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第二十三話


アンブロウシスを見送って一人タウンハウスに残されたアストリッドは、執務室で机に向かい手を休みなく動かしていた。

机の上には決済を求める書類が積まれている。

スコー学院にいるときは月に一度執事が学院のアストリッドの元まで届けに来てくれていたが、火急の決済が必要なものは郵送で届けられ、すぐに目を通して送り返していた。

一年も家を空けるのだから仕方がないが、書類のやり取りだけでは行き届かないことが多くみられ、その処理に時間を取られている。

無理をいってスコー学院にいるのだからと、できるだけアンブロウシスを煩わせないようにと務めていたアストリッドだったが、”物語”のこともあって経理のことだけはアンブロウシスに承認をもらっていた。

もちろん、"物語”での火種の元となった持参金は結婚と同時にアンブロウシスの管理下に置かれ、持ち主本人だがアストリッドの承認だけでは銀行から引き出せないように手続きをしていた。

主人のいないタウンハウスは執事の管理のもと状態良く保たれていたが、一年ぶりにタウンハウスに戻ってきたアストリッドやアンブロウシスは少し手を加える必要があると判断し、アストリッドがスコー学院に戻るまでに修理を終えるための手配で忙しかった。

そんな中、アストリッドと同じくスコー学院の長期休暇で実家に戻っていた弟から一通の手紙が寄越された。

夫とともに実家を訪れて少し話したくらいでは、姉を崇拝する弟は満足できなかったようだった。


「姉上!お久しぶりです」

「まあ。つい先日会ったばかりではないですか」


苦笑しながら弟に椅子を勧めると、弟は少しばつの悪い顔をしてアストリッドの真正面に腰を掛けた。

すかさず使用人がテーブルにお茶を並べていく。

使用人が静かに下がるやいなや、彼は待ちきれなかったように身を乗り出して話し始めた。


「姉上が義兄上とともに国境になど行かれるからなかなか会うことが叶いません。この前来られたときは母上が姉上を独り占めしてしまってお話しするどころではなかったですし」

「あらあら。私の大切な弟は重度の寂しがり屋さんなのかしら」


胸元の貴石を無意識に触りながら弟をからかうと、彼は恥ずかしさから顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


「姉上!からかいくださいますな。

実は、折り入って…………相談事がありまして、どうしても姉上とお話ししたかったのです」

「相談事?スコー学院に入学して便り一つ寄越さず姉のことなど忘れたかと思っておりましたが、まだ相談事を受けられるほど頼られてはいたのですね」

「それはっ!……それは母上から国境で慣れぬ生活をおくっている姉上に手紙などださないようにと申し付けを受けております。仕方がないではありませんか」


しょぼんと肩を下げた弟にお茶とケーキを勧めると、男らしくないからとあまり人前で甘い物を食べない弟は嬉々として手を伸ばした。

やはり姉の前では大人の仮面が剥がれ落ちるようで、まだまだ子供なのよねとアストリッドは微笑んだ。


「それで相談事とは何かしら?」


一口大に切ったケーキを口に運ぶ手を止めると、弟はフォークをプレートの上に置いて姿勢を正した。

アストリッドよりも少しだけ色の濃いグリーンガーネットの瞳が瞬きもせずじっと見つめてくる。


「姉上は、運命を信じますか」


その言葉にアストリッドは目を剥いた。


他の誰でもない貴方が、その言葉を投げつけるのですか。


運命という言葉をこの世界において誰が一番知り、誰が一番体感していると思っているのだろう。

可愛がり慈しんできたはずの弟からは金のなる木と思われて、最後には弟が己の罪をすべてアストリッドにかぶせて地獄へと突き落とされた。

敬愛していた父には言い訳すら聞いてもらえず殴られ続け、引きずられて牢屋に閉じ込められた。

暴行に腫れ上がって手当もされない体は弱り、水すら飲めずに死を待つだけとなり、愛してやまない夫からはあっさりと離婚され、朦朧とする意識の中で見た最後の人は目の前にいる弟だ。

『姉様、ありがとう。あなたのおかげで助かったよ』

嘲笑されながら繰り返されつづける言葉は、どれほどアストリッドの心を抉ったかわからない。

愛し信頼していた家族から手ひどいなどという言葉では生ぬるい言動と行動で痛めつけら死ぬ運命の”物語”を何度も何度も繰り返し見せつけられ、その度に嘆き苦しみ地べたを這った。

