6.記憶の喪失
マンションの一室に男はいた。手には血の付いた刃物を持っており、目の前には若い女性が横たわっている。汗だくになりながら肩で息をする男の顔からは、困惑した様子が伺える。
「なんなんだ。この状況はいったい」
数時間前には、目の前の彼女と酒を飲みながら楽しく会話をしていた。それは覚えている。しかし、その直後からの記憶がまったくといっていいほどないのだ。この状況からして自分がやったのは間違いないのだろう。もしかすると、彼女に恨みを持った霊が自分に乗り移ったのかもしれない。そう思うと男は怖くなり、その場から逃げるように去っていった。
それから少し経った夜、男が行きつけのバーで飲んでいると、女性が話しかけてきた。水商売をやっているのだろう。服の露出度と厚化粧を見れば男にも容易に想像出来た。
「お一人?」
「ああ」
「ご一緒してもいいかしら」
断る理由もないだろう。何せ一人で飲むより、綺麗な女性と会話でもしながら飲む酒の方がうまいのだから。
どれくらい飲んだだろうか。女性との会話も弾み、良い感じに酒も回ってきた男は、場所を変えて飲み直そうと誘った。女性もそれを承諾した。
夜道を一緒に歩いていると、急に心臓がバクバクし、流れる血液が熱くなっていくのを男は感じた。
「そこから先はまったく覚えてないんだ。本当に」
男は取調室にいた。目の前には強面の刑事が1人と、それをガラス越しに見守る刑事が2人。
「こんな感覚初めてで」
「何を言ってやがる。 それが五人もの人を殺めておいて言うセリフか」
男は面喰らった様子で刑事を見つめる。
「いや、おそらく俺はさっきの女性しか……」
「お前は連続殺人で捕まったんだよ。しらばっくれても証拠は十分にあるんだ」
おもむろに刑事は1枚の若い女性の写真を取り出し、それを見せながら言う。
「見てみろ。今も殺したいという欲求が顔に出てやがる」
ガラス越しに見ていた後輩刑事は言う。
「典型的な快楽殺人者ですね。ただ他と違うのは脳の一部が異常なまでに発達しているということ」
「どういうことだ?」
「人の脳ってのは都合の悪いことは忘れやすいように出来ているんです。彼の場合、その機能が常人の何倍も発達してるってことですよ」
二人の刑事はその場を後にしつつ、話を続ける。
「じきに彼はさっき人を殺めたこと自体も忘れますよ。今までのようにね。あ、そうだ先輩。先日貸したお金早く返してくださいね」
「ん、そんなの借りてたっけな」