【完結編 第五章】 火祭り
【完結編 第五章】 火祭り
浅見は、飛瀧神社の参道口に到着した。
『那智の火祭り』の見物客がごったがえしていて、駐車場もいっぱいだったため、ソアラは離れた場所に駐車してある。
三日前に、この場所で、自分がまさか八紘昭建の松江の遺体を発見するとは思ってもみなかった。
観光客たちは、ここで殺人事件が起きたことを、知っているだろうか。
報道では『警察は、自殺の可能性が強いと見ておりますが、事件性があるかどうか、慎重に捜査を進める方針です』と言っただけで、その後はニュースになっていない。
例の電話ボックスがある参道口の入口に、祭りの警備用テントが張られている。
『熊野那智大社 例大祭(那智の火祭り)警備総合本部』
という看板が置かれ、制服警察官があちこちに立っている。
この祭りを良い席で見物するため、早い客は早朝から場所取りをしているらしい。祭りのクライマックス『大松明による清め』が終わるまでは、見物客は移動する様子はない。
この混雑では、鳥羽と落ち合うことは出来そうもないので、浅見は一人、祭りを楽しむことにした。
この『扇祭り』通称『那智の火祭り』は、今年三月、重要無形民俗文化財に指定されている。
神武天皇が東征の際、熊野に上陸したときに那智の滝を見つけ、その滝そのものを神として祀った。
その後、仁徳天皇五(三一七)年に那智山中腹に社殿を造り、神々を遷した。
これが現在の熊野那智大社であり、那智の滝は別宮として飛瀧神社となった。
飛瀧神社の参道で、熊野の神々が遷った扇神輿を、五十キロもある大松明の炎によって清める、というのがこの祭りの意味である。
「うぉー」
毎年一万人近いと言われる見物客のどよめきと同時に、拍手が沸き起こった。
浅見がその方向を見ると、大松明の炎がいきなり目に入ってきた。
三十度を超える七月の暑さの中、木立ちの陰の中を、炎の朱が勢いよくメラメラと揺らめいている。
十二の大松明の炎が白装束の氏子たちによって、石段を上って行く。「ハリャ」「ハリャ」の掛け声が響く。
石段の脇にはロープが張られ、見物客がひしめき、皆それぞれスマホを掲げて動画を撮っている。
氏子たちは一列に並んで上って行くが、それぞれが担いでいる炎は、それ自体が命を持っているかのように、激しく暴れているように見える。一年間、ずっとこの日を待っていたかのように。
炎に宿った神が、火の粉となって飛び散り、まずは参道を清めているのかもしれない。
『火ばらい』と呼ばれる氏子は、日の丸が描かれた白い扇子を仰ぎ、火の粉を振り払う。度々水を口に含んで炎に吹きかけ、炎の勢いを調節している。大松明を担いでいる氏子が火傷をしないよう、体に水をかけてやる役目も担っている。
石段の上に上った先頭の炎から、順番に折り返して石段を降りて来る。それを繰り返しているうちに、いよいよ扇神輿がやって来た。
滝の姿を表した高さ6メートルの扇神輿十二体を、十二本の大松明が、迎え清めるのだ。
「浅見さん、こんな所でどうしたんですか?」
振り向くと、和歌山県警の星野刑事だ。
「星野刑事こそ」
「張り込みですよ。松江殺しの犯人が現れるかもしれませんからね」
星野刑事が周りを気にして小声で答える。
「犯人の手がかりが掴めたんですか?」
「松江の車から麻紐が見つかったでしょう。あれ、何と、この『火祭り』の扇神輿を作るときに使う特殊な麻紐と一致したんです」
扇祭りの準備は、実質六月末から始まる。
七月九日には、飛瀧神社で那智の大滝のしめ縄をはりかえる。
七月十一日には、『扇はりの行事』といって、十二体の扇神輿の組み立て作業をするのだ。
身を清めた白装束の、那智山在住の男たちが奉仕する。
扇神輿の本体は全体的に朱色で、那智の大滝をかたどった、檜の木枠。その本体に、日の丸扇を三十二本取り付ける。
扇は幸いを招き、悪しきを払うと言われている。
その扇の中心に鏡を取り付けるのに、特別な麻紐を使うのだ。
「ということは……、犯人はこの『火祭り』を手伝った人物だということですか?」
浅見は訊いた。
「その可能性は大きいですな」
星野刑事が答えた。
部下の杉本刑事がやって来た。
「星野さん、『扇はり』を担当した氏子は二十四人。全員、那智山在住の地元の男性たちです。年は二十代から六十代まで。職業も居酒屋の経営者から学生、理容師、無職など、バラバラです。えーと、その中で、今日の祭りに不参加の人物が二名おりました」
手帳のメモを見ながら、説明する。
「左利きの奴がいるか、ちゃんと確かめたんか?」
星野刑事が間髪入れず訊いた。
「はい、一人、三富という男性が左利きのようです。今日は急用で欠席しているようです」
杉本刑事が答えた。
「三富? もしかしてそれ、三富靖秋さんですか?」
