逆転
06
戦いにおいては、戦術レベルと戦略レベルの動きや流れは全く別次元の物と言える。
かつて大日本帝国が太平洋戦争において、局地的には勝利を重ねたにも関わらず、大局的には野放図に戦線を拡大し、燃料や物資を欠乏させ敗北へと転がり落ちて行った事実を見ても、それは明らかと言えた。
そして、ここナーストレンドにおいても、戦術レベルではベネトナーシュ、ナーストレンド側の作戦が成功していくにも関わらず、戦略レベルでは戦いはまだ拮抗状態にあった。その理由は単純にアリオト伯国側の数の多さにあった。
伯国軍の将軍、レオーネは機を見るに敏な男だった。中国人義勇兵の側面攻撃が所期の効果を上げることが困難と判断した時点で、犠牲を払うのを覚悟して全軍に正面突撃を命じたのだ。
正面に展開している兵力は、ベネトナーシュ、ナーストレンド側8千に対して、伯国側1万2千。この戦力差がじわじわと物を言い始めた。ナーストレンドの騎兵が長槍で脇腹を突かれ、馬から引きずり下ろされ、地面に転がった所を剣で突き殺される。2部隊に分けられた弓兵が交替で矢を射かけ、ベネトナーシュ軍の槍兵の接近を許さない。
「後ろを取らせるな!1人に対して2人で当たれ!」
乱戦の中、伯国の指揮官の指示通り、伯国兵達は1人が相手の槍を盾で受け、もう1人が後ろに廻り背中から斬りかかるという戦い方で、効果的に敵の数を減らしていった。
「敵も頑張るじゃないか」
早期警戒機撃破の任務を終え、その足で翼竜を駆って空から戦況を偵察していたディーネは思わずそうつぶやいていた。
早期警戒機が落ちたことの効果は確実に現れていると言えた。伯国軍の戦闘機は明らかに動揺して逃げ腰になっているし、ヘリボーン部隊の動きにも、先ほどまでの精彩はない。
だが、肝心の伯国軍本隊の勢いが全く衰えていない。日本人の義勇兵達は、しぶとくねばりを見せる中国人義勇兵達に対処するので精一杯で、正面を支援する余裕が無かった。一応、後方から155ミリ榴弾砲による火力支援が行われ、AH-1Sコブラが敵の攻撃ヘリや対空ミサイルによる妨害をたくみにかわしながら伯国軍にガトリング砲とロケット弾による攻撃をかけてもいる。
だが、犠牲を払ってもナーストレンド奪還を決意している伯国軍はひるまなかった。戦友の屍を踏み越えて進軍してくる伯国軍兵たちに、ベネトナーシュ、ナーストレンド軍は敬意と恐怖を感じていた。
伯国軍指揮官レオーネ将軍は後一歩で勝利をつかめると確信していた。犠牲は払ったが、敵の陣形が崩れ始め、潰走する部隊さえ出始めたからだ。が…。
「撤退だと!?一体どういうことだ!?」
「謀反です!後詰めの将軍達が我々を裏切りました!ギムレー基地が攻撃を受けています!」
伯国軍の本陣。レオーネの怒りに満ちた問いに、幕僚として同席していた義勇軍の上校が説明する。たった今後方のギムレー基地から入った通信によれば、後詰めとして伯国軍本隊を支援するはずだった軍勢4千あまりが、突然方向転換して基地を攻撃し始めたという。本陣内に同様が拡がった。ギムレー基地は、正規軍と義勇軍のほぼ全てを出撃させている。残っている兵力は5百に届くかどうかというところだ。空き巣狙いを受ければまずいことになる。さらに悪いことに、謀反を起こした軍勢の指揮官たちはナーストレンド奪還作戦に際して軍議に参加していたから、基地の防衛体制や内部のことはもちろん、こちらの軍本隊の動きまで全て知られている。
「後一押し、後一押しで勝てるのだぞ!それを!」
「ギムレーが落ちればナーストレンドの奪還がなっても意味がありません。むしろ我々が島の北部に孤立してしまうことになります。第一、後詰めの部隊が丸ごと敵になったとなれば、作戦の前提が根本から崩れます。これは敗走ではありません。戦略的撤退です。閣下、お早く」
