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鵬苑国東部の耀州按県は茶穎の地にあるこの〈鷺凰院〉は、三人の医師と薬師がうけもっている。生活する童子は十数人。一村の規模に即した人数だ。夏には、水田にこの国では珍しい鷺が舞い降りるので、親しみを込め鷺凰院と呼ばれている。
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故郷とは違う種類の蝉が、煩く鳴いていた。ジーワジーワと、うだる暑さとともに体にしつこく染み込んでくる。
慎彰が、街で教えてもらった通りに来たんだけどな、と迷っていると、三人の自分と同年代の人たちに出会った。どうやら目指している鷺凰院の童子らしく、多少食い気味に、快く案内を申し出てくれた。
緩やかな坂の突き当たりには、石造りと木造が組み合わされた建物が静かに構えていた。窓という窓が開け放たれている。幾つかの棟が短い回廊でつながっているようだが、半分ほどが林の陰に入っていて、衝立に塞がれた入り口のある棟だけが、強くなってきた日差しに焼かれていた。
先ほど穹と呼ばれていた少年は、迷わず木の繁っている方に進み、建物の裏手へと回っていった。井戸でもあるのだろうか。
そんなことをおもっていると、荷物を持ってくれている少女が、信じられない大声を上げたので、慎彰はびく、と飛び上がった。さっきから顔が尋常でなくほてっており、声も耳の奥でぐわんぐわんと反響する。
「せんせい!今、暇ですかー?!」
なにー、と木陰のほうから声が聞こえた。
「おじさぁん、どこにいるんですー?」
「そんな大声出さなくても聞こえるってば」
返ってくる声は男性にしては少し高めで、色気がある。特徴的な声だった。
先程穹が消えていった裏手から、桶を抱えて一人の男が現れた。この暑さだというのに、袖も捲らず青い袍をきっちり着ており、さらに口と頭を白い布で覆っていた。みているこっちが蒸されそうな格好のまま、男はよっこいせ、と大きな桶を下ろし、こちらへよってきた。
「もう、僕は暇じゃないんだ今。あと、おじさん、てのが聞き捨てならないね」
「三十路なんて、私たちからしたら立派なおじさんですよぅ」
ひどいなぁとぼやきながら、男は布巾を外し、ふぅ、と息をつく。慎彰の方をちらっと見て、ああ、と呟いた。
「ああ、君が、新入りくん?あいつが言ってたっけ」
慎彰ははい、と返事をして、聞き返す。
「ええと、楊修紅師でいらっしゃいますか」
「へぇ。あ、僕じゃナイよ。鈴ちゃん連れてってあげてよ、僕これ片してくるから」
あいつなら厩舎にいたよ、と付け加えると、曰く〈鈴ちゃん〉は、じゃあ行こうか、と慎彰の腕を引っ張って歩き出した。
そういえば 、名乗りそびれたままだと思い、慎彰が口を開こうとすると、〈鈴ちゃん〉がまたいきなり喋り出した。
「あ、そうそう。私は涼鈴ていうの。ここじゃあ最年長だから、何でも訊いて。大概のことは答えられると思うから」
彼女が喋っているうちに、厩舎に着たどり着いてしまい、またもや名乗る機会を逸した。慎彰は大人し手を引かれるまま、涼鈴に着いていく。
「あっれ、おかしいな。ここに居るんじゃ・・・」
厩舎には青毛と栗毛の馬が一頭ずついて、慎彰の方を興味津々といった様子で見ながら足をぽくぽくさせている。農耕馬ではなく、脚の長い、艶やかな毛並みの駒だ。しっかり世話をしてもらっている様だ。
涼鈴が厩舎の奥を覗いてみたり、キョロキョロ辺りを見回していると、突然後ろから背中をつつかれて、慎彰は思わず変な声をあげてしまった。涼鈴が振り返る。
「あ、いた」
どうやら、慎彰の背中をつついたその人が楊医師らしく、慎彰は今度こそ自分から挨拶をしようと、勢いよく後ろを向いた。
「あっ」
それは一瞬のことで、 視界がぐにゃんと歪んだかと思うと、 顔中の血がさぁぁ、と引いたような感覚にみまわれ、足がもつれた。咄嗟に差し出された腕に、くんにゃりとすがり付く
「おい、坊主、大丈夫か!」
ぼーっとする頭で、今日はみっともないところを見せてばっかりだな、と思った。