義勇兵たちの出撃
話は世に言う「オセアネスの日の悲劇」から7か月ほど遡る。異世界の新暦102年山羊月12日。地球の日本時間でいうと、201X年1月10だ。
01
「頭がどうかしちまったのか?」
航空自衛隊 新田原基地。第306飛行隊所属、二等空尉、潮崎隆善は、基地所属の幕僚からそんな言葉を頂戴していた。
「そういわれましても、それが事実ですから」
潮崎にはそうとしか返答のしようがなかった。だが一方で、潮崎自身も自分の正気を疑いかけている部分があることを否定できない。だが、数時間前に自分たちのチームに起こったことをどう説明すればいいのか...。
その日の未明、潮崎たち306飛行隊に下されたのは、もはやお定まりと化しつつあるスクランブル命令だった。中国空軍の1隊が危険なほどこちらに接近しており、警戒の要を認めるというものだった。
6機のF-15J(通称 ミョルニル隊)がスクランブル発進してからのことは特になにもない。領空ぎりぎりでうろうろする中国軍機に対し「引き返せ、君たちは我が国の領空を脅かしつつある」と無線で呼びかけるだけのお仕事だった。
無線の問答が次第にエスカレートし、白熱して「この ピー の ピー 野郎め!」「なにぬかす!てめえらこそ ピー を ピー で ピー したろ!」という、下品なののしり合いに発展したことを考慮しても...。なお、ピー の部分は各々のご想像にお任せしたい。
問題は、中国空軍機が引き上げていった後だった。日向灘海上経由で新田原基地へと引きあげる途中のミョルニル隊の前に、突然ぼんやりと光る巨大な幕が立ちふさがったのだから。想定外の事態を嫌う隊員たちからは、回避すべしという声が上がった。が、隊長の虫本3等空佐は、レーダーに何も映っていないなら問題なしとして、部下たちに直進を命じた。光る幕が基地への進路上にあり、迂回すると付近を飛ぶ旅客機の航路に入ってしまうといった事情もあった。
だが、光の幕を潜り抜けた瞬間、ミョルニル隊は恐怖におののくことになる。
『新田原コントロール!応答願います!新田原コントロール!返事をしてくれ!』
『隊長、GPSも管制信号も応答ありません!どうすればいいんです?!』
どのような状況でも冷静さを保つために厳しい訓練を受けてきたはずのイーグルファイターたちはそろってパニックに陥っていた。
基地との無線連絡は途絶し、GPSと管制誘導が突然応答がなくなり、コックピットの中に警告音がけたたましく鳴り響く。それだけではない。ついさっきまで彼らの眼下には海岸線沿いのなだらかな地形が広がり、線路が走っていたはずなのに、今見えるのは海に面した断崖絶壁と、その先にある切り立った岩だらけの渓谷なのだ。
極めつけに、はるか下では戦闘が行われているようだった。それもただの戦闘ではなさそうだ。というより、彼らの常識からいえば突っ込みどころだらけ。いや、どう表現すべきかわからない。表現する言葉を持たないとさえ言える戦闘であった。
まず第一に、大航海時代の帆船を思わせる木造船がどういう原理なのか風船か熱気球のように浮いている。浮遊する木造船、数は大小合わせて計6隻。戦力は3対3のようだ。こちらの高度がありすぎてかろうじて見える程度だが、甲板やマストの上で兵士同士が弓を構え、矢を射かけ合っているようだ。
また、船の周辺にはファンタジーに登場するドラゴンかワイバーンそのものの姿をした生物にまたがった重武装の兵士...。字義通り竜騎兵とでもいうべき者たちが飛び交い、互いに槍で突き合ったり、弓で敵の船を攻撃したりしている。
その光景を目にしたミョルニル隊のパイロットたちはパニックからは回復したが、今度はあっけに取られた。ここはどこだ?一体何が起きている?あらゆる意味で想定外の事態に、思考が完全にフリーズしてしまったのだ。
「隊長、具申します!帰りましょう!」
一番最初にフリーズ状態から再起動したのは潮崎だった。別段潮崎が他の隊員より優秀だからとか、冷静だからとかが理由ではなかったろう。ただ、生真面目な人間が多い自衛隊幹部の中では、よく言って柔軟、悪く言っていい加減なところのある潮崎は、少しばかり状況を受け入れるのが早かった。どんなに不条理でめちゃくちゃでも、起きたことは起きたこと、現実は現実と認めて、対処しなければならないと考えたに過ぎない。
「見てください!さっきの光の幕はまだあそこにあります。あれを通れば帰れるはずです」
『ああ...。そうだな。わかった。全機反転!帰還するぞ!』
