第19話~前進~
翌朝、約束の時間通りにフランクは運転手と共にやってきた。
早朝と言う事もあり、家のチャイムも鳴らさず車の横に立って前で手を組み、おだやかにじっと待っている。
「ミックさん、ご無沙汰しております」
「おはようございます。朝早くにすみません」
フランクはいつもの様に柔らかい物腰で、以前と同じように僕を出迎えてくれる。『お前のおかげで、仕事が増えた』と嫌味の一つでも言われて仕方がない事なのに、嫌味を言う所か、にこやかな笑顔を見せた。
スージーの荷物を運転手に託すと、すぐにトランクの中へと積み込まれる。両手でないと持ち上がらない程重いこの荷物を、あのスージーがここまで一人で運んで来たというのが、にわかに信じ難かった。
「……」
今の生活が決して嫌なわけではないが、見通しのたたない毎日に少し不安を覚え、このままこの車に飛び乗りたい衝動に駆られる。そんな事をしてもどうにかなるわけでは無いというのに、今の現実から、そしてスージーの側にいてやれない寂しさが、僕をそんな気持ちにさせた。
「遅いなぁ、何してんだろ? ちょっと見てきま――……あ、きたきた」
遅れてやっと姿を現したスージーは、顔を俯かせ不服そうにむくれている。僕とフランクはお互い目を合わせ、困ったもんだと二人で眉尻を下げた。
「お嬢様、お早う御座います」
「……おはよう、フランク」
スージーは僕に隠れるようにして、少し後ろでピタリと止まった。
「スージー? フランクさんに何か言う事があるんじゃないの?」
そう促すと、一歩横にずれて上目遣いでフランクに顔を向けた。
「……わざわざ来てくれて有難う。それと、――心配かけてごめんなさい」
そう言うと、ペコリと頭を下げた。
ほっとすると共に、スージーはやはりここから居なくなるのだという現実が僕にのしかかってくる。ちゃんと家に帰るように言って聞かせたのは他の誰でもないこの僕だというのに、いざ居なくなると思うと途端寂しくなる。どっちつかずなこの感情に、自分は一体どうしたいんだと胸が苦しくなった。
「先生、またね」
それはどうやら彼女も同じようで、うっすらと涙を浮かべながら頬にキスをくれた。
前はちゃんとお別れが出来なかったのが心残りだったからか、これでやっと一つの区切りがついたような気持ちになった。
「スージー、くれぐれも無茶はしないようにね」
バタンと扉が閉まり、車がゆっくりと走り出す。
リヤガラス越しにいつまでもスージーが僕に手を振っているのはわかっていたが、僕は片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、振り返す事が出来なかった。
あの時のスージーの表情が、未だに目に焼きついている。自分ではどうすることも出来ず、いつまでも僕を苦しめた。
◇◆◇
寒い冬が終わり、季節は夏を迎えようとしていた。
僕はあの日に見に行った家を買う事にしたが、僕が買う意思を見せた途端、売主が渋りだしたせいで未だ入居できないで居た。
いつまでもウィルの家にやっかいになる訳にも行かない。もうあの物件は諦めようとしていた矢先、やっとの事で売主が手放す決意をしたとの連絡が入った。
丁度一年前の今頃、僕は大学を卒業した。スージーも上手く行っていればそろそろ卒業する頃だろう。卒業したらこっちへ来ると言っていたあの約束は、彼女は忘れてしまっているのだろうか。その証拠に、あの日、スージーと別れてから何の音沙汰も無かった。
「さてと」
不動産屋から鍵は受け取ったし、後はここを出て行くだけ。なんだかんだと荷物が増えてしまって荷造りに手こずっていると、突然、僕の携帯電話が鳴り響いた。
公衆電話からの着信に首を傾げながら、受話ボタンを押す。
「もしもし?」
「もしもし? 先生?」
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。
――スージーだ!
彼女からの電話を懐かしむ間もなく、背後に聞こえるざわついた様子が気になり、今何処にいるのかと問いかけた。
「先生、迎えに来て……なんだか怖い」
「スージー、まさか又ここまで来てるとか言うんじゃないだろうね?」
「うん。今、駅にいるの。でもなんだか怖くて」
部屋の時計を見ると、若い女の子がうろつくにしては遅すぎる時間になっている。片付け途中の荷物を放っぽりだし、僕はすぐに立ち上がった。
「すぐにそっちへ行くよ。いいかい? 電話を切らないでこのまま話し続けるんだ。そうしたら怖くないから、ね?」
「うん、わかった。ああ、でもコインがもう無いわ」
「じゃあ、もし電話が途中で切れても受話器を下ろさず話してるフリをしておくんだ、いいね?」
急いで階段を駆け下りた僕は、丁度帰って来たウィルと入れ替わるように外へ飛び出した。
「ミック? こんな時間に何処行くんだ?」
「!」
僕はウィルの方へ戻り、彼の手にしている車のキーを奪う。
「車借りるよ!」
「えっ? ちょっ」
急いでエンジンをかけて駅まで向かった。
彼女が不安にならないように、手にした携帯電話で優しく語りかける。
「先生? 約束通りちゃんと卒業したよ? だから先生の側に居てもいいよね?」
スージーは僕と交わした約束を覚えていた。
そう思うと、僕はもう誰にも遠慮するものかと、はやる気持ちを抑える事が出来なかった。