浅見はとっさに尋ねた。
「はい、ご存知なんですか?」
杉本刑事が驚く。
「午前中、高槻市の今城塚古代歴史館で但馬館長に紹介されたんです。考古学に詳しくて……、星野さん、もしかすると、彼は……、彼の事を調べた方がいいかもしれません」
浅見は、両手を揉みながら、言った。事件捜査のヒントを?めそうなときのいつもの癖が出てきた。
「分かりました。その三富ちゅうのが、十五年前、居酒屋『みよし』で健治郎と交流があり、そのうえ、藤白神社で松江と一緒にいた『男』なのかどうか、ですね?」
星野に頼みたいことがまだあったはずなのだが、運悪く浅見の携帯いが鳴った。
まだ祭りは盛り上がっていて賑やかなのだが、周りの見物客は携帯の音には敏感に反応して、数人に一瞥された。
携帯をマナーモードにするのを忘れていたことに気づき、慌てて電話に出た。
星野刑事は浅見に目で合図し、杉本刑事とともに、人ごみの中に消えて行った。
「先輩、今どこですか?」
携帯に出ると鳥羽の声がリフレインした。最初の声がして、次に携帯の中から聞こえた。
最初の声の方を振り向くと、鳥羽と三千惠と真代がすぐそこに来ていた。
「やっと会えましたね」
三千惠が笑顔で浅見に駆け寄る。
「デート、すっぽかされたかと思ったわ」
真代は拗ねた真似をする。
「こんな大っきな松明を運ぶところとか、見れました? すごかったですよぉ。浅見さん、皆心配してたんですよ。無事到着してはるかなって」
三千惠はジェスチャー混じりで浅見に訊く。
「ぎりぎりで、クライマックスを見ることが出来ました。車を飛ばして来た甲斐がありました。この『火祭り』は、何て言うか、水と火の根源の神々に我々人間が動かされている、神聖な行事なんだという気がします」
「私も、神様が近くにいるような気がしました。……これ、浅見さんにあげます」
三千惠が、黒い木の欠片のような物を浅見に差し出した。
「何です?」
「大松明の燃えさし。これをお守りにすると幸せになれるんやて」
「いいんですか?」
浅見が受け取ると真代が小さな袋に入れてくれた。
「幸運のお守り言うから、皆のぶん手に入れるの大変やったんやで」
真代もハンカチに包んだものを浅見に見せる。
浅見が合流したことで、三千惠が急に上機嫌になったので、鳥羽がジェラシーむき出しで二人の間に割り込んできた。
「先輩のパートナーは、真代さんですからね。さ、夕飯食べに行きましょう。店はちゃんと予約してありますから」
その後、鳥羽が予約しておいた和食レストランに四人で移動した。
「先輩はじゃんじゃん飲んでいただいて結構です。宿もここから近いですから。僕は三千惠ちゃんと真代さんをきちんと家まで送り届ける責任がありますから、ウーロン茶にします」
鳥羽は、三千惠にアピールするが、とうの三千惠はあまり意に介しておらず、ガンガンお酒を飲み始めた。
四人は、那智勝浦の名産である新鮮なマグロの刺身や季節の料理を、堪能した。
四人の話題は、もっぱら『火祭り』の感想に終始した。
浅見はふと、元大毎新聞の三富靖秋と今朝偶然に会ったことを、鳥羽に報告しようか迷ったが、どうしても殺人事件のことに触れてしまいそうな気がして、敢えて避けておいた。
「ほな、鳥羽さん。レディ二人をちゃんと送ってってちょうだいよ」
夜も更け、お腹も満たされ、祭りを体験して満足した表情の真代がお開きの口火を切った。
鳥羽は車で真代と三千惠を海南市まで送り、田辺通信部に帰って行った。
鳥羽が取ってくれた宿に行くと、そこは、浅見が好きなタイプの落ち着いた雰囲気の旅館で、しかも部屋には小さな露天風呂が付いていた。
(鳥羽にしては気が利くな)
浅見は、今日一日のハードスケジュールの疲れから、風呂は朝にすることに決めた。
義麿ノートを読まないまま眠るのはいささか気が引けたが、そんなことも忘れるくらい一瞬で眠りについた。
翌朝、露天風呂に入る。
目の前には熊野灘が広がり、那智の山々が見渡せる。
温泉に浸かりながら、青い空と海と山を眺め、何も考えずボーッとしていたいのだが、昨日の三富の言動を思い出さずにはいられない。
仮に三富が松江殺しの犯人なら、何故、僕に『金の香炉』のことを話したのだろうか。
そのころ、田辺通信部の鳥羽は、まだベッドの中で熟睡していた。出社時間ギリギリまで寝ているつもりだったのに、いきなりのドアチャイムで、起こされた。
(相変わらず早起きだな、先輩は……)
「どうでした? 僕が選んだ温泉旅館は」
とドアを開けると、三千惠が立っていた。
「どうしたの? こんな時間に」
鳥羽は、ビックリして、一瞬のうちに様々なことが脳をかけめぐった。
(もしかすると、三千惠ちゃん、昨日のデートで僕の良さにやっと気づいて、好きになってくれたのか?)