泣き叫んで喉を潰したこともある。

なぜ、どうしてと懇願しても誰も何も知らないし、知ろうとも思わない。

アストリッドはただ”物語”によって知り得た運命を回避したくて必死になってもがいてもがいて、今を生きている。


そのアストリッドにどの口が、ひとかけらの重みもない”運命”という言葉を使うのか。


気持ちの高ぶりが手に表れて貴石を握り締めてしまったが、弟は言い出し始めたのにもかかわらず次の言葉を探しているようでアストリッドの動揺に気づきもしない。

彼が視線をさまよわせ逡巡している間にアストリッドもなんとか落ち着きを取り戻して彼の言葉をまった。


「その、これは友人の話なのですが、友人がある少女を見たときに運命を感じたそうなのです」


何を言っているの。

友人のこととお為ごかして本当は自分自身のことなのでは?

わざわざ相談事といって訪ねてくるわりには自分のことをさも友人のことだという風に装うなんて、結局私を信用していないということね。

意味のないこと。


普段なら押し殺している黒々とした思いが表面にでそうになるのを押さえつけて、目の前の顔を赤らめてうつむく弟を見た。


「その少女はとても溌溂として天真爛漫と申しますか、その、物おじなどをしない方で。そのくせ学業においては上位に入るくらいの知性を持ち合わせていらっしゃるのですが、いかんせん親の爵位が低く、恋や愛を語るにおいてもそれどまりで、将来をともになどできるはずがないのです。ですがどうしても彼女のことを諦められずで傍に置いておきたいという欲望を捨てきれません。いつの間にか友人の横には彼女がい続けるようになりまして……その、学院だからこそ許されているとは思うのですが、それでも他の学生から見てみれば友人の横に立つにふさわしくないと思っていることでしょう、ひそひそと陰口を叩かれることもしばしばです。それに最近では彼女とともにいると学院の講師の方からご指導を受けることが多々あるのです」

「講師の方からのご指導を受けているの?どういったことで?」


話を聞いているうちに不快感がどんどんと募っていく。

どう聞いてもこの話の主人公は弟とその将来の妻で、指導をしている講師はアストリッドに違いない。

声色にそれが表れたのか、弟は極まりが悪そうな顔をして言い訳を始めた。


「その、その少女と彼は、二人だけではなく何人かでいつも行動をしているのですが、人数が多いとどうしても場所を取ってしまうのです。室内に入る扉のところに立っているだけでもまるで入り口をふさいでいるかのようになりますし、道を歩いているだけでも通行を妨げてしまいます。たまたまだとは思いますし、人の邪魔などめったにならないとは思っているのですが、そういう時に限って偶然同じ講師に見つかり指導を受けてしまうのです」


「まあ、その講師はその友人たちを見張っているのかしら」


そんなつもりは全くないけれども。


アストリッドは苦々しく思った。

そもそもある程度の人数で行動を共にするのであればそれなりに回りに気を配るべきではないのか。

自分たちは楽しく談話しているだけかもしれないが、いくらスコー学院の法の下平等とは言え高位貴族の子息が集まっている集団には違いないのだから他の学生は遠慮するに決まっている。

そのことを踏まえずに傍若無人に振る舞っておいて、注意している人間を悪く言うとは。


「いえ、彼女は……見張るとまではいかないかと思いますが苦々しく思っているようです。

ただ問題なのは講師本人ではなく彼女の指導を、その、不服に思っていて講師に良い態度で接しない。彼もその他の友人たちも少女に同調してしまい誰も少女を諫めず講師に対しても少女と同じ態度をとってしまっています」

「その友人たちは講師の指導をなんと心得ているのかしら。講義ではないにしても学院内の生活も内申の対象となることはもちろん知っているでしょう?貴方ですらその友人たちの悪感情を知ることが出来るのなら講師が分からないわけがないと思いますけれど」

「そうなのです。

実は少女と彼は添い遂げたい気持ちはあるものの明確な身分差があり、少女が彼の横に並び立つには一つの汚点も許されない。それだというのに講師に対して不愉快な態度をとり続ければどうなるか、わかりきっていると思うのですがそれを直そうとはしない。

私は彼らの友人として彼らの幸福を願っていますが、このままでは自滅するしかないでしょう。

もし姉上ならば彼らになんと忠告しますか?

女性の目線でお教えいただけたらと、望みをかけてきたのです」


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