【完結編 第七章】 約束
【完結編 第七章】 約束
浅見のソアラが炎上した場所は、紀伊田辺駅近く、田辺湾に面した公園のような広場た。
不幸中の幸いで、人通りもなく、他に車も通っていなかった。
浅見も鳥羽も真代も、そして三千惠も大した怪我はなく、助かった。
ただ、その分ソアラの左前面部分が、かなり破損している。
その部分から、まだもうもうと煙が上がっている。
音を消し、ずっと三富の車を探していた覆面パトカーが数台、違う方向から次々と公園に到着した。
消防車も駆けつける。
「三富靖秋、松江孝雄殺害容疑および、竹内さん誘拐拉致の現行犯で逮捕する」
星野刑事が三富の両手に手錠をかける。
三富は観念して抵抗はしない。
「阿武山古墳に関する鈴木家のノートを盗んで、お宝を手に入れる目的だったが、松江と仲間割れして殺したんだな?」
星野刑事が殺害動機を確認する。
三富はうなだれたまま無言で立ちすくんでいる。
黙秘するつもりなのだろうか。
星野刑事が部下の杉本刑事に合図して、三富を引っ張りパトカーに乗せようとする。
ふと、何か決心したように顔を上げた三富が、浅見の方を振り返った。
「……」
浅見が三富に近づいて来た。
星野刑事も杉本刑事も、浅見に向かって敬礼をした。
「あなたのやったことは決して許さることではありません。……十五年前、ノートを手にいれるため、三千惠さんを誘拐し、健治郎さんを脅し、追い詰めてしまった。そして、今回また、ノートを手に入れようと義弘さんに近づいたが、埒が明かないため、松江を利用しようとした。だが、松江があやまって義弘さんを殺してしまった。どうしようもなくなったあなたは、すべて松江に罪をかぶせようと自殺にみせかけ殺した」
浅見は三富の目をまっすぐ見ながら言った。
「浅見さん、僕が犯人だと、いつ気づいたんですか?」
三富がやっと口を開いた。
「今城塚古代歴史館で、あなたに初めて会ったときです」
「それは驚きだ」
「あなたは、私に、阿武山古墳から『金の香炉』が見つかっていないのはおかしいと教えてくれた。それはあなたからの『SOS』のようにも感じたんです。このままではこの国は何も調べなくなる。歴史が謎のまま、全てが埋もれていってしまうって……」
「……」
「あと……、あのときのあなたの微笑みは、僕への『挑戦』とも感じました」
「さっき僕に言ったのは、どういう意味ですか?」
三富は質問した。
「……」
浅見は一瞬何のことだか判らなかった。
「先輩は、さっき『これ以上、あなたが過去にやってきたジャーナリストとしての仕事を汚さないで下さい』って言いました」
三富より先に鳥羽が覚えていて教えてくれた。
三富が鳥羽に感謝の微笑みを浮かべた。
「あなたが一九九四年に書いた記事を読みました」
浅見が打ち明けた。
三富は驚いている。
「あなたが義麿ノートを欲しがったのは、『金の香炉』を単に手に入れたかったからじゃない。『金の香炉』の埋められた場所を知って、『金の香炉』を、歴史から永遠に抹消したかったからですね?」
浅見が言った。
「……」
三富がじっと浅見を見据える。
浅見の言っている意味が解らない鳥羽は、驚いている。
「『金の香炉』が阿武山古墳に埋まっていたことが証明されたら、あの木乃伊が藤原鎌足であるとますます決めつけられてしまう。あなたはそれを阻止したかった」
「……」
「自分がジャーナリストとして魂をこめて書いた記事を、永遠に残すために……」
浅見は言った。
離れた場所でソアラの消火活動をしている消防隊が見える。
ほぼ消火したと思ったところ、ボッと大きな炎が一回上がった。
三富は、こぼれる涙を手錠をはめられた両手でぬぐう。
「浅見さん、僕なんかの記事を読んでくれてありがとう。……君ともう少し早く知り合いたかったよ」
三富はそう言って浅見に頭を下げると、星野刑事に促されてパトカーに乗った。
浅見、鳥羽、真代、三千惠が、それぞれの思いで、三富の乗ったパトカーを見送った。
