【完結編 第六章】 鎮魂
【完結編 第六章】 鎮魂
「三千惠ちゃんの身に何が起こっているの?」
居てもたってもいられない真代が、田辺の自宅から鳥羽のアパートに駆けつけ、叫んだ。
「今、警察に探して貰っています」
鳥羽が答えた。
「警察? なんで? 何で警察が?」
驚く真代。
「三千惠さんは、一連の事件の犯人に、復讐をしようとしているのかもしれないんです」
浅見が答えた。
「復讐?」
青褪める真代。
「ええ、十五年前、三千惠さんの父であり、あなたの愛した健治郎さんを死に追いやった犯人への復讐です」
浅見はもう躊躇することなく言い放った。
「……」
浅見の言葉に真代は絶句する。
鳥羽も驚いている。
「さすが名探偵の浅見さんや。すべてお判りなんですね」
「真代さん、もう、すべて話して貰えませんか?」
浅見の言葉に、真代は決意したように二人の目を見つめた。
「十五年前、教育行政の仕事をしていた私は、父子家庭の健治郎さんと三千惠ちゃん親子に出会いました。私は健治郎さんと恋に落ちました。当時、彼は事業に失敗していたけれど、三千惠ちゃんも私のことを慕ってくれて、いつか結婚できればいいなと思ってました。……でも、牛馬童子の首が盗まれた頃から、彼の様子がおかしくなったんです。何か隠し事をしているような気がした。そして、ある日、健治郎さんが藤白神社の近くで交通事故で亡くなったと連絡が入りました。突然、車道に飛び出したということでしたが、慎重な人だっただけに、私はどうしてもそれが信じられへんかった。……そして、その日、三千惠ちゃんは『優しいおじさん』に声を掛けられて遊んでいたと言う。三千惠ちゃんに聞いても、そのおじさんとは初めて会ったと言う。私は何か奇妙なものを感じましたが、一人になった三千惠ちゃんを放っておけず、その世話に明け暮れました。やがて三千惠ちゃんは親戚の家に引き取られて行きました。……その後、私がふと健治郎さんたちが住んでいた家を訪れたら、物置きに牛馬童子の首が落ちていました。『どうしてこんなものが?』って驚きました。まさか健治郎さんが盗んだとは思わなかったけど、こんなことが世間に知られたら、死んだ健治郎さんの名誉に関わり、三千惠ちゃんも悲しむと思い、私は滝尻王子のバス停に牛馬童子の首をそっと置いたんです」
真代にとっては、十五年前の出来事が、つい昨日のことのように思い出され、言葉に詰まりながら、涙声で絞り出すように語った。
その時、浅見の携帯に警察からの連絡が入った。
三千惠らしき女性が、十一時頃、紀伊田辺駅から大阪方面の特急列車に乗ったのが目撃されたとのこと。
「判りました、引き続き捜索をお願いします」
浅見は電話を切った。
「大阪方面に三千惠さんが向かっているそうです。僕たちも向かいましょう」
浅見は、三富が写っている写真を手に取り、真代と鳥羽を引き連れ、車に乗った。
警察から大阪方面と聞き、三千惠が阿武山古墳に向かっているのではないかと予想した。
浅見は、阪和自動車道を海岸沿いに北上した。
「浅見さん、鳥羽さん、ごめん」
後部座席に座った真代が、運転席の浅見と、隣の鳥羽に謝った。
「……」
窓外を眺めている鳥羽は無言だ。
気が動転して、どうしていいのか、何を話していいのか、判らないのである。
「今は、三千惠さんを無事に探すことだけを考えましょう」
浅見が言った。
