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プロローグ

 夜の空、壮大な雲海が眼下を流れていく。ちょうど満月で、雲が月光に映えて幻想的だ。

 月や雲は向こうと同じなんだけどな。F-15Jのコックピットの中、ベネトナーシュ王立空軍第1航空師団第26制空隊(通称ハイドラ隊)所属、潮崎隆善2等空尉は思う。ここまで美しいと、ふと自分がまだ日本の空を飛んでいるのではないかという錯覚に囚われそうになる。が...。

 『バシリスクよりハイドラ1。11時方向にコンタクト。前衛に6機、後方に3機。1機はおそらく早期警戒機だな。驚いたな。”占い”通りだ』

 後方で警戒中の早期警戒管制機、E-767からそんな通信が入る。

 『俺は信じてなかったが、まあいい。これで敵の意表をつけるかもしれん。全機、戦闘態勢!だがわかってるな?交戦規則は遵守せよ』

 隊長であるハイドラ1こと菅野3等空佐の命令で、6機のF-15Jは兵装のセーフティーを外し、レーダーとミサイル、そして機銃のチェックを済ませ、いつでも撃てる態勢を整える。もちろん、E-767からの通信で、ここが異世界の戦場であることを再確認した潮崎も。

 『ボス、敵はまだこちらに気づいていないようですね?』

 隊の最右翼を務める及川志郎2等空尉が、高ぶりとも不安ともつかない声で隊長機にほのめかす。実際、レーダーに写る機影は、お行儀よく編隊を組んで、巡航速度で接近している。このままならあと数分でこちらのミサイルの射程内に入るにも関わらず。

 『ああ、だからこそ焦るなよ。わき腹を突いて、たっぷり悔しい思いをさせてやれ』

 菅野が意地悪い声で応じる。潮崎は少しばかりあきれた気分になった。これから実戦が始まるというのに、この余裕というか軽薄というか表現に困る雰囲気。覚悟はできているということの表れか、はたまた戦闘をゲームと勘違いしているのか...。前者だと信じたいが...

 「放熱パターン照合...。間違いありません。Su-27です。手ごわそうだ」

 隊に緊張感を持たせることを期して潮崎はそのような言い回しをする。21世紀のレーダーとコンピューターを持ってすれば、エンジンから放出される熱のパターンだけで機体の種類を判別することもできる。これは、例えるなら、警察が空き巣の侵入方法から犯人を割り出せるのに似ている。あるいは、爆弾魔がたいてい1種類の起爆装置しか使わないのに似ているかもしれない。軍事も犯罪も同じ。危険を冒すなら、その手段は慎重であらねばならない。してみると、自分が一番使い慣れた手段を用い続けるのが最良なのだ。

 『心配するな、どんと構えていればいい、彼女に聞かせる武勇伝を立てるチャンスだぞ』

 隊長機からそんな軽口が返ってくる。舞い上がり気味の皆に冷や水をかけようという試みは失敗のようだ。ついでに、彼女なんてもんじゃねえし。ばつの悪い心地を感じたまま、潮崎は操縦桿とスロットルを握る手を微調整し、攻撃許可が出るのを待つことにした。

 『お、豊穣の女神さまのお着きだな。護衛対象の飛行船、門をくぐる』

 及川の言葉に思わず振り向くと、ちょうど時空門から護衛対象が現れるところだった。ぼんやりと空に浮かぶ夜光虫の集まりのようだった平べったい光の幕が、飛行船がその舳先を現した瞬間まばゆいばかりの光を放つ。そして、今回の任務での護衛対象がゆうゆうと時空門を通って姿を現す。

 「飛行船ねえ...」 

 何度見ても違和感ありまくりの光景だな。と潮崎は思う。空に浮かぶ輝く幕が異世界につながっているという現象ももちろんのことだが、なんといってもあれを飛行船と呼ぶのには全力で違和感を訴えたい。どういう原理かいまだによくわからないが、浮力を確保するためのものらしい特徴的なドームがいくつか構造物上に設置されていることを除けば、どうみても大航海時代の帆船にしか見えない木造の船が、当たり前のように空を航行しているのだから。

 もちろん、その恩恵は大きい。船にもよるが、ペイロードは地球の航空機とは比較にならないほど大きいし、滑走路も必要ないし、ランニングコストも地球の基準で言えば格安。つまり、地球からこちらまで大量の燃料を消費する大型輸送機を用いて物資をピストン輸送する必要がないことになるのだから願ったり叶ったりに違いはない。が、21世紀の日本に生きるものとしては、物理法則に全力でパイルドライバーをかましているようなこの有り様は、とても納得のいくものではない。なお、異世界には地球にはない特殊な物質や技術があり、地球よりはるかに効率的に重いものを浮遊させることが可能なのだが、これを潮崎が知るのはまた別の講釈だ。

