主
四つ目の階層には、何も居なかった。その代わり、大きな扉が僕たちの前にそびえ立っていた。
「分かりやすいね」
「そうだね、恐らく、ここが主のいる部屋だ」
腑に落ちない。それが正直な感想だ。
ついさっき、半日でたどり着けるくらいだと思ったばかりで、半日どころか四時間で着いてしまった。確かに、半日以内という条件には見合うかもしれないが、いくらなんでも短すぎる気がする。
いくら考えても仕方がないのかもしれないが、どうしても踏み込むのに躊躇してしまう。
思考のループに陥った僕の肩を、アキが呆れた表情で叩いた。
「ここまで来て、躊躇してもしょうがないよ、ハル」
呆れた声に、僕は目を丸くする。確かに、ここまで来たら、戻るって選択肢はない。どのみち進むなら迷う意味も、躊躇う意味もない。あとは覚悟を決めるだけだ。
「……ごめん、行こう! 」
「うん! 」
僕たちは、扉の先へと進む。
扉の内側は真っ暗で何も見えない。考えて見ると、ここまでも灯りという灯りが無いのに階層内がよく見えていた。あれはどういう原理なんだろう。
そんなことを考えていると、重苦しい音を立てて、ひとりでに扉が閉まった。
そして、部屋を囲うように、幾本もの蝋燭に火が灯った。
部屋は円状になっていて、奥には、祭壇のようなものがある。祭壇の中心には、箱のようなものが設置されている。恐らく、あれがレアな道具とやらなのだろう。
それにアキも気がつき、近づこうとしたその時だった。
「……ッ!アキッ!危ない! 」
アキの頭上に、何かが落ちてくる。僕は咄嗟にアキを押し倒し、落下地点からずらす。
それはずーんと、重々しい音を響かせながら降り立った。その姿は、ツベルクが筋力を増やし、巨大になったかのような姿だった。
「あれは……、グロース!? 」
グロースはツベルクの変異種であり、完全上位種でもある。頭脳も魔力も数段上がっており、簡単なものなら、魔法まで使える。こいつを狩るためには、王国の魔法騎士団が十人ほど必要だと、ログの村の神父様が言っていた。
あれだけ徐々に難易度を挙げていたのに、いきなりこんな怪物が出てくるなんて、このダンジョンを造ったやつは何考えてるんだ!と、怒鳴り散らしたい衝動を抑えて、慌てて立ち上がる。
「アキッ!何とかしてここを出よう!あれはやばすぎる! 」
僕の狼狽っぷりに、事の重大さを察してくれたアキは、すぐに行動に出る。風の壁で僕たちが扉の前に行くまでの道を区切った。これなら、襲われる前に扉までたどり着けるだろう。
そう思った時、突如として、グロースが大剣を振り上げた。
「ガァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!! 」
叫び声と共に、魔法で炎を纏わせた大剣を振るい、風の壁を紙切れのように切り捨てた。そして、もう一度大剣を振るい、僕たちの方へ横一文字の炎を飛ばしてくる。あまりのでかさに、今から避けはじめても間に合わない!そう思った時、アキが既に気流で炎を上方へ反らしていた。壁に突き刺さった炎は消えずに、その熱量放出している。
自然にある属性には優劣がある。炎は風よりも優位にあり、先ほどグロースがやったように、炎を使って風を断ち切ることは容易い。けれど、逆に風に沿って動きやすいから、炎を誘導するには最適だ。それをアキも、グロースも、理解している。
そう感じたのは、グロースの移した次の行動を見たためだ。グロースは、上空へ飛び上がり、巨大な炎の塊を祭壇側から撃ち放った。これを避けるには、後ろへ反らすしかないが、後ろには扉がある。あんな炎が燃え盛っていたら、扉には近づけない。仮に、正面から受け止めたら、力負けする。横に反らしても、僕たちに近すぎてダメージを受ける。
どの選択もやばい。それに、こんな一瞬で最適な答えなんて出せるはずがない。
アキは僕が指示を出す前に、気流を使って炎を後ろへ反らした。当然、後ろにあった扉の前は炎で覆われてしまった。
これで退路は絶たれたな……。
そう考えていると、アキが僕に謝ってきた。
「ごめん、ハル……」
「いや、ナイス判断だよ、アキ」
