応だったわけか。もしも彼女と恋人になれていたら、デートのたびにこういう視線にさらされる運命が待っていたわけだ。ま、周囲の視線なんて気にならないぐらい舞い上がってたかもしれないがな。今はちがう。しっかり、周囲の視線が感じられるくらい、冷静だから、悲しい現実を突きつけられて落ち込むことになったわけだな。

 繁華街に入ると、隣を歩いているオレに構わず、すれ違いざまに口笛を吹いたり「よっ! お茶しない?!」とか言ってくるヤツもいるようになった。

 しまいには、ゲーセン前で名刺を差し出すオヤジまで現れた。読者モデルの勧誘らしかったな。千年に一人とかなんとか、聞いたことがありそうな言葉を並び立てて持ち上げつつスカウトしようとしていたようだ。

 昨日までの『マリサ』のノリなら、隣を歩くオレが露払いとしていちいち対処してやらなくちゃならない場面だったのだろうが、今日のマリッサには必要なかった。昨日までのもじもじぶりはどこへやら。ニコニコしながら、自分に対する全てのアプローチを無視して、というか、全てに気がつかない様子で、とっととゲーセンに入って行った。

 体感ゲームやプリクラやクレーンには目もくれず、格闘対戦ゲームが並ぶ一角へ行き、プレイ中の画面やデモ画面を笑顔で真剣に見比べているマリッサの目は、たしかに輝いていた。

 今人気のゲームの、武器を持ってるくせに殴る蹴るで戦う女性キャラをみつけた瞬間、その目の輝きが増して「キラ~ン!」という擬音がオレの頭の中には響いた。彼女は自分の分身を見つけたのだ。

「こ、こ、こ、これ! これ!」

 言葉を覚えたての幼女がモノをねだるように、オレのシャツの袖を摘み、反対の手でそのゲームを指さす。え? 対戦しろって言うのか?

「ひとりでやれよ」

 厚かましそうにオレが断ると、彼女は喜んだ。

「い、いいのか?!」

 どうやら、対戦を誘ったのは、自分ひとりでやってる間、オレを待たせることが悪いと思ってのことだったらしい。本当はひとりでやりたかったんだな。

 頷くかわりに、手をひらひらと払うことで「勝手にしろ」と返事をすると、彼女は席についてコインを投入した。

 最初のうちはゲームの操作がわからずにCPUに苦戦していたようだが、すぐに会得したようだった。大技は使えないものの、小技だけでCPUを次々に破りはじめた。

 ワンコインのまま、五戦目くらいに進んだときに、2P対戦者がコインを入れた。

 マリッサの目が再び輝きを増したように見えた。真剣勝負の戦士の顔になった。

 オレはちょっと首を伸ばして画面の向こう側の対戦相手がどんなやつか覗いてみた。

 ヤバイ。

 いかにもこのゲームを極めていそうな大学生ふうのゲーマーだ。口を開けたばかりの缶コーヒーをコントローラーの横に置き、これから自分が長時間プレイを始めることを――つまりはマリッサに勝利することを――前提としているようだった。

 あまりにもコテンパンにされると、マリッサの機嫌が悪くなってしまうんじゃないだろうか。その場合、とばっちりを受けるのはオレじゃないのか?

 オレの心配をよそに、対戦は始まった。

 間合いの取り方、攻防の切りかえタイミングの取り方はマリッサが上のようで、序盤の小技の応酬ではマリッサが優勢だった。しかし、相手ゲーマーが持ちキャラ特有の必殺ハメ技を使って、たちまち逆転してしまった。

 特殊ワザも、その対処方法も知らないマリッサは、なすすべもなく一戦目を落とした。

 次で負ければおしまいだ。

 別に手伝ってやる言われはないのだが、画面横の特殊ワザの出し方を説明したステッカーを、トントンと人差し指で小突いてやると、それに気づいたマリッサは、昨日の襲撃からこっちでは見たことがないほど好意的な笑顔で、オレを見上げた。

 げげ、やっぱり美少女だよな。そんなふうに男を見ると、誤解されるって分かってないのか? こいつは。

 二戦目は、初心者相手とタカをくくっていた相手が、マリッサの特殊ワザをモロに喰らい、マリッサの圧勝となった。

 『YOU WIN』の文字に向かってマリッサがガッツポーズを取った。さらにオレを振り返り、ニッコリ笑う。その笑顔の威力たるや、KOパンチものだ。オレがダウンしなかったのは、昨日のがさつ女ぶりの残像のおかげだな。

 こうしてゲームに一喜一憂するところなんか、かわいいじゃないか。これが本当の初デートなら……ねぇ。

 勝負を決める三戦目。出だしからかなりハイレベルな攻防が続く。相手も最初から本気だ。どっちもあと一撃でダウンというところまで行った。マリッサの両手が目にもとまらぬ速さで動き、彼女が操るキャラのパンチがヒットした。

「よおっし!」

 マリッサが勝利の雄叫びとともに画面に向かって拳を突き出してガッツポーズをとった。

 その手には、コントローラーがしっかりと握られたままだ。指の間から見えるコントローラーの根元からは、コードが数センチ垂れていて、ゲーム台のコントローラーがあるべき場所には、無残に穴だけが残っていた。

 まずい。壊しやがった。

 オレは周りを見回して、店員の姿がないのを確かめ、彼女の肘を掴んで勝利に浸っている彼女を引っ張った。

「おい、勝ったんだからまだ、続きが……」

と、不平を言う彼女の手に握られたままのもぎ取られたコントローラーを、オレが視線で指し示すと、彼女は大きく口を開けた。やっとゲーム機を壊したことに気がついたらしい。

 周囲には店員こそ居なかったものの、彼女の美貌につられた男共が数人集まっていて、彼女は注目を集めていた。幸い、やつらの目当てはゲームではないので、まだゲーム機の異変に気がついてるやつはいないようだ。

 店の出口へ向かうと、数歩も行かないうちに、前に三人の男が立ちはだかった。

 ヤンキーっぽい男たちで、そこそこガタイもいい。昨日の襲撃者のような殺気こそないが、マリッサに失礼な視線を浴びせていた。

 唇にピアスをしたニット帽の男が言った。

「おいおい、そんなチンケな男と遊んでないで、俺たちと遊ばない?」

 はあ、そういう手合いか。

「急ぐんだ、通してもらえないかなあ」

 オレはできるだけ丁寧に言った。店員がやってきてゲーム機を壊したことがバレたらまずい。

「ニイちゃんは黙ってな!」

 いや、あんたらは分かってないんだろうが、オレはあんたらを救ってやろうとしてるんだと思うぞ。おまえら、瞬殺だぞ。文字通り殺されかねないんだぞ。

「ほら、カワイ子ちゃん、こっち来なって」

 ひとりがマリッサの右手首を掴んだ。もぎ取ったコントローラーを持ってるほうの手だ。

「放せってば……」

 オレが引き離そうとしたとき、オレの頭が、そいつの仲間に押された――んだと思った。オレの身体がいきなり斜めになったから。

 しかし、押されたにしちゃあ、おかしな音がした。擬音で表すなら……「ゴキ」と「ボキ」が同時に重なったような音だ。

 体制を立て直しながら、押したやつの方を見て、

「何すんだ……」

と、言いかけて、異様な光景に言葉が詰まった。

 その男は、情けない泣き顔をして、自分の右拳を見ていた。その拳は、指が少なくとも二本、あらぬ方向を向いて曲がっていて、骨折しているようだった。

 男はオレを押したんじゃなくて殴ったらしい。

 その過程でなにか硬いものにでも拳が当たったのか? 近くに柱とかはないし、オレはヘルメットを被ってるわけでもないが

 この瞬間、その男がオレを殴ったと見たマリッサの戦士としてのスイッチが入った。

 自分の腕を掴んでいる男のみぞおちを右ひざで蹴り上げ、もう一人の胸ぐらを左手で掴むと、ブン! と投げ上げた。

 投げられた男の身体は放物線を描いて、さっきまでマリッサが座ってプレイしていたゲーム機の上に落ち、ゲーム機が大破した。

 チャンスだ。

 オレは彼女の右手を指差し、その指を大破したゲーム機にくいっと向けた。彼女は、オレが伝えようとしたことを理解したようだ。手にしていたコントローラーを、ゲーム機に載っかって気絶している男に向かってポイッと投げ捨る。証拠隠滅、木を隠すなら森の中、だ。マリッサはオレと手を取り合って、そのゲーセンから駆け出した。