「……三千惠ちゃんの父親……健治郎さんが亡くなって、私は寂しさを紛らわすために、それまで以上に仕事に打ち込んだ。そんな私に声を掛けてくれたのが同僚の鈴木だったんです。朴訥としてるけど優しくて、だんだん惹かれていって、結婚することになりました。でも、主人の生家が、あの鈴木屋敷だと知ったときは、不思議な因縁を感じました。まさか健治郎さんが亡くなった場所からこんなに近い所にある鈴木家に嫁ぐとは……。結婚してしばらくしてあのノートの存在を知りました。義父の清吉が病に侵された頃です。本来なら清吉に託すはずのノートが主人に託された。その時に、かつてこのノートを奪おうとして屋敷に侵入した男がいたことを知りました。その男が義麿さんに見つかり、逃げ出していき、車に轢かれて死んだことも。……愕然としました。それはまさしく健治郎さんのことだった。……なぜ健治郎さんがそんなことをしたかは判らない。ただ、義麿さんの口ぶりから察すると、ノートの中には阿武山古墳の木乃伊に関する歴史的な事実が書かれていて、それを知りたがる輩がいるということは判りました。義麿さんが健治郎さんのことを泥棒として警察に届けなかったのも、このノートのことを明らかにしたくなかったからでした」
真代は、今まで胸に秘めていたことを一気に告白した。
「最後から二番目のノート、あなたが持っているんですよね?」
バックミラー越しの浅見の問いに頷く真代。
「それだけじゃない。今回、牛馬童子の首を盗んだのもあなただった」
「まさか、そんなこと」
窓の外を見続けていた鳥羽が、驚きのあまり真代の方に振り向く。
「はい、浅見さんのおっしゃる通りです」
真代は素直に認めた。
「一カ月前、あなたと三千惠さんは、鈴木家の近くで怪しい男性を目撃しました。……その後、三千惠さんに十五年前のことを聞きましたね。そして、健治郎さんが事故にあった日、一緒にいた優しいおじさんは『カマキリ』の絵を身に着けていたかもしれないと聞かされた。……それを聞いたあなたは、不吉な予感がした。あなたは『カマキリ』の絵に心当たりがあったからです。健治郎さんと交流のあった三富という男です。三富はカマキリのような絵が描かれたキャップをいつも被っていた。……鳥羽の写真に写っている彼も、そのキャップを被っています」
三富が被っているブランド物のキャップの絵は、実は『カマキリ』ではない。始祖鳥をデザイン化したものである。
ただ、十歳の三千惠には『カマキリ』に見えたのだろう。
「『カマキリ』の絵が描いてある帽子を被った三富が、幼い三千惠さんに『カマタリ』の話をしたかもしれない。三千惠さんは、視覚からの『カマキリ』と、聴覚からの『カマタリ』を混同して記憶したのかもしれないです」
浅見は運転しながら、ゆっくりと真相を話していく。
真代は浅見の言葉を聞き、流れる涙を拭いながら、声を殺して、うなだれている。
鳥羽は、田辺通信部の取材旅行の写真を写真立てから取り出した。
写真の中で、ナスカの地上絵のようなカマキリのようなイラストのキャップを被った三富が笑っている。
その横で鳥羽も笑っている。
鳥羽は、自分の不甲斐なさを捻りつぶすように、その写真を思い切り握り潰した。
「十五年前、なぜ健治郎さんがノートを奪おうとしたのか。……なぜ牛馬童子の首が健治郎さんの家にあったのか。おそらく三富がその理由を知っている。……三富が再び現れたということは、また何かが起こるのかもしれないと思った。しかも、三富はご主人に接触し、阿武山古墳やノートのことを調べ始めた。健治郎さんのときと同じようにご主人の身に何かあってからでは遅い。そう思ったあなたは、ご主人にすべてを告白した。それを受けてご主人はノートを大谷宮司に託した。あなたは警察に相談しようとしたが、すべてはあなたの想像にすぎず、警察が相談に乗ってくれるとは思えない。そこで、ある人物に話を持ちかけたんですね。――」
浅見は、優しい口調で真代に問いかける。
「浅見さんには、ほんま、かなわんわ」
浅見が全てを見通していることに、真代は畏敬の念を現した。
「ある人物って?」
鳥羽が真代に訊いた。
「内田康夫先生や」
真代が白状した。
「えっ、あの日本を代表するミステリー作家の?」
鳥羽の問いに真代はコックリと頷いた。
「内田先生は、十数年前、『熊野古道殺人事件』という小説を発表しはったんや」
