第27話~運命~
「――」
何事も無かったかのように、僕は来た道をひたすら走り続けた。
正直、フランクと彼女のお母さんに会った時、もうこの道を戻る事は無いのだろうとさえ思っていた。
◇◆◇
「お、奥様っ……、」
「ミックさん、お元気そうで何よりです」
必死に笑顔を取り繕うとしているのが良くわかる。
僕が最後に会ったときから、まだ一年と経っていないというのに、彼女のお母さんは以前と比べるとかなり痩せ細っていて頬もげっそりと削げ落ち、髪は白いものが増えていた。
その変貌振りに驚かされたと共に、自分が犯してしまった罪の重さを実感し、胸がぐっと締め付けられた。
近くの店に入り、二人と少し話をすることになった。
コーヒーを注文したものの、何を言われるのかとビクビクしていた僕は、最後までそのカップに口を付ける事は無かった。
店内の客はまばらではあったが、カントリーミュージックが大きな音で流れていて、僕達の会話は周りには聞き取られないであろう。こんな小さな町で誰かに話を聞かれでもしたら、たちまち広まってしまう。会話の内容がどうであれ、変な噂になる事だけは避けたかった。
何よりも、――スージーの為に。
しばらく無言の時が流れる。
そんな僕と奥様を見て、最初に口火を切ったのはやはりフランクだった。
「ミックさん、お名前を変えていらっしゃるんですね。お陰でミックさんを見つけるのに苦労しました」
そう言って、少し困った顔をしてフランクは笑う。
僕は「はい」と力なく言う事しか出来ず、再びカップの中のコーヒーをひたすら見つめ続けた。
明らかに僕はスージーと姿を隠そうとしたのに、その事についてフランクは特に触れる事も、責める事もしなかった。
会話が続かない事で困り果てたフランクは、僕と彼女のお母さんの顔を交互に見ながら、やれやれと言った表情で頭を掻く。あんなにお世話になったフランクを困らせてしまっている自覚はあるが、だからと言って、今この場にふさわしいと思える言葉は何一つ浮かんでこなかった。
「あの」
「っ、」
奥様がやっと声を上げた。
その声を聞いた瞬間、まるで背中に板が張り付いたかの様に背筋がピンと伸びた。
「は、はい」
ごくりと唾を呑む音が聞えそうなほど、緊張する一瞬だった。
「スージーと一緒に帰ってきてはもらえませんか?」
「え? あ、あの」
思っても見なかった言葉に耳を疑った。
「貴方の事を責めるつもりは毛頭ありません。もう、あの子も物事の良し悪しの判別が付けられる年頃なのですから」
どこか諦めたかのように微笑むと、一度、手元にあるカップに視線を落とし、憂いを帯びた表情で窓の外に視線を移した。
「あの子が突如出て行ってしまって……、私は自分がした事をとても後悔しました。何故、結婚を急がせてしまったのかと……」
やがて、なにかを決意したかの様に僕へと顔を向けると、テーブルの上に置いていた僕の手を握りしめた。
「スージーがミックさんをお慕いしているのであれば、そしてミックさんもスージーの事を想ってくださっているのであれば、私はそれでいいのです。ただ、このままあの子と離れ離れになるのはとても辛いのです、どうか……どうか……」
「奥様……」
頭を下げて懇願している奥様をみて、僕の頭の中は真っ白になってしまった。
◇◆◇
結局、何のまとまりもつかずに、スージーが待つ自分の家に着く。玄関の扉を開ける前に一度立ち止まり、大きく深呼吸してから扉を勢い良く開け放った。
「ただいまー! ごめんごめん、遅くなっちゃって。店のおじさんの話が長くってさ。なんだか家畜の牛が子供を産んだとかで、延々その時の話を聞かされちゃって、参っちゃう……よ? ――スージー?」
空々しくそこまで話をしておいてから、家の中に誰も居ない事に気が付いた。家中を探してみるが、スージーの姿が見つからない。
「?」
キッチンの勝手口が少し開いているのに気付き、僕はそこから裏庭に出てみた。
「スージー?」
緑が映える芝生の上にレジャーシートを広げ、スージーがちょこんっと座っている。声を掛けると彼女は振り返り、僕に満面の笑みを見せた。
「先生! おかえりなさい! 今日は外で食べましょう?」
無邪気に笑う彼女に、僕はまたもや心を奪われてしまった。
「ね? たまには外もいいでしょう? 私が作った物でも、少しはおいしく感じられるんじゃない?」
「君が僕の為に作ってくれたものなら、いつでもどんな場所ででもおいしいよ」
僕がそう言うと、少し頬を赤らめてスージーは照れているようだった。
そんな他愛のないやりとりをしながらも、彼女のお母さんに会った話をどうやって切り出そうかと、ずっと気が休まらないでいた。
「ふーっ、ご馳走様でした!」
「……うん、ご馳走様。おいしかったよ」
本当の事を言うと、スージーには悪いけどさっきの事で頭が一杯で食事を楽しむ余裕など全然無かった。少しぎこちないそんな僕の態度を見透かしたように、スージーが僕の顔を覗き込む。
「先生? どうかしたの?」
足を両手で抱えて膝に顎を置き、丸い瞳で僕を真っ直ぐ見つめている。その純粋な瞳に、これ以上嘘は吐けないと感じ、思い切って話を切り出した。
「今日、君のお母さんに会った」
「……っ」
少し目を見開いたかと思うと僕から視線を逸らし、自分のつま先をじっと見つめる。
「そう」
と、一言だけ呟いた。
「僕達に戻ってきてくれないか――って」
「――」
彼女は何も答えなかった。僕もそれ以上、彼女を問い詰める事はしなかった。
頭上にゴオオッと轟音が響き、飛行機が上空を横切っている。彼女は顎を上げてそれを見上げると、両手を後ろについて両足を伸ばし、少し微笑みながら話し出した。
「先生? 私、行って見たい所があるの」
「う、うん? 何処? 今度一緒に行こうよ」
彼女は空を横切る飛行機を指差し、僕も誘導されるように澄んだ青空を見上げた。
「飛行機に乗って外国に行ってみたい」
「……スージー」
それは、今の彼女には決して叶わぬ夢の様な話だった。僕を困らせるためにわざとそんな話をしたんじゃない。きっと、彼女にとっては、本当に願っている夢なのだろう。驕るわけではないが、彼女の事をずっと側で見続けてきた僕には、それが痛いほど良くわかった。
「いつ何処にいても、そこにお医者様が居るかどうかを気にせずに過ごす事が出来たら――って、いつも思うわ」
頭上を横切る飛行機を目で追いながら、目を細めていた。
どうする事も出来ない彼女の運命に、僕は憤りを感じる。
何故、彼女には自由がないんだ?
ここは自由の国なのに、自由になる権限を彼女は持っているはずなのに。
何か言葉をかけて上げなければ、と思えば思うほど薄っぺらい同情染みた言葉しか思い付かず、ついに僕は黙りこんでしまった。
そして、この時、この後も、スージーのお母さんが話した事について彼女からの答えを聞くことは無かった。