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(8)

 あれから三日が経った。 

 天気は相変わらずぐずぐずしており、昨日、ついに曇天から初雪がちらついた。

 元旦を三日後に控えて、リズは家の大掃除やおせち料理の準備に追われていた。

 五代目は、時折、書庫から出てきたけれど、その顔を見れば難航しているのは一目瞭然だった。リズは五代目の身体をとても心配していた。ほとんど食事をしなくなってしまったからだ。

 筆業師が術を使ってばかりかといえば、実はそうではない。

 正しく処理を行うためには、まずその本を知る必要がある。

 目の前にあるその本を読めればいいのだが、開くことができない場合は同じ本を探すしかない。長いことこの家業を続けているので、うちの書庫にはそんじょそこらの町の小さな図書館には負けないくらいの本がある。今はパソコンやネットもあるが、それでも地道に調べてゆくしかない。

 だから体力は重要だ。

 筆業も体内のエネルギーを使って発動するので、食事は基本だと教えてくれたのは五代目だったけれど、この三日間でげっそりと痩せてしまった。

 僕の方はといえば、こっちも八方塞がりだった。

 どうにか拒否反応から立ち直り、何度も術を試してみたが、「睡蓮」だけでなく「蔦」も「泡」も、すべてが破られた。

 意を決して素手で触れてみた。二度目は火花は散らなかったが、本は固く閉じていて全く開くことができなかった。

 『天の本』は変わらずに沈黙を続けている。

 今日も一日、店であの本と対峙しなければならないのかと思うと、雲に覆われた空のように憂鬱な気分になった。

 そんな日曜の朝。

 リズとお父さんと三人で朝食を食べていると、二十四時間ぶりに五代目が書庫から出てきた。目の下にはクマ、髭も伸び放題、髪はぼさぼさで、別人みたいだ。

「おはよう」

「…………」

 返事もない。

「一花さん、ご苦労様」

 リズが席を立ち、五代目の手をそっと握りしめた。五代目はうううっと唸ったかと思うと、リズに抱きついて「リズ〜リズ〜」と愛妻の名を連発し始めた。リズは五代目を抱きしめて、その背中をゆっくりと撫でている。

 お父さんは「お義父さんとお義母さんはほんとうに仲が良くていいなあ」と羨ましそうだ。お母さんがいないのが淋しいのかもしれない。

 僕はといえば、見慣れたラブシーンはただただ暑苦しいだけなので、さっさと食事を済ませると居間を出た。

 ふと思い出して立ち止まる。

「五代目」

 仕事のことなので、五代目と呼んだ。

「書庫で調べたい本があるんだけど入ってもいい?」

「今ならいい。泡をかけてきたから」

 リズに甘えたまま返事がきた。

 久しぶりに入った書庫はひどい有様だった。

 床の上には本の山がいくつもできていて足の踏み場もない。何かを書き付けた紙も散乱している。なんとか掻き分けて書架に辿りつき、目当ての本『人名辞典』をひっぱり出した。文化的著名人の作品やプロフィールが載っている。ネットではどうしても見つからなかった黒羽という作者の情報を調べるのだ。

 重く分厚い辞典を抱えて立ち上がったとき、奥の作業台の上に例の古い単行本を見つけた。

 まるでその本に呼ばれたかのように、ふっと視界に入ってきたのだ。

 相変わらず薄い灰色の瘴気を纏っているが、「泡」の中にあるため、悪い気は漏れていない。

 五代目をあれほど悩ませている本だ。

 そこにあるだけで人に悪い影響を与えるという本。怖くないわけがない。

 けれど、何かが僕に訴えていた。

 視ろ、と。

 確かめろ。触れてみろ。恐れるな。感じ取れ。

 答はそこにある。

 内側で響く声に押されるように、僕はその本へ近づいていた。

 触れれば、あの紅くおぞましい光景が僕を待っているだろう。

 見たくないという感情に反して、握りしめた指はゆっくりと開いていった。

 浄化が終われば、もう二度と、本の想いを見られなくなる。

 そのまま見なかったことにはできなかった。

 僕は、泡に包まれたその本の上に手をかざし、瞼を閉じた。

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