#3 予言書
▼予言書
鳥居を抜け、自らの家の玄関に入り込んだ叶は、躊躇いはしたが、物音もしない屋敷の敷居を跨いだ。
「ただ今戻ったわ……」
まず初めにどう云い出すか考えていたが、ありふれた言葉しか出なかった。
そして、敷居を跨ぐと、何故かしら記憶が戻った。あの頃と全く変わらない匂いがする。問取りも改築した様子もなく当時のままの様であった。その事に何かしら不思議と安堵を感じた。
奥からパタパタというスリッパの音が聞こえてくる。年は老いたにせよ、出迎えた母親の無表情な顔を見て一瞬鼓動が高鳴った。
「……おかえりや……」
返って来る言葉は云っている意味から察すればイマイチ感情が篭っていない。他人行儀な一つ間をとったセリフである。それからそれ以上、母親は一言もロを開かず、祖父の寝室へと目配せをしながら導いた。
全く親子とは思えない接し方である。
期待していた訳ではないが、こんなにも突き放されると寂しい気持ちになった。自分で作った溝を埋めれる訳はない。分かっているのに気持ちは沈んで行くばかりだった。
しかし、昏睡状態なのに何故病院で看護してもらっていないのか?その訳は祖父の寝室に行って分かった。集められた親戚一同の会話を聞き、どうやら、在宅介護を祖父は望んでいたらしいのである。その主治医らしき者が祖父の脈を測っていた。そして、点滴と薬で何とか繋ぎ止めているらしい事が分かった。
「今は意識あるん?」
ボソリと床の間で隣に座っている父親に問いかけた。
「親不孝者の叶か……お前に逢う機会を作るとは思っとらなんだが、親父が望んだ事やからな……意識は朦朧としてはいるがお前に逢いたがっとるわ……」
まるで、死人が横たわっているかのような青白い顔が叶の胸を締め付けた。しかし、祖父は叶の声を聴くなり、安堵したかのように薄っすらと笑いかけて来た。
「おお、叶か……大きくなりおったなあ〜」
途切れ途切れ、息を吐きながら言葉を発する。
「突然家飛び出して悪かったわ……じいちゃんには一言云って出れば良かったなあ〜」
軽い挨拶。一番初めに叶のカに気が付いた祖父良園ではあったが、両親より身近な存在でもあった。修行は苦しかったし、厳しい忠告をしてくれた事は今の叶の土台を作り上げた大切な存在でもある。
「どないしても叶に……読んでもらいたい物があるんや……」
「読んで欲しい物って何や?」
そう問い返す叶に、床の間の机の上にある本の山を震える手で指し示した。
「その本の中……の一番上に積み重なっておる一冊や……それを見れば、儂が云いたい事が分かるやろうて……」
早速立ち上がり、叶はその一番上に置かれているという黄ばんだ所々破れている古めかしい本を手にとった。
「これ……なんか?」
その表紙には何も記されていない。ただの紙の束のように感じられた。
「それを読むんや叶……塚原家に伝わる偉大なる……陰陽師が…書き記した過去の……そしてこれから先の事や……」
「これから先の事?それって予言書みたいなもんかいな?」
ぺージをめくってみる。読み取る事が困難な、達筆な筆で書かれた行書の文字を目で追った。
「すまんな……将司……この場は叶と二人にしてもらえんやろか?」
人払いをしたいと良園は、父に申し出る。その言葉を受け取り、親戚一同速やかに席を立ち始めた。そして、願い通り叶と良園は二人きりになる。
「お主には読めんやろう思うて……別に書き出した物がここにある……お主が出て行った後に倉の中で発見した書物を解読したんや……」
ゆっくり身を起こすと、布団の下に隠すように敷いていた紙の束を叶に手渡す。
「それを読んで……これから先の身の振り方を考えるんやな……大切な事やからのぉ……所で、教えておいた事は……実行しとるんやろな?」
苦し気に、再び身を布団に沈める。
「叩きこまれとった事。正しい出生の日時や、場所。逆凪の対処法は誰にも教えとらんわ……陰陽師として産まれた者の基本やからな……」
本当は、叶の誕生日は八月ではない。朔夜やかえでに教えている事のどれだけが本当の事であろうか?誰にも教えてはいけない。知っているのは塚原家のみであった。それだけ陰陽師としての身の振り方は虚しい。