そう言われてしまえば、レオーネに返す言葉はなかった。ギムレーが落ちれば自分たちは帰る場所がなくなってしまう。
悪いことに、ビフレスト島の北部と南部は交通の難所として知られる山脈によって隔てられている。帰る場所を失えば、自分たちは島の北部で完全な根無し草ということになりかねない。
撤退はレオーネの裁可によって速やかに決定され、伯国軍の各部隊に伝令がなされる。幸いにしてレオーネは人望が有り、兵達からも慕われていたから、各部隊指揮官の反応は早く、撤退は整然と実行されていったのだった。
「イーグルネスト。こちらハイドラ4。敵が撤退していきます。だいぶ遅れたが予定通りというところです」
上空から地上部隊のエアカバーを続けていた潮崎は、伯国軍の撤退をナーストレンドの司令部に報告する。マスクを外して思い切り息を吸い込む。味方の中に陣形を崩される部隊が出始めて、内心ひやひやしていたのだ。
『とんでもない!これからが本番さ。ちょっくら行ってくるわ!』
無線でそう応じたのは、第2航空師団第58航空隊、通称アールヴ隊所属、橋本由紀保2尉だった。6機のF-2が一糸乱れぬ動きで南に向けて飛んでいく。が、よく見ると橋本機のキャノピーの後ろに銀髪の少女が馬乗りになっている。
『では、ギムレーまでよろしく頼むのじゃ』
『チップはずんでくれよ!お客さん!』
巡航速度で飛行する戦闘機の背中でどうやって身体を固定し声を出しているのか、無線のヘッドセットに向けていうシグレに対して、橋本がノリ良く応じる。大丈夫なのかね、あれ。そのあまりにシュールな姿を見送る潮崎に他の感想はなかった。
ギムレー基地は、ビフレスト島の中程。島の南北を隔てるスコル山脈の北側の麓の丘の上にある。元々伯国の砦があった所だが、中国から義勇軍が派遣されてくるにあたり、地球式の近代的な軍事基地として拡張、整備された。ビフレスト島における、伯国の軍事力と権威の象徴のひとつと言えた。さらに、今回のナーストレンド奪還作戦の拠点でもあった。今日までは。
「シュレッダーしている時間は無い!書類は倉庫ごと焼き払うんだよ!持ちきれない武器弾薬は一カ所に集めて火をかけろ!間違ってもやつらに渡すなよ!」
基地で留守番を預かっていた女性の中校が電話に向かって怒鳴る。基地は今や、夜逃げの準備と見まがう喧噪に包まれていた。
いや、実際それは夜逃げだった。伯国軍の後詰めを勤めるはずだった軍勢が突然転進して攻撃をかけてきただけではない。ベネトナーシュ軍の航空隊と空挺部隊がそれを支援して、防御陣地や対空レーダー、外壁などを片っ端から破壊しているのだ。もはやここにとどまることは絶望的だ。
「よもやここまで伯国が恨まれているとはね…」
中校は忌々しげにつぶやく。外から敵が攻めてきているだけではない。基地内にも工作員が潜入して破壊工作を行っているらしく、基地内の通信網が遮断され、あちこちで停電が起こり、放火と思しい火の手がそこいら中で上がっている。
その陰湿で徹底したやり方には、怨嗟や復讐の感情を感じずにはいられなかった。長年伯国の横暴と搾取に堪えてきた者たちの盛大な意趣返しというわけだ。
「中校、これ以上支えきれません!」
基地幕僚の一人が顔中に汗をかきながらいう。
窓の外を見れば、F-2が投下した誘導爆弾で崩れた外壁の残骸を乗り越えて、敵の兵達が基地内に侵入してくる。警備兵達が95式自動歩槍の銃撃で応戦するが、多勢に無勢。槍で突かれ、馬蹄にかけられるのは時間の問題だった。味方が戻ってくるまで守り切るのは諦めるしかなさそうだ。
「やむを得ん!予定を繰り上げて総員基地より撤退する!誰も残すなよ!」
