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小麦の短編集

万引き

作者: 小麦

 ある昼下がり、とある大型デパートの監視室に映っていたのは怪しい素振りの男。男は手提げ袋を持ち、ずっと惣菜弁当の前で立ち尽くしてはキョロキョロと周りを見渡し、弁当を手に取っては戻す、という行動を繰り返していた。

「江田さん、彼怪しくないですか? もしかして……」

「ああ、そうかもしれないな。まったく、今日からこないだ採用することになった新人の警備員が来るって言うのに……。このデパートじゃいまだに万引きの数が減らない。何がどうなってるやら……」

 それを監視する二人の男。一人は五十歳くらいで、髪は短めのオールバックで体格のよいように見えて、実は最近中年太りのせいかお腹についた脂肪がやや気になっている男性、名前は江田という。もう一人は三十代前半で、やや痩せ型。髪は首の辺りまでのストレートだ。こちらは小山という。彼らは二人ともこのスーパーの警備員である。このスーパーでは制服の警備員制を取っているのだが、監視カメラで店内を見張る、という手法を取っている。そのため、この二人はこうして万引きが起こるまでは警備員室で見張る、というだらだらした見張り方をしている。ちなみに他の警備員が勤務に来る時はカメラで見張るだけでなくきちんと店内を見回ったりするので、実際彼らは職務怠慢と言っても過言ではないような仕事の仕方をしているのだが、見回って万引きの数が減っているわけでもないので、彼らのやり方はある意味自分たちにとって都合のいいやり方ともいえる。

「それはしょうがないんじゃ……あっ、カバンにあの弁当を入れましたよ江田さん!」

 すると、男は人がいなくなったタイミングを見計らって、弁当をカバンの中に滑り込ませ、その場を立ち去った。彼がいたのは入り口付近、急いで追わないと逃げられてしまうだろう。しかし、彼らがいる警備員室は少しその場からは離れている。なので、

「よし、ターゲットの万引きを確認、直ちに追跡に移るぞ! ……くそっ、この時点で捕まえられるならもう少し万引き犯を捕まえることができるってのに!」

 こんな悠長な追跡しかできない自分をもどかしく思いながらも、江田はこう言うしかなかった。それを小山が慰める。

「仕方ないですよ、店の外に出るまでは捕まえないっていうのはこの店に限らずにどの店でも同じみたいですし。これがあるから誤認逮捕につながることもないわけですから。とにかく追いましょう」

「そうだな、今さら言っても仕方のないことか……。じゃあ俺が指示を出すから、追跡はお前に任せる。頼むぞ小山」

「はい!」

 小山は大急ぎで男が向かおうとしている出口に江田の指示のもと向かう。店で物が盗まれた可能性がある以上、それを追跡して捕まえるのはもちろん彼ら警備員たちの仕事なのだ。ところが、小山がその出口付近に到着したその時、

「がぁぁぁああ!」

 その男の悲鳴と共に、お客さんのうわぁ、とか何だ何だ? とかいう声が聞こえてくる。これはおかしいぞ? と思った小山は江田に連絡を取る。すると、

「……どうやら出勤早々早速仕事をこなしてくれたらしいぞ」

「ってことは……?」

 その人混みをかき分け、小山が江田の言葉通りであることを知るのに時間はかからなかった。

「あ、お勤めご苦労様です!」

 なぜなら、そこにいたのは万引き犯をねじ上げている白のTシャツにGパンという格好の一人の男の姿だったからで、それは同時に今日から小山や江田と働くことになった警備員の姿でもあったからである。



「しかし、よく分かったな。君には本当に驚かされるよ。えっと……」

「穂積です、穂積登」

 江田の賛辞に先ほど強盗を捕まえたヒーローはそう名乗った。背格好は中肉中背、小山よりも少し若いくらいの男だ。

「でも、今回はたまたま犯人だったから良かったようなものの、もし間違ってたら大変だったぞ。次からは気を付けた方が……」

「いえ、俺もちゃんと見てたんですよ。実はあの三十分ほど前からあの店内にいまして、ずっと入口付近で観察してたんです。そしたら、弁当をカバンに突っ込んで逃げようとする男がいるじゃないですか。その男がそのまま店内から出ようとしたんで、声をかけたら無視して突っ込んで来たんですよ。で、そこから先はお察しの通り、俺の武道の餌食って訳です」

