奪い合いの果てに
05
アリオト伯国軍のナーストレンド奪還作戦は粛々と進められていった。正面から仕掛け、伯国の勝利を喧伝する役目は伯国の正規軍の仕事だが、勝利を確実にする仕掛けをするのは中国人義勇軍の仕事だった。というより、自分たちが失敗すれば確実に伯国は負けるという危機感が義勇兵たちの間にはあった。あまり人のことは言えないかもしれないが、伯国のビフレスト島における搾取や横暴は度を越している。宗主国の軍隊であるという理由で、食事代を踏み倒し、麻薬を売買してもお咎めを受けず、人妻に無理やり夜伽を命じる。そんな仕打ちに恨み骨髄の現地の人間の反発は、さながら時限爆弾だった。もし負けることがあれば、その爆風にさらされるのは、伯国の連帯債務者である自分たちということになる。死んでも御免だという思いが、中国人義勇兵たちに常ならぬ集中力とモチベーションを与えていた。
ビフレスト島中央に位置するギムレー基地から出撃した伯国軍は、予定通りナーストレンド奪還のための作戦行動を開始したのである。
『こちら天津01。これよりエアカバーに入る』
アリオト伯国空軍機、マルチロールファイターであるJ-10の飛行隊の隊長は、朝日を右に浴びてナーストレンドに向けて飛行しながら全部隊に通告する。ここ最近の交戦記録でわかったことだが、日本人義勇兵が操るF-15Jは侮れない。悔しいが、練度ではあちらが上と見ざるを得ない。
『レーダーに感!F-15Jに間違いない!油断するなよ!』
後方で航空隊の目の役目を果たす空警500から通信が入る。それまでの教訓に学んだ中国人パイロットたちは、やみくもに先制攻撃をすることはせず、戦況を読むことに集中した。
すぐに、F-15J6機の機影がレーダーに写る。J-10は先手を打ってミサイルを打つが、それを見事な機動で回避したF-15Jがとった行動は、伯国軍の予想外のものだった。
「くそ!やつらの狙いはこっちか!」「航空隊はなにをやってんだ?!」
Ka-27ヘリを中心に構成される伯国軍のヘリボーン部隊は窮地にあった。てっきり定石通りこちらの戦闘機を相手にするものと思っていたベネトナーシュ王立軍のF-15Jたちが、戦闘機を無視して彼らに狙いを定めてミサイルを放って来たのだから。
先行していたWZ-10攻撃ヘリが次々と撃墜され、ヘリボーン部隊は裸同然の状態にされる。
『このままじゃ降下は難しいぞ!』『いまさら何言ってる!もう後には引けんぞ!』
意を決して部隊は低空ホバリングを開始し、ファストロープ降下(懸垂具を使わず、太いローブに手足だけを添えて降下する高等技術)は順調に進んでいるように見えた。
「!?」が、突然ヘリの副操縦士が今までなかった赤外線反応を地上に認める。何事かとキャノピーを通して下界を見ようとしたとき、まばゆく光るものが高速で接近してくる。それが彼が見た最後の光景だった。
上空で、Ka-27が次々と撃墜され、すでに降下していた中国人義勇兵たちは敵の中で孤立し、弓矢の餌食となっていく。伯国軍ヘリボーン部隊を迎えたのは、91式携帯地対空誘導弾による歓迎の打ち上げ花火だった。
「よし、予定通り引くぞ!」
対ヘリボーン部隊の指揮を預かる一尉の命令に従い、赤外線を遮断する艤装服をまとい、携帯対空ミサイルで武装した部隊は、石切り場の跡地である地下通路を隠れ蓑にして神速の用兵で動き回る。
伯国軍からみれば、まるで狐につままれたような心地だった。正面にいたはずの敵がいつの間にか後ろにいる。右からミサイルが飛んできたと思いきや、左に新たな敵がいる。秩序だった行動が命のはずのヘリボーン部隊は、今や混沌に飲まれようとしていた。
