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第二十五話

「それはいったいどういうことでしょうか?」


アストリッドは学院長の言葉に呆然とした。



それは新学年度が始まって半期の試験が終わった頃のことだった。

アストリッドは学院長の招集を受け、中央棟にある学院長室へと向かった。

与えられた研究室で試験の採点をちょうど済ませたばかりのアストリッドはお茶を入れようかとポットに手を伸ばしたところだったが、学院長からの呼び出しとあれば従うしかないと手に持ったポットを元の位置に戻した。

廊下を歩き、並木道を抜ける間、どうしてこの時期に学院長に呼び出しを受けるのだろうかと身に覚えのない招集に頭をひねっていたが、それよりももっと頭を抱えなければならない案件を思い出して眉間にしわを寄せた。

試験の結果は概ね良好でアストリッドの教えがほとんどの学生に行き渡っていることに安堵を覚えたが、去年度と同じく一学生が頭痛の種になっていたのである。

アストリッドは何度繰り返して教えても未熟なままのその学生のために貴重な時間を余分に割いてまで基礎の基礎からその頭にたたき込もうとしたが、当の学生はよほどアストリッドを嫌っているのか全く学ぶ姿勢を見せず途方に暮れていた。

それでも多少は功を奏したのか及第点をとれたのは行幸だった。

だがそれでは困るのだ。

彼女には殿下の望まれる通りに是非とも殿下の横に並び立ってもらいたい。

及第点などではなく満点で、つまりは誰もが認めるほどの気品あふれる仕草と行動をとってもらわなければ困るのだ。

テレーシア・ステュルビョルン。

他の教科では上位に位置するその頭脳が、どうしてこと教養になれば地に落ちるのか。


頭痛がする。


アストリッドはこめかみを押しながら少しでも安らぎを得ようと緑に目を向けた。

するとちょうど反対側の並木の間からカフェテリアのある(エブル)に向かおうとしている彼女とその友人たちの姿が見えた。


どうして今ここで会うのかしら。


強くなる頭痛に顔をしかめた時、彼女もこちらに気がついて足を止め、ペコンと頭を下げてきた。

挨拶をするという点においては良かったが、どんなに注意しても仕草が洗練されない。

アストリッドは痛みをこらえてにこやかに答えると、彼女は先に行きかけた友人たちを小走りに追いかけていった。


見間違いかしら。

去り際に彼女が笑ったように見えたのは。


談笑しながら歩いて行く後ろ姿を見ながら、何やら言い知れぬ不安が胸の中で渦巻いた。







中央棟の最上階にある学院長室で、アストリッドは思わぬ人と再会を果たすこととなる。

部屋の中央に位置する応接セットの一人掛けのソファには学院長と、もう一つにはアッペルクヴィスト女史が顔をこわばらせて座っていた。

見るからに顔色が悪く、隣にふくよかな学院長がいるせいか体の線も随分と細く見える。

病気療養中のはずの女史がどうしてここにいるのか、なぜ緊張しているのかと疑問はつきなかったが、学院長から勧められるままに対面するソファに腰を下ろした。

するといつもならば鷹揚な学院長がまるで人が変わったように話を切り出し始めた。


「さて早速だがベーヴェルシュタム君。大変困ったことになっているようだね。聞くところによると一学生に随分と辛く当たっているようだ」


切り捨てるように告げられた言葉に、アストリッドは一瞬理解が及ばなかった。

それにアストリッドには矜持がある。

学生を虐めるなどあり得ないし、あってはならないことだ。


「それはいったいどういうことでしょうか?

お言葉ですがそのような事実はございません」

「いいや。これはこちらでも調べがついている事実だ。

簡単に言えば最上級生であるテレーシア・ステュルビョルンに対しての君の態度が目に余るということだ。彼女と他学生との対応の違いは明らかで、これはこの学院の建学精神に反する行為そのものだ」

「…………彼女に対して他学生と違った態度ということはありません。ただ、彼女の成績があまりに芳しくないために彼女に対しては他の学生よりもどうしても指導が多く入ります。それに加え現状のままでは履修は困難となるために特別に講義をすることもありますが、誓って彼女に辛く当たっているわけではありません」


