絶望と決意
絶望:望が絶えること。期待・希望が持てなくなることである。今までの考えが負の方向に大きく変わった様子。絶望状態に陥った人間の多くは、極端なまでに負の思考に陥り、状況によっては自殺に踏み切る事さえある。更には復讐に囚われる者もいる
「丁重にお断りさせていただきます。」
そう言って優は頭を下げた。二人の間に沈黙が走る。グラウンドからの野太く威勢のいい声や野球やサッカーのボールを打つ音が屋上にも鳴り響く。するとその沈黙の間の終わりを告げるかのように春風がブォッと吹いてきた。そしてルミネが口を開く。
「ど、どうしてですか!?あんなに今さっきは威勢よく賛成してくれたのに!どうして!?」
ルミネは混乱しているようで、且つ少し怒った口調で訊いた。
「なんでダメなんですか?こっちの世界では注視すればその人の力がオーラのように見えます。あなたを隣から観察していましたが、あなたの体を流れる魔素は凄い。とんでもなく凄いんですよ!私の何倍も!そんないい身体の持ち主なのに!」
だから俺の横に座ったのか。
優は一つ謎が解け、かなり満足した。そして、この誘いにはどうしても乗りたくないため、何も言わずにこの場から退場したいのだが、どうもそうはいかないらしいので、説明するべく頭を上げる。その時、ふたりで争っている少年達、凶悪な笑みを見せる青い髪の少年、炎上する車が頭の中で投影された。しかし、優はそれを振り払い、答えた。
「お前、『戦う』って言ったろ。そんな物騒な事すんじゃねぇよ。なんだ?魔王様でも出たってか?侵略して来るってか?馬鹿馬鹿しい。」
「魔王程ではありませんが、帝国軍が攻めて来るんです!奴ら絶対に侵略して来るんです!あなたはこの石に……ゴシップストーンに選ばれたんです!聖剣に選ばれたんです!お願いします!協力してください!」
「無理だ。」
「お願いします!」
「無理だ。」
「お願いじまず!」
「無理だ。」
「お願いじまず!お願いじまず!お願いじまず!」
そう懇願するルミネの下げた頭から、地面に幾粒もの水滴が落ち、渇いたコンクリートの表面を湿らせる。しかし、ルミネの要求を優は容赦なく拒んだのだった。ルミネの要求はしつこく、最後は涙ぐむまでになっていた。それほど必死なのだろう。しかし、優も譲る訳にはいかなかった。過去のトラウマが優を『力を振るう』ということから遠ざける。
「あのなぁ。その……帝国軍?とやらが怒ったりしてるんだったら、さっさと和解するんだな。それが出来ないんだったら、……うーん。……他当たってくれ。」
優はそう無責任な助言をルミネに残すと、その場から立ち去ろうと回れ右をしてドアへと向かって行った。
「なんで!?どうしてそんなに自分が戦うことから逃げるんですか!?怖いんですか!?」
そんな無責任な優の言葉がルミネにとってはやはり腑に落ちないようで、不誠実な優に対しての怒りも含めてまた質問をしてきた。
優は立ち去ろうとした足を止めた。優は少しカチンと来たが、本当のことなので敢えてその事は否定しない。しかし、戦おうとしている彼女にこれだけは言っておきたくなったので、ルミネの方を向き、答えた。
「暴力なんてなんの得もねぇ。得るのは……悲しみと憎しみ。それと、行き場のない憤り………。それだけだ。」
そう言って、優はもう一度立ち去ろうと回れ右し、ドアの方へ進んだ。
「そんな……。」
と言う絶望を表象したような声が聞こえてくるがもう気にしない。思い出したくもない過去を煮えくり返され、少しイライラしてしまい、掴んだドアノブを荒くひねり、開けた。
「……はっきり言って、最悪。ほんと興醒めなんだよ。……もうこれからは俺に関わるなよ。」
優はルミネのほうを見向きもせずに、語気を強くしてそう言い放った。告白かと思えば変な世界へのお誘いで、単なる勧誘かと思えば戦争かなんかの応援要請ってかっ。
早くこんな場所から立ち去ろうと、校舎内に入ろうとした。その時────
『トゥウィントゥウィン トゥウィントゥウィン』
ブゥーーーーン ブゥーーーーン
『緊急地震警報!緊急地震警報!』
「な、なんだ!?────」
