旅立ち
「もう、泣き止んでよ、マリアさん」
がん
アキの言葉が聞こえていないかのように、マリアさんは泣きじゃくっていた。アキに抱かれながら、アキの胸を濡らすマリアさん。マリアさんの姿は、一見すると、駄々をこねる子供のようにも見える。
そんなマリアさんの肩に、僕はそっと手をのせた。
「マリアさん。僕たちは、ただ旅に出るだけで、必ず帰って来ます。だから、待っていてください」
僕の声に、マリアさんの癇癪が少しだけ収まった気がしたけれど、いっこうにアキから離れようとはしなかった。
僕とアキは目を合わせて、思わず笑ってしまった。
そこへ、村長から助け船が出される。
「マリアよ。何を悲しむ事がある?
この子らが旅に出たいと言うようになったというのは、この子らが大きくなったということじゃて。母親であるお前さんは、むしろ、喜んでやらねばならんじゃろうて。
この子らも、もう15じゃ。この村では立派な大人じゃよ。
それにな、可愛い子には旅をさせよと言うじゃろ?
お前さんは笑って送り出しておやりよ」
村長の言葉を聞いて、少しだけ躊躇いが感じられたけれど、マリアさんはゆっくりと顔をあげた。
そして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている顔で、依然涙を流しながら、無理矢理笑顔を作ってくれた。
「……あんだたち、元気でね。がならず帰ってぐるんだよ」
僕たち二人の肩を掴んで、お見送りの言葉をくれたマリアさんは、未だに鼻水をすすっていた。
そんなマリアさんの姿に、笑っちゃ悪いかなとも思ったけど、僕たちは二人揃って声を出して笑ってしまった。
「なにざ、あんた達。私がこんなに……」
マリアさんの拗ねた声が最後まで言いきられる前に、僕たちはマリアさんに飛び付いた。
そして、耳元でーー、
「「行ってきます」」
と、挨拶をした。
その言葉に、マリアさんが再び涙を流し始めたのは言うまでもない。
そして、僕たちは村の皆に見送られて、長い長い旅に出る。この世界を見るための、長い長い旅に。
……村の人達が見えなくなったあと、マリアさんの涙と鼻水でびちょびちょになった服を着替えたのは、二人だけの秘密だ。
◆◆◆
「アキ!準備いい!? 」
雑木林の中で、僕はハーゼと呼ばれる兎の姿をした魔獣を追いかけていた。
身の内に魔力をもった動物を、総じて魔獣と呼んでいる。魔力は動物の体を変質させたり、自然のエネルギーへ変換させたりと、様々な効果・性質をもつ。
よって、魔力をもった動物達の体は、通常とは異なる形をしていることが多い。
今追いかけているハーゼは、足が通常よりも発達していて、林の中を縦横無尽に飛び跳ねている。
さらには、微量ながら風を作りだし、空中転換を可能にしていた。
ゆえに、こいつの動きは中々に速く、捕まえるのに苦労させられる。
だが、ハーゼの肉は上質なもので、柔らかく味もなかなかなものだ。市場では、そこそこ高額で取引されるらしい。
現在、僕たちはログの村を出て、隣にある街メティアへ向かう途中にある雑木林の中だ。一応、予備の食糧はあるが、成長期真っ盛りの僕とアキは、新鮮なお肉が食べたい!