一方、ナーストレンドの東側の海岸を疾走する車両の一団があった。伯国軍義勇兵たちで構成される機械化歩兵部隊である。主力部隊の支援のため、東から回り込んで敵司令部に直接攻撃を加えるのが目的だ。途中、彼らはいくつもの防御陣地を蹴散らし、進んできた。こちら側には敵も強力な防備を敷いていないようだ。
『ナーストレンド市街まで2分...わああぁっ!」
先行していた装輪装甲車のオペレーターのすっとんきょうな声に合わせて、装輪装甲車が穴に落ちてそのままでんぐり返り、仰向けになったカメ同然の状態になる。慌ててハンドルを切った他の車両も、周辺にあった無数の落とし穴にはまり、いくつかがスタックし動けなくなる。
「姑息な真似を」ウイグルで対ゲリラ戦闘に関わった経験のある部隊指揮官の上尉が毒づく。砂地に大きく深い木箱を埋めて、上に布でも張って落とし穴とする。うまいが、実にせこい手だ。そう思ったとき、隊列の中の輸送車や軽装甲車から火の手が上がる。
「沖合から砲撃です!」
海に目を向ければ、波間を疾駆する1号型ミサイル艇が、固定武装である20ミリガトリングガンで攻撃してきているのが目に入る。しょせん小銃や軽機関銃程度の攻撃しか想定していない装甲車にとって、20ミリ徹甲弾の破壊力は十分脅威で、次々と撃破され、または各坐していく。
「くそ!対戦車ミサイル、ミサイル艇を排除しろ!」
上尉は、伯国海軍の派遣艦隊が壊滅しているために、海上が無防備になっている状況に今更ながら気づいた。制海権はあちらにあるから、海からは狙い放題だ。海上をちょろちょろと動き回るミサイル艇を対戦車ミサイルで叩けるかはあやしいが、やってみるしかない。が...。
対戦車ミサイルを装備した自走砲が突然爆発四散する。何が起きたのか、伯国兵たちにはすぐにはわからなかったが、やがてこちらから見て左の陸側の丘陵からの砲撃であることに気づく。しかし、肝心の、どこからどう撃ってきているのかがわからない。伯国軍は、しばらく収拾がつかず、砲撃から逃げ回るだけの立場に追い込まれる。
「着弾良し。砲撃続行。対戦車ミサイルを装備したやつから優先的にやれよ」
王立陸軍所属の74式戦車の車長がペリスコープで戦果を確認しながら、矢継ぎ早に命令を下す。3両の74式戦車は、その特徴である可変サスを用いて、丘陵の上から主砲の仰角をマイナスに取り、海岸線を行く伯国軍機械化歩兵部隊に砲撃を浴びせていた。可変サスを用いてフロントを下げ、リアを上げた74式戦車の姿は、四つん這いになって尻を高く上げた淫売女を連想させ、卑猥に思えなくもない。すぐに反撃があるものと予想していた車長は、伯国軍が混乱し逃げ回るだけの状況に驚いていた。実のところ、中国を含めて旧東側の戦車は主砲の仰角の範囲が狭いのが弱点だった。戦車は基本的に同じ高さにある目標を狙うものという先入観があったのだ。ゆえに、500メートルと離れていない丘陵の上から、戦車が仰角をマイナスに取って砲撃してくるなど全くの予想外だったのだ。もちろん、中国人義勇兵たちも、日本の戦車が可変サスを持つことは知識としては知っていた。が、理解と対処は別で、彼らが自分たちを攻撃しているのが丘陵の上の戦車だと気づいたのは、部隊の半数近くが壊滅した後だった。
一方、空での戦いは、間合いを取ってけん制し合うボクシングの試合のごとく、互いに決定打を欠いていた。王立軍、伯国軍ともに、早期警戒機と地上のレーダー施設からの情報支援を受けて、簡単には敵の攻撃を許さない体勢を固めていたからだ。
「J-10は、敵防御陣地に近づけない模様。まずいですね。これでは地上部隊の主力を押し出すことができない」
伯国空軍所属の空警500のオペレーターが苦々し気に報告する。
「なあに、数ではこちらが有利なんだ。焦ることはない」
