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第十二話


「あの、それはどういうことなのでしょうか」


戸惑いが声色に乗った。

アストリッドは卒業後、すぐとはいわないが結婚する予定がある。

学院内では婚約していることを誰にも話していない為、アッペルクヴィスト女史がそのことを知らないでいるのは当然なのだが、一般的に貴族の令嬢たちは卒業後そのまま結婚することが多い。

侯爵家令嬢であるアストリッドも例外でないとどうして思われなかったのだろうか。

思慮深い女史らしくない発言に、首をかしげた。


「そのままの意味なのですよ。私はあなたが卒業する年に講師を辞する予定なのですが、なかなか後任を任せられる人が現れないと嘆いていたのです。ですがオーケシュトレームさん、貴女がもし講師を引き受けてくれるのならば私も心残りなく去れます。貴女は入学してから一度も成績を下げず、学生会活動もきちんとこなしている才女ですが、特にマナーが他を抜きんでいて素晴らしいといつも感心しているのです」

「過分なお言葉、ありがとうございます。確かに卒業後の進路はまだ決まっていませんが、ほぼ確定しているといってもいい状態です。ですのでこのお話を受けることはできかねます」


その言葉で卒業後に結婚することがわかったのだろう女史はじっとアストリッドを見つめてたが、アストリッドの揺るがない瞳に肩を落とした。


「…………やはりそうですか。貴女は高位貴族のご令嬢ですから、そういったお話があるだろうとは思っていましたが、残念です」


女史は手にしていたカップをソーサーの上に音も立てず戻すと、すくっと立ち上がって見惚れるほど綺麗な礼をとり、そのまま静かに部屋を出て行った。


後に残されたアストリッドは、女史が去って行った後に残されたカップを食い入るように見ていた。

思い返すのは先ほどの女史とのやりとりだった。

――――――特にマナーが他を抜きん出て素晴らしい

そう女史は言っていた。

幼い頃から教えられていたこととはいえ、アストリッドが手本としてきた女史に褒められると言うことがどれほどアストリッドの力になるか。

講師になれるほどの教養があると、恩師が思ってくれている。

アストリッドの心は躍り出していたが、それと同時に職を得ることができるかもしれないと、貴族息女としては誰も考えつかないことを考慮しようとする自分に愕然とした。


疲れているのよ。きっと、そうよ。


アストリッドは思いを振り払うように立ち上がり、誰もいなかったように綺麗に部屋を片付けると、学生会室の鍵をしめて寮の部屋へと足を向けた。



このことがきっかけで、アストリッドは自分の身の振り方を考えるようになった。

”物語"を知ってからがむしゃらに知識を身につけ、来たるべき日に万全で望もうと努力をしてきた。

”物語”には逆らえない、そう思っていたからだ。

けれど何かがおかしいと思うようにもなってきていた矢先のことだったのだ、女史の勧誘があったのは。

アストリッドの知る”物語”にはでてこなかった女史の勧誘。

”知っている”ことにも現れないそれは、もしかしたら”物語”からずれた未来に向かっている証拠なのではないかと、アストリッドは考えた。

自分に都合よく考えているだけなのかもしれない。

けれど弟と離れ、”物語”を見ることもなく二年も過ぎると、子供の頃観た芝居か小説の内容を自分のことに置き換えて覚えてしまったのではないかという思いにかられてしまう。


本当にそうならどんなに喜ばしいことか。


子供の頃から書き連ねたメモは、誰にも観られないように手元に置いてある。

ライティングデスクの奥の二重にして見えなくした場所に厳重にしまわれた箱を取り出して、鍵を開けてメモを取り出す。

よく見るメモはすり切れて、所々紙がゆがんでいるのは小さかった頃のアストリッドの涙のあとだった。


もし本当に”物語”が変わってきているのなら。

とても小さな事柄でも、”知っている”物語と違いがあるのなら、もしかしたら未来の自分を救えるかもしれない。

どこでどう変えれるのかはわからないけれど最悪のことは”知っている”のだから、それ以外の全ての道は良案となる。

女史が願ったように、マナーの講師になることも、良案のうちの一つとなったのだ。


してみたいわ、とても。とても、してみたい。


えん罪で殺されるように仕向けられた”物語”以外のことは全てして行動する価値のある”違う”物語だ。

たまたまマナー講師という職業を提示されたけれど、それ以外の未来もえら得る努力をすべきなのだ。

アストリッドは自分が望む答えをなんとか導き出すことが出来て、晴れやかに笑った。


アストリッドは一層の努力をするようになった。

もしかするとこの一瞬の出来事がよい未来を引き寄せてくれるかもしれないと思うと、手を抜くことなど出来るわけもなかった。

女史に勧誘されてから一年、時々確認するように女史がアストリッドに問いかけるが、アストリッドは心を隠して同じ答えを返し続けた。


そして迎えた自身の卒業式は総代として式に臨み、読み上げた答辞に感激して涙する同級生たちにアストリッドこそ感激した。

在校生が開いてくれた卒業パーティも素晴らしく、会場は学年色の新緑色で染まり、出された食事も申し分なく全て行き届いていた。

この日をもって退寮する卒業生たちは、今生の別れのようにいつまでも肩を抱き合い手を取り合って別れを惜しんだ。


…………よい学生生活を送れたと、アストリッドは将来の夫に、離れていた間の話を聞かせ終えた。



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