 駅の表の方までいっしょに走って、オレが息切れしたので、彼女も立ち止まって息を整えた。いや、彼女の息はほとんど乱れていないな。オレとは基礎体力がかなりちがうようだ。

 あの男は、女子高生にぶん投げられたと証言するかもしれないが、たとえ防犯カメラに映像が残っていたとしても、あんなに見事に男がぶん投げられるわけがないと常識人は思うだろうから、男の自演ジャンプってことになるはずだな。

 ゲーム機破壊は、あいつらの仕業ってことで罪を被せられたかもしれないが、まあ、あのゲーセンにはもう行けないかもな。

 で、気になることがひとつ残った。

「ハァ、ハァ。おい……オレ、なんで、殴られて、平気なんだ?」

 この質問、多分、マリッサにするべきなんだと思う。昨日からの不思議ネタの続きに違いないから、彼女はこたえを持っているはずだ。

「竜王のアンブレイカブルボディ――壊されざる肉体――が備わっているんだ。今まで自覚はなかったのか?」

 壊されざる肉体って……不死身みたいなことか? そういえば、子供の頃から大きな怪我をした覚えがないが、殴られたり転んだりしたら普通に痛かったはずだぞ。

 ん? 待てよ。普通に痛いっていっても、ほかの人間の『痛い』を知ってるわけじゃない。ひょっとするとオレは、ほかの人が痛がる様子を見て、痛がるマネをしてきただけだったのか? オレが感じていた『痛み』だと思っていたのは別のものなのか? そういえば、他人がひどく痛がる様子を見て、あんなに暴れるほどのことなのか、と疑問に思ったことはある。

「小さな怪我とかは、してたぞ多分。擦り傷とかの記憶はある。かーちゃんのげんこつでたんこぶができたこともあるぞ。けど、身体が異常に丈夫だったようには思うかな……あ、そう言えば、昨日のおまえのキック、コンクリートの壁に頭がめり込んだのに怪我はなかったな」

 それを聞いてマリッサが、口を抑えて、恐怖に震えた。

「そうだ。昨日、思わず、手加減なしに蹴ってしまったんだ。もしも生身だったら、殺してしまってたとこだった」

 たしかに……普通、あんなふうにコンクリートにめり込むダメージを負ったら、首が折れてるか、それとも頭蓋骨が砕けてたか。その場でオレはあっちの世界行きになってたかもしれない。

 彼女はさらに先の問題点に到達したらしく、まわりの人だかりを無視して声を上げた。

「待てよ、じゃあ、おまえをあっちへ送らないといけない時がきても、殺せないってことじゃないか!」

 彼女が街中で『殺す』とかいう言葉を大声で言ったものだから、オレたちは再び、手をつないでその場から逃げ出すハメになった。


 駅からやや離れたところにある大きな公園まで走って、へとへとになったオレはベンチに座り込んだ。マリッサはこの程度走っても平気なようだな。さすが鍛えられた戦士ってことか。

 公園には、小さな子供をつれた親子連れが数組居たが、小学校の運動場並みに広かったので、スカスカにすいている。ここなら普通に話すぶんには、誰に聞かれる心配もなさそうだ。

「その、殺せないかもって話、ワルモノどもに知られたらまずいんじゃないのか? やつらはオレが殺されないようにしようってしてるんだろ? 誰もオレを殺せないなら、やつらはミッションコンプリートじゃん」

 オレはまだ息を整えながらしゃべってるので、息を大きく吸ったり吐いたりの音を交えながらそう言った。

「ああ。そんなことが向こうの世界に伝わったらたいへんだ。国の存亡にかかわる大事だ。さっき声を上げたことは反省している」

 なんだかしおらしい。しかし、外見に似つかわしくない言葉遣いだなあ、もったいない話だ。「~だわ」とか「~のね」とかなら、ハスキーボイスでも女の子らしくて外見とのギャップが少しは埋まると思うんだが。

 などと関係ないことばかり考えている間も、彼女の言葉はつづいていた。

「おまえに以前から自覚があったわけじゃないっていうのなら、おそらく昨日の襲撃にあったせいで、本格的なアンブレイカブルボディの能力が目覚めたんだな。やっかいなことになってしまった」


 デートに出かけて一時間もしないうちに家に帰ってきたオレたちを、トミックさんは笑顔で「あら」とだけ言って玄関で迎えた。

 その後ろで様子を覗いていたクラニスは、

「お早いお帰りね。もう、息が詰まっちゃった?」

と、楽しげに茶化す。

 マリッサが不愉快そうに、

「対策会議だ!」

と言うと、さすがにクラニスの笑いも消えた。

 昨日同様、なぜかオレの部屋のガラステーブルをはさんで会議がはじまった。

 ベッドに座ったオレの前には、デートから帰ったまんまの白いミニワンピースのマリッサ、ラフな部屋着――スカイブルーのTシャツにピンクのランニングパンツ――姿のクラニス、エプロン姿のトミックさんが並んで正座している。

 到底、一国の一大事の対策を議論する会議には見えないな。せいぜい連休の行き先を検討する家族会議かなにかだ。

 マリッサが状況を説明すると、三人は真剣に考え込んだ。

 最初に口を開いたのはクラニスだ。

「まずは、ホントにそうなの~? ってとこよね~」

 顔はマジだが言葉は軽い。

「そうですね。真偽を確かめねばなりません。この場合、どうやって、というのが問題ですね」

 トミックさんが重くしてくれたらしい。

「殺さない程度に痛めつけてみるか。万が一殺してしまったら、あっちへ戻してしまうことになるから程度をわきまえてな」

 マリッサのは、オレにとってはヘビーな話だ。さらりと言うな! さらりと。

 しかし、三人は揃って頷いている。それで決定なのか? 決は採らないのか? オレの清き一票は? 投票前から無効票扱いなのか?

 トミックさんが、自分のエプロンの胸のポケットに右手を突っ込んだ。四角い大きなポケットは本来長方形のはずだが、彼女の豊満な胸のふくらみに翻弄されて台形にゆがんでいる。思わず、胸元・・・・・・じゃない、ポケットに視線が釘付けになった瞬間、トミックさんの右手がすばやく動いてオレの視界から消え、ガン! という音とともに、オレの首が九十度下向きに曲がる。目の前にはガラステーブルと、ガラス越しの三人の膝が見える。

 ゆっくりと顔を上げると、さっき消えたように見えた彼女の腕がオレの頭上に向かって伸びていて、その手には大黒様の小槌のようなサイズの鋼鉄のハンマーが握られていた。ハンマーはオレの頭に乗っかっている。

 つまり、ポケットから魔法のハンマーを取り出してオレの頭を殴ったらしい。

 痛くない。

 っていうか、普通なら死ぬとこだろ、これ。

「トミックさん、手加減、手加減」

 クラニスが苦笑いでフォローするが、しゃれになってないと思うぞ。

「あら~。ごめんなさい、つい・・・・・・」

 ハンマーは元通りエプロンの胸ポケットに消えた。あのエプロンのポケットとハンマーも、昨日見たマリッサのカバンと剣みたいなことになってるらしい。

 その行方を目で追っていたら、

「はっ!」

と、クラニスの甲高い声がした。オレの左頬に冷たいものがあたっている。クラニスが差し出した黒いナイフの刃が頬に接していた。

 オレの左目の下あたりを刺す軌道で突き出したナイフが、刺さらずにそれたってことらしい。これも、もし刺さってたら、脳まで届いてるんじゃないか?