アキが謝っているのは、そういうことじゃないのはわかっていた。けれど、今にも泣きそうな顔のアキの前で、そんなこと受け入れられない。僕たちの冒険は始まったばっかりなんだ。
絶対に生き残ってやる……。
そう覚悟を決めた僕は、手でアキに下がるよう合図を出す。
作戦はこれまでと同じだ。僕が前に出て、アキがサポート。
やるしかないんだ。
僕は震える足を叩き、両手に短剣を握りしめ、グロースへ向かって駆け出した。
目の前に近づくと、その大きさが嫌ってほどに分かる。全長は僕の三倍以上。横幅は倍くらいの大きさだ。大人と幼子くらいの体格差がある。一撃食らったら終わりだ。
ありったけの魔力を機動力に変えて、グロースの一振りを躱す。耳許で死を告げる轟音が通りすぎていく。全身から冷や汗が吹き出し、本能がヤバイと警鐘を鳴らす。
それでも、生き残るために、勇気を振り絞って、短剣を振るう。グロースが腹を引っ込め、短剣は空を斬る。
僕は構わずに懐へと潜り込み、さらに短剣を振るった。
これだけの体格さだ。懐にさえ居れば、大剣を当てられる事はない。そう考えて、ガンガン踏み込み、短剣を振るっていく。正直恐い。懐から叩き出そうと、ハエを叩くように腕を振ってくるが、一発一発の音が本当に恐い。蚊や蝿はいつもこんな気分なんだろう。あまりの恐怖に、現実逃避気味に思考が流れていく。
だめだ……!
頭まで止めてどうするんだ……!
そう自分を叱咤して、グロースをよく観察する。どんな些細な異変も見逃さないように。
そして、それは突如としてきた。
グロースは大剣を逆手にとって両手地面に突き刺した。その瞬間、地面からグロースの周りを囲うように炎の柱が登った。
間一髪の所で、炎から逃れられたが、グロースから引き離されてしまった。次は易々と懐へ踏み込ませてくれないだろう。
それにーー、
「……っ!ハルっ!足がっ! 」
「……うん、わかってる」
炎の柱が、左足の太股を掠めた。あの炎は、熱いじゃなく痛いで、燃えるじゃなく削るだ。
太股には扇形の傷跡が残った。だが、幸い血があまり出ていない。削れた表面が焼けたからだ。
ほんのちょっと脚を曲げただけで、内側から何本もの針を刺されたような痛みに、冷や汗が滝のように流れていく。けれど、脚を止めたら、待っているのは死だ。無理でも何でも、動かすしかない。
自分の状態を確認している間に、グロースが炎を消して姿を表した。
その目には、ただひたすら獲物をかるということしか無いように見える。
少しは油断とかしてくれないかな……。
やけくそな思考が頭掠めるが、すぐに追いやって、次の作戦に移る。
「アキッ!掌サイズの丸い風壁を、あいつの回りにいくつか造ってくれ! 」
アキは僕の指示をすぐに実行し、風壁を造り出す。
それができると同時に、僕は駆け出した。
そして、一番近くの風壁を蹴って、その衝撃を利用し、さらに加速する。
そのまま、グロースを斬りつけ、次の風壁へと跳ぶ。
地面に着地することなく、風壁から風壁へとどんどん加速しながら、移っていく。もちろん、すれ違う度に、グロースを斬りつけていく。
風壁から衝撃を受ける度に、どんどん痛みが大きくなる。
何度も何度も斬りつけていくと、グロースは腕と足で体庇い始めた。グロースの傷が増えていく。僕の痛みが増していく。これは我慢比べだ。どちらがさきに、痛みに耐えかねて顔をあげるかの。
先に顔をあげたのはーー、
「……うおぁぁあああ! 」
「ガァァァアアアッ!! 」
グロースの方だった。痛みで、ガードしていた腕が少しだけ下がったのだ。僕はそれを見逃さず、空いた隙間からグロースの右目を斬りつけた。
すかさず追撃しようとしたが、僕の足も限界が来ていた。がくりと崩れ落ち、方膝をつく。
「ハルっ! 」
「来ちゃダメだッ! 」
慌てて駆け寄ってこようとするアキを、慌てて制止する。
アキには、グロースの魔法を何とかしてもらわないといけない。そのためには、不用意に奴に近づくべきではない。
僕は痛みに耐えながら、立ち上がる。
「大丈夫だから、アキはあいつに集中して」
「……うん」
グロースは未だに右目を抑えて、絶叫していた。そして、絶叫が鳴り止み、ほんの刹那の静寂に包まれる。
その直後ーー、
「アキッ!逃げろッ! 」
