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第二十四話


ちょっとまって。


アストリッドは自分が何か重大なことを見落としているような気になって手を額に当てた。

そもそも弟は友人という名を借りて自分自身の相談をしているはずで、決して本当にいる友人のことを話しているのではないはずだった。

けれど先ほどからの弟の話を反芻すると、どう考えても弟本人の話にしか思えなくなってくる。


でも、去年のあなたは彼女のことを話すときに顔を赤らめていたでしょう?

それにとても彼女を褒めていたじゃない。

なにより彼女の名前を聞いたときに、”物語”の彼女に間違いがないと確信したわ。

だから彼女が殿下のお気に入りと聞いても将来は貴方と一緒になるのだと思っているのに。


「貴方のことでしょう……?」

「…………はい?何でしょうか」


疑う気持ちが小声になって、目の前にいる弟には届かなかった。

期待を込めた目でアストリッドを見る弟が”物語”の彼と重ならない。


「今の話の”友人”というのは貴方のことではなくて?」


そのときの弟の驚き様ったらなかった。

秀麗な眉をひそめながら目を大きく開き、前のめりだった体を弾けるように勢いよく後ろに引いてソファの背もたれに音を立てて当たっている。

勢い飲んだ息は何を勘違いしているのだと強く告げていた。


「姉上!何をおっしゃるのです。相談しているのは初めから友人のことと言っているではないですか!」

「…………ええ、ええそうね。そうなのだけれど」


弟では、ない。

弟では、ないの?


ではその運命は一体誰の運命というのか。

姉を貶めてまでも望んだ運命を、自分のことではないというのならば。

弟ではないというのであれば、彼の友人は――――――簡単に推測できる。


「貴方のいう友人というのは殿下なのでは?」


弟の指がぴくりと動いたがそれ以外は見事に表情を消し去った。

何の行動も起こさないことが逆に友人が殿下であることを裏付けていることを彼は気づかない。


「なぜ、そのように思うのですか」

「簡単な消去法ですわ。

貴方の学院生活のほとんどを知らない私ですから、情報は限られています。貴方の話に出てくる友人といわれる人物は数名でしょう?その中で貴方が最も気に掛けているとなれば殿下に違いありません。それに殿下には気に入られて側仕えにされた女性…………たしかテレーシア・ステュルビョルン嬢でしたかしら。少女とは彼女のことなのだろうと簡単に推測できます。別の方法で考えても貴方の話に出てくる女性は彼女だけで、明確な身分差があるというのですから彼女の親の持つ男爵位との差を考慮すると侯爵以上の爵位が必要となります。我が国の公爵の子息息女は現在学院に在籍する年齢ではないですから、残るは侯爵か王族。つまりは貴方か殿下かとなるわけで、貴方ではないのですから残るは殿下となります。