「ええ、タイトルだけは知ってます。……まさか、真代さん、知り合いだったんですか?」
鳥羽は、想像通り、読書家ではないようだ。
「あの作品は、『還らざる柩』と、『鯨の哭く海』と、『龍神の女』という三つの連作短篇を、合体させて書き直しはった」
真代が内田作品に詳しいことに驚く浅見と鳥羽。
「主人が内田作品のファンで、私は影響されて時々読んでました」
「そうだったんですか」
浅見は納得した。
真代が内田と繋がっているなんて、最初は考えもしなかった。
浅見が鈴木家にお邪魔したとき、本棚に内田の作品が並んでいたのを見て、もしや……と思ったのだ。
「三つの短篇を合体させて長編に改訂されるとき、内田先生が、取材で龍神温泉の老舗旅館『上御殿』に宿泊されたんです。……日本三大美人の湯って言われる温泉やね。私は田辺市役所の仕事で、そこの女将さんと知り合っていて、たまたま声をかけられたんです。田辺市にある神社のこととか、いろいろ説明して、ご案内してほしいって。私、柄にもなく、えらい緊張しててんけど……、内田先生は、ほんまに気さくにお話しして下さった。取材が終わって、私の文庫本にサインしてくれはった上に、写真まで一緒に撮ってくれはったんや。当時は携帯電話も持ってなかったし、『写ルンです』やったな。ほんま嬉しかったわぁ。……そのときから年賀状のやり取りだけやけど……毎年、私みたいなもんに送って下さって……。それが縁で、今回ご相談させていただいたんや」
真代は、内田とのたった一度の交流を、昨日のことのように鮮明に思い出している。
浅見は、普段、内田に面と向かっては言えないが……。
いつも浅見をこき使って、困難なことばかりを強いる内田だが、読者であろうと、取材相手であろうと、出版社の人間であろうと、変わらず気さくに接しているところが、長年の人気の理由なのかもしれない。そんな内田を、浅見は尊敬してやまない。
「内田先生に相談したら……」
真代は続けた。
「内田先生は、浅見さんのことを教えて下さいました。浅見さんのことは、鳥羽さんや福岡書店の門脇さんや『旅と歴史』の読者の大谷宮司から話を聞いていて、名探偵であることも知っていました。だから、どうしても力をお借りしたいと思いました。でも、内田先生が言うには、浅見さんはご自分の興味を持った事件にしか乗り出さないとのことやったので、私なりに頭をひねって――」
真代は申し訳なさそうに、運転する浅見の背中を見ている。
「牛馬童子の首を盗んで事件にすることを思いついたんですね? 僕なら興味を持つだろうと――」
「はい。大変なことをしたとは思てます。でも、それ以外に思いつかなくて……」
真代は再びうなだれた。
「とんだ、ピエロだったんだ、僕は」
鳥羽が自虐的に言った。
「ほんまにごめん、……鳥羽さん」
「利用されてたってわけだ」
「利用だなんて……私は必死やった。それだけは信じて。もうこれ以上大切な人を失いたくなかったんや」
真代は泣き崩れた。
「しかし、僕が牛馬童子の事件に気付いて動き出したときには、もう鈴木さんは亡くなってしまっていた。内田先生は、それを察していたのか、僕を熊野へ行かせようとしました。病気のふりをして、熊野三山の護符を持って来てほしいと……」
浅見は言った。
「じゃあ、牛馬童子の首を『今城塚古墳』に置いたのも真代さんなんですか?」
鳥羽が訊いた。
「……はい。……浅見さんならきっと、館長から阿武山古墳の話を聞くやろう。そして、ノートと照らし合わせて、昭和九年から続くすべての謎を解き明かしてくれる、……様々な不幸の連鎖に、終止符を打ってくれると思うたんです」
浅見は、和歌山市の紀ノ川サービスエリアで休憩することにした。
気付いたら、三人とも朝から何も食べていなかったからだ。
食事をして、精神的にまいっている真代を、落ち着かせる意味もある。