ゴゴゴゴゴゴゴッ
突然、地面が揺れだした。立つのが不可能なほど揺れ始め、優もドアノブに捕まるのが精一杯だった。しかし、そのドアさえも開閉を繰り返す程だった。
「は、始まってしまいましたぁ。」
ルミネは何か知っているようで、そう呟きながら、あわあわと慌てている。グラウンドや校舎からの悲鳴がどこからとも無く聞こえてくる。そして、無数の何かが崩れていくような音が学校の屋上にも聞こえてきた。
二十秒ぐらい経っただろうか、地震は次第に弱まり、揺れはなくなった。校舎は耐震工事済みだったためだろうか、崩れはしなかったようだ。
「痛ってぇ……。こんなでっけぇ地震体験した事もねぇし、聞いたこともねぇぞ?……こんな学校揺…れ…────」
揺れが収まったことに気づいた優は立ち上がってしまった。
ザッザッザッ
カシャン
「う……嘘…だろ?」
そこで見てしまった。
屋上からフェンス越しに見える自分たちの街はボロボロだった。道路は崩れた木材に埋め尽くされ、見たことがある家々は積み上げられた割れ材と化していた。マンションに潰された家もある。これまで過ごしていた街は、たった今の大地震により廃墟と化してしまっていた。
「なんだよ…これ……。うあ!やべぇ!」
その光景を見た優は動かずにはいられなかった。
「ちょ、ちょっと!」
ルミネの声を無視し、階段を駆け下りる。二階へ降りると2ー3の教室に向かった。ドアをバシッと荒く開ける。そこには机や椅子、教科書があらゆる方向に散乱していた。
「おーい!誰もいないか!?大丈夫か!?」
「……う、うぅっ。」
「……!」
優が教室に叫ぶ。すると、奥の方の机の数々が盛り上がったかと思うと、下から緑色の髪から血を滴らせ、ひびの生えた眼鏡をつけた友人が呻きながら現れた。
「忠雅!」
そう叫んで、優はよろよろと立ち上がる忠雅を支えに入った。優を見て安心したのか、忠雅は脚がよろけた。すかさず優は肩を組むようにして体を支える。
「大丈夫か!?」
「あ、あぁ。……っつ!」
優の問いに肯定しながらも忠雅は激痛に顔をしかめる。失敗だった。自分に彼女ができた時に一番最初に共有すべく忠雅は教室に残しておいたのだ。
自分がお願いしてしまったがために……。すまない……。
優は傷だらけの友人の体を見ながら、内心でそう思った。しかし、優は同時に安堵もしていた。また、失うことは避けられた。
優は忠雅を支えたまますぐに保健室へ向かった。しかし、やはり保健室も被害に遭ったようで、様々な薬品の瓶や液体が床一面に広がっている。先生はどこかに避難したらしく保健室には居なかった。優は余震のことも考え、ひとまず学校から出ることを考えた。何とか靴を履き替えた二人はグラウンドへ移動した。そこには色とりどりのユニフォームを着た部活生や先生達が避難していた。
「神木くん!安藤くん!」
「優!……忠雅!?」
小林先生が一目散に駆けてきた。その後に陸上部のユニフォームを身につけた葵も続いてくる。外での競技練習のため、怪我はなかったようだ。怪我をしている忠雅に気付いたらしく、すぐさま他の先生達を呼び、忠雅を運ぶよう頼んだ。体育系教師が担架を担ぎながら近づいてくる。やはり他の部活動生のみんなも外に出ていたらしく、怪我人は少なく怪我も軽傷で収まっているようだ。優と一緒に忠雅を見送った葵が口を開く。
「優。大丈夫?怪我はないの?」
「ああ。俺は大丈夫だ。ただ……。」
屋上にいたのが幸いだった。何も降ってくるものや自分にぶつかって来るものも無かったため、一つも傷を負わずに済んだ。しかし、それよりもさっきから何かが心に引っかかっている。それは何かしらへの『心配』なのだが、それが全くわからない。その時、考えるのに夢中になっていたが、葵が発した呑気な言葉によってその正体が明かされた。
「家、大丈夫かな~?」
それを聞いた瞬間、また優は駆け出した。次は校門の外へ。
「ちょっ、ちょっと!優!」
「ちょっと!神木くん!待ちなさい!そっちは危ない!」
後ろからの叫びを無視しながら無言で走る。目的地はたった一つ。
由美さんが……危ない!