昨夜、『那智の扇祭り』を見た帰り、鳥羽が運転して真代と三千惠を送ったのだが、田辺市の手前で、真代が突然車を降りると言い出した。
「忌引きももう終わりやし、いつまでも休んでたら気持ちが滅入るし、仕事せんと食べて行けんからね。田辺の家に帰るわ。適当なところで降ろして」
「じゃ、気をつけて。三千惠ちゃんは僕が責任持って送り届けます」
そう鳥羽が言って、鈴木家の前で真代を見送ろうとしたら、
「邪魔者が消えるんやから、うまいこと口説かなあかんで」
と、こっそり発破をかけられたのだ。
真代が車を降りて、海南市に着くまで、鳥羽は勇気を出して告白しようかと思ったのだが、ふと見ると助手席の三千惠はすっかり酔って寝息を立てていた。
鳥羽は紳士に徹して、三千惠を無事マンションに送り、ちょっと残念な気持ちで田辺通信部に引き返したのだった。
「浅見さんは?」
三千惠が訊いた。
「まだ、那智勝浦から帰って来てないけど……、今頃、温泉に浸かってるんじゃないかな」
三千惠が、自分ではなく浅見を訪ねてきたと判り、ガックリの鳥羽。
「松江さんの事件、その後どうなったんか聞こうかな思うて」
三千惠はあまり鳥羽には話したくない様子だ。
「今日中には帰って来ると思うけど……、どうぞ上がって」
鳥羽は部屋の中を見回して、三千惠に見られないように、干してある洗濯物の下着とか、散らばった雑誌などを大急ぎでクローゼットに押し込んだ。
鳥羽は、狭いリビングのソファに三千惠を座らせる。
ソワソワして何を話していいのか判らない。
リビングの端には二つの段ボール箱が置いてある。
ふたが半開きで、中に入っている大量のノートが見える。
「これは? もしかして宮司さんが浅見さんに渡したものですか?」
何気なく三千惠が鳥羽に訊いた。
「そうそう。鈴木さんのお祖父さんの義麿さんが残したノートで、今、先輩が預かって読んでる最中なんだ。字も小さいし、旧漢字とか、読むのが厄介そうだよね? 僕なんか一ページも読めないよ。でも先輩によると、今回の殺人事件を解決するヒントがあるらしいんだけど、本当かなぁ」
鳥羽が箱の中からノートを一冊取り出し、パラパラとめくって三千惠に見せる。
「もっと詳しく教えてもろてもいいですか?」
三千惠は鳥羽の傍らにグッと近寄り、上目遣いで訊いた。
「詳しくは知らないんだけど……、そう言えば、もう一冊あるはずのものが見当たらないって先輩困ってたな。そこに事件の真相が隠されているんじゃないのかなあ」
「ほんまですか?」
「ちょっと待ってて。美味しいコーヒー淹れるから」
三千惠が興味を示してくれて、鳥羽は機嫌よくキッチンに行き、インスタントではなく、お客様用に取っておいたドリップ式のコーヒーを淹れ始めた。
三千惠は、鳥羽が見せてくれたノートをペラペラとめくる。
ふと部屋の片隅に目をやり、驚きに固まる。
「あれって……」
鳥羽がコーヒーを持って来て、テーブルに置き、三千惠の横に座る。
鳥羽は三千惠と目を合わすことが出来ず、目線はソファの前のテレビに向いている。
「あの……、三千惠ちゃん。真面目な話なんだけど……、僕、ずっと前から三千惠ちゃんのこと好きで……、良かったら僕と付き合ってくれませんか」
鳥羽は意を決して、一気に告白した。
「ごめんなさい。私、帰ります」
三千惠は部屋を飛び出して行ってしまった。
鳥羽には、今何が起こっているのか理解出来ない。
今の今まで三千惠ちゃんと良い雰囲気だったのに……。
鳥羽はショックから再びベッドに潜り込んでしまった。
浅見は、『金の香炉』についての情報を仕入れるために、図書館を当たることにした。
旅館のロビーで聞いてみると、旅館から十分ほど歩いたところに小さな図書館があるという。
図書館の開館時間の九時に合わせて、旅館をあとにした。
あさイチでも、浅見の他に来館者がニ人いて、一人は高齢者でソファーに座って新聞を読み、もう一人は若い男性で雑誌を物色している。
浅見は、さっそく『日本書紀』を探し出し、奥にあったテーブル席に座って読み込んだ。
『日本書紀 巻第廿七 天命開別天皇 天智天皇』
夏五月戊寅朔壬午、天皇、縱獵於山科野。大皇弟・藤原内大臣及群臣皆悉從焉。
(天智八(六六九)年五月五日、天皇は、皇太弟・大海人皇子、中臣鎌足、群臣を伴い、山科野で薬狩りをした。)
是秋、霹礰於藤原内大臣家。
(秋に、鎌足邸に落雷があった。)
冬十月丙午朔乙卯、天皇、幸藤原内大臣家、親問所患、而憂悴極甚、乃詔曰「天道輔仁、何乃?説。積善餘慶、猶是无?。若有所須、便可以聞。」對曰「臣既不敏、當復何言。但其葬事、宜用輕易。生則無務於軍國、死則何敢重難」云々。時賢聞而歎曰「此之一言、竊比於往哲之善言矣。大樹將軍之辭賞、?可同年而語哉。」
(十月十日、天皇は鎌足邸に行き、積善余慶の数々を挙げ、望むところはと慰め励ますが、死期を悟る鎌足は「過分なお言葉、今はただ仏に従い彼岸に、葬儀は軽易に」と応えた。)
庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原内大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏。自此以後、通曰藤原内大臣。
(十五日、天皇は皇太弟・大海人皇子を遣わし、鎌足に『大織冠』と内大臣の位を授け『藤原の氏姓』を贈る。)
辛酉、藤原内大臣薨。日本世記曰「内大臣、春秋五十薨于私第、遷殯於山南。天、何不淑不憖遺耆、鳴呼哀哉。」碑曰「春秋五十有六而薨。」
(翌十六日、鎌足死去。)
甲子、天皇、幸藤原内大臣家、命大錦上蘇我赤兄臣奉宣恩詔、仍賜金香鑪。
(十九日に天皇は鎌足邸に行幸し、蘇我臣赤兄に恩詔を宣べさせ、金の香炉を与えた。)
浅見はやっとのことで『金の香炉』にたどり着いた。
確かに、六六九年、鎌足は天智天皇から、死の直前『大織冠』と『藤原の氏姓』を贈られ、死後『金の香炉』を贈られている。
義麿ノートをもっときちんと読んでいれば、『金の香炉』にもっと早く気づいていたのに、と浅見は反省した。
職業病とも言えるかもしれないが、浅見は『日本書紀』校正ミスに気づいた。
鎌足が天智天皇に『藤原の氏姓』を与えられるまでは『中臣鎌足』であるはずだが、『日本書紀 巻第廿七』では、『藤原姓』を与えられる前の『藤原』が数カ所見つかった。
文学研究者の間では『日本書紀』とは、こういうものだというのが周知の事実なのかもしれない。
続いて『藤氏家伝』も読み込み、『金の香炉』を確認した。
義麿がノートに書いていた通り、二つの文献に大きな違いは無かったと思う。
一九八七年、森高教授が残したX線写真などの解析結果が出たとき、
鎌足の棺やその周囲に『金の香炉』が見つかっていないことに、義麿はいち早く気づいていたのだ。
浅見は、義麿の洞察力に改めて感心した。
義麿は、京大在学中に太平洋戦争が勃発し、勉学より生きていくだけで困難な時代に翻弄されていたはずなのだ。
それなのに、困難を乗り越え、不動産業の合間に、研究を続けたのは、森高教授の成し遂げたかった思いを少しでも果たすのが自分の使命だと思ったからなのかもしれない。
次に、浅見は、『金の香炉』についての記事を探すことにした。
図書館の窓口で「阿武山古墳についての記事や論文を探したい」旨を話すと、「この図書館には無い」と言われた。
「そんなのパソコンで簡単に調べられますよ」
たまたま、浅見と窓口の職員の話を聞いていた先程の若い男性が、図書館に備えてあるデスクトップパソコンを指差して言った。
アナログ人間の浅見には、使い方が難しいのではないかとの先入観があったが、若い男性が優しく教えてくれた。
暫くは『阿武山古墳』『スペース』『記事』で検索したり、『記事』を『論文』に代えて検索したりして、ランダムに読んでいた。
考古学者、歴史学者、文学研究者の論文以外に、考古学好きの一般の人のホームページやブログなども続々と出てきた。
中には、自由に自分の好きな説を展開している人もいて、浅見は「なるほど、そういう考え方もあるのか」と思ったりする。
インターネットには情報が溢れている。
パソコンの前で、情報を自由に検索するのに慣れてくると、次第に怖くなった。
もしこのパソコンが、何らかのトラブルで使えなくなったら、どうなるのだろうか。
いや、サイバーテロで、世界中の情報が一瞬にして消えてしまったら、どうなるのだろうか。
今、目の前にあるインターネットの情報は、無限に近い。
後世に残すべき重要なものと、そうでないものが、混沌としている。
真実と嘘が混沌としている。
どの情報が自分にとって重要なのか、どの情報が自分の探しているものなのか、次第に判らなくなって、インターネットに支配されてしまうのではないか。
全ての情報が電子化されたら、出版社や新聞社や図書館や古本屋がなくなってしまう。
やはり、電子書籍より、紙の本が良い。
森高教授は実際に土を掘り、X線写真を撮り、後世に伝えようとした。
だが、情報は全てコンピュータに入っているから、考古学者はやがて土を触らなくなるのではないか。
人間が人工知能に依存して、学習・推論・判断などを任せてしまって何も行動しなくなるのではないか。
何も考えなくなるのではないか。
浅見は危機感を覚えながら、パソコン画面の検索結果をスクロールする。
過去に『金の香炉』について書かれた記事があった。
『古墳くらぶ 一九九四年 №5』
というpdfファイルで、古墳好きのサークルの会報のようなものかなと思ってクリックする。
一九八七年のX線写真の鑑定が終わり、専門家たちが『木乃伊は鎌足である蓋然性が高い』との調査結果を発表したことを受けての記事である。
大抵の新聞が、それを支持、大発見といった論調の記事だが、この記事は一線を画す内容である。
【阿武山古墳と藤原鎌足】
阿武山古墳が発見されてから、被葬者が藤原鎌足だという説は、いまや確証を得たかのように語られています。
しかし私は『中臣連御食子説』を唱えます。
その理由を記したいと思います。
阿武山古墳は、周溝内から発掘された須恵器から、七世紀第2四半期(六二六~六五〇年)に造られたと考えられます。
