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 灯りも付けずに、天窓から差し込むわずかばかりの冬の陽の中で、テーブルに置いたままの『天の本』に駆け寄った。 

「あなたは探しているんでしょう?」

 僕は『天の本』に話しかけた。

「対になっているもう一冊の本を探しているんですね?」

 五代目が格闘しているあの本の想いを知ろうとして、思いがけず違う場所へと飛ばされたらしい。

 曼珠沙華が連れて行ってくれたのだろうか。

 亜麻色の髪の和服の女性が二つに引き裂いた本のタイトルは『地の本』だった。

 ベージュの表紙に金の箔押しが施されていた。

 今ここにある『天の本』と、全く同じ装幀だった。

 その二冊の本が強い絆で結ばれていることを、僕は確かに感じた。

 なぜ、あの古い単行本から行き着いたか、わからない。かつて、あの単行本とその二冊は一緒に保管されていたことがあったのかもしれない。

 でも今は理由など、どうでも良かった。

 これが唯一の手がかりなのだ。

 そのとき、初めての変化が起きた。

 『天の本』がぼんやりと光を放ったのだ。

 僕の問いにイエスと答えているかのように、ほわりと光って消えた。まるでホタルのようだった。

 その仄かな光は、僕の心の中にも光を灯した。

 急に、目の前が開けて力が湧いてくる。

「僕が探します。もう一冊の本を。時間はかかるかもしれないけれど、全力で探します。約束します」

 誠心誠意を言葉に込めた。

 本はまた光を放った。

 ゆっくりと呼吸するように数回瞬くと、また沈黙した。

 僕は大きく一つ息を吐き出した。膝から力が抜けて、木製のスツールにとすんと座り込み、テーブルの上に突っ伏した。

「周、どうした?」

 店が明るくなった。

「おじいちゃん」

 慌てて廊下を走っていった僕を心配して来てくれたのだろう。

「何かあったのか?」

「僕、ヒントを見つけたんだ。まだ何も話してはくれないけど、この本には対になる本があることがわかった。それを探して欲しいみたい。どれくらい時間がかかるかわからないけど、探してみるよ」

 この広い世界で、一つの本を探すことは実はとても難しい。

 ベストセラーならまだしも、希少本であればあるほど門外不出となり、その所在は隠されていく。

 『天の本』を調べたときも、もちろん対の本についての情報は何も出てこなかった。

 ここからは足で調べるしかない。

 他の古書店を巡り、大学図書館や私設図書館、博物館の蔵書を調べ、人の噂に耳を傾ける。

 それが古書店というものだ、いつかおじいちゃんはそう言っていた。

 『地の本』を探す。

 それが『天の本』を開くたった一つの方法ならば、僕はそれをやり遂げたい。

「そうか……よくやった」

 五代目はほっとしたように髭の生えた顔を緩ませた。

「なに言ってんの。これからだよ」

「そうだな。まあがんばれ」

 五代目が片手をあげて店を出て行く。

「あ! あの本のことなんだけど」

 僕の脳裏にあの光景が蘇る。

 紅く染まった悲しい世界。

 僕はうまく説明できそうもなくて、躊躇った。本の思念を視る力のことは、まだ誰にも言っていない。それを言っていいのかもわからない。

「アレか?」

 五代目は一変して険しい表情になった。

「アレは難しい。まだ何もわからん。しばらくかかるだろうな。正月返上だ」

 やれやれと腰を叩く。

 疲れ切っている。

 すべてをありのままに言うことが正しいことくらいは、良くわかっていた。おじいちゃんを助けてあげることができるかもしれない。

 けれど、なぜか躊躇われた。

 僕の中の何かがブレーキをかけていた。

 この力を人に知られてはならない。

 それがどこから来る観念なのかは、わからなかった。

「あのね」

 僕は考えあぐねた末に、口を開いた。

「あの単行本には染みがあるの。赤黒いやつ。たぶん血だと思う。人間の。それを取り除くことができたら、浄化もうまくいくかもしれない」

 五代目は驚いたような顔をして僕を見つめた。

「どうしてそんなことがわかったんだ?」

「えっとね、さっき書庫に辞典を探しに入ったときに、臭いがした気がしたんだ。鉄のような。それでふっと閃いたの。人の血を浴びて物の怪になった本の話は、書庫にあった記録で読んだことあったし。それでね、近づいて良く見てみたら小さな染みを見つけたの。でも表紙の絵に紛れててすごく見えにくいんだよね」

 僕は今、五代目に初めて嘘を吐いた。

 慎重に言葉を選んだつもりだったけれど、あの力のことを内緒にしたままで、必要なことを伝えるのは難しかった。

 それ以上は胸が苦しくなって何も言えなかった。

「周」

 おじいちゃんの手が伸びてきて、僕の頭をくしゃくしゃと撫で回した。

「グッボーイ!」

 それだけ言うと五代目は僕をぱっと解放した。くるりと背を向け、書庫の方へ歩き始める。

「後は私に任せなさい!」

 ひらりと手を振って歩いて行く。

 その背中はぴんと伸びていて、いつもの颯爽とした五代目の姿だった。

 僕はほっと息を吐き出した。

 店の振り子時計が九時を知らせた。

『九時の次は十時』

『十時の次は十一時』

 店の本たちが一斉にしゃべりだした。

 いつものざわざわとしたさざめきに包まれ、僕は再び、机につっぷした。

「十一時の次はお昼ごはん」

 僕が呟くとと『お昼ご飯とは……』と、どこかの棚からうんちくが始まった。


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