 『敵機より護衛対象に火器管制レーダーの照射を確認!』

 『やつらやる気だな!全機、攻撃を許可する!撃ちまくれえ!』

 菅野のその言葉が、”お預け”を食らっていた猟犬たちを解き放つ。これでも食らわせすぎといえるかもしれない。ミサイルを撃たれたら終わりなのは現代では常識。撃たれるまで撃つなと愚直に言い続けることは、例えば警察官に、今まさに撃鉄を起こして被害者を撃とうとしているヤクザに対して、弾は入っているのか、本当に撃つ気があるのか確認できるまで発砲を待てというのに等しい。死んだ者は生き返らないということがわからない愚か者か、人死にが出ても建前に従ってさえいればいいと考える堕落した官僚主義者の理屈だ。

 「よし、目標、先頭の機体。マーク!ファイア!」

 潮崎の言葉が合図であるかのように、データリンクを通じて得られた情報をもとに割り当てられた敵目標に対し、イーグルファイターたちは一斉にミーティアミサイルを発射する。白い噴煙をたなびかせ、ダクテッドロケットエンジンの特徴的な光を放ちながら、ミーティアは敵機へと突進していく。


 一方、Su-27のパイロットたちは、不意打ちを食らったことに舌打ちしつつも、作戦を変更。目標への攻撃を優先しつつ、敵戦闘機に応戦する体制を早々に整える。日本と欧州の共同開発であるミーティアは脅威だが、対処できない存在では決してない。

 『まだだ、紙一重でかわすんだ』

 隊長機の言葉に、パイロットたちも腹をくくる。そして...。

 『回避!』の指示が出ると同時に、散開して回避行動に入る。機体を横転させてチャフとフレアをまき散らしながら散開。マニュアル通りだ。距離にして100キロも離れていたこともあり、ミーティアはことごとく彼らの機体をとらえられず通り過ぎる。

 たいしたことはない、これならやれる。初弾を回避したことは、Su-27のパイロットたちにとって大きな自信となった。


 『ちっ、やはりこの距離では無理か!』

 菅野の舌打ちが、ハイドラ隊のパイロット達には空逸らしく聞こえる。最初からこれは織り込み済みだからだ。無線すら通じない敵に悔しがる振りをしてみたところでどうにもなるものか。

 『セイバー及びプリーチャー、予定通りだ!中央突撃!ただし、決して無理はするな!」

 「セイバー了解」『プリーチャー、これより突撃する!』

 セイバーこと潮崎と、プリーチャーこと及川が編隊から外れ、アフターバーナーを吹かして急加速する。

 耳をつんざくような轟音が大気を震わせ、Gによって体がシートに押し付けられる。

 この二人のTACネームが”救世主”と”教誨師”を意味していたのは、敵にとって皮肉以外のなにものでもなかった。なぜならSu-27のパイロット達はこれから、大切なものを守るためなら鬼にも蛇にもなる救世主と対峙し、慢心という最大の敵を甘く見ていた罪をたっぷりと無慈悲な教誨師によって教えられることになるのだから。

 「突っ込んでくるだと?!」

 マニュアル通り、回避行動に移っていたSu-27のパイロット達は完全に不意を突かれた。というのも、今回彼らの敵であるハイドラ隊の任務は飛行船の護衛だったからだ。防戦であれば敵を無理に殲滅する必要はない。追い払えば済む。ゆえに、敵は中、長距離での射撃に徹するはずと予測していた。こちらの内懐まで突っ込んでくるなど思いもよらなかったのだ。だが、2機のF-15Jはまるでハリウッドのアクション映画よろしく、味方のミサイルの援護射撃を背に突撃して来る。

 Su-27の側もミサイルを撃つが、浮足立っているために正確にロックオンできていないミサイルはことごとく明後日の方向に進んでいった。

 「死にたくなくばそこをどけえ!」

 『どいたどいたぁ!死神と疫病神のお通りだぁ!』

 潮崎と及川はしばし、某ロボットアニメの金字塔の剣呑なキャラたちの真似を楽しみつつ、敵陣の正面突破を試みる。味方が放ったサイドワインダーは全てかわされてしまったが、別に構わない。敵は明らかに逃げ腰で、回避に精いっぱいで、反撃の余裕が全くない。敵からやみくもに放たれる対空ミサイルは、回避行動をするのも馬鹿馬鹿しいほどだ。