中臣御食子が亡くなったのは、六四〇年頃と考えられるので、時期もピッタリ合います。
一方、藤原鎌足が亡くなったのは、六六九年なので、時期がずれていて合致しません。
阿武山古墳の?(せん・墓室に用いられる煉瓦)についてです。破損した?の一部が、大阪府茨木市桑原周辺の七世紀第2四半期(六二六~六五〇年)の古墳に用いられており、阿武山古墳が造られた年代を反映しています。
阿武山古墳の冠は、天智天皇から鎌足に授けられた大織冠だと言われています。
ですが、御食子は、推古天皇から小徳冠が与えられています。
職冠は織布紫色の冠ですが、徳冠は?布緋色の冠です。
どちらのものなのか、現在残されている資料では判別出来ません。
金糸は冠にさす髻華や縁の用材だと考えます。
鎌足死去直後、天智天皇は『純金の香爐』を鎌足に授けています。
大織冠や玉枕以上に、この香爐こそ鎌足が彼岸への道、彼岸での祟仏に必要な物。
棺の中、あるいは石室内に入れられるべきだと思います。
阿武山古墳にこの香爐が見られないのは、被葬者が鎌足ではなく、御食子であるからと言えます。
壬申の乱のあと、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に遷都されます。
藤原氏も厩坂(うまやさか・奈良県橿原)に山階寺の機能を移し、新たに墓所を大阪府摂津三島(藤原氏の氏地)の阿威山に移しました。
このことが書かれているのは、多武峯寺関係史料のみです。
鎌足の遺体は『阿威山墓所』から『多武峯墓所』へ運ばれたのです。
阿武山古墳は昭和九(一九三四)年発見・発掘されましたが、石室内部が攪乱された気配は全くありません。
過去の地震で棺は棺台の一方にずれていましたが、棺も棺内の遺体、着衣、冠、玉枕は石室安置時の姿をほぼ留めていました。
この事実は、阿武山古墳は鎌足の墓『阿威山墓所』ではないということになります。
今後は『阿武山古墳鎌足墓説』と『阿武山古墳御食子墓説』を共に検討していただきたいと思います。
鎌足の墓は阿威山の一画に存在したことは『多武峯寺関係史料』に書かれています。
不比等たち藤原氏にとって鎌足は氏の始祖であり、師である。
その鎌足の墓の位置は、阿武山古墳(御食子墓)より高い阿武山山頂に近い南斜面を選び、北に『御食子墓』、南に『鎌足墓』と、二つ並んでいたのではないかと思います。
多武峯墓に移葬された後、阿威山墓は完全に更地にされたのかも知れません。
最後にこの阿武山古墳についての私の願いを記したいと思います。
昭和九年当時、石室の外に出された棺や遺体や物は外気に触れたため、急速に劣化しました。
そのまま石室に戻され、六十年が経とうとしています。
一九三四年以降、考古学や科学は発展し続けている。
新しい科学的分析をすれば、また新しい発見があるかもしれない。
それを未来に伝えることは可能だと思います。
早急な調査をお願いしたいと思います。
この執筆者は考古学に造詣が深いに違いない。
浅見は、スクロールして執筆者の名前を確認する。
『三富靖秋』
驚くよりも、「やっぱり」という気持ちが強い。
ただ、この膨大な情報の中から、この記事が出て来てくれたのは、何か偶然とは思えない因縁を感じるのだった。
この鋭い指摘である記事が、何故、WEB上の人目につかない場所に埋もれていたのだろうか。
浅見は、ジャーナリスト・三富靖秋の情報を徹底的に探し出すことにした。
三富が書いた記事や、三富のことを書いた記事を中心に検索する。
ネットには明らかにガセネタも含まれていることは承知の上。
しかし、それらを集めて読むことによって見えてくることもあるだろう。
――三富靖秋、1955年、和歌山県東牟婁郡出身。京都大学文学部卒業。
大毎新聞には中途採用で入社。それ以前の職業は不明。
大毎新聞和歌山支局を経て、東京本社に異動。
三富の記事は、鋭い視点で権力者の嘘を暴き、弱者の現実を訴える内容が多い。
さまざまな記事の中から、意外な内容の文章に行きあたった。
【ジャーナリスト三富靖秋が風林社を干されたワケ】
という過激なタイトルである。
三富は大毎新聞に入る前、風林社という出版社にいたらしい。
そこで、上司にスクープネタを何度も握りつぶされた。
ネタの内容は、大手人材派遣会社の偽装請負事件や、横領事件、リストラ促進事件など。
三富は、多方面から綿密に取材し、ネタには自信を持っていたが、上司の陰謀で記事を公にすることを拒否され、それどころか危険人物として扱われた。
「三富は嘘をついている」
「三富はデマを流している」
と言われるようになった。
取材を制限され、会社の圧力により、さまざまな場所を出入り禁止にされた。
風林社は、大手人材派遣会社には楯つくことが出来ない。
何故なら、大手人材派遣会社の会長である人物が、参議院議員で、内閣府特命担当大臣であるからだという。
やがて三富は、風林社内で仕事を与えられなくなり、うつ病を発症。
居場所がなくなっていき、退職した。