それは一瞬のことだった。グロースは僕を睨み付けたふりをして、アキに向かって炎の塊を放った。それは、アキの前方で爆発し、爆風でアキは壁に叩きつけられ、気を失ってしまった。
アキが気流の操作を誤ったのではなく、最初から、アキの前方に炎を放ったのだ。炎を反らすための気流では、爆風をかき消すことはできなかった。
「クソッ! 」
アキが倒れたことに気が動転し、グロースを意識から外してしまった。
グロースは炎を放ってすぐに、僕のもとへと近づいていたことに気づけなかった。それは致命的だ。
グロースが僕の頭めがけて大剣を振るう。咄嗟に、短剣を交差させ、大剣の軌道をほんの少しだけずらすが、直撃は避けられなかった。僕の脚は地面から離れ、アキの近くへ吹き飛ばされる。
頭からは大量の血が流れだし、意識が朦朧とする。左肩は脱臼して、上手く動かせない。
血で霞む視界に、倒れるアキの姿が映る。
それを見て、死なせたくないと、腕を地に突いて、痛みに耐えながら体を起こす。
本当にやばい。幸い、グロースは僕たちがまだ立ち上がるのか伺っているようだが、何もされなくても死にそうだ。
……死……。
そうだ、これは罰だ……。
俺が、あの時殺した……。
朦朧とした意識の中で、アキの姿を視界に入れる。
俺が死ぬのは仕方ない。自業自得なのだから。
けれど、アキは、アキは違う。
確かにここに来たのは、アキに連れられて来たからだ。けれど、俺がここの危険性をちゃんと言い聞かせていれば、アキも解ってくれたはずなんだ。それをしなかったのは、俺が自惚れていたからだ。何とかなると。二人なら、何とでもなると。だから、アキだけは。アキだけは絶対に死なせない。
血が大量に流れ、意識は薄れていくが、頭はどんどん冷えていく。ふと、グロースの目があった瞬間、グロースがピクリと震えた気がした。
僕は左脚を引きずって、グロースへと近づいていく。
グロースは鼻息を荒げ、何かの限界が来た瞬間、俺めがけて大剣を突きこんできた。
あの時、あの女性は……。
俺は右手にもった短剣を使って、あの時の模倣をする。
避ける力なんて残って無い。だから、最小限の力で、相手の力を利用して、後方へ流す。
キィンと、金属が擦れる甲高い音と共に大剣が俺を避けた。
けれど、その衝撃を全て流すことができず、また吹き飛ばされる。
……もう一度……。
俺は再び地に手を突いて立ち上がる。端から見たら、その姿は亡霊のようだろう。
しかし、そんなことは、今の俺にはどうでもいいことだ。
俺は左足を引きずり、グロースに近づいていく。
それを嫌がるように、グロースは大剣による突きで、俺を足止めをしようとする。
……もう一度、もっと柔らかく……。
先ほどよりも体の力を抜いて、相手の力だけを使って、あの技を再現する。
しかし、やはり衝撃を殺しきれず、三度後ろへ吹き飛んでいく。
……タイミングが遅い……。
……もっとよく視るんだ……。
何度でも、立ち上がり俺はグロースに立ち向かう。
最早、なぜこんなになってまで繰り返すのか。その理由すらも置き去りにして、俺は脚を動かす。
俺が近づくことで、グロースはやはり俺を遠ざけようとする。三度目の突きが繰り出された。
……グロースの剣、手、腕、肘、肩……。
…………ここだ……!
そして、俺はあの技を成功させた。
グロースの体が泳ぎ、無防備に俺の方へ体をさらけ出す。
……やっと……、
……やっと……、
…………殺せる……。
俺は、自分の顔が醜悪な笑みで歪んでいたことに、気がつかなかった。
……早く、早く……!
……あと……、ちょっと……!
俺の剣がグロースの腹を突き破ろうとした瞬間ーー、
……ダメ、ハル……!!
俺は自分の動きを止めていた。
後ろを振り返り、アキを見るが、まだ目覚めてはいない。
それに、今の声は、俺の中から聴こえてきた。
俺が戸惑っている間に、グロースは態勢を戻し、俺との距離をとっていた。
グロースも戸惑っているように見える。
もう一度、俺はグロースの目を見た。
この時、初めてグロースが怯えるように後ずさった。
今度はわかる。グロースは恐怖を感じているのだと。
一歩、また一歩と、グロースへと近づいていく。
そしてーー、
「アキは……死なせ……な……」
そこで、俺の意識は暗闇へと深く深く沈んでいった。