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光の記し  作者: みとべみもり
茶穎(さえい)
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 鵬苑国において〈凰院〉とは、医術師・薬師が常駐し、施療院・診療所としての役割を果たす場所であり、同時に近隣村落出身の孤児を養う孤児院でもある。

 加えて、宮廷に付属する医薬学舎の末端機関としての意味も持ち、医術師を育てる場所を兼ねる。

    

 この国で医術師になるためには、都にある王立医薬学院で修学せねばならなかった。そうしてはじめて免状取得試験に挑むことが許され、もちろん、それに合格する必要がある。しかし、学ぶためにはまず第一に、かなりの経済力が必要であった。貴族の養子となり、目覚ましい苦学の末医者となる庶民出身の者も居なかった訳ではない。だが、建国当初から変えられたことのないこの制度により、鵬苑国は医療面で諸国に大幅な遅れをとった。

 約百年前、国内史上最悪の疫病が猛威をふるった。西隣する大国夏韓から徐々に拡大し、半年の間に四割もの民が死んだ。夏韓では僅かに子供や老人が倒れるにとどまったにも関わらず。圧倒的な医者不足により、民間への対処は間に合うどころか策を講じる隙さえなかったのだ。

それから十余年後即位した抄王は、大規模な改革を進める。私設の医院を含む医療施設を一度王立化し、医師を各地域の人口に合わせた数に調整するというものであった。

未曾有の災害になすすべもなかった父王のもと、太子時代から医学を修め、旧い制度への危機を最も感じていたのは彼であった。あまりに大胆な、王都の私院やそれらを後援する貴族などの反対は免れない計画である。即位して間もない、発案当初二十七という若さであった抄王は、多くの人間の理解を得るために大変な苦労を強いられたという。それでも抄王は、自ら提議し続け、夏韓や北の典禅にも支援を請い、終に新たな体制を打ち立てたのであった。

 各院には複数の医術師の常駐を開院の条件とし、必要に応じて人手を派遣した。そして、実績を積んだものに、準師範という役割を与えるという項を、医療制度の法に書き加えた。 これはすなわち、王都まで出向くことのできない医術師志望者が、七年以上準師範に師事し、国にその証明とともに申請を出すことで、医薬学舎に在籍していた者と同じように免状取得の機会を得ることができるようになった、ということだ。

 この法令の効果は驚くべきものであった。凰院出身の受験者が初めて現れた施行の八年後から、免状取得試験の難化にかかわらず、免状を取得する者は暫くのあいだ増え続け、二年で及第者は倍し、技術水準も夏韓に並ぶまでになった。

こうして成立した各地の王立施療院が、孤児院の機能を併せ持つようになり、そして抄王の象徴である鳳凰に由来して〈凰院〉と呼ばれるようになったのだった。



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