 小山がたしなめると、穂積は大丈夫と言った様子でこう答えた。

「しかし、変わった武道だったがあれは……」

「ああ、合気道ですよ。小学校の頃やってたんで、普通の人以上の強さはあると思ってます。でも、先輩も何かやってそうながっちりした体してますよね?」

「ああ、俺は柔道をやってた。一応初段だったぞ」

「へぇ、すごいですね」

 そんな会話をある程度続けた後、江田は穂積に仕事の説明を始めた。

「じゃあ、仕事の説明を始めるぞ。とりあえず、この無線を持って俺たち二人の指示に従ってくれ。主に君の仕事はこの店の売り場を巡回して怪しい素振りの奴を見つけることだ。この売り場はよく万引きが起こる。俺の指示と君のその合気道術があればきっと犯罪者は減るはずだ」

 江田はそう言って無線を取り出した。

「はい、分かりました!」

 穂積は警備員に手を差し出すが、江田はその手を無視して男の膨らんでいる右ポケットの方に無線を突っこんだ。おかしな動作に訝しがる穂積だったが、特におかしなところがないことが分かると、「……では、よろしくお願いします!」

 そのまま警備員室を出て行った。

「うーん……」

 それを見た若い警備員が唸りながら考え込む。

「どうしたんだ、小山?」

 年配の警備員は彼に尋ねる。

「いえ、何かあいつどこかで見たような気が……」

「気のせいじゃないのか? 街のどこかですれ違ったとか。ほら、そんな考えても分からないことで悩んでないで、仕事に戻るぞ!」

「そうですかねぇ……」

 若い警備員は尚も考え込みながら、仕事に戻る先輩警備員を見て、その後についていくのだった。



「さて、雇ってもらったし、きちんと仕事しないとな」

 穂積はポケットに突っ込んだ無線を気にしながらスーパーの中を回る。真面目に働こう、と思った彼は警備員服で巡回をしていたのだが、その途中、ある一角で足を止めた。その場所とはお菓子コーナーで、彼はそこにあるお菓子を眺めた。

「へぇ~、きのこ、たけのこに続いて今度はかずのこの海? 今のお菓子はよく分からないのが多いな……」

 スーパーに行くとついお菓子コーナーに立ち寄ってしまうのは彼の癖だ。いつ来ても必ず新しい発見があるからである。しかし、今日は仕事で来たのだ、と気合を入れなおすと、穂積は巡回を再開した。その後しばらくの間は平和な巡回となっていたものの、その平穏を破るように、無線がブルブルっと鳴った。

「はい、穂積です」

「タイムセールやってる魚売り場の近くの調味料売り場、そこにいる白いカーディガンを羽織ってる緑のミニスカートの女性だ。手には茶色のハンドバックを持ってる。混雑してるから注意してくれ」

 無線の相手は江田だった。

「分かりました」

無線を切った彼は、無線をポケットにしまい、

「よし、向かうとしますか」

タイムセール中の魚売り場の方へ向かった。



 一方、警備員室でも少し動きがあった。

「ああ、ちょっとトイレに行ってくる。小山、しばらく俺と無線を変わってくれ」

「……またですか? 最近いつもですよね?」

「年を取るとトイレが近くなるんだ。お前にもそのうち分かる日が来る」

「……できるなら一生分かりたくないですけどね」

 江田の言葉をそんな皮肉で返すと、小山は江田から無線を受け取った。そしてそのまま江田はトイレへと向かった。



「ちょ、いや、待って、これはヤバいって! 何だよこの人の波!」

 穂積は魚売り場を少し遠回りしてから行くつもりだった。ところが、後ろから男性にぶつかられ、そのままタイムセールの波に飲み込まれてしまったのである。しかし、彼も仕事を任されている以上、こんなところで立ち止まる訳にはいかない。押し込まれた人ごみの中から必死に抜け出すと、そのすぐそばに見える調味料売り場へとどうにか辿り着いた。そこにいた女性は、先ほど警備員が言った特徴そのままだった。そして彼女を遠目から見ていた穂積は、おや、と思いながら彼女の右腕にぶら下がったものを見る。

(あれは……、お菓子コーナーのお菓子か?)

