姫君の決意
０２
その日、ルナティシア・フレイヤ・フェルメールは窮地にあった。
飛行船シャーウッド号で戦災の被害にあった地方都市の支援に出ていたところ、現在戦争状態にある隣国の飛行船に遭遇。交戦する形となったのだ。
少し彼女のことについて説明しておく。彼女はベネトナーシュ王国第一王女。18歳だ。金髪碧眼に整った顔立ち、誰が見ても美人というだろう容姿の持ち主。高貴な身分の者としてはやや野暮ったく見える腰までとどく2つのみつあみと、おでこがトレードマークだ。
彼女の生まれた国は、海を挟んだ二つの巨大な大陸の中間に位置する島国だった。しかも北と南それぞれに大国が存在し、その立地から常に戦争の危険にさらされていた。日本の戦国時代でいうなら、安芸の毛利氏か、後に徳川家康を輩出することになる三河の松平氏のような立場だろうか。
そんなわけで、ルナティシアの人生も、物心ついたころから平和より戦争の期間の方が長いくらいのものだった。巧みな外交で北方の国と停戦が成立しても、今度は南方の国がちょっかいを出してくる。少数精鋭の兵をもって戦術的な勝利を収めて南方の国と不可侵条約を結んでも、国境付近の豪族や地方の軍閥が納得せず、結局戦闘そのものは終わらないという有様だ。
それにしても今回の戦争はひどい。南方の隣国、アリオト伯国で政変が起こり、不可侵条約を弱腰の売国奴が結んだもので無効だと非難し、海を越えて戦争を仕掛けてきた。そこまではまだいい。
問題はそのやり方だ。それまでの伯国は、戦争をするにしても最低限の節度と品位があった。降伏したものは殺さず、それなりの待遇を約束して味方に引き入れる。兵糧も原則として自前で用意するなどだ。別に過去の伯国が特別紳士だったわけではない。降伏したものまで皆殺しにし、女は犯し、子供たちは奴隷とし、食料は全て奪い去るやりかたでは、戦闘には勝ててもその先がないからだ。侵略者、虐殺者として恨みを買えば、占領政策も難しくなる。占領地を徹底した恐怖政治で押さえつけるほどの力は伯国にはなかった。逆らいさえしなければ実害は少ないと地方領主や民たちに思わせ、できれば味方に抱き込む。こうすれば、より少ない力で版図を広げることができるのだ。
ところが、最近になって伯国軍はすっかり変わってしまった。村や町を丸ごと焼き討ちにすることなど当然。兵糧は略奪して調達するものとばかりに、破壊、殺戮、略奪の限りを尽くしているのだ。噂では、ベテランの軍人たちが政変によって追放、粛清され、未熟な若い騎士たちが指揮をとるようになってからだというが、領土を侵略され、愛して止まない民たちを好き放題に殺されているルナティシアには関係のない話だった。
そんなわけで、ベネトナーシュ王立軍は伯国軍への応戦や、破壊された村や町の救援に大わらわだった。君主の第一王女とはいえ、軍属に過ぎず、本来兵を率いる権限がないはずのルナティシアまでが小規模な部隊を率いて補給、支援活動を行っているのもその辺の事情があった。
そして、そんなルナティシアや王立軍の兵たちの苦悩や優しさを理解する神経は、野獣と化した伯国軍にはなかった。せっかく畑を焼き払い、井戸に毒を投げ入れたのに、支援物資など届けられたら意味がなくなるとばかりに、ルナティシアの率いる3隻の飛行船に攻撃をかけてきたのだ。ここ、ザハン渓谷は飛行船に取って難所だったが、隠密行動には適している。ゆえに王立軍もここを通って目的地の地方都市に向かう可能性が高いと、待ち伏せしていたのだ。
船長は荷を捨てて退避することをルナティシアに具申したが、戦災で飢えやけがに苦しんでいる民たちのことを思うルナティシアに拒否された。おかげで王立軍の飛行船は過積載状態のまま戦闘を行うはめになったのだ。当然のように身軽な伯国軍に対する不利は明らかで、側面上側を取られ、矢を打ち下ろされ、投石器にから放たれる磁器製の火炎弾に甲板が焼かれていく。随行する小型船が小回りが利くことを活かして敵船をけん制し、王立軍の誇る竜騎兵が練度の劣る伯国軍の竜騎兵に対し獅子奮迅の働きを見せる。しかし、それでも王立軍はじわじわと押されていく。