潮崎の言葉に虫本が応じる。確かに、自分たちの後方には、今しがた通り抜けてきた光の幕がまだぼんやりと光を放ちながら存在している。もう一度通り抜ければ帰れるとは限らないのでは...。という可能性は考えないことにした。少なくとも自分たちはここにはいられないのだから。
「あ、待って下さい。降下して少し下を偵察してきます。とりあえず映像くらい残しておきたい!」
そう言った潮崎の神経のず太さと知的好奇心に、虫本は敬意を覚えながらも呆れた。この状況でよくそこまで考えられるもんだ。が、止める理由もないので許可することにする。
『わかった。許可する。ただし5分たったら戻れ。プリーチャー、セイバーを援護せよ!』
「セイバー了解。行ってきます。高度を下げるぞ」
『プリーチャー了解。かわいい女の子でも探してきますよ!』
潮崎が隊列を離れて高度を下げると、軽口を交えて命令に応じたプリーチャーこと及川が右斜め後ろにつく。
「現在高度6000フィート。3000まで下げるぞ。あの船にできるだけ近づく」
『了解。だが、戦闘に巻き込まれないように注意しろ。市ヶ谷からどやされるぞ』
2機のF-15Jが急速に高度を下げていく。最初は食玩くらいの大きさに見えた船が一般的なサイズのプラモくらいになり、やがて大型の帆船模型ほどの大きさになる。潮崎はカメラが録画モードになっているかをチェックする。偵察機であるRF-4Eほどの撮影、記録能力はないが、撮影機器の自動化、デジタル化が進んだことで、戦闘機でもそれなりの航空偵察がこなせるようになっている。
『こりゃひでえ...』
そんな及川のつぶやきが無線越しに聞こえる。潮崎も同意見だった。人の顔がどうにか確認できる距離でも、戦闘の様子はわかる。遠目には汚れか塗装に見えたどす黒いものは血であるようだった。矢を食らってあっさり死んだ者はまだ幸いらしい。バリスタ(固定式の大弓)によって腕を肩からごっそり失いながら、苦痛にもがいている兵士もいる。投石器によって投げつけられた火炎瓶のようなものによって火だるまにまり、転げまわる兵士もいる。
「もう十分だろう。うかつに近づかない方がよさそうだしな。引き上げだ」
そう言って、潮崎は高度を上げ、離脱しようとする。もっと観察していたい好奇心はあったのだが、もし戦闘に巻き込まれたら?万一墜落して彼らの捕虜になったら?という恐怖の方が勝ったのだ。少なくとも、あのむごたらしい戦闘の当事者になるのだけはごめんだ。
が、ここで予想外の事態が起こることになる。
「危ねえっ!」
手傷を負ったらしい竜騎兵が、急速に高度を下げて潮崎の進路を横切ったのだ。潮崎は反射的にペダルを踏み、操縦幹を倒して機体を90度まで傾けつつ右に旋回する。が、これがまずかった。まるでタイミングを計ったように左側から吹きつけた突風に煽られ、機体は離脱するどころか、6隻の中で一番大きい船の方へと流されて行ったのだ。しかも見事に衝突コースで。さらに悪いことに、こちらから見て大船の50メートルほどの左上方に二回りほど小ぶりな船がいる。うかつに舵を切ればそちらにぶつかってしまう。かといって周囲は切り立った谷だ。高度を下げれば岩盤と全力で愛し合うことになる。
「くうっ!」
潮崎はスロットルを全開にして風に逆らい、今度は左に舵を切る。大船がみるみる接近して大きくなり、視界一杯に広がる。アドレナリンが噴出しているからか、甲板の上がつぶさに観察できる。弓兵たち、指揮をとる騎士、負傷者を手当てする看護兵。そして、船には付き物の女神像まで...。が、よく見るとそれは女神像ではなかった。それはまるで高名な彫刻家が丹精込めて作り上げた作品のような美しさをもつ美女だった。遠目にも、金髪で整った顔立ち、そして抜群のスタイルを誇ることがわかる。身に着けている服や宝石の高級感からすると、身分のある人物だろうか。一瞬彼女と目が合ったような気がしたが、すぐに気のせいだろうと思いなおす。
「よし、進路このまま!」
突風が同じ速さ、同じ方向でで吹き続けていたことが潮崎にとって幸いした。速力をマッハ0.9前後に保ち、風に逆らって舵を切り続けることでやじろべえのようにバランスを取り、進路を保ち続けることができたからだ。もし風がやんでしまうか、風の方向が変化したら、機体は小さい方の船に激突するか、きりもみ状態になっていただろう。F-15Jは2隻の船の間、ちょうど真ん中をパスして、再び上昇していく。そのまま及川機とともに編隊に復帰する。
『よう、大変だったな、大丈夫か?』
「大丈夫ですとも。これしきのこと」
虫本の声に潮崎はそう応じるが、今になって全身から汗が吹き出し、操縦幹を握る手が、膝がガクガクと震え始めたのに気付いた。危なかった。本当に危なかった