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 僕の家は代々、古本屋を営んでいる。

 店名は名字をとって「千年堂ちとせどう」という。

 店主は僕のおじいちゃん、千年一花ちとせいちか。五代目だ。

 千年堂は東京の片隅にある。あと少しで神奈川県だから、文字どおり片隅。

 駅の周囲にちまちまと店があるだけの小さな町だ。でも緑だけはやたらと多い。街を二つに分けるように、渓谷がうねうねと走っているからだ。

 その渓谷は、夜、橋の上から覗き込むと底が見えない暗闇に沈み込む。いくら目を凝らしても本当に何も見えない。真の暗闇を味わえる場所だ。

 渓谷を挟んで、駅側は商店街とは名ばかりの小さな店が数軒あって、反対側は住宅街になっている。その閑静な住宅街の中に、千年堂はさらにひっそりと佇んでいる。

 訪れる客は少ない。

 たまにやってくる客は、ひどく青ざめておろおろしているか、周囲の目を憚りながらこそこそしているか、大抵はそのどちらかだ。

 千年堂が本を売ることは、ほとんどない。店の書棚にはいろんなジャンルの本がぎっしりと並んでいるが、千年堂を知っている者ならば誰も欲しいとは思わないだろう。

 なぜなら、うちが主に扱うのは所謂「いわく付き」の本だからだ。

 人に愛され大切にされた道具たちは、百年の時を経ると魂が宿り付喪神になると言われている。

 それと似たような現象が本にも起こる。

 百年たてば本が付喪神になる、というわけではない。

 新しかろうが、古かろうが、それは起こる。

 本が、その持ち主の心を感じ取り、やがて意識を持ち始めるのだ。

 意識を持って覚醒した本は、人の言葉を語る。大抵は語るだけだが、時には動き出すこともある。

 本が語っても、普通の人たちにその声は届かない。幽霊が見える見えないのと一緒だ。でも感受性が強い人は別。本がしゃべれば、普通の人は怖いし、呪われていると思うかもしれない。そんな本と出会い困った持ち主が、口コミでうちの存在を知り、本を持ち込んでくる。

 そして、ぼくたち千年家の血を引く者たちは、本の囁きを聴き、本を封じる、筆業師なのだ。

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