この文章は、数々の大手企業の評価をする口コミサイトで見つかったものであり、誰でも書き込める。
おそらく、三富の退社事情を知っている人物が、匿名で書き込んだもので、真実かどうかは分からない。
三富は退職して一年後、大毎新聞文化部に入った。
和歌山市局で鳥羽の上司になったのは、その二十年後ぐらいだろう。
和歌山市局での、古墳や遺跡の取材を通して、考古学に目覚めたのだろう。
今城塚古代歴史館の但馬館長が言っていたように、ジャーナリストとして、地元の人たちに信頼されていたようである。
その後、鳥羽が言っていたように、東京本社に異動になった。
三富の転職前と転職後の記事は、扱う事件や内容が全く違うのだが、どこか一貫している。
世間の一般的な意見に異論・反論・疑問を呈すような内容が実に多い。
新聞、テレビ、雑誌などメディアの作る、論調が一元化してしまっている流れに、敢えて逆らっているように見える。
「今はこういうことになっていますが、こんな見方もありますよ」と、社会に警鐘を鳴らしているように思える。
三富の『阿武山古墳と藤原鎌足』の記事を印刷し、何度も読み返してみる。
すると、めずらしく鳥羽から呼び出しの電話があり、『浜屋』で落ち合うことにした。
那智勝浦から田辺へ向かう海岸沿いの道は、熊野古道の大辺路と呼ばれる。
昔苦労して熊野古道を歩いた人々のことを思うと、浅見は車で簡単に何度も行き来してしまって、申し訳ない気がする。
そんなことを思いながら『浜屋』に到着。
鳥羽にしては珍しく、日が落ちる前、こんな早い時間から一人で酒を飲んでいた。
「飲むにはちょっと早いんじゃないか? 何かあったのか?」
浅見は、ヤケ酒だと気づき、丁重に尋ねた。
「先輩のせいですよ」
「俺が何かしたか?」
「今朝、僕の部屋に三千惠ちゃんが来たんですよ」
「ほう、進展したのか」
「先輩に用があるって……」
「何の用だって?」
「殺人事件について、その後何か判ったのか、聞きたいって」
「それは……、まだ何とも言えないが……」
「先輩、もういい加減にして下さいよ。牛馬童子事件や八軒家事件があって、そもそも先輩に助けを呼んだのは、僕ですからね。自分だけで事件を解決しようと思わないでほしいな」
鳥羽は焼酎をあおってから、一気に怒りをぶちまけた。
浅見は、一瞬言葉に窮したが、話すことにした。
「お前さんの上司だった三富靖秋さんというのは、どんな男だ?」
浅見は訊いた。
「マジメな記者です。前にも言いましたけど、田辺通信部に来たばかりのとき、色々と教えて貰ったり……。三富さんがどうかしたんですか?」
「一連の事件に関与している可能性がある」
浅見は思い切って鳥羽に告げた。
「えっ? 冗談でしょ? 事件に関係してるなんて」
鳥羽の驚く声があまりにも大きかったので、数人の客の視線が、浅見たちに集まった。
「実は昨日偶然、三富さんに会った」
「えっ? 三富さんは東京本社ですよ」
「定年退職して、こちらに戻ったそうだ」
「そんなはずないです……。まだ五年あるはずです」
「実質、自主退社みたいだ」
「そんな……。それで、事件に関係あるっていうのは、どういうことです?」
鳥羽は、飲んだアルコールが一気に蒸発したかのように、真顔で訊いた。
「お前さん、かなり酔ってるから、部屋に帰ってから話そう。他人がいない所でないとな」
浅見は、会計を済ませ、鳥羽をソアラに乗せて、田辺通信部に向かう。
部屋に着いて、落ち着いたところで浅見は鳥羽に話し始めた。
昭和九年当時、発見された木乃伊の棺からある物が持ち出された。
『金の香炉』だ。
それがどこかに隠されている。
そして、その『金の香炉』を巡り一連の事件は起こった。
十五年前の牛馬童子事件も、今回の牛馬童子事件も……。
八軒家での鈴木義弘さん殺しも、那智での松江殺しも……。
すべては繋がっている。
そして、その首謀者が三富さんである可能性がある。
お前さんには酷な事で言いにくかったが……。
「あり得ない。三富さんに限って」
鳥羽は、人として考えても、冷静になって新聞記者として考えても、『三富』と『殺人』を結びつける欠片さえ、自分のデータの中に見つけることが出来ない。
「もう少し詳しく教えてください」
鳥羽は浅見に要求した。
「今、三富さんのことを警察に調べて貰っている。詳しいことはそれからだ」
鳥羽には申し訳ないが、詳しく話すとなると、三千惠のことをどうしても話さなければならなくなる。
今の浅見にとっては、ここまでで精一杯だった。
二人の間にしばらく沈黙が続いた。
浅見はいたたまれなくなって、キッチンに立ち、インスタントコーヒーを淹れた。
二人分のコーヒーをテーブルに置くと、鳥羽が部屋の片隅の本棚に手を伸ばし、写真立てを取って見る。
「あの優しい三富さんが……、殺人だなんて……、絶対に何かの間違いだ」
写真を見つめる鳥羽の目から涙がこぼれる。
浅見がその写真を見る。
「昔の取材旅行のときの写真です」
鳥羽が涙を拭いながら、浅見に写真を見せる。
「そうか……、そうだったのか」