それに、警察と連絡を取り、三千惠の行方を確かめなければならない。
「それで、例の『金の香炉』はどこにあるんですか?」
サービスエリアの見晴らしの良いベーカリーカフェで、ハンバーガーを頬張りながら、鳥羽が真代に訊いた。
この男は、相変わらずいつも直球である。そこが憎めないところでもあるが、ともするとKY(空気読めない)と言われかねないところである。
「義麿ノートにあった奈佐原池の近くだと思うがな……」
浅見は真代が答えやすいように遠回しに言った。
「いえ、最初は奈佐原にあったようなんやけど、……何年か経って、義麿さんと千尋さんが、阿武山古墳の近くに埋め戻したそうです。千尋さんは父親の森高教授から『金の香炉』を埋めた場所を聞かされていたんやね。義麿さんと『鎌足さんの近くに戻してやろう』と話し合って決めたそうです」
真代は義弘から伝え聞いたことを告白した。
戦争中は混乱していたはずだし、戦後、一九八二年に阿武山古墳が破壊されそうになるまで、阿武山古墳や木乃伊は、ずっと人々に忘れ去られていた。
義麿だけが、ずっとずっと阿武山古墳のことを気にかけていたのだ。
「ノートにはその場所が書かれているんですか?」
浅見は思い切って訊いてみた。
「そのようです。でも、私も主人もノートを見てはいません。見てはいけない。そんな気がしたんです」
真代が答えた。
浅見の携帯に星野刑事から連絡が入った。
三千惠らしき女性が、新大阪駅から京都方面の乗り場に行くところを防犯カメラで確認したという。
「浅見さん、すいません。そこからの足取りが掴めんのです」
星野刑事は、念のため、前日に三富が現れた今城塚古代歴史館の館長にも当たったが、三富の様子に特におかしなところは無かったらしい。
「判りました。……僕の方は心当たりを探しますので、星野さんたちは引き続き捜索をお願いします。何か手掛かりが掴めたらすぐに電話して下さい。」
浅見は電話を切り、鳥羽と真代を伴い車に乗った。
とにかく急いで阪和自動車道を北上して新大阪を目指す。
その後、京都方面に向かう予定だ。
「三千惠さんは三富のところに向かっているに違いない。ただ、どうやって三富に連絡を取ったのか。二人ともお互い連絡先は知らないはずなんだが……」
浅見はエンジンをかけながら言った。
「SNSかも」
いよいよ自分の出番が来たという口調で鳥羽が言った。
「なんだって?」
SNSがソーシャル・ネットワーキング・サービスだということぐらいは解るが、そういったものを一切利用していない浅見にとって、調べるのにも苦労しそうで焦りを感じた。
「まかせて下さい」
鳥羽がスマホを駆使して検索を始めた。
三富はおそらくツイッターやフェイスブックなどのアカウントを持っているだろう。
鳥羽は、三富のアカウントを探し出し、そこから、今の居場所や行動を突き止めるつもりだと言う。
鳥羽が調べている間、しばらく沈黙が続いた。
車窓の景色だけが動いていく。
「先輩、三富がいるのは大阪じゃないです」
車が阪和自動車道から近畿自動車道に入りしばらくした頃、後部座席の鳥羽が叫んだ。
「どういうことだ?」
鳥羽によると、三富と思われる『古墳マニア』というツイッターのアカウントが見つかった。
『西殿塚古墳と西山塚古墳を訪問しています』
今日、つい二十分前、『古墳マニア』が、つぶやいている。
西殿塚古墳は、奈良県天理市中山町にある前方後円墳である。
被葬者は明らかでないが、宮内庁により第二十六代継体天皇皇后の手白香皇女の陵に治定されている。
一方、西山塚古墳は、同じく天理市萱生町にある前方後円墳である。こちらは、第二十六代継体天皇皇后の手白香皇女の真陵という説がある。
『古墳マニア』は、二カ所の写真を何枚かアップしている。
「先輩、天理市に向かって下さい。三千惠ちゃんはそこに向かってるはずです」
鳥羽が有無を言わさず要望する。