「こんなことが、こんなことが許されていいの．．．？」
民の命を助けたいだけの自分たちになぜこんな理不尽な仕打ちがされなければならない？そして、虐殺も略奪も平気な顔で行う伯国軍になぜ罰がくだらない？神はなぜ邪悪な者たちを野放しにしておくのか？
それは人間としては自然な感情、理不尽に対する当然の怒り、反発であったかもしれない。しかし、戦場においてやられる側に理由などない。強いものの理論だけが存在する。それが現実だった。敵の小型船の投石器に火炎弾が乗せられる。あれが直撃すればもうシャーウッド号が持たない可能性がある。いよいよルナティシアは絶望しかけた。が．．．。
突然耳をつんざくような轟音が周囲の空気を震わせる。顔を上げて音のもとを探すと、見たこともない、巨大な怪鳥とも龍ともつかない翼を持つものが２頭、ものすごい速さでこちらに迫ってくる。その動きはまるで番の鳥のように一糸乱れぬものだった。が、先行する１頭が負傷した伯国軍の竜騎兵に進路を邪魔され、回避のために動きが乱れる。しかも運悪く突風に煽られたらしく、まっすぐにこちらに向かってきた。
「こっちに来るぞ！」「ぶつかっちまう！」
船員や兵たちはパニックに陥るが、ルナティシアは不思議と冷静だった。近づいてきてわかったが、よくみるとあれは生き物ではない。鉄でできた凧のようなものだろうか？しかし、その動きは生物的なように思えた。風に逆らって体勢を保とうと悪戦苦闘しているのがわかるからだ。ルナティシアはとりあえずそれを”鉄の龍”と呼ぶことにした。
そしていよいよ鉄の龍が船の横を通り抜ける瞬間、ルナティシアは見た。鉄の龍の頭に相当する部分に人が乗っているのを。鉄の龍が巻き起こす風で吹き飛ばされないようにするのが大変だったが、確かに見たのだ。奇妙な形の兜を被っていて顔はわからないが、人であることは確かだ。そして、なぜかルナティシアはその人物と目が合ったような気がした。半透明な幕のようなもので顔の上半分を覆っているので視線も表情も読めないが、直感的に彼が自分を見たと思ったのだ。
そして、一瞬だが彼女は見た。鉄の龍の横顔に刺青のように描かれていた「ＪＡＳＤＦー３０６」という表記と、兜に描かれていた「ＳＡＶＥＲ」の文字を。
なぜかルナティシアはうれしい気分になった。自分でも理由はわからないが。
鉄の龍は轟音をあげてシャーウッド号の横を駆け抜け、あっという間に豆粒のように小さくなる。誰も彼もが呆然として、今の今まで戦闘を行っていたことさえ失念していた。敵でさえ同じであるようだった。
今が好機だ。いち早く我に返ったルナティシアは、敵の船の位置を見て、さらに彼我の位置関を確認して逆転の策を考えついていた。こちらから一番近い敵の小型船と、敵の旗艦である大型船が一直線上に並んでいる。これならいける。
「船長！エクスカリバーの準備をなさい！」
「ええ？しかしどうするんです！？」
「わたくしに考えがあります！」
ルナティシアから自信に満ちた目でそういわれた船長は、疑問に思いながらも準備にかかるしかなかった。
エクスカリバーとは、透明度の高い人工の水晶と、金属を磨き上げて作った反射鏡を利用した、地球で言うところのレーザー照射機だった。船の船首に砲塔のように設置されている。構造は地球のレーザー発振機とほぼ同じなので、外見は強大な海苔巻きか、少し大規模な直径1メートルサイズの天体望遠鏡といったところか。本来は兵器ではなく、金属の融解や岩盤掘削工事に用いられるものだ。むろん兵器としても破格の価値を持つが。