「ほんとね~、刺さんないわ」

 さっきおまえ自身が言ってた『手加減』はどこへ行った。

 トミックさんとクラニスの不意打ちが終わったあと、こっちを見据えるマリッサと目が合った。

「ちょ! ちょっとまて! おまえは確認済みだろう!」

 さすがに今回はオレのほうが早かったらしい。もう一秒遅かったら、何をされていたことやら。いくら傷つかないといっても、なぁ。

「じゃあ、次の問題は、本国に報告するかどうか、ね」

 クラニスが腕組みして言った。おいおい、さっき俺を刺そうとしておいて、謝罪もなしに次の話か?

「向こうに報告するには、どなたかが死んで戻らねばなりませんね」

 トミックさん、あなたも無視ですか?

「話が漏れでもしたら大事になるぞ」

 まあ、マリッサがオレを無視するのは、昨日以降の規定路線だな。

「どうせ、彼を戻すのはまだまだ先の話でしょう? それまでに殺し方を見つければすむ話なんじゃないかなぁ」

 クラニス、おまえ、本人が目の前にいるのに『彼』って呼んだな。オレはこの議論の輪の外かよ。楽観的なこと言いやがって。結局、殺す話だし。

「真に彼がアンブレイカブルボディの持ち主ならば――さっきのテストからすると、そうなのですけれどね――毒でも炎でも電撃でも……彼は死なないでしょうね」

 トミックさんも『彼』って呼んでるし。

「竜を傷つけられるのは、伝説の『竜殺しの剣』ドラゴンスレイヤーだけだ。しかし、その剣はあっちにしかなくて、こちらの世界には持ってこられない。時間が解決する話ではないな」

 マリッサの言葉には、『彼』としてさえ出てこないじゃないか、オレ。『竜』ってか? 一般名詞になっちまってるし。

「ドラゴンスレイヤーの使い手に訊いてみれば、何かわかるかもしれないわね」

というクラニスの言葉に、

「そんなもんがこっちの世界に来ているのか?」

と、議論に参加してみる。三人はこっちを同時に見た。三人とも知っているのが当然という表情で、常識のような話らしい。

 代表して答えたのはトミックさんだった。

「竜王をドラゴンスレイヤーで傷つけ、瀕死の重傷を負わせた使い手は、あなたのお母様です」

 な?! 竜王はオヤジじゃなかったっけ? それを殺しかけたのが、あの、かーちゃんだってのか?

「本当は、彼女の力など、借りたくはないのですがね」

 クラニスは俯いて言った。さっき「訊いてみれば」と言ったときから、彼女はなにやら重い雰囲気で、楽観主義がなりを潜めてしまっているようだった。

 なんでだ? 心配を掛けたくない、とかじゃなく、まるで嫌がっているように見えるじゃないか。

 オレの表情から質問を読み取ったのか、クラニスがつづけた。

「あなたの母上はね、わたしたちの国の守護者である竜王と結ばれた人物。でも、わたしたちにとって、尊敬の対象ではないわ。国を裏切り、竜王を殺そうとしたんですもの。竜王は深刻な傷を負い、それでもあなたの母上を愛し、許し、そして、この世界に匿ったの。わたしたちがくぐってきたゲートは、そのために作られたものなのよ」

 オレとお袋を守るために。

 それは外敵からではなく、周囲の冷たい目から、ということなのか。

「ゲートは傷を負った竜王が居る洞窟にあるの。こちらへ来るときに、わたしたちも、その禁足の洞窟に入り、傷ついて横たわった竜王の姿を見たわ。ひどい……いつ死んでもおかしくない傷だった。もう、治る見込みもない傷。国の守護者をそんな目に合わせた人物を、尊敬できないでしょ?」

 昨夜、かーちゃんが帰ってきたときに「おかえりなさい」と言っていたのは、本心を隠した姿だったんだ。

 明るいムードメーカーのはずの人物が、場の雰囲気を重くするようなことを言うと、もう、救いようがないほど暗くなってしまうものだ。クラニスが暗くなると、この場がず~んと重く暗くなった。


第4話 両手に花とイケメン登場


 なんとか繕ったのは、意外にもマリッサだった。

「まあ、クラニスが言ったとおり、殺さなきゃいけなくなるのは、まだ先のことだし、当面の方針は、やつらにバレないように今までどおりガードし、同時に殺し方を見つける、だな」

 クラニスも頷いた。

「そんなところね。先は長いから、ずっと出歩かない生活をしてガードするっていうのはどうかと思うし。ま、ちょっと体制を強化して、できる限り同時に二人以上のガードが付くようにしましょうか」

 ここでトミックさんがまとめに入る。

「では、そういうことで、今日は別に襲われたわけじゃないんでしょ? デート再開ってことでいいんじゃないかしら」

 と、これでお開きなのだが、話の流れからすると、続きのデートっていうのは、ガードふたりでオレは両手に花か? と、マリッサとクラニスを見ると、クラニスはそっぽを向いた。

「わたしは、今回はパスするわ。先週まで散々出歩いたし。留守番してるからたまにはトミックさんも出かけたら?」

「あら~。でもわたしは、お買い物でスーパーや商店街にはよくお出かけしてますし」

「デートで行くようなところもいってみたら、ってこと」

 クラニスは、さっきのオレのかーちゃんに対する言葉が気まずくて、今日のデートっていう気分じゃないようだな。トミックさんを連れ歩くデートっていうのも、ゴージャスで良さそうだが、不釣合いだろうなあ。まあ、どうせマリッサと歩いても不釣合いでおまけにもならないってことはさっき実証済みだし、これ以上悪くはならないか。

「そうですねぇ。でもエプロンじゃおかしいですねぇ。ほかの服っていうと、奥様に頂いた外出着くらいしかないですわね」

 トミックさんはそう言い、いそいそと着替えに向かった。期待と悪い予感がごっちゃになりそうな言葉だな。


 十分後、玄関に現れたトミックさんは、かーちゃんのお下がりだというOLふうのタイトミニのスーツだった。サイズ直しとかしていないらしくて、胸や腰まわりは極限まで横向きに伸ばされてピチピチのパンパンだが、ある意味最高の着こなしかも。色はピンクで化粧もばっちり。海外有名メーカーの小さなポーチを持ってるが、あそこから鋼鉄のハンマーが飛び出すのだろうか。それとも、やはり、胸の谷間から取り出すようになってるんだろうか。

「じゃあね~。留守番はまかせて。トミックさんも楽しんできてね~」

 表面上は明るさを取り戻して、いつもの調子のクラニスが玄関で三人を見送る。マリッサとオレはさっきの服装のままだ。

 う~ん、この三人で歩くというのは、ひょっとするとオレには罰ゲームなのかもしれない。

 いったいどういう『連れ』に見えるんだろうか。

 色っぽいスーツ姿のおねぇ様と、高校生の美少女ってとこまでなら、美人姉妹でおでかけ、だが、そこに普通の男子高校生っていうのは……似てない兄弟か? どっちかの彼氏には間違っても見られないな。

 ということはつまり、街の男どもをうらやましがらせるっていう密かな楽しみは、完全に空振りってことだ。

 そう考えると、クラニス連れが一番だったな。彼女とデートしているときは、彼女のベタベタぶりもあって――もちろん芝居だったわけだが――街の男どもの羨望のまなざしが心地よかったなあ。

 当てもなく家の前の通りを三人で歩いていたわけだが、とりあえず順番として、トミックさんに行き先を訊いてみる。

「で? どこに行きます?」

「ん~」

 上を向いて考えるトミックさん。お酒関係とかは、お付き合いできませんよ。高校生も行けるところを言ってください。

「遊園地なんてどうですか? おふたりは?」

 トミックさんが言い終わる前に、マリッサが手を上げて叫んだ。

「賛成!! 賛成!!」

 トミックさんがふたりに振ったから多数決ってことになるのだろうが、マリッサの賛成票ですでに過半数だ。ま、オレもマリッサとの遊園地デートは妄想してたくちなので、満場一致ってことだ。