「ちょっと待った」
浅見は考えた。
三富がいるであろう場所が、奈良県天理市。
三千惠が向かっているのが、京都方面。
浅見は、淀川の手前、守口ジャンクションで一般道に降り、すぐに寝屋川市街の適当な場所に車を停め、鳥羽のスマホを取り上げ、『古墳マニア』がアップした写真を見る。
「これは……、今日撮ったものじゃないな」
浅見が断言した。
「そんなこと、どうして判るんです?」
「俺はこの古墳の前を数日前に通ったんだよ。それにこの写真はどう見てもおかしいだろ」
浅見は鳥羽にスマホを突き返しエンジンをかけた。
「西殿塚古墳の手前には何が写っている?」
「田んぼです。それが、どうかしました?」
鳥羽は写真を見ても、キョトンとしたままだ。
「お前さん、どうしようもないな。ま、しょうがないか。これが今の若者たちというわけだ。……何がツイッターだ、何がラインだ、何がインスタだ。あぁ、嘆かわしい。何故現実を見ないで写真やコンピュータの中のモノに左右されるんだ? 実際に目で見て、触れて、嗅いで、聞いて、味わってみろ。そのうちAI(人工知能)に抹殺されてしまうぞ」
浅見は、鳥羽を説教すると言うより、独り言をぶちまける。
鳥羽は首を傾げて真代を見た。
真代がスマホを取り上げ写真を覗く。
「写真だと田んぼの稲刈りが済んどるけど、現実はまだ稲は刈られてないんちゃう? いま、七月やし」
簡単に説明してくれた。
「なるほど」とやっと鳥羽が納得。
「三千惠ちゃんがいる場所へ急ぐぞ」
浅見は再び車を発進させた。
スマホやパソコンという箱たちの中のインターネットという怪物には情報が溢れている。
真実も嘘も、どうでもいいことも……。
(こんなものに人の命を左右されてたまるか)と思いつつ、波のように押し寄せるとてつもない恐怖を打ち消しながら、ひたすらアクセルを踏む。
淀川沿いに暫く走り、淀川新橋を渡る。
少し走ると、安威川沿いに北上して行く。
「先輩、『古墳マニア』がつぶやきました。……『今から、久しぶりに会う歴史好きの仲間と待ち合わせです』と言ってます」
鳥羽が叫んだ。
「歴史好きの仲間というのは三千惠ちゃんのことやろか」
真代が心配する。
「たぶんそうでしょうね」
鳥羽は居ても立っても居られない。
「お前さんはアカウントを持っているんだろ?」
「はい」
「それは三富と繋がっているのか?」
「いいえ、仕事とプライベートは分けてますから。僕のプライベートのアカウントは会社の誰にも教えてません」
鳥羽は得意げに答えた。
「じゃ、『古墳マニア』に鳥羽と気付かれないようにつぶやけ」
「え? 何て言えばいいんですか?」
「お前さん、新聞記者だろ?」
「『僕も歴史好きで、西殿塚古墳の近くにいます。仲間に入れて下さい』というのはどうや?」
真代が一案を出した。
「さすが」
「言ってる暇があったら手を動かせ」
浅見に急かされ、鳥羽がスマホに書き込む。
「書き込みました」
「そっちはお前さんに任せるぞ」
浅見は、東海道本線の摂津富田駅前に車を停めた。
「三富は、三千惠さんを阿武山古墳に呼び出すと思われます。真代さんは、駅周辺を探して下さい。僕は駅の中を探します」
ひとしきり三千惠を探したが、有力な情報が得られない。
三富のツイッターも更新されない。
と、そのとき星野刑事から浅見の携帯に連絡が入った。
星野の調べによると、約三十分前に、三千惠はやはりJR京都線・新大阪発・京都行きの電車に乗ったことが確認された。
「そうですか」
電話を切った。
「……阿武山に急ぎましょう」
浅見は二人を乗せ、阿武山古墳に向かった。
阿武山に登る入り口は判りにくく、住宅街の狭い道をぐるぐる回り、やっと見つけることが出来た。
『阿武山』と書かれた小さな標識が無ければ、錆びれた小さな小学校の校門のような入り口。