真っ赤な夕焼けと、パトカーの赤と、田辺湾の波が、浅見の視界の中で混ざり合っていつまでも揺れていた。
翌朝の大毎新聞の記事は鳥羽が書いている。
[那智殺人事件犯人逮捕/元大毎新聞の記者/八軒家殺人事件の犯人と共謀し阿武山古墳の盗掘を画策していた/十五年前、熊野古道の人気シンボル「牛馬童子」石像の首切断/田辺市在住男性の娘を誘拐脅迫も]
浅見光彦が浅見家のリビングルームに現れると、珍しく兄・陽一郎が朝食のテーブルにいた。
弟を一瞥しただけで、新聞から目を離さない。
「あら、お久しぶりね、光彦。いつ戻ったの?」
母・雪江が現れ、皮肉たっぷりに言って席に着いた。
一瞬デジャヴかと思ったが、ちょうど二週間前の日曜日、浅見が熊野古道に旅立つ前にも、同じシチュエーションで会話したのであった。
「昨晩、戻りました」
「今回はずいぶん長かったのね。二週間もかかるなんて、さぞかし大変な取材だったのね」
「はぁ」
どこまで兄・陽一郎が、今回の事件のことを雪江に話しているのか判らないので、自分からはうっかり口を滑らすわけにはいかない。
「あ、そうだ、お母さんにお土産が……」
真代が買ってくれた土産をテーブルに差し出した。
茶房珍重庵の『もうで餅』である。
ソアラを大破させて修理に出していることなどを、うまく誤魔化さなければ……。
「まぁ、気が利くのね。事件で忙しかったはずなのに、お土産を買って来てくれるなんて」
「熊野でお世話になった方が、用意してくれました」
「たしか三千惠さんとおっしゃる方よね」
「えっ?」
「陽一郎さんから聞いてるわ」
「まさか」
陽一郎は相変わらず新聞から目を離さない。
「光彦が命懸けでカーチェイスをして、人質に取られた三千惠さんを助けたんですってね」
「いや、それは違うんです」
「私なら……、命懸けで助けてくれた光彦と結婚するわ。きっと三千惠さんも、そう思っているはずよ。熊野古道で知り合うなんて運命ね。熊野三山は、『浄土への入り口』と言われてるのよ。帰ってくるということは、死と再生を意味するのよ。『よみがえりの聖地』なのよ。前世で結ばれなかった二人が、満を持して呼び寄せられたのかもしれませんよ。赤い糸というのはあるのよ」
「お母さん、ちょっと待って下さい。それは……」
いくら浅見が止めても、雪江の妄想は止まらない。
「女っていうのはね……、いつの時代も、自分からは言い出せないものなのよ。特に人生を左右する『結婚』という大舞台においては、やはり殿方から申し込まれたいものなのよ」
「お母さん、違うんです」
「最近、孤独死する人が増えたってニュースを聞く度に、光彦にだけはそんな風になってほしくないって思うのよ。ちゃんと結婚して家族をつくって、孫の顔を見せてほしいわ。私ももう長くないと思うし……」
雪江が光彦に対して、普段思っていることを、ここぞとばかりに吐き出した。
「兄さん、何とか言って下さいよ」
浅見が陽一郎に助けを求めた。
「お母さん、あんまり焦らすと光彦だってプレッシャーに感じますよ。いい大人が、将来のことを何も考えてないわけないですよ。焦って結婚してすぐ離婚してしまったりするより、じっくり時間をかけたらいいじゃないですか」
やっと陽一郎が助け船を出してくれた。
「まあ、それもそうね」
雪江は陽一郎にうまく納得させられた。
「そう言えば光彦、車はどうしたの? 見当たらないようだけど」
やはり鋭い母親だ。
「あの、実は……ほんの少し、ぶつけてしまって、今修理に出しているんです」
「あら、そうなの。事故にはくれぐれも気を付けて下さいよ。怪我がなくてなによりだったわね」
車の件は聞いていないようで、雪江は光彦からのお土産を抱えながら、自室に引っ込んで行った。
「そう言えば、光彦。和歌山県警から報告があったぞ。三富が、素直に犯行を認めているそうだ。十五年前のことも徐々に自供しているらしい」
陽一郎が言った。
「そうですか。良かった」
