第三話
”知っていた”ことをつなぎ合わせると、一つの小さな物語が見えてくる。
その物語の主役は将来弟の妻となるかわいらしい女性で、アストリッドは一端役にしか過ぎなかった。
三文小説によくある主人公に都合のよい物語は、主人公である弟の妻―――――名前は見えていないので仮にシーラとすれば―――――シーラをとことん甘やかし、女性であれば一度は夢見る身分差がある男性との許されない恋をし、紆余曲折を経て最後には皆からの祝福を受けて盛大な結婚式を挙げる、という内容だ。
本来であれば物語はめでたしめでたしで終わるだろうし、ここまでの話ならアストリッドは弟とシーラの結婚式に参列している人々の中の一人にしか過ぎない。
本当にそれだけならばどれほどよかったか、とアストリッドは思った。
だが物語には続きがある。
登場人物はそのままに、舞台を弟とシーラの出会いがあったスコー学院から王都にあるオーケシュトレーム侯爵のタウンハウスへと移らせて。
このころアストリッドは結婚をして家を出ていた。
実家から呼び出しを受けタウンハウスに通うアストリッドは、いつも母の愚痴の聞き役だった。
いつまでたっても侯爵家のしきたりどころか貴族としての有り様を学ぼうとしないシーラは母の頭痛の種だった。
こんなことでは将来侯爵家を陰から支えることができるはずがない。
母の愚痴は言葉通りになるだろうと思っていたアストリッドだったが、自身は外に出た身で侯爵家のことをあれやこれやと指図できる立場ではない。
だが、そもそも彼女を弟の横に並び立つにふさわしいと認めたのはほかならぬ母ではなかったか。
そのため結婚までの数ヶ月を花嫁修業としてタウンハウスに招き入れていたはずだった。
ええ、そうなのだけれど。
母のため息は深く、重かった。
一度、弟に母の苦悩を告げたことがあったが、弟は意に介さず、それどころか母がシーラに対してきつく当たると逆に言い返してくる始末だ。
こうなればアストリッドにできることは母の愚痴を聞くことしか出来ない。
月に何度かタウンハウスに招かれ、愚痴を聞き、慰め、家に帰る。
それが何年か続いたある日、弟が神妙な顔をしてアストリッドの家にやってきた。
昨今の天候の荒れで、弟が管理する領地の作物が育たず経営難に陥った、というのだ。
アストリッドは母からそんな話を聞いたことがないと首をかしげたが、弟は今置かれている子爵家の実情を切々と訴えた。
弟は結婚と同時に侯爵から複数持つ爵位のうちの一つである子爵と、それにふさわしい領地を与えられた。
能力は十分にあるはずだった。
子供の頃から父のそばで領地経営を学び、スコー学院では上位の成績を修めていた。
人脈もそこでつなげていき、弟の友人には四大公爵に属する二名が、王族からも名があがる。
なにかあれば父が助力するであろうし、公爵子息たちも助言をしてくれるだろう。
あの子煩悩な父は経営が難しい土地ではなく、天候も人も穏やかで土壌も豊かな土地を与えていた。
失敗するなどあり得ないとアストリッドは思っていたというのに、どうしてと声が漏れた。
曰く、一昨年の冷害と昨年の日照りが祟り、雨は降ったが乾いた土の上を滑るだけで浸透せずに流れてしまって作物の根がつかない。
貯蔵もあるだけをすでに吐き出して飢饉を逃れたが、今年植え付ける種すらもなく、父に頼ろうにも侯爵家もなぜか財政難で助力ができないと断られた。
金策に走ったが子爵領の現状を知って誰も相手にしてくれない。
自分に残されたのは唯一、侯爵家を出て別生計を立てている姉夫婦しかない。
アストリッドが助成をしてくれないと、領民たちは今年を生きていけないだろう。
うなだれる弟の姿をよくよく見てみれば、確かに貴族としての服装は整えているものの裾口は薄汚れほつれ、天鵞絨の羽織には特有の滑らかさがなくなっている。
アストリッドとお揃いのレディシュゴールドの髪はつややかさを無くしくすんでいるし、髭もあてず顔も沈んでいる。
アストリッドがよくしる快活で華やかな弟とは別人のような出で立ちだった。
なんてこと。
アストリッドは弟が言うがまま、子爵領の領民たちを助けようと手をつけていない持参金を貸し与えた。
それが彼らの命につながることを信じて。
どうして弟の話が真実だと思ってしまったのか。
侯爵家のタウンハウスを訪れるたびに少しずつ消えていく美術品があることを知っていたからか、それとも頭など下げたことのない弟が不憫になったのか、何千人といる飢えゆく領民に慈悲をと考えたからか。
迂闊な判断はアストリッドの首を絞めることとなった。