 「悪く思うなよ」

 つぶやきながら潮崎は4発しか積んでいない04式対空誘導弾のひとつを、ロックオンもせずに発射すると、HMD(ヘルメットと一体化した照準、火器管制システム)の照準を一番近いSu-27合わせ、すれ違いざまにロックオンする。一瞬前まで優美なシルエットを持つ戦闘機だったものが、炎に包まれる鉄くずとなりはてて後方に流れ去る。

 『間抜けが。それでもパイロットかよ!』

 同じ要領で、及川機からもミサイルが撃たれ、さらに1機のSu-27が撃墜される。

 2機のF-15Jは勢いに乗ってそのまま敵部隊の後方に突き抜けていく。これは、Su-27のパイロット達に、大きな混乱をもたらした。このまま予定通り敵の飛行船を狙うか、それとも反転して自分たちの”目”である早期警戒機を守るべきか、切磋に判断がつかなかったからだ。

 だがその逡巡こそ、後続のハイドラ隊本隊にとってはよだれが出るような好機だった。作戦というものは、目標を一つに絞らなければ成功は覚束ない。二兎を追う者は一兎をも得ずとはこのことだ。引くか進むか、判断もつかないSu-27のパイロット達は、目の前の敵に的を絞ったハイドラ隊にいいように小突き回されていた。


 一方、先行した潮崎と及川も、緊張こそすれ、任務の成功を不安視してはいなかった。GPSも、イージス艦も、地上のレーダー基地さえないこの空では苦労したが、どうにかレーダーに3つの光点をとらえた。おそらく、敵の後方支援の空警500と護衛の戦闘機。

 『セイバー、予定通り行く!先行してくれ!』

 「セイバー了解」

 そういった潮崎は、エンジンを吹かして前に出ると、射程ぎりぎりの100キロの距離でミーティアを2発発射する。今度はさすがに敵も反応が早い。空警500の護衛機の内、あちらからみて右側の1機が素早く前にでて対空ミサイルを発射する。よく訓練されている。

 『まだ終わりじゃないぜ!」

 及川が回避行動に入った剣崎に変わり、同じようにミサイル攻撃を浴びせるが、これも2発とも撃墜されて終わる。


 空警500を守るSu-27のパイロットは笑い出したい気分だった。初戦でこちらを出し抜いたつもりかもしれないが、結局こちらに壊滅的な打撃を与えることはやつらには叶わなかった。そうとも、自分とて、楽をしてこのSu-27のパイロットの操縦資格を手にしたわけではない。血のにじむような努力を重ねてきたのだ。

 なにより、自分は親から、教師から、軍の教官から、日本人とは口先ばかりで傲慢なくせに何もできない民族だと教えられてきた。そんな下賤な島国の蛮族に、世界一偉大な国の生まれである自分たちが後れを取るはずがない。そんなことを思い、一瞬警戒が緩んだ隙に、まばゆい光を放つ何かが彼の横を通り過ぎ、次いで後方で巨大な花火が上がった。


 「くそ、警戒機が撃墜されたぞ!」「敵は...敵はどこだぁ!」「落着け、やみくもに撃つな!」

 潮崎たちから見て100キロほど後方では、空警500を撃墜されたことでデータリンクと情報支援を絶たれ、夜の闇の中で耳目を失ったも同然の状態になった4機のSu-27のパイロット達がわめきながらF-15Jから逃げ回っていた。度胸のあるパイロットは相打ち覚悟でミサイルを発射し、1機のF-15Jを撃墜する一幕もあったが、戦いはほぼ一方的なものになっていた。


 『空警500の撃墜を確認、お見事』

 「いや、そちらの陽動が完璧だったのさ」

 潮崎は、空の上でなければ及川とハイタッチをしたい気分だった。ヒットアンドアウェイの原則に従い、撃ったら逃げたと見せかけて反転して元のコースに戻り、2番手であるはずの及川のななめ後方に巧みに隠れて、本命である空警500を狙い撃つ。空警500の左手に控えていた護衛機にとってこちらは2重の死角になる。つまり右手の護衛機のみを警戒すればいいとはいえ、敵がもう少し用心深ければ失敗していた作戦だったが、うまくいった。戦勝祝いが楽しみだ...。

