プロローグ
「今日は今年一番の猛暑日が予想される為、熱中症対策を十分とってください。」
今朝のニュースで確かそんな事を言っていたな。確かに猛烈に暑い。だがもう4年目だ。こんな事で倒れていたら体がいくつあっても足りない。
こまめに水分補給を取りつつ、俺は今日も工事現場での作業に勤しむ。
「あと1時間で17時…あと一息」
「う〜…暑い〜」
「あと少しなんだ、頑張れ」
丁度近くで作業していた男に声を掛ける。俺は契約社員だが、彼は大学上がりの正社員だ。
「先輩、ほんと体力ありますよね」
「そりゃ伊達に4年もやってないよ。」
軽く言葉を交わし、真剣な面持ちで作業に戻る。真夏の屋外作業は若くてもつらかろう。それでも仕事は仕事。辛くても投げ出すわけにはいかない。
そうして作業している内に、現場監督から終了の合図がかかる。
「よーし、今日はもう上がっていいぞ」
ふ〜。帰る前にビールでも買って帰るか。作業を切り上げ、ぞろぞろと散っていた作業員が集まってくる。
こんな生活を続け、もう4年になる。
俺は現在27歳。三十路に片足を突っ込んだ立派なおっさんである。小さな会社の契約社員として4年程勤務している。1年ずつの契約更新で、年勤めると正社員として雇用しなければならなくなる為、恐らく今年で契約終了となるだろう。
俺は学歴で言えば、中卒である。正確には高校中退ではあるが、世間の評価は中卒だ。現代の日本では、就職する為には最低でも高校卒業の学歴が必要だ。最近は大学卒業が当たり前になっており、俺の学生時代とは随分様変わりしている様だが。
俺はずっとこの事をコンプレックスに感じてきた。と、言っても、こうなったのは自業自得といえばその通りなのだが。
「何で、こうなっちゃったかなぁ…」
何度となく呟いた言葉を呟く。仕事が終わった後、ボロアパートに帰ってテレビを見ていると、たまに自分が情けなくなる。失った時間というのは取り返せないものだ。だからこそ、若さというのは貴重なのだ。
俺に友達はいない。当然ながら彼女もいない。喋る相手といえば、接客店員と仕事仲間くらいのものだ。
高校を中退し、1年引きこもった後、実家を出た。仕事はこれで3つ目だ。正社員になれたことは、ない。
経験してきた仕事は全て非正規と呼ばれる待遇の仕事で、給料は正社員と比べれば当然安い。
「…しっかり勉強しとけば、違ったのかなぁ〜…」
高校を辞めた理由は、単に勉強が嫌いだったからだ。よくある様なイジメがあったわけでもなく、グレていたわけでもない。学区内最低偏差値の高校だった。そのうち通うことに嫌気が差し、辞めた。
今でも馬鹿だが、社会を少しだけ知った。そのことがより、昔の自分を追い詰める。ああしておけばよかった、と、当時に戻っても出来るかわからない様な妄想が次々と浮かんでは、消えていく。
同年代の男は結婚していたり、子供がいたりする者も多いとは思う。俺には無縁の世界だけれども。
彼女なんていた事はない。禿げてないし、とりわけてブサイクというわけでないと思うが。玄人と経験した事はあるけれども。
「…そろそろ寝るか」
今の仕事は、嫌いではない。定時に上がれるし、肉体を酷使する仕事の為、給料もそこまで悪いわけではない。
始めた頃こそ体力が無く、すぐに逃げようとした。だが、生活できないという恐怖がそれをなんとか押し留めた。石の上にも三年とはよく言ったもので、今では貯金もそこそこ出来るようになってきた。高校生活3年すらこなせなかった自分が、4年も同じ仕事ができるようになるなんて、昔の自分が見たらきっと驚くだろう。
そんな毎日がずっと続くと思っていた。あの言葉を聞くまでは。
「え?先輩、中卒なんスか?」
「言ってなかったっけ?まあ正確には高校中退だけどな。」
「へぇ〜、なんで辞めちゃったんスか?」
「勉強から逃げたんだよ、ダセェだろ」
「…あ〜」
仕事中、ふとした会話で学歴の話になった。今話している彼、松村君はそこそこの大学出身であるらしい。俺にはどれくらいすごいのかわからないが。
「まぁ、高校再入学する人とかもたまにいるって聞きますけどね〜」
「…まさか、そんな奴いないだろ」
「ネットとかで見たことあるって程度っスけど。年取ってから学びたいってなる人、多いらしいっスよ?」
そんな奴もいるもんなんだな。凄いバイタリティだ。
おっさんになってから10代の男女とキャッキャウフフするなんて、相当のストレスが溜まりそうだ。
なんて現場では思っていたが、帰宅して一人でいると、どうしても考えてしまった。
「高校再入学、か…」
こんなオッサンがやり直せる?いやいや、入って卒業したとして、30だぞ?仕事あるか?ないだろ。
「…まぁ、今でも死んでる様なもんか…」
大体、勉強なんて相当な期間ご無沙汰している。俺の頭は錆び付いたも同然だ。職人言葉の指示にもなってない単語の応酬は理解できるが、今更二次関数だの三次関数だの、難しい内容が理解できるとは思えない。
「やっぱり、勉強、してえなぁ…」
やり直したいという欲望が溢れてくる。どうすれば高校に入れるのだろうか。そりゃあ、受験して合格すればいいのだろう。
俺の指は、自然とスマホの検索欄へと動いていた。