違いますか?」


「いいえ、姉上。

まさしくその通りです」


観念したように肩を落とした弟は、唸り声をあげた。


「それにしても私も大概浅慮です。聡明な姉上に隠し事などできるわけもないというのに、情けない。

先ほどの話はまさしく殿下のことで、少女ももちろんテレーシア・ステュルビョルン嬢のことです。

殿下は彼女を妃にと望んでいらっしゃいますが、なかなか先行きが不安なのです」


やはり殿下のことなのね。


殿下の希望通りになるのならば弟の出る幕はなく、またあまり彼女のことを良しとしない弟の物言いからは彼女と恋仲であるとは考えらない。

アストリッドはじわじわとこみ上げてくる歓喜に叫びだしそうになった。


違うのだわ。

”物語”とは違って、彼女は殿下を選んだのだわ。


弟が生まれてから何度も見せつけられた”物語”が、弟が彼女を選ばず殿下が彼女を選び彼女もそれを望んだことによって今この瞬間、がらがらと崩れ落ちたのだ。


信じられない。

こんな幸運が訪れるなんて。


目の前では幸運を運んできた弟が、いかに殿下が彼女を強く思っているのかを延々と話している。

耳がかゆくなりそうなほど甘ったるい言葉を彼女にかけているようで、女性であれば羨む話なのだろうが、今のアストリッドには福音だった。


ああこれでやっと”物語”から解放される。

アンブロウシス様とこれからもずっと一緒に生きていけるのね。


幸福に酔いしれそうになりながらも、アストリッドは弟の言葉に耳を傾け、アドバイスをすることを忘れない。


だって、殿下には是非とも彼女と幸せになってもらいたいもの。


そうなれば弟の出番は一切ない。

殿下と彼女が結ばれれば”物語”は”物語”で終わり、現実にはならない。

弟に裏切られることも、父親に暴行され死を与えられることも、愛する夫に離縁状をたたきつけられることも。

どれもすべて単なる夢物語となるのだ。


「…………ただとても残念なことに殿下の横に並び、未来の王太子妃となるには、彼女はまだ未熟だということです」

「貴方はそのことを何度か言っていますけれど、彼女は本当に貴方の言うほどなのかしら。

殿下が心を寄せている彼女が、貴方が言うほど将来の妃殿下として不適切な女性であるわけがないと思うのだけれど」


私が注意をしても聞く耳を持つどころか見当外れな反論をしてくる彼女だが、もしかすると私が彼女の良さを見抜けないだけで、多少の不安があるかもしれないが殿下には心に響くものがあったのだろう。

そうでなければ取り立てて側仕えを許すわけがない。


「姉上は彼女をご覧になられたことがないからそうおっしゃるのです。

もし一度でも彼女に会うことがあったのならば、きっと私と同じ感想をもたれるでしょう。

彼女は同じ学び舎で机を並べ合う友人としては最高の部類に入ります。機知に富み、話題も知識も豊富で幅が広く、私たちを楽しませてくれる。

けれど時として彼女はとてもわがままになり、自分の行動が全て正しいとも思っているふしがあります。

それが良い方向に向けば彼女は殿下に誠相応しい女性になるというのに、今のままでは残念な結果になるやもしれません」


それだけは避けなければならないわ。


未来を思い描けることができた今、それを奪われることなど考えたくもない。

彼女の行動が未来の妃殿下として相応しくないのならば、学院にいる間に直させればよいではないか。

確かに今も将来の侯爵夫人としてなせるようにと注意してきたが上手くいってはいない。

そんなつもりは毛頭ないが、根底に弟と添い遂げてもらいたくないという気持ちがあるせいで彼女を疎ましく感じるせいかもしれない。

けれども侯爵夫人になるよりももっと重要な案件になったのだ。

彼女こそが王太子妃に相応しいと誰もが思えるほどのマナーや教養をみにつけさせれば、誰も彼女を不快に感じず蹴落とすこともなくなるだろう。

正式に殿下の妃候補とでもなれば妃教育が始まるだろうが、今はまだそれも望めない。

それならばやはり講師として彼女を再教育すればよいではないか。

今のままの彼女では貴族として将来仰ぎ見ることも不快なほどなのだから。


「そうね。

でも彼女に会う機会もない私では何も言ってあげることはできないわ。

せっかく学院に在籍しているのですから、講師の方々に助力を願ってはいかがかしら。

努力を怠らない学生に講師の方々は手を差し伸べてくださいますわ。

さあ、もう夕日が差し込んできましたわ。

たいした助言もできませんでしたが、スコー学院の講師はこの国一番の知識と教養をお持ちですから貴方の悩みを解決してくださることでしょう。

たとえ今、彼女が講師の方と距離があるにしても、学院は余程のことがない限り学生を見捨てません。

貴方も殿下と彼女の友人であるならば、優しいだけが友人ではなく苦言を呈することも友人だということを忘れてはいけません」


帰り支度を始めた弟の背中を軽くぽんと叩きながら、アストリッドは来るべき未来を思い描いた。



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