第十話
スコー学院は、アシュレイド王国の首都ローレ郊外にあるガラム・ウサプラ丘陵に建てられた全寮制の王国唯一の教育機関である。
入学は貴族の義務だが門は広く、平民でも優秀であれば入学が許される。
優秀であれば授業料や諸経費が一切免除となり奨学金が与えられる。
これは平民も貴族も関係なくアシュレイド王国に籍のある国民であれば平等に与えられる制度で、高額な授業料を払うことが難しい平民はこの制度を利用出来るようにさらに勉強に励んだ。
子供のころから才女と名高いアストリッドは、入学選抜のときの試験で大変優秀な成績を収め、入学する際には新入生代表として挨拶をすることとなった。
もちろん最優秀の成績だ、学院に必要な経費すべてが無料となったが、アストリッドは侯爵と相談の上、他の生徒に権利を譲ることにし、学院側もこれを了承して次点の学生に権利を与えた。
次点の学生はずいぶんと喜んでいて学業に励みますと言葉を返してもらったよ、と入学式前の控え室で学院長から教えてもらった。
その学院長の横には、新入生代表としての作法をアストリッドに教えるための講師が式次第を片手に持ちながら待っていた。
にこやかに微笑むその人を、アストリッドは驚きを持って迎えた。
「…………先生」
思わず漏れた言葉はそのまま彼女の耳に届き、嬉しそうに頷いた。
式で読み上げる挨拶文を本番さながらに何度か読み、服装を整え、歩く速度やお辞儀をする角度を確認しながら、アストリッドは指導してくれる講師を懐かしく見ていた。
マルグレート・アッペルクヴィスト女史はスコー学院の道徳と教養の講師だったが、幼いアストリッドの教養の先生として侯爵邸に招かれてもいた。
そのころのアストリッドは今の背丈の半分ほどしかなく、アッペルクヴィスト女史は今まで教えてきたなかで一番小さなレディだわといって膝を折って挨拶をしてくれた。
今のアストリッドは女史よりも少しだけ身長が高くなり、挨拶をするのに膝を折る必要はない。
「及第点を差し上げましょう、オーケシュトレームさん。
あなたは我がスコー学院に相応しい新入生の代表となるでしょう」
「ありがとうございます、先生。私が代表として相応しくあれるのは先生のご指導のおかげかと存じます」
幾分堅苦しい挨拶はここでの立場を考えてだったが、その瞳の輝きは柔らかい。
嬉しい誤算だわ。
まさか恩師がスコー学院にいるとは思ってもみなかった。
それに女子寮の監督でもあるため、学生たち、つまりはアストリッドと生活を共にするのだともいう。
新しい生活の小さな不安が一蹴されるようだった。
気持ちに弾みがついたのか、入学式にあがることもなく堂々と新入生代表として挨拶ができた。
先生方からはお褒めの言葉を賜り、オリエンテーションが行われる講義室へと向かった。
アストリッドが入室するときには、全ての新入生がすでに席に着いており、遅れて入ってきたアストリッドを注視していていた。
ぎょっとして固まり掛けてしまったしまったが、その中に何人か、子供の頃からお茶会を開いて交流を深めていた人たちが小さく手を振ってくれ、席をとっていたのよと腰をずらして場所を空けてくれた。
なんてよい友人たちなのかしら。
オリエンテーションが始まり、受講の仕方や単位の取り方、病欠の場合の連絡の仕方などを知り、スコー学院の見取り図とカードを持って講義室を飛び出して学院内を探索し、チェックポイントで上級生よりカードに印を押してもらったりもした。
寮にはいると新入生入学を祝って上級生たちからの歓待があり、歌を歌い合い、ダンスを踊った。
寮は個室は寮長だけの特権で、それ以外は二人部屋と決まっている。
アストリッドの相手は男爵の息女で、お互いの価値観がずれていて衝突もしたが学ぶべきことも多く、いつの間にか気の置けない友人となった。
もちろん学業はおろそかにしない。
新入生代表になった実績は重く怠惰は許されなかったが、タウンハウスでの個人授業では学べない、多数の人間と意見の出しあいがアストリッドの向学心を刺激してやまなかった。
その上、物語での自分の死の原因である弟と生活を共にしていないせいか、スコー学院に入学してから一度も”知っている”物語を見ることがない。
精神的に負担がかかる場面を見ることも体験することもなく、十二分に穏やかでありつつ、刺激的な日々を送れる幸せに、アストリッドは酔いしれた。
長期休暇にはタウンハウスに戻り、アンブロウシスの休暇に併せて交流を図ることも忘れない。
会うたびに精悍な顔つきになり、手には剣だこができてどんどんと男らしくなっていくが、腕にはアストリッドが婚約式で渡した時計を着け、相変わらず恥ずかしげもなく恥ずかしい言葉で翻弄した。
「君は会うたびに信じられないほど綺麗になっていくね。僕はそれをとても嬉しく思うけれど、どうして僕は君が綺麗になる一瞬一瞬を見ることが出来ないのだろう。ああ、早く学院を卒業して僕の元にやっておいで。そうなれば僕は君を得られたのだと心から安心するのに」
長期休暇の後、アストリッドの心は濃厚すぎる思い受けへとへとになりながら学院生活を迎えることが通常となった。