 というわけで、他人からどう見えるにせよ、オレ的には両手に花……は無理でも、きれいな保護者つきの高校生カップル、というノリで、本日二度目のお出かけが始まった。


 どの遊園地にするのかっていうのは彼女たちに具体案がなく、オレの選択にまかされた。ふと、留守番に残ったクラニスの顔がよぎり、彼女が知らないところに行くのは悪いような気がして、クラニスと二度目のデートのときに行った郊外のでかい動物園つきの遊園地をチョイスした。

 彼女たちは遊園地も動物園もはじめてで、何かに興味を持つたびにふたりで駆け出すので、オレは毎回あわてて走ってついていくことになった。

 そういえばクラニスと来たときに、彼女が「わたしこういうとこ初めて」と洩らしたのは、今にして思えば社交辞令じゃなくて本当だったんだな。クラニスは、オレの腕をつかんであちこち引っ張りまわしたが、今日は女性ふたりが手に手を取って走って行ってしまうので、デート的な役得感は薄い。

 でもまあ、美人姉妹に振り回される弟、的なポジションも悪くはなかいかな。心から楽しんでいる彼女たちの姿は、そのまんまグラビアアイドルのDVDとして発売すればミリオン間違いなしの傑作で、そいつを生で観られるっていうのはいいもんだ。

 昼過ぎになると、まだ全部見終わったってわけではないが、すこし興奮がおさまってきたのか、彼女たちも歩いて移動してくれるようになった。園内マップという便利なアイテムをゲットしたおかげで、コース選択にもすこしは計画性が出てきたしな。

 というわけで、ひとつのマップをふたりで広げて、ああだこうだと『次の次』のアトラクションを物色しつつ『次』のアトラクションに移動するマリッサとトミックさんの後姿を交互に拝みながら、オレが数歩離れてついていく、というスタイルが定着してきた。

 木が多い通路を歩いていて、急にひと気がなくなったのに気がついた。今日は休日でカップルや家族連れがたくさん来ていたのだが、ひょっとしてイベントタイムかなにかでどこかに集合したんだろうか、なんて考えていた。

 前後にまったく人影がなくなった。

 いや、正確には前方にひとりの男が立っているのが見えたから、ゼロではない。

 この雰囲気、最近もあったぞ。

 そうだ、昨日の下校時にヤンキーふたりが襲ってきたときだ。あのときも、急にひと気がなくなって、ヤンキーだけが前方にいたんだ。

 男は木立と平行して並ぶベンチの横に立っていて、こっちを見てる。オレたちが通りかかると、トミックさんの前に進み出て、声をかけてきた。

「弟さんと彼女はふたりにしてあげて、あなたはわたしと楽しみませんか?」

 園内で声をかけてきた男ははじめてではなかったが、トミックさんを単独で誘う男ははじめてだった。っていうか、こういう遊園地で男がひとりでナンパっておかしくないか? 二人組みとかで、同人数の女性グループを誘うのが常道だろうに。

 こいつ、まさか男ひとりで入園したのか? それとも彼女に園内でフラれちまったカップルの片割れかなにかなんだろうか。

 男は長髪で二十歳前後、身長は百九十近くあり、細身でありながらかなり筋肉質なスポーツ体型の……イケメンだ。

 カジュアルな格好で清潔感が漂う、話し方も品があって、キザというのとは違う。しゃべりが板についているんだ。

 なにを入れているのかA4大の四角くて薄いバッグを脇に抱えている。遊園地では邪魔そうなバッグだ。

 ナンパ野郎に対して、どうしてこんなに好意的な分析をしてしまったのかと思ったが、男のセリフが良かったからだな。ふふふ、オレはトミックさんの弟で、マリッサがその彼女に見えたってわけだ。こいつ、いいやつじゃないか。

 第一印象が最高点だったナンパ野郎は、つかつかとトミックさんのすぐ前まで歩いてきた。

 トミックさんは今日、かなり高めのハイヒールを履いていたが、それでも男は彼女が真上に見上げるほどの長身だった。

 トミックさんは男の顔を見上げ、不思議そうな表情になった。

「……あなた……まさか……」

 見たことがあるのだろうか。それも、あの不思議顔からすると、エプロン姿でお買い物中に見かけた人物というわけではなさそうだ。トミックさんの顔は任務モードに移行していたんだ。

 マリッサも任務モードがオンになったようで、あたりの気配を慎重に探り、何かを感じ取ったのか、脇にかかえていたポーチの口に左手を突っ込んだ。

 ナンパ男ががっかりとため息をついた。

「わたしが彼女を引き離すまで、気配を気取られるなと言ったでしょう。相手の戦力が半減するチャンスだったのに」

 どうやら、ただのナンパ男じゃなかったらしい。

「やはりそうなのですね。バイルー国王の元親衛隊長ライアス! 今では独裁者カシュームの恐怖政治を支えるバイルー最強の剣士」

 とんでもない二つ名を持つ男だった。一国の『最強剣士』だって? オレも武器はないが、一応身構えた。

 トミックさんが、手に持ったバッグから長さ一メートルほどのメイスを取り出して構える。全体が金属でできていて、軽く十キロはありそうだ。かなり凶暴なでこぼこがついた文字のようなメイスの先の部分は、トミックさんが信じる宗教上のシンボルなのだろう。こいつで殴られたら、人間の頭はひとたまりもなさそうだ。

 彼女の目の前に立つ男も、A4バッグから剣を取り出して構えた。

 長身に見合った長い剣だ。柄の底から切っ先までは、百八十センチくらいだろうか。オレの身長よりも長かった。

 男とトミックさんは、それぞれの武器を構えて、素手で届きそうなほど近い間合いで向き合った。

 まわりの物陰からは、五人の男たちが剣を構えて現れた。さっき男が言葉をかけたのは、こいつらに対してだったんだ。

 マリッサがポーチの口に突っ込んだ左手を剣とともに抜きオレを庇うように構えた。

 おいおい、いくら人通りが少ない一角だからって、これはアトラクションには見えないだろ。騒ぎになるだろ。な……らない? おかしいぞ、さっきから誰も通らない。通行止めのバリケードでも立てたのか? それともこれも魔法かよ。このまえの襲撃のときのも、同じ魔法か? 仮名「人払い」みたいな。

 あとから出てきた五人の男たちは、広がってマリッサを囲うように移動してから、互いにアイコンタクトを取り合って、まず、右手のやつが襲い掛かってきた。そいつが振り下ろした剣をマリッサが払うと、マリッサの死角になった左手のやつが間髪を入れず切りかかる。しかし、マリッサはそれが見えているかのように、左足で男のみぞおちあたりを蹴って攻撃を防いだ。

 前回同様、襲撃者の戦闘ターゲットはオレじゃないようだ。オレを殺すつもりはないわけで、ガードしてる二人を倒せば、オレを捕らえるのは簡単って思ってるんだろうな。それは間違いじゃないが。

 相手の剣士たちも、オレから見たらめちゃくちゃ強そうだったが、マリッサの強さはとんでもなかった。五人相手にオレのまわりで互角に戦っていた。

 マリッサは左ききで、左手に持った長い剣をブンブン振り回し、その剣はもっぱらあいての攻撃を受け止めて払うのにつかって、残る右手や足で受け止めた剣の持ち主を殴り飛ばし蹴り飛ばしていた。

 よく、映画などで女剣士が戦うシーンでは、力で負けてる女優の動きが妙にトロく見えることがあるが、マリッサはそんなじゃない。まわりの男どもよりも早く、力も上回っているようだ。