情報士官が茶に口をつけながら相手をする。余計なことに気を廻さず、自分の仕事に集中しろとたしなめる意味も含んだ言葉だった。が、突然機内に鳴り響くミサイル警報に、情報士官は茶を思い切り吹き出した。
「IR(赤外線追尾)ミサイル、近づく!7時方向、距離1000メートル!」
「ばかな、なぜこんな近くに!?敵にステルス機がいるのか!?」
不意打ちを食らった空警500の回避行動は間に合わなかった。1発目のミサイルはどうにかやり過ごせたものの、回避する機動の先を読んで放たれた2発目のミサイルがエンジンを直撃する。エンジンから出た火は、そのまま機体に延焼し、空警500は火の玉となって落下していった。
「たまげた。あんな大きな鉄の凧が落ちるとは...」
翼竜を駆って空を飛ぶディーネは素直に感心していた。すぐ後ろでは、彼女とタンデムで翼竜にまたがる日本人義勇兵が、91式携帯地対空誘導弾の発射筒を投棄する。潮崎が立てた作戦は当たった。前回の空戦の教訓から、敵は早期警戒機が優先して狙われることを警戒して来るだろう。して見ると、敵は今度は戦闘機を早期警戒機に近づけさせてはくれないはず。ではどうしたらいいか。敵の思いもよらない方法で攻めるしかない。そこで考え出されたのが、熟練した竜騎兵に対空ミサイルで武装した兵員をタンデムで運ばせ、敵の不意を突いて至近距離からミサイル攻撃をしかけるというものだった。翼竜は地球の航空機に比べて小さく、エンジンがついているわけではないから赤外線をほとんど出さないという特性が活きた。早期警戒機も、護衛の戦闘機も、ミサイルを撃たれるまでその存在に気付かなかったのだ。
「作戦成功、長居は無用だ。離脱してくれ」
「了解」
後ろに乗る義勇兵の言葉に従い、ディーネは翼竜の手綱を引くと、反転して帰還の途につく。バックアップとして、同じように義勇兵を乗せて同行しているもう一騎の竜騎兵もそれにならう。が、それはすんなりとはいかなかった。近づいてくる轟音にディーネが振り返ると、空警500の護衛についていたJ-10が親鳥の敵とばかりに猛然と追いかけてきたからだ。
「冗談ではない!」
旋回しつつ急降下して、射線から外れる。機銃の曳光弾が、一瞬前まで彼女がいた場所を飛びぬけていく。機動性や旋回半径では明らかに翼竜に軍配が上がったが、J-10のパイロットはしつこかった。何度翼竜が視界の外に逃げても、急旋回して射線を取ろうとする。
「ちくしょう!まずいぞこのままでは...!」
ディーネは無理な回避運動の連続で、自分が疲れ始めていることに気づいた。手綱を握る手がしびれ、鞍を挟む太ももの筋肉に次第に力が入らなくなる。そして、汗が目に入り、一瞬手綱の動きがおろそかになった瞬間、とうとう後ろを取られてしまった。パイロットの殺意がぞわりと背中を撫でたように思えた。
が、次の瞬間J-10が一瞬にして炎の塊になって落ちていった。なにごとかとディーネは周囲を見回す。目に入ったのは、J-10とは明らかに違うシルエットを持つ機体。ベネトナーシュ王国ではおなじみのF-15Jの姿だった。ミサイルによってJ-10を撃墜してくれたのだと悟るまでに少し時間を要した。
「助かった...」
後ろに乗る義勇兵がよほどほっとしたらしく、盛大に息を吐きだす。ディーネも同意見だった。F-15Jのパイロットは機体を旋回させてディーネの左側に並ぶと、親指を立てる。機首側面に描かれた識別番号は「BKAー126」ヘルメットに描かれたTACネームは「SAVER」と読めた。
バキューン
そんな擬音が聞こえたような気がして、ディーネは自分の胸が何かに打ち抜かれたような感覚を覚えた。その感覚がなんなのか、このときのディーネはまだ自分でも気づかなかった。