浅見は、写真の中の三富を見て、両手を揉みながら声をあげた。
またしても、事件捜査に何かヒントが?めそうな時に出る癖が出た。
「先輩、どうしたんですか?」
「三千惠ちゃんに電話を掛けてくれ」
「えっ? 嫌ですよ。昨日、フラれたばっかりなのに電話なんて出来ませんよ」
「振られた?」
「あ~、昨日のことを思い出す。忘れようとしていたのに。昨日、ここに三千惠ちゃんがいたなんて遠い昔のようだ。あ~あ、告白なんかしなきゃよかった」
後悔している鳥羽。
「昨日、三千惠ちゃんはこの部屋にいた?」
「そうですよ。まさに先輩が今座っているその位置に三千惠ちゃんが座っていたんです」
なげやりに答える鳥羽。
「すると、三千惠ちゃんは、この写真を見たのか?」
「さあ? 僕はコーヒーを淹れるためにキッチンの方へ行ったから判りませんが、見たのかもしれないですけど……。それまでいい雰囲気だったのに、キッチンから戻って来て、思い切って告白したのに、いきなり出て行っちゃったんですよ……」
「三千惠ちゃんに電話しろ」
「いやですよ。何なんですか、先輩。自分ですればいいじゃないですか」
「いいから、かけろ」
「先輩、もう放っておいて下さい。三千惠ちゃんはきっと先輩のことが好きなんですよ。先輩は背も高いし、イケメンだし、育ちも良いし、歴史に強いし、何と言っても名探偵だし、三千惠ちゃんが好きになるのは当然ですよ。だから今朝も、三千惠ちゃんは僕じゃなくて先輩に会いに来たんですよ。僕はとんだキューピット役だったってわけだ。もう僕の人生おしまいだ」
鳥羽はアルコールが入ると絡み癖があるのか、女々しくなり、不貞腐れが止まらない。
「お前はフラれたわけじゃないかもしれない」
「やめて下さい。この期に及んで慰めなんて、いりません」
「彼女が出て行ったのには、別に理由があるんだ」
「えっ? どういうことですか?」
「電話をかければ判る」
鳥羽は、渋々、電話をかけようとする。
すると、その時、浅見の携帯が鳴った。星野刑事からだ。
浅見は、鳥羽に「すまん」と言って、携帯に出る。
「浅見さん、三富の裏が取れました」
星野刑事は言った。
「そうですか」
何だかんだ言っても、日本の警察は仕事が早い。
「十五年前、竹島健治郎と懇意にしていたのは、三富で間違いない。今回、藤白神社付近で松江と一緒にいたのも、三富で間違いない。一連の犯人は、おそらく三富で間違いないです」
星野刑事は興奮している。
「分かりました」
「あと、三富は退職して東京から和歌山に戻り、那智勝浦に潜伏していたようなんですが、足取りが掴めなくなりました。警察の動きに気づいて行方をくらましたんでしょう。浅見さんが会ったという高槻市の今城塚なんちゃら歴史館にも当たったんですが、残念ながら……」
「そうですか。至急、何とか居場所を突き止めて下さい」
電話を切ってから、嫌な想像が、浅見の頭をよぎった。
浅見は意を決して、鳥羽を見据えた。
「今から話すことを、どうか最後まで聞いてほしい」
浅見は、鳥羽に事件の構図を語ることにした。
鳥羽は酔いがすっかり醒めたようで、コーヒーをすすり、姿勢を正して聴く態勢になった。
十五年前、三富は、ある男性から、義麿ノートに『金の香炉』の在り処が書かれていることを聞かされ、そのノートを奪おうとした。三富はその時、その男性の娘を誘拐し、男性にノートを奪ってくるよう脅した。
しかし、男性はノートを盗み出すことを失敗した挙句に事故死してしまった。
ノートは喉から手が出るほど欲しかったが、ヘタに動けば事故死の真相や自分の存在が表面化する恐れがあると思った三富は一旦、手を引き、静観することにした。
そうこうするうちに長い年月が経ち、三富は東京本社に異動になった。
だが、この6月に定年退職をし、自由な時間が出来た。
また、以前の計画から十五年が経過し、事故死の一件も風化していたため、再びノートを奪おうと動き出した。
しかし、義麿はすでに死んでいる。息子も死んでいる。
もしノートがあるとしたら孫の鈴木義弘が持っているに違いない、と考えた。
そこで三富は義弘さんに接触した。
最初は客を装い、世間話のように『昭和九年に発掘された木乃伊のこと』を話題に出したのだろう。
そして徐々に、義麿がその発掘に立ち会っていたことなどを話題にし、ノートの在り処を探ろうとした。
だから、義弘さんは呟いたのだろう――『今頃になっておかしなことを……』と。
しかし、三富の思惑通りに事は進まず、義弘さんはなかなかノートについて話そうとしない。
そこで三富は、義弘さんに近い松江を仲間に取り込んだ。
松江ならノートの情報を引き出し、義弘さんからノートを盗み出すことも出来るだろうと。
すると、それまで義麿さんや木乃伊のことを口にしなかった松江が、そうしたことを口にし始めたため、義弘さんは、松江が三富と繋がっているのではないかと疑念を抱き、松江を追及した。
松江は否定しただろうが、松江への信頼をなくした義弘さんは、帳簿もチェックした。
すると、経理が誤魔化され、会社の金が横領されていることが判明した。