 問題はトミックさんだった。

 相手がバイルー最強の剣士とかいうとんでもないやつな上に、トミックさんは服装のチョイスを明らかに誤っていたのだ。タイトミニのスーツは、彼女の動きを制限し、おまけにハイヒールが足元を不安定にしていた。

 トミックさんは、一対一のチャンバラの途中でちょっと下がってオレたちのそばに来て、ライアスとかいうやつが再び迫ってくるまでの隙に、ミニスカートの左横の裾をビリビリ! と裂いた。同時に胸をおさえつけていたボタンをもぎ取ってスーツの前をはだける。

 あられもない姿になってしまったが、これで制限されていた手足の動きがかなり開放された。しかし、ハイヒールをどうにかするチャンスはなかった。そこへ、ライアスが大きく振りかぶって切りつけてきた。トミックさんが服をなんとかするために作った一秒ちょっとの時間で、やつは必殺の一撃を繰り出す力をためていたのだ。

 メイスで受けたトミックさんのバランスが崩れた。

 さらに畳み掛けるように切りつけようとライアスが振りかぶったとき、体制を立て直そうとしたトミックさんの右足のヒールが根元からポキン! と折れた。

 よろめくトミックさんに、振り下ろされる剣。トミックさんが体制を崩したことに、むしろ驚いているライアスの顔がスローモーションのように目に映った。ライアスはトミックさんが攻撃を受け止めると思っていたんだ。

 トミックさんはメイスで受けられそうにない。とっさにオレが取った行動は……右腕を出してトミックさんを庇うことだった。

 ガキン!

 こういうとき、オレの腕は金属音がするらしい。

 まともに受け止めていたら、勢いに押し切られたかもしれないが、自分の前方にいるトミックさんを庇おうとして差し出したおかげで、オレの腕は振り下ろされる剣に対して斜めになっていた。剣を振り下ろす力が逃がされて腕の位置を維持することができ、トミックさんを守ることに成功した。

 オレが差し出した腕は、素肌がむき出しだ。つまり、どう見てもオレの生身の身体が剣の軌道をそらしたようにしか見えない。

 ライアスは数歩下がった。

 今度はあきらかにオレを見ている。オレの腕と顔を見比べていた。

「退け! 退くぞ!」

 バレたな、これは。

 ライアスの部下の五人は、撤退命令に救われたようだった。頭上でブンブンとヘリコプターのように剣を振り回して威嚇するマリッサに追い立てられるように退いていく。

 男たちが去ると、通行人の姿が戻ってきた。ほんとうに何かの魔法でこの場を隔離していたんだな。

 トミックさんとマリッサは武器をしまう。

 オレとトミックさんが、困り顔で向かい合っていると、マリッサが声を掛けてきた。

「どうした。何かあったのか? やつら、あっけなく退いちまったな」

 トミックさんは言いにくそうだ。かわりにオレが答えた。

「オレが剣を腕で受けちまったんだ」

「なにぃ?!」

「オレの身体のことは、バレちまったようだな」


 今日のデートは再び中断となり、戻って対策会議ってことになった。

 帰り道の電車の中で、トミックさんの口数は少なく、窓の外の景色を思いつめたように眺めていることが多かった。責任を感じているんだろうか。

 マリッサはそんなトミックさんに、過ぎたことをくよくよしてもしょうがないから、今後のことを考えよう、っていうニュアンスの励ましを繰り返していた。

 家につくと、クラニスは部屋着のままスナック片手にケーブルテレビを見ていたようだった。トミックさんが重い口調で、ライアスの襲撃があってオレが剣を素手で受けてしまったことを告げると、彼女も深刻な表情になった。

 オレの部屋のガラステーブルをはさんで、三度目の会議がはじまった。


第5話 オレを殺すためのいくつかの方法

「ライアスって、あのライアスなんでしょ? 独裁者カシュームの懐刀。やつらはこっちのことについてかなりの力の入れようだってことねぇ。……それにしても、こうも早くバレちゃうとはね」

 前回の会議では楽観主義だったクラニスでさえ、今回の事態を重く受け止めているようだった。

「おそらく、もう、カシュームの耳に入っているころでしょうね。そして、そのことはアテヴィア国の戦意を削ぐために広められるでしょう。竜王の子は、戻ってこられない身体だって」

 トミックさんは特に重い。

「でも、アンブレイカブルボディを持っているなら、ほかの竜王の力も備えているって考えないかな。実際、なんかできないか? おまえ」

 場を明るくしようという役目はマリッサが請け負っているようだ。しかし、そう振られたって、なにもできないと思うぞ、オレ。

「そんなこと言われてもなあ。アンブレイカブルボディっていうのだって、自覚なかったわけだし。そもそも竜王の力にどんなのがあるのか知らないんだぜ」

「ん~、たとえば違う世界へ通ずる竜のゲートを開く力とか」

「どうやったら出るんだ? 『開け、ゴマ』っとか唱えるのか?」

「人間に訊くなよ。出し方なんて知らないに決まってるだろ」

 そんな、開き直らなくても。……ん? なにかひらめいたぞ。

「お~い、それって、さあ、オレが実際にその力を持ってなくても、あいつらはそのことを知らないんじゃないか? つまり、オレが竜のゲートをいつでも作って向こうへ行けるのかもしれないっていう可能性は否定できないだろ、やつら」

 われながら冴えてると思ったが、三人はため息をついた。そのため息のわけを解説してくれたのはトミックさんだ。

「竜のゲートを開いた竜は、そのゲートをくぐれません。竜のゲートは自分以外のものを他の世界へ送り込む力なんです。わたしたちの世界では常識です。だからあなたがその力を持っていても、あなた自身はあちらへ行けないことはみんな知っています。あなたがアンブレイカブルボディの持ち主である限り、こちらで死ねない以上、あちらへ戻る手はない。それはあなたがどんな力を竜王から引き継いでいるか把握していない彼らにとっても明白なことです」

「う~ん、いっそこの力、消しちゃえないのか? 魔法か何かで」

「魔法の力も受け付けないのよ。よく似た力で『無傷の肉体』っていう古代魔法があるんです。アンブレイカブルボディのようにすべての攻撃に対して無敵になる魔法です。この力は魔法だから、より強力な術者によって解除魔法が唱えられれば無効化します。でも、竜王のアンブレイカブルボディは魔法ではないから、解除魔法も効き目はないの」

 ふ~む。つまり、次世代竜王でアテヴィア国の守護者になるはずの竜王の息子は、異世界に行きっぱなしで帰ってこられない存在ってことか。

 あ、待てよ。

「オレ以外の竜がこっちで竜のゲートを開いてくれたら、そのゲートで帰れるんじゃないのか?」

「たしかに、それは可能ね。でも今のところ、アテヴィアに力を貸してくれる竜は竜王以外にいないわ。しかもわざわざゲートをくぐってこっちの世界に来てくれる竜なんてみつかるかどうか。将来あなたをあちらに戻すとしたら、その手しかなさそうだけど」

 クラニスは力なく答えた。その言い方からするとかなり薄い線らしい。

「とにかく、こうなったからには、わたしたちの最優先任務はどうにかして彼を殺す方法を見つけることよ。なにか方法があるかもしれないわ。結果的に今すぐ戻してしまうことになっても仕方ありません。あらゆる手で彼を殺すのよ」

 トミックさんのまとめは、対象となる『彼』であるオレにとっては、とんでもない話だった。目の前にいるのに『殺す』って言わなくても。おまけにあとのふたりも、真剣な顔で頷いているし。


 向こうの世界へ戻る手段がないオレを、わざわざやつらが捕らえる必要はなくなったわけで、襲撃の心配はほとんどなくなってしまった、ってことでいいんだよな。しかし、もう今日はどこかに出かける気分ではないし、時間ももう夕方近くだ。

「あの~」

 リビングでくつろいで雑誌を見てたときだ。涼やかな声に呼ばれて振り返ると、いつものエプロンに料理のときの三角巾を被ってカエルとうさぎのキャラクターをあしらったかわいい鍋つかみをつけたトミックさんが、お盆に両手鍋を乗せて持ってきていた。さっきまでの厳しい感じはなくって、いつものお手伝いさんの顔だ。

「あたらしいメニューなんですけど、味見してもらえますか?」

 いいねぇ。新婚ホヤホヤの奥さん、みたいな感じで。

「ええ、いいですよ」

 トミックさんの料理の腕はたしかだから、味見なんてしなくてもおいしいに決まってると思うんだが。

 鍋のフタを取ると、どうやらスープのようだった。白っぽい色だが和風っぽくもある。牛乳鍋かなにかかな?

