始まりの刺客
何処までもどんよりと曇った江戸の空
その秋風を吹きさらす道を
一人の笠をかぶった托鉢僧が
風のように足をすりながら歩くが
誰もそれが抜き足の型だとはきずかない
あ――つまらん
ボソッと男はつぶやいた
すると一人の町娘が
ええ
とよこに来て返事をした
別段これは行き当たりばったりの会話ではない
合言葉みたいなものだ
男は少しうなずくと女の後をついていく
殺しそれが男の仕事だ
そのくらい裏長屋の立ち並ぶ場所にしては明らかに地味で古いが品のある小さな畳の茶室
そこにはこぎれいな小柄の老人が座るが
その笑顔とは裏腹に明らかにその細い目は殺気をちらつかせていた
いつの間にか女は去り二人だけで対面する
あのーー
実にのんきな声だがその動作に無駄は無い
もしも懐に忍ばしている
変形刀で切りつけても
どうも切れない気がした
はいなんでしょう
顎をさすりさすり返事に答える
とのを殺してほしいですか
とっとのですか
それはまたどちらの
聞いている間も何となく身を固くする
いつ誰に切られるか分かったもんじゃ無い
ほほほと老人は笑い
戸野と言う男じゃ
とそこで改めて間違いを認識した
そお男は日に何千両と使うほどの裕福な庄屋であった
そのふとった男の家にその次の日から毎日ぶらぶらと寄っては店の中を確認した
ことに及んだのは三日後
ゴーンゴーンと深夜の鐘が鳴る
二時か
男はいつもの濡れガラスのような暗い衣をたなびかせ高い塀から屋敷に入った
この戸野と言う男店とは別に立派な屋敷を持っていてそこに入ったのだ
その広い屋敷を男は驚く速さで歩きその間にも音もなく三匹の犬を殺めていた
ピュ――ン
いきなり鳴物の音がした
それが鉄砲だとわかったとき男は同時に走り出していた
幸い一丁だけだったようで
そのあとしばらく待っても音がしない
様子を見ているのか撃つ気がないのか
男は辺りの様子を見た
すると大きい影が明らかに托鉢僧のほうに歩いてきた
どういう事だ
托鉢僧は逃げるかそれとも
懐に仕込んだ変形刀を確かめた
おい
気持ち悪いくらい高い声
それは明らかにこの屋敷の主
戸野 起座得五郎座衛門の声であった
、、、、、、、、
心配するな わしも死にたくは無い
そう言ってその長い銃を投げるが
そんなことで安心するようなことはしない
しかし明らかにその声には殺気が感じられない
どういう事だ
男は何となく前に出てみよう気になった
別段死ぬ気さえなかったが
なんとなくそれもいいかもと思った
なんだ
編みがさのない男の口の周りは
包帯でぐるりと巻かれ
声がくぐもる
お主がワシを殺そうとした毬栗 五十衛門か
「イガグリ ゴジュウエモン その男は幼いころから頼りがなく
何の因果か
いつの間にやらこのこの世で独自の剣術を学び少し名の立つまでになっていた
お主誰に頼まれた
押し黙る
ほーいわぬか
ならばそう言うと
わしのもとへ来ぬか
そう自分を殺そうとした暗殺者に言ったのだ
毬栗は面白がった
憎まれはするものの褒められるなどほとんどない
それどころか成功させた暗殺の雇い主からも殺されるようなものを
ああいいよ
一つ返事で男はその肉饅頭のような太った体の持ち主に言った
その日から毬栗は働きずめだったが
実に充実していた
その作業と言うのが密書の配達なのである
普通の飛脚はおろか
早飛脚さえも軽々ときずかれずに追い越すような男である
さらにはその腕はなかなかの悪名付きとくればよすぎるくらいの人材であった
とうの戸野はと言えばこれもまた不思議な人物で
大黒様みたいに坐っているだけで人が集まり
時には喧嘩まで
何一つ話さずにぽんと居るとおさまる
それは人徳とも取れたが
毬栗は何となく
催眠術の類ではと疑うが
彼にはどうでもいいことだ
今まで無茶苦茶に仕事をしてきたがそれに終わりはなく安住はない
しかし今その忙しく走り回る中に男はどこか定まった安らぎを覚えていた