「準備よし！」
「手順は省略します！10秒後に照射開始しますわ！」
エクスカリバーの原理は地球のガス式レーザーと変わらない。エネルギーでガスを振動させ、エネルギー交換を引き起こし、収束された光波を照射する。ではその大元のエネルギーはどこから得るのか？簡単だ。異世界で最も貴重で強力な力とされる”魔法力”である。そして、ルナティシアは特に強い魔法力を持つ血統。一説に天界人を祖とすると言われるヴァナディースの一族だった。
「１０，９，８，７、．．．」
エクスカリバーの担当技官がカウントを取っていく。魔法力の注入口である魔法石にルナティシアが魔法力を注入していく。正規の手順を無視しているため、ガスは危険なレベルの速さで振動し、急速に臨界に近づいていく。技官はごくりとつばを飲む。もし振動に耐えられずエクスカリバーが破裂してしまったら．．．。そうならないまでも、ここまで無茶な魔法力の注入をして、ルナティシアの身にもしものことがあったら．．．。しかし、ルナティシアの表情は明るく、勝利を確信したものだった。なら、自分も自分の仕事をするまでだと了解する。
「．．．３，２，１。照射！」
技官の合図でエクスカリバー前端のカバーがおろされ、ザハン渓谷にまばゆい一条の光が閃く。本来レーザーは目に見えないが、あまりに高温になるため空気中のちりや、極端な話、水蒸気や空気までが燃えてプラズマ化しまうためこのように見える。白い光の槍は、先ほどまでシャーウッド号に攻撃をかけていた小型船を一瞬にして爆発四散させ、それでも足りずにその斜め後方にいた大型船を直撃した。
「命中！姫様！作戦成功ですぞ！」
見張りの船員が興奮気味に戦果報告をする。ルナティシアの読みは当たった。先ほど急に飛来して、轟音をあげながら風のように去っていった鉄の龍に、敵はすっかりあっけに取られていた。敵大型船とシャーウッド号の間に敵小型船が入り、戦況が見えなくなっていることにも気づかないほど。常に視界を確保し、広く戦況を見るという飛行船での戦闘の鉄則をすっかり失念していたのだ。ゆえに、シャーウッド号からまばゆい光が放たれても、小型船の船体が死角になってすっかり反応が遅れ、回避行動を取ることさえ叶わなかった。エクスカリバーの最大の弱点が、動く敵に当てるのが難しいことだから、敵が回避行動を怠ったという敵失は、値千金のものと言えた。
が、ルナティシアは戦果を素直に喜べなかった。遠目にも、被弾（？）した敵大型船が悲惨なことになっているのが見えたからだ。
「熱い！熱い！助けて！」「落着け！火を消すんだ！」「冗談じゃない！こんな火どうしろってんだ！」
船体が大きいため一瞬で爆散することはなかったが、それが返って兵士や船員たちに悲惨な結果をもたらした。船体も、家具も、調理用の油も、あらゆる可燃物に一瞬にして火がついて燃え上がり、船内をパニックに陥れた。指揮系統も規律も崩壊して、誰もが火を消そうともせず我先に持ち場を離れ、逃げようとする。しかし、彼らがいたのは空の上だった。彼らの選択肢は３つ。諦めて焼け死ぬか、火が廻っていないところに避難して後は神に祈るか、そうでなくば火から逃れて空に身を投げるかだった。
「冥府神ユテーナーよ。彼らの魂に救いがあらんことを」
ルナティシアは今の今まで敵であった者たちのために祈った。この心優しいところが、彼女の長所でもあり、短所でもあった。
健在な戦力が小型船1隻では是非もない。炎上する大型船を見捨てて戦うわけにもいかず、渓谷から離脱する王立軍を、伯国軍は指をくわえて見送るしかなかった。
「我が国と民の平和のためには．．．」
ルナティシアは先ほど眼にした、「ＪＡＳＤＦー３０６」「ＳＡＶＥＲ」の文字を忘れないうちに羊皮紙に書き留めた。この時、ルナティシアの胸にはすでにある決意が固まっていた。