薄汚れた門の脇には、『関係者以外立ち入り禁止』やら、『この先行き止まり』、やら『車両乗り入れ禁止』やらの看板が貼り付けてあるのだが、全て長い年月が経過して劣化し、かすれている。
門の周りも草が生え放題だ。
土曜日で『京都大学地震観測所』は休み。
門は閉まり、自転車のワイヤーロックのような鍵がかかっている。
観光客はおそらく入って来ないだろう。
しかし、浅見は門の脇の隙間をすり抜け、スタスタと坂道を上る。
「先輩、待って下さいよ」
鳥羽は追いかけるが、普段浅見の方が歩き慣れているからか、浅見の歩調にはかなわない。
「真代さんを頼む」
浅見は鳥羽に言い残し、一気に坂道を上って行った。
阿武山古墳は、通常の古墳のように盛り土がない。
地面にちょこんと置かれた『墓室』と書かれた小さなプレートが見える。
この目印が無ければ、樹木が生い茂った普通の山の風景である。
プレートの両脇に小さな花が飾られているが、造花である。
この山で唯一カラフルに感じられるのが、この造花である。
墓室の周りを杭と鎖で囲ってあるが、この鎖も赤茶に錆びて年月を感じさせる。
三千惠と三富が、古墳の奥の周溝と呼ばれる場所で対峙している。
「あなたなんですか? 十五年前に父を死に追いやったのは?」
三千惠が訊いた。
「マヌケで使えない男でした。……ノートを盗み出すのに失敗した挙句、事故死されました」
キャップを深く被り、ツバで隠れた三富の目は、狂気に満ちていて、焦点が合っていない。空を見ているようだ。
「……」
三千惠は怒りのあまり、目を見開いて呆然としている。
「あれじゃ、事業に失敗するわな」
クックックックと笑う三富。
「松江さんを殺したのもあなたなんですか?」
「ああ、僕の邪魔ばかりするから殺しました」
丁寧語なのが不気味である。
「質疑応答はここまでです。満足されました? さあ、ここからがメインイベントです。……と、その前にツイートしなくては」
『歴史好き仲間が増えてうれしいです。さて、今度は、どの古墳に行きましょうか』
三富はスマホでツイートした。
「さて、約束通り、ノートは持ってきていただけました?」
三富が訊いた。
三千惠がバッグから古びたノートを取り出す。
三富がゆっくり三千惠に近づき、そのノートを取ろうとする。
その時、三千惠が、隠し持っていたナイフで三富を刺そうとする。
しかし、三富はそれを予測していた。
瞬時によけると、三千惠が持っていたナイフを奪い、逆に三千惠に突きつける。
そして、三千惠のノートを取り上げ中を見る。
しかし、そのノートは三千惠の小さい頃の日記であった。
「ふざけるな! 本物のノートはどこにありますか?」
三富が笑みを浮かべながら恫喝する。
「三千惠ちゃん!」
息切れ混じりの叫び声が聞こえ、鳥羽が三富の視界の中に現れた。
「なんだ、鳥羽君じゃないですか」
続いて、浅見と真代も現れた。
「なんだ、どこかで会ったことある名探偵さんも一緒に連れて来ちゃったんですか?」
三富は笑いながら左の手で持ったナイフを三千惠の首にあて、盾とする。
「三富さん、やめて下さい」
鳥羽が叫んだ。
「驚いたなぁ。もしかして君が『エスケープ』君? 珍しく僕のツイートに反応するヤツがいるから、誰かと思ったら……。そっか、『えいすけ』だから『エスケープ』……。歴史なんて興味ないくせに……。まさかこの人、君の彼女ですか?」
三千惠に突きつけたナイフを揺らしながら、不敵に語る三富。
「うるさい、離せ!」
鳥羽が叫ぶ。
「間もなく警察が到着します。ノートと彼女は何の関係もない。どうか放してあげて下さい」
浅見は冷静に説得する。
「僕はただこの国の未来のため、考古学のため、歴史を正確に後世に伝えるために、行動しているんですよ。君たち、邪魔しないでもらいたい。邪魔をするのなら、この女を道連れにします」
三富の台詞のトーンが上がった。