浅見はホッとした。
「それから、和歌山県警の星野って刑事が、光彦によろしく言っていたぞ。今回は、大阪府警と和歌山県警の両方にまたがった事件だったから連携が大変だったようだが、『名探偵のおかげで無事事件が解決出来ました』と、えらく感謝していたな」
陽一郎は誇らしげに言った。
「だから、名探偵はやめて下さいって何度も言ったのに……」
浅見は苦笑いしながら、すぐにでも行かなければならない場所のことを思い、退室した。
久しぶりに降りた軽井沢は、観光客で賑わっていた。
浅見が病室をノックしようとすると、看護師が微笑みながら病室から出て来た。
「先生、お見舞いの方ですよ」
看護師が浅見の代わりに病室に声をかけてくれた。
「誰かな? 退院の日に見舞いに来るKYな奴は……」
ベッド上で浅見を迎えたのは内田康夫。
「空気読めないのはどっちですか? 入院が延びたって聞いて心配して飛んで来たんですから」
浅見はベッドの横のパイプ椅子に座った。
「浅見ちゃんが事件を解決するまで待っててあげたんだよ。感謝したまえ」
「そんなこと言って、実は、禁止されてたものを隠れて食べて腹痛起こしたとか、さっきの美人看護師と離れたくなかったとか、どうせそんな理由なんでしょ」
「あたらずといえども遠からず、かな」
「ま、元気そうで安心しました」
「それで、その後、どうなったんだ?」
内田が訊いた。
「三富が全面的に犯行を認める供述をしているようです」
「それは良かった。……しかし、ノートを燃やしたのは勿体なかったんじゃないか。歴史的大発見に繋がったかもしれないのに」
内田が嘆く。
「僕はそうは思わないです。あのノートは義麿さんが鈴木家の家族に託したものです。その残されたたった一人の家族である真代さんが決断したことに、僕たちが口を出すことは出来ないと思うのです」
「浅見ちゃんらしい、結論だね」
「……」
「で、君の後輩と彼女はどうなったんだい?」
「うまくやってるみたいですよ」
「浅見ちゃんが恋のキューピットになったってわけか」
「僕は特に何もしてませんよ。鳥羽の情熱が三千惠さんに通じたってことでしょうね」
「じゃあ、そろそろ浅見ちゃんも身を固めたらどうなんだい? 後輩に先を越されていいのか?」
「やだな、先生。僕はまだ結婚なんて考えられませんよ。考える資格が無いと言った方がいいかもしれないな。いつも旅をしている以上、と言うか、こんな探偵まがいのことをやってる以上、奥さんになる人に申し訳ないですからね」
「浅見ちゃんはホント優しいなぁ。そんなこと言ってたら、いつまでも一人だよ。孤独死まで、あっという間だぞ」
「しょうがないですね」
「結婚なんて、勢いとタイミングなのに……」
「タイミングって言われても、……難しいですよ」
「頭で考えるものじゃないんだよ。体が本能的に動くんだよ」
「本能と言われても……」
「今まで、命がけで好きになった女性はいないのか?」
「……そりゃ、僕にだって」
ある女性のことが浮かんだが、内田に見透かされていそうで、口をつぐんだ。
「ハハハッ。真面目だなぁ。ま、そういうところが浅見ちゃんらしいんだけどね」
「けなされてるのか、褒められてるのか……」
「君が結婚する時は、うちの夫婦で仲人をやってやるよ」
「いつになるか分かりませんから、長生きして下さい」
「しょうがない。浅見ちゃんの奥さんを見ずして死ねないからな」
「夫婦と言えば、真代さんのご主人の鈴木義弘さんなんですが、殺された日、どうして八軒家にいたか判りました」
「最後まで謎だった件だな」
「あの日はちょうど、十五年前に亡くなった健治郎さんの命日だったんです。そして、健治郎さんの実家のお墓は八軒家の近くだったそうなんです。義弘さんは、十五年前に健治郎さんが亡くなった原因が義麿ノートかもしれないと聞かされ、お墓参りに行っていたそうなんです。義弘さんなりに責任を感じていたんだと思います。だから、普段は背広を着ない義弘さんがあの日は背広を着ていたんです」