 「!」基地に帰ってから飲むビールの味を想像したとき、レーダーに映る機影が旋回してこちらに近づいてくることに気づく。方角と速度からして、さっきのSu-27のうちの一機。勝負はもうついているのがわからないのか。

 「迎え撃つぞ!」

 そういって、潮崎は機体を急上昇させて敵の右斜め上に遷移する。先にミサイルを撃ったのはSu-27の方だった。安全を期して、射程ぎりぎりで撃ったらしいが、GPSもなく、早期警戒機もない状況で、それは空飛ぶ鳥に石を当てようとするような愚挙だった。

 「どこを狙ってる?こうやるんだよ!」

 一度敵をやり過ごし、凄まじいGに耐えながら急旋回し、後ろを取る。首がちぎれそうな負荷がかかり、耐Gスーツが、足への血液の偏りを避けるため猛烈に足を圧迫する。普通なら拷問に等しい苦痛と言えたが、潮崎はこの状況を楽しむのに忙しく、苦痛など気にならなかった。空戦はやはりこうでなくては。パイロットが己の技量の全てを出しきり、敵のケツを取る。ドッグファイトこそ空戦のだいご味だ。これに比べれば、レーダーとミサイルの精度が全てを決する地球での空戦の何が面白いのか。敵を捕捉して、敵より先にミサイルを撃って、後は回避行動に入るだけの21世紀の空戦のなんと味気ないことか。だが、こちらの世界ではあちらのやり方は通用しない。衛星もなく、レーダーも外部からのバックアップが期待できない分精度が落ちる。なにより、戦闘機同士の戦いでは、互いにめまぐるしく動くので、ミサイルは敵の鼻をつまめる距離まで接近しなければ命中は期しがたい。結局戦い方は昔ながらのドッグファイトに落ち着くのだ。

 「センターに捕らえた!」

 HMDの照準の真ん中にSu-27の後ろ姿を捕らえた潮崎はためらわずトリガーを絞る。距離は200メートルもない。外しっこない。04式空対空誘導弾は、チャフとフレアをばらまいて回避しようとするSu-27に冷酷に食らいつき、炎の塊に変えた。

 『小日本め...』

 わざわざオープン回線で潮崎に伝えられた罵倒が、Su-27のパイロットの遺言になった。潮崎はイラっとした。日本を蔑視する言葉を使われたからではない。その甘ったれた考え方が気に障ったのだ。空、特にこの異世界の空は神聖な場所だ。生まれも学歴も階級も関係なく、純粋におのれの力のみが試される場所。そうであるならば、勝つのはおのれの力が強かったから。負けるのはおのれの力不足と了解して飛ぶべきではないか?勝ちも負けも現実として素直に受け入れる覚悟を持つべきだ。にも関わらず、敵のパイロットは最後の最後でおのれの力以外のものにすがりついた。自分は世界の中心にある偉大な民族で、敵は矮小な島国の蛮族だという考えを、敗北という現実から逃避する言い訳にしたのだ。くだらない。そんなに自分が、プライドが大事なら飛ばなければいい。と潮崎は思う。親が偉い人だから、金持ちだから、いい大学を出ているからという理由だけでちやほやして、そのちっぽけなプライドを慰めてくれる連中がいるところで大人しくしているべきだったのだ。そして少なくともそれはここではない。

 『もう1機は逃げていきます。他の敵は全滅。周辺に敵影なし。ミッションコンプリート』

 E-767のオペレーターの声で、潮崎は考え事を中断し、神経を任務に戻す。死んだ人間を罵倒していてもしかたがない。

 「了解だ。帰還するぞ!」

 そう言ってF-15Jを翻す。くどいようだが、この世界にGPSや地上レーダー基地、ましてデジタルな航空管制システムなんてご立派なものはない。地平線に上り始めた太陽で大まかな方位を確認し、ジャイロコンパスで自分の位置を割り出す。これに失敗すればたちまち迷子だ。家に帰るまでが遠足だ。そう自分に言い聞かせ、潮崎は及川機の真横に機体をつけた。


 かくして、異世界の暦で新暦102年蟹月20日、ベネトナーシュ王国所属の輸送飛行船を巡る、ベネトナーシュ王立軍とアリオト伯国国防軍の攻防はベネトナーシュ側、厳密に言って元自衛官の日本人の義勇兵たちの勝利に終わったのだった。

 なお、この戦闘は、異世界の暦と習俗にちなみ、当地で信仰される海と大漁の神オセアネスを祭る日であったことから、「オセアネスの日の悲劇」と後に記憶されることとなる。

 


 

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