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「おじいちゃん、そっち! アレがそっちに逃げた」

「こら! あまね! 今は神聖なる仕事の最中だぞ! 五代目あるいは店主あるいはグランパと呼ばんかっ!」

『グランパだって』

『相変わらず かぶれてるな 異国文化に』

『クスクス』

 どこからか、からかうような声が聞こえてくる。店の書架に収まる本たちの声だ。

 グランパは僕も違うと思う! と、激しく同意したいけれど、今はやつらに構っている状況ではない。

「そっちの棚によじ登ってる」

「らちがあかん。周! 抜刀せよ!」

「はあ?」

 おじいちゃん、もとい、五代目は、どこからか取り出した立派な筆を右手に掲げ、左手を腰に当ててポーズを取っている。筆というのはお習字で使うあの筆だ。今日の衣装は白い着物に白い袴。まるで神社の神主さんのような白装束に筆。さまにはなるけど、なんか違う。悪いけど、あまり格好良くはない。

『あれ刀?』

『ただの筆ですよ といっても京都の名匠の手による逸品ですが 使っている毛が……』

『あんた いつも うんちく多すぎ』

『時代劇の見過ぎなんじゃないの』

『あのジジイが見んのは ハリウッド映画だろう』

『もうろくしたのよ』

「周! 私はまだもうろくなぞ、しとらんぞ!」

「僕じゃないよ! 外野は黙ってて!」

 僕と五代目以外、誰もいない店内に向かって叫んだ。外からみたらおかしな光景だろう。

『クスクスクスクス』

 またしても店内に忍び笑いがさざめく。サラウンド効果バッチリだ。

「我ら筆業師にとって、筆は武器なのだ!」

 五代目は少しポーズを変えた。刀を逆手に持ち身体の前で構える。忍者っぽい。けれどその右手にしっかりと握られているのは、刀ではなくやはり筆なのだけれど。

「確かに武器かもしれないけど、僕のは小学校のお習字セットについてたショボイやつだよ」

「つべこべ言うな!」

「つべこべ言ってるのは五代目じゃない」

 僕はちょっと呆れたように言った。

 うちのおじいちゃんらしいと言えばらしいのだけど、どっかのヒーローみたいな決め台詞やポーズは必要ないと思う。僕らはヒーローではなく、どちらかというと、こっそり隠れて暮らしているようなものだから。それにやっぱり筆は筆。誰かを傷付けるためのものではない。たとえ対象が物の怪と化した本であっても。

『遊んでる間に逃げちゃうよ』

『天窓に向かってるよ』

『天窓というのは ローマ時代にも……』

『だからうんちくはいいって!』

 声につられて見上げれば、アレは古びた天井の板をガタガタ踏み鳴らしながら天窓へと移動していた。レトロな電灯が揺れて、あちこちに灯りをまき散らし目がチカチカする。

 本のくせに、ページから手みたいなものをべろりと出して、器用に天窓を開けようとしている。

「アレが逃げる!」

「周! 蔦を!」

 五代目の黒い瞳がギラリと光ってアレを睨みつけた。その一瞬で、店内の空気がきいんと引き締まる。

「はい!」

 僕は制服のズボンの後ろポケットに差していた、お習字の時間御用達の一本498円の筆を取り出した。その毛先はボサボサでホウキのように広がっている。

 習字のときのように右手に筆を構え、僕は目の前の宙に「蔦」という字を書いた。

 墨汁や水は付けていないが、筆の軸から何かが滲み出て、僕が書いた空中に、水に墨を流したような軌跡で「蔦」の一字が浮かび上がった。

 筆を口にくわえ、ややあごを上げて「蔦」の字を見据え、両手を柏手のようにパンッ! と打ち合わせる。

 僕の書いた「蔦」の字が、じわりと歪み始めた。

 墨から緑へ。

 気体から固体へ。

 それは色を変え、性質を変え、やがて本物の蔦そっくりに姿を変えた。

 しゅるしゅると音をたてながら、僕の作り出した蔦が宙を巡る。天窓から外へ逃げようとしていたアレに絡みつき、その動きを止めた。

『ギーギーッ!』

 獣のような耳障りな声でアレが鳴く。

『可哀想に もう人語も忘れてしまったか』

『終わりだね』

『消されるよ』

 どこからともなく聞こえてくる囁き声で、僕の胸の奥がきゅっと音をたてた。

 そう。

 アレは消さなくてはならない。

 そういう類のものだ。

「五代目! 動きを止めました!」

「よし! 浄化する!」

 五代目が筆を走らせた。まるで美しい舞のような所作だ。僕とはまるで違う。その筆先の軌跡が「火風」という文字を宙へ刻む。

 五代目が両手をパンッ! と打ち合わせた。音は高く響いた。店のガラス戸がビリリと震えるほどだ。外野たちの囁き声がピタリと止む。聞こえるのは、アレの高く鳴く声だけ。

 柏手の音が「火風」を揺らした。

 五代目の書いた文字は火炎を纏った風へと変質し、ゴォという低い音を立ててアレに喰らいつき、あっという間に飲み込んだ。

『キイィィィッ』

 耳をつんざくような咆哮を最期に、アレは一瞬で燃え尽きた。

 五代目がもう一度、手を打つと、火風も僕の蔦も一瞬で消えた。

 静かになった店内にふわふわと振ってくるのは灰。

 アレのなれの果ての姿。

 かつて、本だったもの。

「浄化完了。後片付けをしておいてくれたまえよ、六代目見習いくん」

「六代目にはならないってば!」

 五代目はひらりと手を振りながら、僕を無視して店の奥から母屋へと逃げていった。

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