#2 帰省
▼帰省
一生大阪の自らの実家に帰る事は無いとそう考えてきた。今さら帰る事など出来はしないし、帰りたくも無い。自ら選んだ事であった。しかし、その考えを打ち砕く出来事が起こったのである。
夏の事故からリハビリを終えて、秋から冬に季節が移り変わるそんな時期であった。朝早く、携帯電話の着信音が叶の耳に鳴り響いたのである。その着信を見てみると、中学から大学までお世話になった伯母からのものであった。
「朝早くからごめんなさい。どうしても話さないといけない事があったものだから!」
久しぶりに聴いた伯母の声であったが、いつになく慌てたロ調で云い放った。
「どないしたん?……慌てんで話てや?……」
まだ覚醒しきれてない頭を何とかはっきりさせようと大きく首を回した。
「叶ちゃん。今直ぐ大阪に戻りなさい。咋夜からお爺さんの良園さんが昏睡状態に入ってるの。何やら叶ちゃんに伝えたい事があるみたいで、うわごとの様にしきりに呟いているそうよ……逢って来なさい。話では、もう長くはないらしいわ!」
「なんやて?じいちゃんが危篤なん?」
醒め切らぬ頭がこの言葉でハッキリと覚醒した。あの元気で、死にそうにもなかった祖父の最期を見届けることは、いくら大阪に戻りたくなくてもこれだけはやはり断ることは出来ない。
「叶ちゃんが戻りたくなくても、やはり一度大阪に足を運びなさい。あなたはやはり、塚原家の跡取りなんだから」
塚原家の跡取りというのは頭を悩ませる事ではあるが、やはり、身内の一大事に顔を出さなければならないだろう……しかも、何を思ってか叶に話したい事があるとなれば、見過ごす事は叶の性格上出来はしないのだから。
「連絡おおきに。判ったわ。間に合うかどうか分からんけど、昼にでも新幹線の切符とって行くわ……」
その言葉に安心したのか、
「そう、あれだけ大阪には帰らないと云っていたのに決心してくれたのね……私も用意が出来れば向うから、先に行ってちょうだい。それでは、当地で……」
用件だけ云った伯母は速やかに電話を切った。よほど慌てているらしい。
「こんな日が来るやなんて……」
叶はベットから起き上がり、速やかに準備を始めたのである。
「そう云う訳やから、俺、大阪に一時行ってくるわ……バイトの方も連絡とれたし……」
起きぬけの朔夜に簡単な説明をして、叶は必要な大きな荷物を抱えていた。
「そうですか、分かりましたよ。気を付けて行ってくるのですよ」
朔夜は話を飲み込み真面目な顔をして答えた。
「間に合うと良いですね?」
東京と、大阪を結ぶ距離は遠い。咋今ではそこまで時間がかかる訳ではないが、今回もし祖父に万が一の事があったら身内として心残りである。それを朔夜は意識した。
「もし何かあれば、携帯に連絡せえや。雅樹のこともあるし、問題が起こらないとは限らんのやから」
「ええ、その時に連絡しますよ。あ、早く行ってきなさい」
時間の余裕はない、朔夜はそう判断したのか、叶を後押しする。
「じゃあ、後の事はよろしゅうな!」
急いで玄関に向うと、叶は勢い良くドアを閉めたのである。
大阪への新幹線は、中学生の修学旅行以来乗った事はなかったが、東京駅でチケットを早速購入し、早々と乗り込んだ。飛行機という手もありはしたが、戻るのならあの頃の自分を思い返したいとそう願った為、いち早く新幹線に乗り込んだ。発車した列車の窓際から見えるその景色を見ると、あの頃とは変わっていた。何故だかそれが奇妙に思え、あの当時の事を思い出していた。
逃げるように出て行ったあの実家。今ではどうなっているのか?長い年月を経て、叶は色々と想いを巡らしてみる。しかし、見納めだと思っていた泉神社の鳥居と、その奥に立っている大きな御神木の断片だけが頭を過るだけであとは想い出せなかった。
「母さん怒るやろか?」
実家を飛び出した時、家のお金を拝借した事を想い出す。しかも書き置きさえしなかった。親不孝も度が過ぎている。しかし、あの時はもう精神的に切刻詰まっていた。どうしても家を出たかった。押し寄せてくる自らの罪悪感。でも伯母夫婦と過ごしている間は楽しかった。プレッシャーと、居心地の悪さがそこには存在しなかったからである。
時間はあっという間に過ぎて行き、目的の場所に辿り着いた時はもう思い巡らせる事はなく覚悟は決まっていた。怒られようが非難されようがどうでも良くなっていたからである。
新幹線から下りた先は、あの頃とは別世界になっていた。もちろん、何となくイメージは残っているものの、十年も経てば当り前なのだが、叶は面喰らりた。どっちに行けば良いのかさえ見当が付かなかったのである。しかし、下りた先の交番で道を尋ね何とか自ら向うべき場所を把握すると急いでタクシーを拾った。そんなタクシーの中、以前朔夜から聞かれた事を思い返した。
何故、いつまでも大阪弁を使うのか?
普通考えてみると、慣れ親しんだ土地の言葉に慣れるもので、こういうケースは珍しい。朔夜はそれを察したのだろう。その辺を聞きたかったらしい。しかし、敢えて叶は大阪弁を貫き通したかった。心のどこかで、故郷と云うものへの憧れがそうさせていたのかも知れない。
そして、変わり果てた町並みを眺めながら、一時間かけて目的の実家に戻る事が出来たのである。