徒歩での通学をしていたお陰でそこからはあっという間だった。いや、家に着くということに夢中になっていたからそう感じたのかもしれない。いつもならもっと早く見つけられただろうが、今日は少し時間がかかってしまった。なぜなら――
「ここ…なの…か?」
やはり自分達の家も崩れていたからだ。その無惨な光景にただ呆然としていると、優にとって今一番会いたくない人物がやってきた。
「優さん!置いていかないでくださいよ!」
自分が絶望している時に、そんなことを言われ、腹が立ち、帰れと追い払おうとした。が、
「おい!ルミネ……だっけ?さっきの力でこの家の屋根を持ち上げてくれ!」
今、一番したいのは叔母であり母親代わりの神木由美の安否の確認である。この時間には夕飯を作るのにいったん帰ってくるのだ。
こいつに協力を仰ぐのはあまり気が進まないが、今はそうは言っていられない!
今、優は不安と焦りですごい顔になっているのだろう。ルミネは優のその覇気のような勢いに怯えながら、
「べ、別にいいですけど。」
と言うと、屋上でやったのと同じように掌に緑色の光を集め優の家であったものにぶつけた。すると、ところどころからツルが伸び、あっという間に屋根が持ち上がった。
ガラッ ガラガラッ
そしてその時、優は見つけてしまった。
「由美……さん?」
優の口から情けなく小さな声が漏れた。目前にあったのは、瓦礫がもられている中でエプロンを付けた由美が仰向けの状態で数本の鉄筋に体を貫かれ、辺り一面には血が飛び散っていた。そんな光景だった。絵画だったとしても悪趣味なその光景に頭を真っ白にして、優は静かにそれに近づいて行った。信じられない光景の一点だけに目の焦点を合わせながら、下も見ず、所々に放置された瓦礫に転びそうになりながら、淡々と近づいて行った。そんな優もついに転んだ。その原因は由美の身体から鉄筋を伝って広範囲に流れているヌメリとした感触が残った赤黒い液体の浅い水溜まりだった。
辺りに優の悲痛な叫びが響いた。家々が崩れているせいで優の叫びを邪魔するものはなく、いつまでも響いた。しかし、この声を聞くのも今ではルミネただ一人だった。そのルミネもその阿鼻叫喚とした場に耐えきれず、自身の制服を強く握り締めて下を向くしかなかった。しかし、そのままともいかず、顔を上げ、静かに優に提言した
「私は……この時代よりも1年前のネビュラから来たので……なぜこうなるかは分かりません。しかし、これは帝国軍の侵略がもたらした結果なのでしょう。帝国軍はこの世界をも支配するつもりなのです。これは多分……予兆にもすぎません。」
由美の死体を目の前に膝をついて啜り泣く優にルミネは言う。
すると、優は泣き止んだのか由美の瞼を閉じながら額を合わせ、「……何で。」と小さく呟き、
「何で!何で何で何で何で何で何で何で!俺が何したって言うんだ!もうやめただろうが!何でまた!何で俺ばっかなんだ!何で!」
地面に自身の拳を打ちつけながら、誰かに訴え、問うような叫びを上げた。ルミネもその光景を見ることができず、また少し顔を伏せる。すると、優は何かを決意したように膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がった。そして、
「こんなのが予兆って言うのかよ!予兆だけで由美さんは死んだってのかよ!なんでどっかの世界のせいでこの世界が壊れないといけねぇんだよ!」
と、息を切らしながら叫んだ。また、周りの家の瓦礫が大地と化したその虚無の空間に優の声は響き渡る。そして、ルミネの方を向いて、
「ルミネ。俺を……異世界に、連れてってくれ!」
そう言った優の顔は歯をむき出し、目を怒りに細め、睨むようにして皺を額に寄せた、いつもはおとなしくしていたネコの哀しい猛獣の面立ちだった。
次からは異世界に行くので、お楽しみにーーー!