 彼女のハンドバッグには穂積がお菓子コーナーで見た新商品と思われるものが顔をわずかに覗かせていた。見えないように押し込んだのだろうが、ポケットのふくらみ部分からはみ出しているところを見ると、歩いている時に不可抗力でそこから出てしまったのだろう。そして彼女は周りを確認することなく堂々とお菓子の入ったバッグに調味料を突っ込んだ。そのまま彼女はその場を離れ、外に出ようとする。

「ちょっと待ってください!」

 このまま逃がすかとばかりに彼女が外に出たタイミングを見計らって、穂積は声をかける。しかし、彼女は穂積の声に気付くと、ダッシュで彼から距離を取って、そのまま店から遠ざかっていく。

「逃がすか……よぉ!」

 穂積もダッシュする。元々男性と女性では男性の方が足は基本早いし、持久力も上である。少しの間頑張って逃げた女性だったが、駐車場内ですぐに穂積に捕まってしまった。

「何で……、何で今日に限って……。今お金に困ってて、今日初めてやろうとした万引きが、何で……。万引きしやすい店のリストに時間まで調べたのに……」

 女性は息切れしながら自白する。それを聞いた穂積は彼女を諭すようにこう言った。

「……ま、俺も人のことは言えねーけど。とにかくしっかり理解するんだな、自分の起こしちまった行動の意味を」

 その言葉を聞いた女性は、泣き叫びながらその場に崩れ落ちた。



「お勤めご苦労様です!」

 そんな形式ばった挨拶をしてきた警察官に2人は身柄を引き渡した。

「あれ、財布がない!」

 江田に報告するために警備員室に戻る途中、男性がレジで上げている悲鳴を聞きながら、

「何でここってこんなにいろいろ事件が多発しやすいんですか?」

隣にいる小山にこんなことを聞く。すでに一日で万引きが二度も起こるだけでも異常なのに、こんな頻度で事件が一日に起きたら対応しきれないのではないか、との懸念があったのである。もちろん、ここで仕事をしなければ分からない裏事情なのだろうが。

「簡単に言うなら、この店はカメラの死角が多いんだよ。カメラに映らないような場所が多いから、監視が手薄になってるっていうのが見て取れるらしい。ここ以外にも、階段とかトイレ、それに店の入り口にもカメラはついてない。おかげで、万引き成功しやすいって噂がネットで広まって今みたいな状況になってるんだそうだ。迷惑な話だよ、まったく」

 小山がため息をつきながら、詳しく答える。言われてみると、カメラ自体の位置はまばらで、ここには明らかに設置されていないだろう、と思われるような場所があるのは見て取れた。

「他の場所にカメラを入れないのは予算の都合ってことに?」

「そうなるな。実際あんたが来るまではうちにいたのは俺たち常駐の警備員が二人いただけでな、いったん出払っちまうとその間を狙って万引きするタチの悪い連中がいるくらいだ。こっちとしてはふざけんなって蹴り飛ばしてやりたいくらいだがな」

「なるほど、それは大変ですね……」

 どうやら思った以上にこのスーパーは財政的に危ない状況にあったようである。

「だから、あんたにはとりあえず必死に働いてもらうぞ? 少なくとも、犯罪がさらに増えた、なんてことになったらたまったもんじゃない」

「もちろんです。だからここに来たんですから」

 小山のその言葉に、穂積は覚悟を決めたような目で頷いた。



「いやぁ、すまないすまない。ようやく出てこられたものでな」

 警備員室に戻ると、江田が戻ってきていた。心なしか警備員服が少し乱れているような気がする。

「遅いじゃないですか江田さん、こっちはこの穂積がまた一人犯人を捕まえてくれましたよ!」

「いやぁ、さすが穂積君。これからもこの調子で頑張ってくれたまえ」

 小山の皮肉を気にすることなく江田は穂積を褒め称える。穂積は素直にお礼を言ったものの、小山はジト目で江田を見る。

「……何かやけに反応が薄いような、気のせいですか? まさか江田さん、サボってここで見てたとかじゃないでしょうね?」

「そんな訳ないだろう、俺は穂積の実力を信じていたからな。きっとこいつは優秀な警備員になれるって」

「……何ですその歯の浮くようなセリフ? 俺の時には一度もそんなこと言いませんでしたよね?」

「……ま、まぁ気にするな。ほら、お前も早く仕事に戻れ小山。あんまりうかうかしてると俺たち二人ともこいつに置いてかれるぞ」

「……よく言うよ、自分が一番働いてないくせに」

 小山は江田に聞こえないようにそう漏らしながら、再び自分の仕事へと戻った。



 そして、そこから先はあっという間に時間が過ぎていき、穂積は万引き犯を五人確保、店の犯罪防止に大きく貢献した。今彼は仕事を終えて警備員室へと戻ってきたところである。しかし、彼の顔は浮かない。