 トミックさんが小さな椀についでくれたので、スプーンですくって冷ましてすすってみる。自分で冷ますっていうのが残念だなあ、トミックさんがフーフーしてくれて「ア~ン」なんて言って食べさせてくれたら、なんだって食うんだが。

 トミックさんは、覗き込むようにしてオレが食べる様子を見ている。

 そうか、家族がふたり増えて、マリッサやクラニスの嗜好にも味をあわせなきゃいけないから、お料理をがんばっているんだなあ。

「どうですか?」

 ふた口目を食べてると、トミックさんが訊いてくる。

「え? ・・・・・・おいしいですよ。ん? 変わったスパイスですね。・・・・・・これは、ちょっと苦手かな」

 あっちの世界で好まれる味付けなんだろうか。3人対1人(めったに家で食事しないオレのかーちゃんも入れるとすれば4人対1人だ)なんだから、オレが妥協するべきなんだろうなあ。なんて、ぼんやり考えてた。

「それだけ?」

 正直にまずいって言ったほうがいいのかもしれないが、ここは我慢しよう。食べられないレベルじゃない。

「あ、はい」

 五秒ほどオレの目をじ~っと見て、トミックさんはキッチンの方にパタパタと駆けて行った。

 会話が聞こえてくる。

「やっぱり効かないみたいですよ」

 トミックさんの声だ。相手は・・・・・

「これくらいじゃだめか~」

 クラニスだな。なんだ、彼女がオレのために料理をしたのか? いや、そのスパイスは効かせないほうが好きだぞ。

「もっと入れたらどうだ?」

 マリッサもキッチンなのか。あいつ、料理できるのかな。

「量の問題じゃないんじゃないかしら~。こちらで手に入る中では一番強いものなのに~。種類が違えばひょっとしたら・・・・・・」

 毒か――。

 聞こえてるぞ、コラ。

 トミックさん、あなた、オレをにこやかに毒殺しようとしましたね。


 その夜の食卓には、当然、その鍋は出てこなかった。


 食後にお風呂をどうぞ、と言われ、風呂場へ行った。

 魅惑的な下着が洗濯機のあたりにころがっていたり、間違えて誰かが先にフロに入っていたりするようなアクシデントを想像したが、もちろんそんなことは起きない。

 ひょっとして、お湯が沸騰していて、オレを煮殺せるかどうか試すつもりかもしれないと疑ってみたが、お湯は適温でたしかにお湯以外のヘンな液体でもなさそうだ。

 身体を洗ってから湯船にどっぷり浸かり、天井の水滴をぼ~っと眺めていたら、外の脱衣スペースで声がした。

「はいるぞ」

 マリッサのハスキーボイスだ。

「え?」

 すりガラス越しにマリッサの姿が見える。

 長い髪を頭のてっぺんあたりに乱暴にまとめ、おもむろに服を脱ぎ始めた。

 え~っ!

 混浴の習慣でもあるのか?

「ちょ、ちょっと待て!」

 どうしていいかわからず、湯船の中でじたばたしていると、

 ガラガラガラ。

 オレが想定したよりも早いタイミングで入り口が開いた。つまり、全部脱いじゃう前、まだ下着を着けている状態で浴室に入ってきたのだ。

 これは、ナニか? どこかのメディアで「お背中流しましょう」なんていうシーンを見て、日本の風習としてあたりまえに行われていることだと誤解した、とかいうパターンか? それともクラニスあたりに担がれて、いっしょに住んだらそういうことをするもんだと思い込んでいるのか?

 下着を着けているとはいえ、その小さな布っきれが隠しているのはほんのわずかの面積で、これがまた昨日までの幻想の『柏木マリサ』が着けているんじゃないかと妄想していたような白いレースの下着で、ある意味素っ裸より色っぽい。

 浴槽の横まできてひざまずくと、上体を倒して湯船の中で動くに動けないオレの上に覆いかぶさってきた。顔が近づいてくる。胸も近づいてくる。下着に負けないくらい白い胸元とかすかに笑みを浮かべる彼女の顔を、行ったり来たりして目で追っていたが、もう、近すぎて彼女の目しか見られない。と、その瞬間、

 ザポ~ン!

 オレの頭をマリッサが押さえつけて湯船の中に沈めた!

 前頭部と首を押され、上向きのまま、浴槽の底に頭が付くほど押さえられた。手足をジタバタさせて暴れたが、マリッサのほうがはるかに力が強い。手足は動かせても、頭はぴくりとも動かせない。

 激しく波打つ水面越しに、オレを押さえつけるマリッサの顔が見えた。

 彼女が笑っていたり、鬼の形相をしていたら、引いちゃうところだが、彼女は眉を八の字にして眉間にしわを寄せ、なんていうか、心配そうな顔をしつつ……オレを押さえ続けていた。

 オレは暴れるのをやめた。

 苦しくないのだ。

 もう、肺の空気はなくなったかもしれないが息苦しくもない。押さえつけられて痛いわけでもない。暴れるとお湯を飲んでしまうことはわかったから、暴れるのはやめにした。彼女の前で恥ずかしかったので両手で前を隠すことにした――手遅れかもしれないがな。

 で、浴槽の底から、恨みがましい目で見上げてやった。

 オレが暴れないので水面も静まってきて、彼女の表情がわかった。やっぱり、心配そうな顔ってやつだ。彼女にすれば、どうせ殺すなら、苦しませずに殺してやりたいってことなんだろうな。もしもこの方法でアンブレイカブルボディが滅びるとして、その過程は相当な苦痛が続きそうだもの。

 三分ほど経って、彼女があきらめ顔になったのがわかった。それと同時に、オレを押さえる腕の力が抜けた。

「プ、はぁああ!」

 久しぶりに、肺の中にたっぷり空気を送り込んだ。

 頭だけお湯から上げてマリッサの方を向くと、彼女はまだ浴槽の横にひざまずいたままだった。

「すまん。苦しかったか?」

 ほんとうにすまなさそうだ。

「いや、痛かったり、苦しかったりしないんだ。まあ、お湯を飲むと不味いっていうのはあったが」

 殺されかけたこっちが気を遣うことでもないような気がするが、まあ、フォローしておくことにした。

 彼女はシュンとしてる。

 髪をアップにするのも似合いそうだな。とか、彼女を眺めていて、気が付いた。彼女はオレが暴れたせいでびしょ濡れだ。

「おい、おまえ、下着が……」

 透けてる、と言う前に、マリッサもそのことに気が付いたらしい。

 白い肌が、カーッと赤く染まったかと思うと、右腕で胸を隠し、左手で、

 パーン!!

と、オレの右頬をビンタした。

 戦闘時の殺人的な張り手ではなかったものの、オレの首は百二十度ほど回ってそっぽを向き、ビンタにつづいて浴室から走って出ていったマリッサの後姿を見ることには失敗してしまった。

 痛てぇ。

 右頬が、痛い?

 浴室の鏡で見ると、頬にしっかりもみじみたいに手の跡が残っていた。マリッサが本気で殴ったのなら、少なくとも頭蓋骨骨折くらいのことにはなっていそうだが、平手の跡が残るっていうだけでも驚きだ。アンブレイカブルボディはどこへ行っちまったんだ?

 これって、オレに効く攻撃もあるってことなのかな? 彼女達に報告するべきだろうか?