「そうなのか。夫人は、それを聞いてまた義弘さんのことを惚れ直したんじゃないか?」
「ええ。義弘さんが車の免許を取らなかったのも、健治郎さんが交通事故死をしていたことを知り、自分まで事故に遭ってしまったら、真代さんをまた哀しませてしまう。そう思ったからなんだと思います」
「愛だな」
「ええ」
「今度こそ、夫人には、幸せになってほしいものだ」
「ええ。真代さんは、三千惠さんが幸せになってくれることが、自分の幸せだっておっしゃってました」
「そうか。ところで、例のものは?」
「はい、はい」
浅見が、内田に熊野の護符を渡す。
「まったく、原因不明の難病だなんて嘘をついてまで、僕を熊野に行かせるなんて。もう本当に懲り懲りですよ」
「すまなかった」
「まったく……。また、ソアラを修理に出さなきゃならないんですから」
「何度でも謝るよ。……でも、ソアラが厄を一手に引き受けてくれたんじゃないかな。それに、この護符のおかげで、皆無傷で助かったって考えようよ。ね、浅見ちゃん」
「相変わらず、先生は調子がいいな」
「いや、ほんとに、浅見ちゃんのおかげで、今回は執筆がはかどったよ」
「結局、禁止されてたのに入院中に書いてたってことですか。大作を書き終えたからって、僕はもう用済みってことですか?」
「ちょっと、誤解しないでよ」
「今回、どれだけ先生に振り回されたか、解ってるんですか?」
「まあまあ。でも今回の鎌足の件は『旅と歴史』の取材に大いに役立ったじゃないか。地震学も、考古学も、歴史を研究して、悩んで、未来に繋げるということが大切なんだから」
「何か、はぐらかされてる気がするなぁ」
「きっと浅見ちゃんの子孫なんて、浅見ちゃん亡きあと、浅見ちゃんの骨を空や海へ散骨したり、樹木葬にしたり、あと、ビルの中に閉じ込めてICカードで呼び出したりして、そんなことをしている間に、鎌足みたいに、子孫は誰の墓だか判らなくなるかもね」
「やめて下さいよ」
「というか、浅見ちゃんはその前に子孫を残さなきゃ」
「大きなお世話です。まあ、僕はお墓なんて必要ないですがね。旅の途中の無人島の砂浜で、波の音と風の音を聞きながら、誰にも知られず静かに息をひきとる、そして何十年も気づかれず、土に帰る、なんてのが理想です」
「そう出来たらいいねぇ」
「珍しく意見が合いましたね」
「真面目な話、今回思ったんだが、人間の魂というものは、永遠だよ。肉体が死んでも、魂は生き続ける。鎌足の墓がどこにあるにしろ、魂はその墓にとどまるわけではない。もしかすると、鎌足が僕たちの後ろで笑ってたりしてね」
「ハハハ」
「『千四百年経つのに、君たち、我々と一緒じゃないか。欲にまみれ、醜い争いをしておる。何と人間たちの愚かなことよ。まずこの世に生を受けて、生かされていることに感謝したまえ』とか言ってね」
「我々の祖先からの、メッセージですか」
「僕が死んだら、浅見ちゃんにメッセージを送るから」
「何言ってるんですか」
「僕は浅見ちゃんの背後にいるからね」
「いやですよ。背後霊に『結婚しろ』とか説教されるのなんて」
「ハハハ」
「じゃ、先生、約束して下さい。お互い、どちらが先に逝っても『僕は見てるぞ』って合図を送るってのはどうです?」
「なんだよ、急に」
「だって、僕は、先生がいないと生きていけません。先生に生かされていると言っても過言ではありませんから」
「大袈裟だな、浅見ちゃん。ま、ルポライターの仕事だけじゃ生きていけないのは判るけど……ね」
「……」
「……」
「先生は、僕にとって……、神様ですから」
【END】
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
当初、「次話投稿」の方法が、なかなか解らず、誤って最初のファイルを削除してしまいました。
一番最初に読んで下さり、ポイントを付けて下さった方、大変申し訳ありませんでした。