ということで、道の途中に出会ったハーゼを追いかけているのである。
ハーゼを逃がさないように、誘導しながら追いかける僕に、アキからの合図が届いた。
僕は躱されることを承知で短剣を振るう。
ひゅんという風鳴りと共に、ハーゼが上空へと飛び上がる。
そしてーー、
「……ッ!キューーッ!? 」
可愛らしい鳴き声をあげながら、透明な空気の壁にぶつかった。そして、慌てて方向を変えようとするが、前後左右にも壁は設置済み。箱と化した空気の壁から抜け出そうと、図上の壁を蹴り、下へと急降下し始める。
「……やぁ! 」
しかし、箱から抜け出る寸での所で、アキが箱の蓋を完成させ、ハーゼが壁に激突し、その動きを急停止させた。
動きが素早い生き物を捕まえるには、罠をはるのが一番手っ取り早い。そこで、僕が追い詰め、アキが魔法で罠をはったのだ。
アキの使った魔法は風の魔法の一種で、空気の流れを止め圧力をかけることで、空気圧の壁をつくるものだ。それを箱状に設置し、下からだけ入れるように開けておく。そこに僕が誘導し、ハーゼが箱に入った瞬間、入口を閉める。
これがハーゼの動きを止める一連の流れだ。
そして、箱から空気を徐々に抜いていくことで、空気が吸えなくなったハーゼは意識を失う。
その間に手足を拘束すれば捕獲完了だ。
ハーゼの意識が失ったことを確認した僕は、アキに合図を送り、魔法を解いてもらう。そして、もっていた紐でハーゼの手足を縛った。
「お疲れ、アキ」
ハーゼを持ち上げ、アキの方へ向けた。
それを見て、アキはホッと息をはいて、杖を下ろした。
「疲れたー。早くご飯にしよ」
本当に気だるそうなアキを見て、思わず笑ってしまった。
アキじゃないけれど、僕もそこそこ疲れた。それに、もうじき日も落ちる。ここら辺でキャンプをしよう。
意見が一致した僕たちは、すぐに準備に取りかかった。
◆◆◆
「なんでハルは魔法が使えないんだろうね? 」
食事をすませ、調理器具を片付けている最中に、アキが突拍子もなく問いかけてきた。
唐突な問いに、咄嗟に答えが思い浮かばなかった……、という訳ではない。単に答えがわかりきっていて、それをアキも知っているはずだから、なぜその質問をしてきたのか。その理由を考えていたのだ。
ただ、その答えすぐに、アキ自身の口から聞くことができた。
「ハルも魔法が使えれば、跳ね兎も簡単に捕まえられるのにね。罠を考えたのもハルだし、私よりもよっぽど上手く使える(・・・)と思うのに」
「使えないってわけじゃないんだけどな。実際、今日も身体能力を上げる魔法は使ってたし。ただ、体の外に魔力が出せないんだから、アキみたいに風を操ったり、水や火を作り出したりできないだけだよ。無い物ねだりしても仕方ないんだ、自分にできることをやるしかないんだよ。アキがいれば、こうやってハーゼを捕まえることもできるしね」
僕の言葉に、仕方ないかと声を漏らし、片付けに集中し出した。
そう、僕は体内にある魔力を体外に出すことができない。これが生まれつきなのか、何か後天的な要因があったのかはわからないが、できないということはわかっている。
僕だって男の子だ。いろんな魔法を使ってみたいって思ったこともある。いや、今もそう思っている。けれど、できないものはできないのだから仕方がない。
そうやって、自分に折り合いをつけているのにもかかわらず、この幼なじみはずかずかと踏み込んでくる。そういうところは、たまに頭にくるけど、言っても治らないだろうから、こっちが諦めるしかないのだ。
それでも、ちょこっとだけ頭に来た僕は、意趣返しとして、今日のダメ出しをしていく。
「そんなことより、今日の空箱は雑過ぎだったよね。ちょっと隙間ができてたし、蓋をはるタイミングも遅かったし。もうちょっとでぬけられそうだったよ」
僕の遠慮のない言葉に、肩をピクリと震わせた。
空箱とは、アキの魔法で作る風の箱のことだ。何も無い箱という意味あいで、僕はそう呼んでいる。
僕の言葉の意味を、アキ本人もちゃんとわかっていたようだ。
ただ、余り反省していなさそうなアキに、続けてダメ出しをする。
「魔法は集中力が大事だって、カルアス神父が言ってたでしょ。もっと意識を高めなきゃ。それに……」
「さぁ、明日も早いし、今日はもう寝よっか! 」
素早く食器を鞄に仕舞い込んだアキは、僕の言葉を遮って、わざとらしく声をあげた。
目を合わせようとしないアキに、溜め息をひとつ溢す。
こうなったアキには、何を言っても無駄だな……。
仕方なく諦めて、簡易式の寝袋で身を包む。
旅は始まったばかりなのだ。これから、何度も言い聞かせれば、そのうちわかってくれるだろう。現実逃避気味にそんなことを考えていると、正面に転がっているアキに声をかけられる。
「ハル……」
「ん? 」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
これもいつものことだけど、アキに笑顔で挨拶をされただけで、さっきまで感じていたもやもやや、いらいらを簡単に忘れてしまう。
マリアさんにはよく本当にそれでいいの?と、苦笑いされたものだ。
なにはともあれ、旅は始まったばかりなのだ。
楽しまなきゃ損だ。
そんなことを考えながら、目を閉じる。
こうして、僕たちは旅の初日を終えた。