 ま、後で考えよう。もう、今日は、寝るぞ。疲れた。


 部屋着を着てタオルで髪を拭きながら、自分の部屋のドアの前まで戻ってくると、向かい側の部屋から、ブン! ブン! という素振りの音が聞こえてきた。

 この音も慣れれば子守唄みたいなモノかもな。

 部屋に入ろうとして、ふと、待ち伏せを疑ったが、慎重に入ったところで、もしもクラニスあたりが気配を消して待ち伏せていたとしたら、オレに感知できるはずがないことに気がついた。

 あ~、もう、やめ、やめ。オレはふつうにしてればいいんだ。心配したってはじまらない。


 ドサッ! ドン! ドン! ドン! ドン!

 自室のベットでぐっすり眠っていたオレは、いきなり起こされた。

 暗い部屋で目を凝らして状況を把握しようとすると、まず、オレの腹の上に馬乗りになっているクラニスが見えた。彼女の両手に、例の刃を黒くしたナイフが握られているのが次に見えた。クラニスはバツが悪そうに苦笑いしているようだった。

 窓の外、遠くを走る電車の尾を引く汽笛の音が聞こえた。

 頭がはっきりしてくると、何が起こったか理解できた。

 最初の「ドサッ!」は、クラニスが眠っているオレに飛び乗ったときの音で、それにつづく「ドン! ドン! ドン! ドン!」は、両手に持ったナイフで、オレの胸を突いた音だ。

 こいつ、オレが寝ている間に刺殺しようとしたな。

「いや~、起こしてすまないね、少年。寝てるときならひょっとして生身かもってことになったんだけど、起こしちゃっただけみたいね」

 オレの上に跨ったまま、ニッコリ笑いかけてくる。こいつの格好が、タンクトップにランニングパンツという超薄着で、オレの両腕に、素肌のふとももが当たってる。え、しかもノーブラなんじゃないのか?

「いいから、早く下りろ!」

 持ち上げてベッドの横に下ろそうとすると、素肌の太ももにどうしても手が触ってしまう。

「ちぇ~っ」

と、彼女は、いたずらがみつかったときの小さな子供のようにちっとも悪いことをしたつもりがなさそうな笑顔を見せて、自分から飛び退いた。

 オレも起き上がって部屋の明かりを点ける。

「何時だよ・・・・・・二時?! ・・・・・・ふざけるなよな」

「まあまあ、こっちもいろいろ試して、なんとかあなたをあっちの世界へ送りたいのよ。わかってよね~」

 つまり、なんとか殺したいってことだろ。

「おまえらが必死なのはわかるけど、オレも協力しないって言ってるわけじゃないんだから、相談してくれよ」

「はいはい、ありがとね。ま、寝てるところをいきなりグサリ作戦は失敗だったみたいだから、今夜はひとまず退散するわ」

 退散する、といいながら、クラニスは動く気配がない。

 十秒ほどおたがい固まってた。

「かよわいレディが夜中に帰ろうって言ったら、送ってくれるもんじゃないの?」

「誰がかよわくて、どこまで帰るって? 隣の部屋じゃないか!」

「まあまあ」

 やたらニコニコ笑ってる。まだ動かないつもりだ。

「わかった、わかった」

 オレは立ち上がって、ドアへ向かった。やっとクラニスも動き出した。うしろをついてくる。

 ドアを開けて暗い廊下に出ようとしたとき、

「でやあああああっ!」

 聞き覚えのあるハスキーボイスとともに、向かいのドアが開いてマリッサが飛び出してくる。体当たり?! じゃない! 剣だ!

 ガン!

 ガシャン!

 最初の「ガン!」は、飛び出してきたマリッサが両手で握っていた剣の先が、オレのみぞおちを正確に突いた音。

 そして、一秒遅れの「ガシャン!」は、マリッサに突かれて後ろに吹っ飛んだオレが、オレの部屋の真ん中あたりにあるガラステーブルの上に落ちて、ガラスが砕けた音。

 オレの真後ろにいたはずのクラニスはうまいこと横に避けていた。

 これで痛みがあれば、たいそうな被害者なんだが、痛みも怪我もないからなあ。

「このガラステーブル、中学のときからのお気に入りだったのに・・・・・・」

 テーブルの枠にはまった状態から抜けて、割れたガラスだらけの床に立ち上がるオレを見て、犯人どもは反省会をしていた。

「ちっ! 不意打ちもだめか」

 パジャマ姿のマリッサは、可憐な外見に似合わない言葉を吐く。

「寝てるところでもだめなんだもん、不意打ちは試す必要なかったんじゃないの? テーブルは避けておけばよかったわね」

「剣がちゃんと刺さっていれば、後ろに飛んだりしなかったんだ」

 ああ、そうだな。しかし、オレの部屋の前でオレを無視して話をするな。

「もう、これで、寝込みを襲ったり不意打ちしたりはしないんだな?」

 念押しをしながら凄んだつもりだが、こいつらに効くかどうか。

「ええ。ごめんね~。いちおう試すべきことは試しておかないとね。あ、ごめん、片付けるわ」

 クラニスは床に散らばったガラスを片付けようとした。マリッサも手伝うつもりか、剣を壁にたてかけて部屋に入ってくる。オレはそれを手で制した。

「いいよ、朝になってからで。どうせガラス片の上をはだしで歩いても平気なんだし。もう寝かせろ」

 パリパリとガラスを踏みしめながらふたりを部屋の外に押し出し、ドアを閉めた。

 はやいとこ殺されてやらないと、何されるかわからないな。



第6話 えっ?! 傷?!

 日曜の朝、目覚めると日の光はまだ低く、時間は早いようだった。デジタル時計の最初の数字は『5』だ。

 起き上がって、ベッドから足を下ろすときに『あ、割れたガラスが散らばってる上だ』と急速に記憶がよみがえったが、間に合わない。どうせ、傷つかないからいいや、と思ったのだが、下ろした足の下はやわらかいカーペットだけだった。

 夜中の二時の襲撃は夢だったのか? と疑ってみたが、ベッドに腰掛けた格好のオレの目の前には、ガラス板がなくなったガラステーブルの骨組みの上にコタツ板が乗っかった臨時のテーブルがあった。

 だれかがガラスを片付けて、コタツ板を運んできたのだ。オレを起こさないように。

 のどが渇いていたので部屋を出てキッチンへ向かった。キッチンに誰かいるようだ。まな板の上でトントン切るような音がしている。トミックさんだろうか?

 行ってみると、トミックさんのエプロンをつけて、味噌汁らしいものを作っているのは、クラニスだった。

「おはよ」

 冷蔵庫をあけて牛乳のボトルを取り出しながら声を掛ける。

「おはよ~」

 クラニスは手元を見て調理を続けながらこたえた。

 牛乳は残り三百CCほどだったので、ゴクゴク飲み干してしまった。ほかの二人が起きている気配もないし、母親も帰宅してないようだ。テーブルの件について鎌をかけてみることにした。

「ガラス、ありがとうな」

 やはり振り返らずにクラニスがこたえる。

「あー、ゴメン、寝たふりしてたの? 静かに片付けたつもりだったんだけど。わたしの技も鈍っちゃったのかな」

 忍者の技で音や気配を消しながら掃除したらしい。

「いいや。寝てた」

「な~んだ」

 オレが鎌をかけたってことを知って、彼女は今朝はじめて笑顔を正面から見せた。オレは、その笑顔に見とれて牛乳の最後の一口をゴクン、と飲み込んだ。

「昨日はいろいろやってごめんね。今朝はお詫びに手料理でも、ってね」

「ふ~ん」

 飲み干したボトルを口にあてたまま、横目でクラニスの手元を見る。指にいくつも絆創膏を貼っている。戦闘用ナイフと包丁は勝手が違うらしい。流し台の横には、ふたが開いたままの救急箱が置かれていた。