「相変わらず夢を見る事はないのやな?」
「無いわ……」
「やはりな……お主はどうやら……過酷な星の下に産まれてきたのかもしれへんなあ〜……この塚原家を恨むか?」
「恨むやなんて……そんなん今さら云われてもどないする事もでけへんやろ?ただ俺はここにもう存在するんやから……」
「そうか……それを聞いて安心したわ……それだけが気掛かりやったからなあ〜……クッ。」
叶の言葉を聞いて安堵したのか、突然良園の心職に鈍い痛みが走った。身をクの宇に曲げ、うめき声をあげ始める。それを見て、叶は慌てて部屋をとび出し、主治医を呼びに行ったのである。
しかし、主治医を呼びに行って帰って来た時には、良園は還らぬ人となっていた。苦しい闘病生活を知らない叶にとっては、呆気無さ過ぎて言素を発する事が出きなかった。
主治医は腕にはめている時計を確認し、冷静に御臨終の言葉を発した。周りの者達からの嗚咽が耳に届いた時初めてジワジワと実感がわいた。
「じいちゃん……」
少なくとも心が泣いている自分がそこにいる事に初めて気が付いたのである。
実家が神社であることが幸いし、通夜や葬儀は事なく行われて行った。臨終の際に間に合わなかった伯母と伯父もその席に参加した。そして、一族の席は設けられた。
「お久しぶりですね。加奈子……」
加奈子は母の名前である。
「十年の年月が経つのやなあ……お礼も無しに叶を育ててくれておおきに。これは、叶の養育費に当てるはずやった物です。受け取って下さいましな」
分厚い紙袋を伯母の前に差し出す。しかし、それを伯母は受け取らなかった。
「それなら、叶ちゃんが働いて返してくれてるから結構よ。それより、自分がどう叶ちゃんと接して来たか?その過程を見直した方が良いわ……」
叶を疎んで母親らしい事をしてきていない加奈子に引導を渡した。伯母はそれが、加奈子の為であるとそう思っているらしい。
「……産んじゃあかんかったのよ。あの子は……それだけが、私の罪やわ……陰陽師やなんて、どうして幸せにできるていうのや?私は普通の子が欲しかった。どれだけ望んどったって、変わり様がない事実やけど……」
そのやりとりを影で見ていた叶は絶望していた。心の中で産んでいけない子だとそう思っていたのかと……自分の存在価値が消え失せそうで、眩暈がした。
でも、自分の居場所はもう自力で手に入れた。東京にはそれがある。そう思う事で何とか持ち直した。そしてその弁護に立つ伯母は、
「東京での叶ちゃんは、加奈子には判からない一面を見せてくれたわ。それを見抜けなかったあなたがいけなかったと後悔しなさい。一番可愛い時期を愛情無しに育てたのだから。と云っても、今となってはもう遅い事ですけどね……」
それだけ云うと、もう云い残す事は無いと影で見聞きしていた叶の肩を叩いて席を外した。
「叶ちゃん?私はこれで失礼するわ。まだこっちにいる?」
伯母は廊下でその事を問いかけてきた。
「ああ、そうするわ。じいちゃんの書物読まなあかんし……自分自身ちょっと勉強しときたい事もあるしなぁ」
その言葉に、
「そう。分かったわ……それと、叶ちゃん?もう仕送りは良いのよ。あなたは私達の子供として育てたつもりだから。心配りありがとう。やはりあなたは私の自慢の息子だわ。困った事があったら何でも相談しなさい。いつでも待っているから……それじゃ先に失礼するわね?」
帰りの切符を手に入れているのか、伯母は伯父と共に速やかに泉神社を後にした。
叶は、伯母の言葉で心が安らいだ。今まで自分を本当の息子同様扱ってくれていた事が判ったのだから……しかし、恩返しはしたい。せめて、養育費に掛かったお金だけは戻したい。大学生の頃からバイトバイトで稼いだお金は貯金するか、仕送りに使うかその二つで生活は成り立っている。その事を知っているからこそ、朔夜は叶を居候の身として受け入れてくれた。有り難い話である。今自分がどれだけ幸せか?当の本人は余り感じないものだが、この時初めて恵まれているとそう確信が持てたような気がする。全ての事に感謝したいそんな気持ちが叶の心に広がって行った。