見るとアッペルクヴィスト女史はいかにもと頷いているものの、学院長は顔をしかめてでっぷりとしたお腹を突き出した。 


「その彼女のみがよろしくない。

他学生よりも指導が多くなるということは理解するにしても、彼女のみ講義を開くということが彼女を特別視していることになることが、聡明な君がどうして気づかなかった?」


たしかに特別視はしているだろう。

なにせアストリッドの未来がかかっているのだ。

確実に殿下の横に立てるようにするためには彼女を完璧な淑女にしなければならない。

そのためには平常の講義だけでは不十分で、特別講義を追加しているが、これは特別講義をしても学生の平均には到底及ばない彼女自身の問題で、このことが学院内で問題になるとは思ってもみなかった。


「一部の学生からも抗議の声が上がってきている。

講義中ならいざ知らず放課後を学生の意思を無視して特別講義という名の下に拘束することは間違っていると。

それにそれ以外でも彼女を見かけただけで厳しい指導が他学生の前で行われていると。

まるで彼女を公の場で辱めるための行為だと言われて仕舞えばこちらとしても打つ手がない。

いったいどうしたんだね。

私は君を大きく買っている。もちろんここにいるアッペルヴィスト君の推薦があったからだけではなく在学中の君自身を見てきたからだ。

他学生からは良き指導者として名が上がる君だというのにどうして彼女だけはそれが発揮できないのか甚だ疑問だが、こうなっては仕方がない」


学院長は肉に埋もれて見えない首を振ると、居住まいを正してアストリッドを見た。


「行き過ぎた指導は時に受け取る側から見れば権力を笠に着た暴力とみなされる。

もし仮に君の指導が数人にされていたのなら問題視されなかった。

もし仮に君が踏むべき手順を踏んで講義を追加していたのならば、今から言う言葉を私は言わなくて済んだだろう。

アストリッド・ベーヴェルシュタム。

君は学院の精神を軽んじ、規則を破り、一学生を貶めた。

学院長としてこれを軽視することは出来ず、君は今学期をもって教職を解任。当初の契約に従い契約期間は休職扱いとし、満期後の再雇用はないものとする」


ひゅっと息をのむ音がした。

それが自分の喉からでているとは、アストリッドは気づかない。


まさか、こんなことで…………?


一人の学生を他の学生よりも指導をしたからといって、どうして離職しなければならないのか。

重すぎる代償にうろたえることすら出来なかった。


「…………休職扱いになったのは、君の今までの功績と人望によるものだ。

君ほど学生から慕われた講師もいないだろう。

私の力が及ばず、済まない」


深々と頭を下げる学院長に、全てを理解した。

彼女がアストリッドに分からないように笑っていた訳も。

なるほど、彼女の友人(・・)にはとてつもない権力者だ。

法の下平等と謳うスコー学院の人事をいとも簡単に操れるほどの権力を確実に持っている。

彼女に甘く優しい彼ならば権力を行使して名もなき一講師など易々と切り捨てることが出来るだろう。

彼女がその友人の横に並び立てるようにと努力をしてきたというのに、当の本人が無きことにしようとする。

悔しさで膝の上で握りしめた手が震えた。


「一つだけ教えていただけますか?」

「何だね」

「引き継ぎは。ここにアッペルクヴィスト先生がいらっしゃるということはそういうことでよろしいのでしょうか」


唯一の救いは後任がアストリッドが師と仰ぐ女史だということだ。

女史ならばアストリッドなど足下にも及ばない素晴しい指導で彼女を淑女へと導くことができるだろう。


「そうだ。彼女には療養途中のところを無理を言って戻ってきてもらうことにした。…………いや、もともとはこちらが新婚早々の君に無理を言って講師をしてもらっていたのだ。君には十分頑張ってもらった。今後はご主人のいる元へ?」

「アッペルクヴィスト先生に引き継ぎを終えればそういたします」

「ではアッペルクヴィスト君、ベーヴェルシュタム君とともに事務課に顔を出して手続きをしてくれたまえ。

ベーヴェルシュタム君、今までご苦労だった。

これからはご主人の下でゆっくりと休養してくれたまえ」


目の前で未来の扉が閉じられる音が聞こえた。



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