「どうした? あんなに大活躍だったのにずいぶん辛気臭い顔をしているじゃないか?」

「いえ、実は……」

 穂積はそっと江田に耳打ちする。

「財布をすられた!? どこで?」

「それが分かんないんですよ。一体いつやられたんですかね……」

 江田は少し考え、

「……よし、財布は小山に探させておこう。穂積君は今日は帰るといい。もしかしたらどこかに落ちているかもしれないだろ? とりあえず今日の分の給料だ。ここは一日働けばそのまま給料がもらえるからな」

 どうやらここの給料は今時珍しい仕事終わりに払われるらしい。

「ありがとうございます! ……うーん、分かりました。では、お疲れ様でした、失礼します」

 しかし、首を傾げながら穂積が帰ろうとしたその時、その小山が新聞記事を持って奥から出てきた。

「あ、ちょっと待った。なぁ穂積、お前ってこないだ逃げた指名手配犯に似てないか? ほら、この穂積倫太郎ってやつ。もしかしてお前……」

「……指名手配犯?」

江田は近づいてきた小山から受け取った新聞を見る。そこには確かに逃げた犯人の顔と思われる穂積に似た顔があった。

「穂積……? ああ、あったあった。確かにこれはそっくりだな…… おい、穂積、ホントのところはどうなんだ……ってあれ? おい、奴はどこ行った!?」

「……どうやら逃げられたみたいですね。だから言ったじゃないですか、あいつどこかで見たことあるって。バレる可能性があるって分かった以上もうあいつがここで働きに来ることは考えにくいでしょうね」

 ようやく納得いったと得意げにいう小山だが、もちろん表情は暗い。

「じゃあ、俺たちは犯罪者を働かせて、なおかつそいつに給料までご親切に払っちまったってことか?」

江田は頭を抱えるが、事件はそれだけではなかった。

「それだけじゃないです。今日は普段の万引き以外に、財布をすられる事件が二件ほど起きてるんですよ。穂積の活躍の陰に隠れて目立ちませんでしたけど。江田さんがトイレに行っている間に俺たちを雇ってる店の社長から、『うちの店員から万引きの被害にあった客がいたっていう報告を受けたから、もっとちゃんと仕事してくれ』という連絡がありまして…… 皮肉はいつものことだったので軽く流したのですが、どうも犯人らしき人物の手がかりがなかったので警察には届け出せなかったそうで……」

「まさか……」

 江田は気付いたように小山の顔を見る。

「ええ、見事にしてやられましたね。どこをどうやったのかは知りませんが、確かに彼は警備員の面接には通った。それでここで働いてたんですよ、ここを選んだのはおそらく今時珍しい日当制の仕事で、自分の犯罪者って経歴を隠して働きやすかったから。これが真相だとしたら、いくらあいつが今日いいことをしたとはいえ、あいつの財布がなくなったのは自業自得なんじゃないですか? きっと今頃どこにいったか必死で考えてると思いますよ」

 小山はまるで穂積の行動が分かっているかのような発言をした。



「チッ、警備の最中に落としたのか、それとも別の時に落としたのか……?」

 誰もいない路地裏で、穂積登改め『犯罪者・穂積倫太郎』は小山の言うとおり自分の財布の行方について考えていた。彼の計画では万引きによく狙われそうなスーパーで万引き犯を逮捕し、それに紛れてさらに財布をすって生活費を稼ぐつもりだった。給料ももらえたのだから、喜ぶべきなのは間違いない。しかし、誤算だったのは給料以上の額をすられてしまったことと、結局のところ一度もスリができなかったことである。

「考えろ、このままだとまた俺はブタ箱に戻っちまう……」

 それに、彼の立場上、自分の身元が分かるものを落としてしまうのはまずい。あの中には個人情報が分かるようなものは入っていないが、財布についた指紋を調べられたら確実にアウトだ。彼は必死に考え、ふとあることを思い出した。