「ノートなら、ここにあるわ」
真代が叫んだ。
「ここに、あんたの知りたいことが全部書かれてるわ」
バッグから義麿ノートを取り出し、三富に見えるように振りかざす。
「ノートを渡すから、三千惠ちゃんを離して下さい」
真代は涙声で訴える。
「では、こっちに投げて下さい。さっきは偽物でしたから、ちゃんと確認しなくてはね」
三富が淡々と命令した。
まるで昭和の二時間サスペンスドラマの取引場面のようだ。
真代が三富の足下に義麿ノートを投げる。
三富がノートを拾い、パラパラめくって見る。
「本物のようですね」
そこにパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
三富は咄嗟にノートを丸めてジャケットの内ポケットに突っ込み、三千惠にナイフを突きつけたまま、浅見たちをけん制する。
「そこから動かないで下さい。もちろん警察にも連絡しないで下さい。……彼女の命が惜しいなら」
三富は、三千惠の腕を引っ張り、阿武山古墳から南西方向に走って行く。
阿武山には何度も訪れ、道に慣れていて、人が通らない道を熟知しているのだろう。迷わず走って行った。
三千惠は恐怖で抵抗出来ない。
三富は、阿武山に近い住宅街の一角にあらかじめ用意しておいた車に三千惠を乗せ、逃走した。
浅見たちは、三富を追って山を駆け下りた。
阿武山の麓、車道が見える手前に、小さな赤い物体が落ちているのが見える。
近づくと、それは三千惠が『火祭り』で手に入れたお守り――。
『大松明の燃えさし。これをお守りにすると幸せになれるんやて』
と言っていた三千惠の笑顔がよみがえる。
鳥羽は、赤い袋に入った大松明の燃えさしを握りしめ、震えている。
「三千惠ちゃん!」
浅見がソアラに乗り込もうとすると、鳥羽が浅見を押しのけた。
「何するつもりだ!」
鳥羽が運転席に座ったので、慌てて助手席に乗る浅見。
真代も後部座席に乗る。
浅見の声も鳥羽には届かず。
鳥羽がエンジンをかけ、三富の車を追う。
阿武山に向かって来ていたパトカー数台とすれ違う。
逃走する三富の車。
それを追う浅見のソアラ。
「無茶はやめろ」
浅見は冷静に鳥羽を説得する。
「いやです。僕が三千惠ちゃんを助けます」
鳥羽はアクセルを踏み続ける。
「三千惠を助けて」
真代が呟いた。
「……熊野の神様。……健治郎さん、義麿祖父さん、義弘さん、みんな。どうか、どうか、三千惠を助けて下さい。どうか私の命と引き換えに……」
後部座席の真代は、目を閉じ、火祭りで手に入れた大松明の燃えさしの『お守り』を握りしめ、祈っている。
三富の車は、阿武山を離れてから今城塚古墳の脇の道を通り抜け、島本町方面へ突っ走る。
鳥羽が運転するソアラがそれに逸れないよう追いかける。
浅見の脳裏に、ある出来事が蘇った。
十数年前のあの時も、熊野古道で内田先生がソアラを駆り、大破した。
やはり熊野古道は浅見にとって相性が悪い場所なのだろうか。
「先輩は……、一連の事件に、三千惠ちゃんやお父さんが関わっていると知りながら、どうして僕に教えてくれなかったんですか?」
鳥羽が浅見を責める。
「お前さんに言ったら、予断を持って事件に接してしまうだろ。執筆する記事にも影響が出ると思ったからだ」
浅見が弁解した。
「ばかにしないで下さい。曲がりなりにも僕は新聞記者ですよ。公私の混同なんてしません」
鳥羽がまっすぐ前を見て運転を続けながら、真剣な眼差しで、助手席の浅見を怒鳴る。
「悪かった」
詫びる浅見。
「僕が怒っているのは、ちゃんと僕に教えてくれていれば、三千惠ちゃんの気持ちにもっと早く気付けたかもしれないってことです。もっと早く彼女を支えてあげられたかもしれないってことです。……こんな危険な目に遭わせずに済んだんじゃないかって……ことです」
鳥羽は浅見を責めつつ、自分の不甲斐なさを、いっそう責めていた。