中校は、無線や拡声器、伝令まで総動員して基地の全員に撤退命令を周知させることを部下に命令した。
「し…しかし、この状況では逃げたとしても後ろから撃たれるのでは…?」
「大丈夫だろう。見なよ。見逃してくれるってさ、我々を」
幕僚の言葉を、中校はぴしゃりと遮る。外をよく見ると、F-2も地上の敵軍勢も、防御陣地や対空防御施設、戦闘車両や攻撃ヘリ、そして抵抗する者たちには容赦のない攻撃を加えているが、武装していない車両や航空機、滑走路や格納庫には全く手をつけていない。
基地の南側に向けて撤退する伯国兵たちを追撃する気もないようだ。つまり、逃げる者を追うつもりはないことになる。
中校はここで死ぬつもりはなかった。国に残してきた息子が中学校に上がる姿を見ずに死ねるものか。その思いを生き延びる力に変えて、彼女は撤退の段取りを組み始めたのだった。
話は時間を3時間ほど遡る。
王立軍は、伯国に反旗を翻した抵抗軍を支援するため、ギムレーへと兵を進めていた。アールヴ隊のF-2計6機を水先案内人として、6機のF-4Jに護衛されたC-130輸送機3機が続く。
『シグレ、見えてきた。あれが抵抗軍のようだな!』
「ああ、間違いないぞ。なかなか善戦しておるようじゃな!」
橋本の言葉にシグレが応じる。眼下では、伯国側からこちら側に寝返った軍勢が、まさにギムレー基地に攻撃をかけているところだった。
ギムレー基地には当然のように中国人義勇兵たちが駐留しているから、近代兵器を相手に苦戦を強いられている可能性を心配したが、抵抗軍は組織的な妨害に合う様子もなく、むしろ積極的に投石器やバリスタといった武器で攻勢をかけているようだ。
『じゃあ、高度を下げるぞ』
「いや、それには及ばぬ。抵抗軍の大将を見つけた。われは話をつけてくるゆえ、貴官らは予定通り支援攻撃を頼むぞ」
そういったシグレは、立ち上がると、F-2の機体の上から空に向かって身を躍らせる。アールヴ隊のパイロット達も、地上の抵抗軍の兵たちも一瞬ぎょっとしたが、シグレは高度100メートルほどで9本の尻尾を四方に広げる。すると、不思議なことにまるで下から風に吹きあげられたかのようにシグレは減速し、抵抗軍の本陣の正面にふわりと着地した。
シグレの目的の人物は向こうからやってきた。
「司祭様におかれましてはご機嫌麗しく」
「よせよせ。昔のようにシグレお姉ちゃんでよいぞ」
抵抗軍の指揮官であるニコラスの堅苦しい挨拶に、余計な気遣いは無用とばかりにシグレは答える。初老の大柄な男に、どう見ても中学生程度にしか見えない少女が年上風を吹かせる姿は奇妙なものに映った。
「あの泣き虫なチビちゃんがすっかり立派になったのう」
「シグレ...様。お戯れですよ...」
ニコラスは顔を赤く染める。誰しも、自分が幼かったころのことに触れられるのは恥ずかしいものだ。
「それよりも、今回は我らの連絡役をお引き受けいただき、感謝に絶えません。シグレ様ほどの方にお頼みするような仕事ではないのは重々承知しておりますが」
「なんの、われは貴君の心意気が気に入ったのじゃ。横暴な伯国相手にひと暴れしてやろうとは、男らしく面白い話じゃからの」
シグレがベネトナーシュ王国相手に届けた文とは、ニコラスたち、伯国に不満をもつ豪族や領主たちが密かに結成した抵抗軍が、ベネトナーシュ王立軍に助力を願う内容のものだった。あらかじめ示し合わせ、伯国軍がナーストレンド奪還作戦に向かった隙を突いて、ギムレーを制圧し、伯国軍の梯子を外す。
「じゃが、伯国軍が戻ってくるまでにギムレーを制圧できなくばすべてが水の泡じゃ。大変なのはここからぞ」
「承知しておりますとも」
そう言って、ニコラスはにやりと策士然とした笑みを浮かべた。