「……ん? そういやあの時……」

 心当たりを思い出し、確認しに戻ろうかと考えた穂積だったが、

「止めよう。今戻るのは自殺行為だ。そもそも俺が指名手配犯ってのはバレてるしな。もし今の考えが正しかったとしたら、俺が警察に捕まることはないだろう。しっかし、おしいことをした。まさか一日でばれるとはな…… どうやらあの男、相当の曲者だったらしい」

 あ~、やられたな、と思いながら、穂積は逃走を再開することにした。



 すべて憶測ではあるが解決したはずの今日の一件、しかし、小山は首を傾げる。ちなみに二人は警備員室で出勤時に着てきた私服に着替えているところだ。

「ところで江田さん、江田さんのトイレ、やけに長かったですよね。お腹をこわしたとも思えないんですが……?」

「……何が言いたいんだ、小山?」

 口調とは裏腹に、表情は恐ろしく硬くなっている江田。

「いえ、だから、今日行われた二件のスリ、それに穂積の財布を盗んだのって、江田さんなんじゃないか、ってことですよ。あわよくば、その場にいた穂積に罪をかぶせるつもりだったんじゃないかと思って」

「……いつ気付いた?」

 小山の口調に隠し通すことはできないと判断したのだろう、江田は正直に白状した。

「事の発端は最初の無線ですね。そのまま手渡ししないで、江田さんは彼のポケットにあえて無線を入れた、それも膨らんでいる方に。多分あれはポケットの中に財布があるかどうかを確認するための動作だったのでしょう? 最初は穂積も疑ったみたいですが、何も取られていないのが分かると、彼はそのまま仕事へと戻った」

「……」

 江田は黙って小山の話を聞いている。特に反論するところもないのだろう。

「おそらく、本当に江田さんが財布を盗んだのはトイレに行くと言って警備から外れた時。そこで江田さんはトイレの中で私服に着替え、あの行列の中に紛れ込んだんです。うちのデパートのトイレには予算の都合でカメラがついてませんからね。そして穂積がぶつかられたあの時にぶつかってきた男性、それがおそらく江田さんなのでしょう? おかげで穂積は自分の財布が取られたことに気付かなかった」

「……ああ、全く完璧な推理だ」

 江田はそう小山を褒め称えると、ポツリポツリと漏らし始めた。

「最初はただの偶然だった。俺がたまたま気分で巡回の警備をしていた時、ちょうどあいつと同じようにタイムセールの行列に巻き込まれてな。で、その時にたまたま誰かのカバンに突っ込んでしまった俺の手が財布をつかんでいた。持ち主も分からないから、悪いことだとは分かっていても返せなくてな…… で、それ以来、そのまま気付かれないのをいいことに、出勤しては一日二回くらいのペースでやっていた。しかし、やはり悪いことはできないもんだ。……で、どうする、俺を警察に突き出すのか、小山?」

「ハハハ、まさか。俺もできた人間じゃないんで」

 そう言って彼の手に握られていたのは、黒い財布だった。

「お前、それは俺が盗んだ穂積の財布……」

「まぁ、さっきのはこじつけが九割だったんですがね、まさか当たっているとは。本当は警備員服のポケットのふくらみ具合があんまりにもおかしかったんで、それで気になったんです。ちなみに俺が盗んだのは、さっき江田さんに新聞を見せに行ったときですよ。気付かなかったでしょう?」

「……お前、俺よりもよっぽど犯罪の才能があるよ」

 あっけにとられながらも、江田は小山を素直に認めるしかなかった。

「ありがとうございます。じゃあ、この財布は俺がもらいますね。それと俺が江田さんを見事出し抜けたんで、今日は江田さんのおごりってことで」

 小山はそんなちゃっかりした一面を見せ、喜んだ。

「おいおい、お前な……」

一度は断ろうとした江田だったが、

「……まあ、仕方ないか、今日だけだぞ」

いろいろ負い目があるので、最終的には引き受けることにした。小山にも万引きの共犯という罪はあるのだが、初老も近い彼にそこまで汲み取る余裕はなかった。

「さすが江田さん。さあ、行きまっしょう!」

 一方、着替え終わった小山は意気揚々と店を後にする。

「おい、ちょっと待て小山!」

 江田は慌てて彼を追いかける。少し前は人でにぎわっていた店の前、しかし今はそこにいるのは江田と小山の二人だけ。そして、その二人を空へと伸びる堅い鉄の棒の先から放たれる怪しげな白い光が照らしていた。

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