「あはは、切るのは下手だけど、味は大丈夫よ。毒も入ってないし」

 オレの視線に気が付いたクラニスが照れ隠しに笑いながらごまかした。

 あとは沢庵を切るつもりらしいが、見るからに押さえるところが危なっかしい。思わず、ボトルを置いて歩み寄る。

「あ、ああ、それ、オレが切るよ」

 トミックさんが来るまで、中学のときは自炊してたから、料理はできる。

「いえ! いいの、最後までやるから!」

 彼女はあわてて振り向いてオレにストップをかけようとしたが、包丁を持ったまんまだった。

「あ!」

「え?」

 最初の「あ」は包丁を持ったままだったことに気が付いたクラニスが驚いて上げた声で、ほぼ同時にでたオレの「え?」は、差し出した手にクラニスが持ってた包丁の刃が当たったときに、痛かったから出た声だ。

 そして、向き合ってオレの右手の薬指を見て、ふたりで同時に声を上げた。

「ええ~っ?!!」


「……おはよ、どうした? 騒がしいが」

 眠そうな目をこすりながらパジャマ姿のまんまキッチンにマリッサが来たのは、オレとクラニスが大声を出した一分後くらいだった。すぐ後ろにはトミックさんも起きてきていた。

 オレとクラニスはキッチンの床の上にペタンと向かい合わせて座り込んでいて、オレの右手の薬指に、クラニスが包帯をぐるぐる巻いている最中だった。

「わたし……彼を切っちゃった!」

 クラニスが、たいへんなミスをして打ち明けるときのような半泣き声で言った。深夜にオレを刺殺しようとした割には気弱だ。しかし、気持ちはわかる。包丁を持って振り向いたとき、彼女はオレを傷つけることなんて考えてなかっただろうから。

「え? んなわけないだろ? だってこいつは・・・・・・」

 マリッサは信じない。

「傷口を見せてください。なにかわかるかも」

「え? ……ええ」

 トミックさんに言われて、クラニスは包帯を持つ手をさっきと反対にまわして解き始めた。しばらくすると、血がついたガーゼと脱脂綿が出てきて、包帯が完全に巻き取られた。ガーゼと脱脂綿の下には、血がついたオレの薬指。

 でも……

「あれ? 傷がのこってないぞ」

 オレがこすってみると、血は全部取れてしまい、傷ひとつない指が残った。おかしい、さっきはたしかに三センチくらいの長さの切り傷と、吹き出る血をふたりで見たんだ。だからあんな声を上げたんだし。

「包丁の方を見せて」

 トミックさんがクラニスから受け取ったのは、いつも自分が料理に使っているものだ。何の変哲もない。

 トミックさんは、包丁の柄のほうをマリッサに向けて手渡した。マリッサも包丁を確かめ……るんじゃないな、こいつは、予想どおりの行動に出た。立ち上がったオレの胸めがけて、包丁で突いたんだ。

 包丁は刺さらない。

 一同無言。

 オレのパジャマとシャツは昨夜からの襲撃で穴だらけだ。オレはマリッサを恨みがましく睨み、マリッサはバツが悪そうにそっぽを向いて口笛を吹いて視線をかわす。

 次に包丁はオレに手渡される。オレは自分で包丁を持って、反対の手に切りつけてみる。最初はゆっくりと、そのうちキコキコと前後に押し引きを繰り返すが、なにもおこらない。左手に持って、右手の薬指にも刃を当てるが、やはり切れない。

「ふたりで夢でも見たのかな?」

 しかし、血がついた脱脂綿やガーゼは残っている。

「わたし、自分の手の傷は絆創膏しか使ってないわよ。これはわたしの血じゃない」

 なぞは深まるばかりだ。

「アンブレイカブルボディは、なにかの条件で力を失うのね」

 トミックさんは腕組みをした。そういう話を聞いたことがないか、思い出そうとしているようだ。

「ある意味希望、ある意味危険、だな」

 マリッサが言った。オレを殺せるかもしれないが、オレの弱点が増えたわけだ。


 朝食が終わった食卓で、今後の予定を確認した。

 昨夜、かーちゃんは帰ってこなかったようで家にいない。食卓でくつろいでいるのはおれたち四人だけだ。

 くつろぐ、というのは面倒なことを横に置いておいてのんびりすることだから、この場合ふさわしくないな。オレたちは、まさに面倒事を目の前に置いて腕組みしてる状態だったんだから。

 ただ、その面倒の解決方法がなさそうだから、その場をあきらめが支配していたっていうだけのことだ。のんびりしてたわけじゃない。

「あと試すとしたら、衝撃や電撃、炎ってとこかしら」

 いや、トミックさんはある意味のんびりしてるように見えるな。

「そんなのは、かなり高位の魔法使いでも呼ばなきゃ、こっちの世界じゃ簡単に試せないんじゃないかな」

 マリッサもいつもの歯切れ良さがない。

「ビルから飛び降りたら、落下衝撃ってことになるかしら。こっちの世界にもマラムナッツがころがっていたら、爆発の衝撃と炎は一度に試せるのにね。爆発物って手に入りにくいのよね、こっちじゃあ」

 おい、クラニス、爆発物は手に入りにくいじゃなくて、手に入らない、だぞ一般人にとっては。

「そんな物騒なものがころがってる世界なのか?」

「あ、そうか。知らないわよね。あっちの世界に行ったときの用心に教えといてあげましょうか。って言っても多分あなたは爆発の真ん中にいても平気なんだしょうけどね」

 その点はクラニスの言うとおりだな。

「マラムナッツっていうのは球形の木の実で、二つの半球の殻に十二個づつの突起がついてるの。この二つの殻はね、子供の力でも引っ張ったら簡単に開いちゃうわ。でも、開けたら最後、爆発しちゃうの。つまり、動物が実を食べようとして開けてしまったときに、爆発して、あたりの植物を焼き払って焼畑みたいにした上、開けようとした動物の屍骸を養分にして、ばら撒いた種が育つしくみなの。引っ張らないかぎりたたいても割れたりしないし燃えもしない実だから、まわりで他の実が爆発しても誘爆しないのよ」

 爆弾がそこらじゅうにあるってことか?

「おまえが不注意で爆発させるのは勝手だが、持ち物は焼けて吹っ飛んでしまうし、まわりに人がいたら巻き添えにしちまうから、気をつけろよ」

 子ども扱いするマリッサに、

「ほかにも危ないものがあったら、先に教えておいてもらえるといいんだがね」

と言ったら、そっぽを向かれるかと思っていたのだが、彼女はまじめになって危ないものがないか思い出してくれているようだった。腕組みをして難しい顔で頭をひねっている。

「あなた、ひょっとして、自分で自分を傷つけられないかな?」

 クラニスが思いつきを言った。

「自分で? 包丁でやってもだめだったぞ」

「違うのよ、自分の拳で。ほら、こっちの言葉であるじゃない『矛盾』ってやつ。どっちもアンブレイカブルならどうなるのかしら、ってこと」

 オレは自分の手を見つめた。

 右手で拳を作って頭を叩いてみる。

「いて!」

 手も頭も『痛い』。そうだよ、これがホントの『痛い』だ。頭、ガンガンするし、手も、ジンジンする。

「まどろっこしい!」

 マリッサがオレの右手首をつかみ、強引にオレの手をオレの横っ面にぶつけた。

 アレ? 痛くない。手も、頬も。

「どうやら、自分で動かさないとダメみたいですわね」

 不思議そうに右手を見ているオレの姿を見て、トミックさんはオレが痛くなかったってことがわかったらしい。

 トミックさんの分析どおりだとすれば、オレが死ぬには、自分で自分を攻撃して死ぬほどのダメージを負わせろってことか?

「ボコボコには出来ても、死ねやしないよ、これじゃあ」

「根性だ。やればできる!」

 無茶を言うなマリッサ。

「つきあってらんねぇよ。休憩休憩」

 オレは立ち上がって自分の部屋へ向かった。



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