義弘さんは松江を警察に訴えることにした。
それを知った松江は義弘さんを殺害してしまった。
これを知り、驚いたのは三富だ。
三富にとってはノートさえあればいい。
殺してしまったら警察も動き出し、却って動きが取り辛くなってしまう。
第一ノートの在り処も判らなくなってしまう。
憤怒した三富と松江は衝突し、仲間割れを起こした。
しかし、すでに義弘さんを殺してしまった松江は警察の手が回る前にノートを見つけようと焦り、海南市の鈴木宅へと侵入し、ノートを探した。
だが、ノートは見つからなかった。
秘密裡に事を進めたかった三富にとって、次々と荒っぽい手段をとる松江はもはや邪魔な存在でしかなくなった。
このままでは自分の存在も明らかになってしまう。そう思った三富は、自殺に見せかけて那智で松江を殺したのだ。
浅見は淡々と一気に語ったので、鳥羽はしばらく自分の脳の中で登場人物を映像変換して一生懸命理解しようとしている。
「では、『島本』というのは一体、何なんですか?」
さすが新聞記者、鳥羽が、ちゃんと要点を押さえた質問をする。
「俺が鈴木義弘さんの事件のことを調べていると知った松江は、俺の意識を、自分や義麿ノートや阿武山古墳から逸らすために『島本』という男の名前をでっち上げたんだろう。さらに、その後、阿武山古墳とは逆方向にある『島本町』の名前を挙げることで阿武山古墳から逆方向に目を向けさせたんだと思う」
「でも、その後、松江は自ら先輩に連絡をしてきて、地震観測所のことを話しましたよね? それはどうしてです?」
「義弘さんを殺害後、松江は義麿ノートを見つけられずに焦っていた。そこで、逆に俺を利用する事にした。地震観測所の付近が、かつて鈴木家所有の土地であることを知れば、そこから昭和九年の木乃伊発掘や、それを綴った義麿ノートの存在、さらには『金の香炉』の隠し場所に、俺が気付くのではないかと考えたんだろう。そして、俺が見つけた後にはそれを奪おうと計画したんだろう。何しろ松江はすでに義弘さんを殺害していたのだから、もはや手段を選ぶ余地はなかったはずだ。松江が鈴木家に空き巣に入ったのは、葬儀で留守になっている状態を見逃す手はないと思ったからだろう」
浅見は、いよいよ本題に入らなければならず、改めて鳥羽を見据えた。
「とにかく、三千惠ちゃんに連絡しろ」
「さっきから言ってますけど、どうして彼女に連絡するんですか? 僕のことならもういいですよ」
「バカヤロー。お前のことなんかどうでもいいんだ。さっき言っただろ。十五年前に誘拐された娘がいたって。あれは彼女のことだ」
「えっ?」
「彼女は六日前、藤白神社の境内で、松江と一緒にいた男が、かつて自分を誘拐した男かもしれないと言っていたんだ。それが三富かどうか確認するんだ。昨日、おそらく彼女はこの部屋で、この三富の写真を見た。だから、思わず飛び出していったんだ」
「じゃあ、本当に僕に嫌気がさしたわけじゃないんですね?」
「いいから早く電話しろ」
浅見は、このじれったい時間が、三千惠の命を左右するかもしれないという予感がして、鳥羽を急かした。
鳥羽はスマホを取り出し、三千惠に電話してみるが、繋がらない。
「繋がりません」
いつも冷静な浅見の焦り具合が、鳥羽を焦らせた。
「真代さんに連絡してみろ。三千惠ちゃんがどこにいるか知っているかもしれない」
鳥羽はすぐに真代に電話した。
真代はすぐに電話に出た。
「三千惠ちゃんが、今どこにいるか知りませんか?」
「それが……、さっきから電話してるんやけど、出えへんのよ」
「やっぱり」
鳥羽が落胆し、浅見に目で合図した。
「三千惠ちゃん、今日、突然、藤白神社を辞めさせて下さいって、大谷宮司に言ったらしいんや。ほんと、どないしたんやろ。事情を知りたいと思て、何度も何度も連絡してるんやけど、全然出てくれへん」
真代も心配している様子だ。
「彼女から連絡があったら、すぐ僕に電話して下さい」
鳥羽は電話を切った。
浅見は自分が冷静にならなければ、と何とか口を開いた。
「彼女は、もしかしたら……、自ら三富に復讐をしようとしているのかもしれない」
「そんな……。何とかして下さいよ、先輩」
鳥羽が浅見の胸倉を掴んで、懇願した。
浅見は、星野刑事に連絡する。
事情を話し、三千惠の捜索を頼んだ。しかし、三千惠が三富を殺そうとしているという想像だけでは捜査員を動かせない。
第一、三富が犯人だとの証拠はまだ見つかっていない。
浅見は「判りました」と電話を切った。
そして、最後の手段に打って出た。
「もしもし、兄さん、お願いがあるんですけど……」
浅見は兄の陽一郎に電話した。
「一刻を争うため、詳しくは話せないんですが……」
事件の概要を話し、三千惠の捜索を頼む。
「光彦が、自分から頼んで来るなんて、よっぽど切羽詰まった状況なんだと判るよ。私は光彦を信じてるから、手を貸すことにします。ただ、今回が最初で最後だと思いなさい」
「ありがとうございます、兄さん」
浅見は少しだけホッとして電話を切った。