ハンドルを握る鳥羽の手の甲に、悔し涙がポタポタと落ちる。
「大丈夫、熊野の神様が助けてくれはる」
真代が励ました。
浅見は星野刑事に連絡し、三富の車の車種と進行方向、三千惠が人質になっていることを伝える。
「くれぐれも三富を刺激しないようにお願いします」
浅見は星野刑事に念を押した。
車は島本町を越え、京滋バイパスに入った。
暫く走り、宇治市に入るとすぐ右折、国道二十四号線に入った。
「どこに向かってるんだ?」
鳥羽が叫んだ。
「おそらく紀伊路だ。熊野古道だ」
浅見が言った。
三富の車は和歌山市方面に向かって走って行き、ソアラは離れないようスピードを上げて追いかける。
「三千惠ちゃん、……必ず僕が助けるから」
けたたましいパトカーのサイレン音が聞こえる。
「三富を刺激するなって言ったのに、警察は何やってんだ」
鳥羽がイラつく。
浅見が後ろを振り向くと、京都府警のパトカーがソアラを追って来ている。
「京都府警には連絡が入ってないのか……。たまたまパトロール中のパトカーが、俺たちの車を、スピード違反で追ってきてるんだろう」
浅見が言う。
三富はそんなことお構いなしに、さらに車のスピードを上げ、運転もかなり荒くなってきている。
このまま行けば、三富が自らクラッシュしてしまうかもしれない。
そうなれば三千惠も無傷ではいられないだろう。
最悪の場合は、命に関わるかもしれない。
意を決した鳥羽がいう。
「先輩、真代さん、しっかり捕まっていてください」
真代はお守りを両掌ではさみ、目を閉じて祈り続ける。
「おい、何をするつもりだ」
その浅見の言葉を振り切るようにアクセルを踏み込む鳥羽。
グングン加速していく浅見のソアラ。
トップスピードに入った浅見のソアラは、三富の車を迫って行く。
そして、三富の車に追いつくと、そのまま右横を走り抜け、前へと出る。
すると、鳥羽はハンドルを左に大きく切り、ソアラを停止。
行く手を塞がれた三富は急ブレーキ。
車は大きなブレーキ音とタイヤの焦げる匂いを放ち、ソアラの左前側面にぶつかり停止した。
衝突部分から多少火が上がるのが見え、浅見、鳥羽、真代は間一髪でソアラから這い出た。
鳥羽はすぐに三富の車に向かう。
自ら三富の車を降り、走り逃げてくる三千惠。
「三千惠ちゃん」
「鳥羽さん」
抱き合う二人。
三富も車から降り、逃げようとするが、その前に浅見が立ちはだかる。
「どけ」
三富は浅見に襲いかかるが、その三富を浅見は腰投げで捕らえる。
「もうこれ以上、あなたが過去にやってきたジャーナリストとしての仕事を汚さないで下さい」
投げられた三富のポケットから落ちた義麿ノート。
それを拾い上げる真代。
「返せ! 『金の香炉』は俺のものだ」
と叫ぶ三富。
「こんなもんがあるからあかんのや」
真代が泣きながら叫ぶ。
「何が鎌足さんや、何が歴史的発見、金の香炉や。こんなもんがあるから健治郎さんもウチの人も死んでしもたんや。なあ、浅見さん、なんで私ら夫婦に子供がおらんと思います? 子供がおったら、またこのノートを語り継がなアカンやろ。そしたら、またいつか不幸が起こる。そう思たから私ら夫婦は子供を作らんことに決めたんです。こんな不幸の連鎖は私らの代で終わりにせなあかん。そう思たからです。……何が歴史や。考古学や。そんなもんより今、生きてる人の方が大事はなずやのに……」
真代は、燃えている車に、義麿ノートを投げ入れた。
「ああ……」
情けない声を上げる三富。
ノートは、黒い灰となって炎とともに舞い上がる。
『那智の火祭り』のように、まるでノートの中の魂たちが、炎によって清められ、本来ある場所に帰っていくようだ。
義麿の思い、森高教授の思い、そして藤原鎌足の思いが、空に昇って行く。
八十年に渡る長き恩讐が煙と化し、空へと消えていく。
その空を見つめる真代、浅見、鳥羽、三千惠。