第13話~きっかけ~
大きな門の横にある小さな扉。そこをいつもの様にスージーと二人で潜り抜けると、扉の向こう側には既にクリスが待ち構えていた。
クリスは僕達に気付いた途端、勢いよく突進してくる。そして、スージーの真ん前でピタリと止まった。
「やあ! スージーちゃん! 元気にしてた?」
スージーは少し後ずさりして、顔を引きつらせながら笑っている。あんなことがあったというのに、いくら久し振りだからとは言え今にも抱きつきかねない彼の勢いに、何度言っても無駄なのかと大きくため息を吐いた。
「おいおいクリス。スージーが怖がってるじゃないか」
「おっと、すまんすまん」
「ふふっ」
思わず声を出して笑っている彼女の表情を見て、元気そうだと安心したのかクリスは心底ほっとしている様だった。
「じゃあ、行きましょうか。お姫様」
「あっ、はい。ふふっ」
クリスが片手を胸に置き頭を下げる。スージーは含み笑いをしながら頷いた。
二人が歩き出そうとしたその時、スージーが慌てて振り返ったと思ったら門の前で二人を見送る僕に駆け寄って来た。彼女の顔が近づいてきて思わずあの夜の事が頭をよぎった僕は、反射的に上半身をのけぞらせてしまった。
「……」
スージーは敏感に反応したのか、僕の肩に手をそっと置いたまま一度顔を遠ざける。
「先生、行って来ます」
そう言うと、僕の目を見ながらゆっくりと頬にキスをくれた。
その行為の端々に「今から<頬に>キスするからね?」と、言っているかのように見えた。
「あ、ああ。気をつけて行ってらっしゃい」
二人は並んで銀杏並木を歩いていく。ついこの間までは彼女の隣には僕がいたはずだったのに、こうして見るとなんだかスージーが遠い存在に思えてくるから不思議だ。
「――」
あの日の夜から僕はスージーを部屋に入れることを止めた。何故こうなったのかという事は、それとなく理解しているようだった。
彼女を拒絶した時に見た悲しげな表情が、いつまでも僕の脳裏に焼きついて――離れなかった。
◇◆◇
部屋に戻り、大きな本棚の前に立つ。ここにお世話になるようになってから買い集めた沢山の本は、手付かずのものが大多数を占めていた。
「仕方ない。片っ端から読んでいくか」
スージーがいない時間というのはこんなにも長く、そしてつまらないものだったのだと初めて思い知る。背表紙を指でなぞりながら、この中で一番古そうな本を探した。
「――? はい?」
扉をノックする音が聞こえてドアを開けると、そこにはフランクが立っていた。
「ミックさん、奥様がお呼びで御座います」
「――あ、はい。直ぐ行きます」
彼女のお母さん、つまり僕の雇い主が呼んでいる。
このタイミングで呼ばれると言う事がどういう事なのか、すぐにわかった。
「実はあなたに折り入ってお話しがあります」
「はい……。なんでしょう?」
その婦人は窓の外の景色を見つめながらそう言うと、ゆっくりと僕の方へと振り返った。
あわせた手の平がじっとりと汗ばんでいるのを感じる。僕はソファーに座り婦人の言葉に意識を集中した。
「あの子から――、スージーから身を引いてもらいたいのです」
「それは……クビって事でしょうか?」
そう言うと、奥様は慌てた様子で頭を振った。
「いいえ、違うのです。そういう意味ではありません」
「……では?」
奥様が肩を落としながら大きく息を吐くと、「身を引く」と言う言葉の意味の説明を始めた。
「あの子はこの家の一人娘、つまりは大事な跡取りなのはわかりますね?」
「はい」
「いずれは結婚し世継ぎとなる子を生んで、この家を守っていかなければなりません。しかし、大病を抱えてる身、いつどうなるかはわかりません。ですから、何名か申し出があった方達の中から私がふさわしい相手を選び、スージーに会って見る様に話をしたのですが、あの子は一向に首を縦に振らないのです」
「……」
僕は彼女のこれから歩む人生を聞かされた気持ちになった。
敷かれたレールにただ車輪を置くだけで勝手に走り出す、まるでトロッコの様な退屈な人生を。
「以前、あの子が真夜中に貴方の部屋へ入っていくのを見ました」
「――っ、え!? あの、その」
見つかっていた。体中からサーッと血の気が引いていくのがわかった瞬間だった。
今の僕の顔は文字通り青ざめていると思う。あれほど気を付けなければと思っていた筈なのに、いつの間にかその事に慣れてしまっていたのだろう。スージーも僕も完全に油断していた。
「一つ尋ねておきたいのですが。二人はその……、――男女の関係にあるのですか? もし、そうなら――」
「ちっ、違います! そんな事は一切ありません! スージーが一人で寝るのを怖がるもので……。小さい時の様に、添い寝してあげてただけなんです、信じてください!」
「そうですか。いえ、スージーもそう申しておりました。疑っているわけではありませんが、もしその様な関係なのでしたらこの話は酷だと思いまして」
「……」
そんな関係でなくても、僕にとっては十分酷な話である。自分の愛する人の見合い話を聞かなければならないのだから。
「ただ、スージーはそうは思っていないようなんです」
「え?」
「貴方に、……こんな事、親の私から言ってしまって良いものかどうかわかりませんが。その、つまり、先生以上の感情をどうやら抱いている様でして。ミックさんにその気が無いのであれば、スージーにはっきりと態度なりで気付かせてあげてもらえませんか? あの子には時間が無いのです」
そう言いながら、僕に向けた瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
彼女のお母さんも他所から来た身。お父さんが亡くなった今、スージーだけがこの家の血を分けた者になる。恐らく、この血を絶ってはならないという使命感で一杯なのだろう。
スージーのお父さんがまだ健在だった頃は、例えメイドと言えども、ある程度身分の高い者しか雇っておらず、奥様もそれなりの身分のお人だと聞いた事がある。その父親が他界した今では、お優しい奥様のお陰で分け隔てなくどんな者でも招き入れる様になったそうだ。現に、僕がいい見本だと思う。
しかし、どれだけ慈悲深い人でも、世継ぎとなれば話も別だ。僕みたいな田舎の出の何処の馬の骨かもわからない男に、大事な一人娘をやる事は出来ない、そう思うのも無理は無いだろう。
「あの、奥様。ご心配なさらないで下さい。僕は丁度この家を出る時が来たと思っていたのです」
「ミックさん! 私は決してそう言っているわけじゃ……。ああ、私ったら説明が下手で。まぁどうしましょう、誤解なさってるんですね」
奥様は驚いた表情で両頬に手をあて、オロオロとしていた。
「いいえ、大丈夫です。僕が自分でそう思ったのです。――実は、前々から小さな子供相手に勉強を教える事が出来たらと思っていました。その、……僕の育った町で」
「まあ、でも……」
「近々荷物をまとめます。きっかけを作って下さって感謝しています。お陰で踏ん切りがつきました」
歯止めの利かない彼女に対する自分の感情と、彼女の未来を案ずる母。丁度いいタイミングでそれらが結びつき、僕は自ら答えを導き出した。
――スージーには幸せになってもらいたい。
そんな想いが彼女から離れる勇気を、僕にもたらした。