推考
あれやこれや批判等あるかもしれませんが、ただの十九歳の小言なのでまあ気楽にどうぞ。
「女らしくしなさい」
「男らしくしていろ」
と人は言う。
しかしその一方で世の中は
「多様性を認めよう」
「好きな自分でいていい」
と言う。
一体どっちなのだろうか。それぞれの「らしさ」を求めるにせよ、自由を認めるにせよ、どちらかにしてほしい。大まかな風潮は性別に囚われないことを推進しているはずなのに個々の口からは未だに生まれ持った性別を堅持することを正とされる。
では、その「女らしさ」「男らしさ」「多様性」「自由」とは何なのだろうか。
例えば、最近はメンズメイクなるものが一部の人の間で取り入れられているらしい。言葉の通り男性がメイクをしていることを公言するようになっているようである。
例えば、女性の議員を増やすための取り組みなどが行われている国があるらしい。詳しいことは知らないが国によっては全議席のうち半数が女性になっているところもあるとかないとか。
例えば、近年になって「LGBTQ」というのをちょくちょく聞くようになった。様々な性的嗜好を持つ人の事だそうだ。意外とそういう人は多くいるらしい。
自由については特に話せるネタが無いのだが、何となく思うところで言えば子供に対してSNSの自由な使用をどこまで認めるかというのが最近問題になっている気がする。近頃はオーストラリアで十六歳未満のSNSの利用を規制する法律が施行されたらしい。
…………つらつらと書いてはみたがイマイチよく分からない。
メンズメイク、別にいいと思う。その方が綺麗に見えるし実際やっている人は多くいるのだろう。だが、わざわざ言う必要があるだろうか。
女性の議員を増やしたい、別にいいと思う。だが、そもそも女性の立候補数はどれくらいなのだろうか。あまり極端にやるとまたぞろ「男性差別だ」などという批判が出るのではないか。
LGBTQ、別にいいと思う。人の思考(志向、嗜好、指向)など千差万別ある。だが、少なくとも私の周りではそれを公言する人に出会ったことがない。これは一体どういうことなのか。
SNS規制、別にいいと思う。いいと思うが政府が法律で規制したところでそれに効果はあるのだろうか。
以前、こんなことをちらっと聞いたことがある。
「多様性、多様性などと言っているうちは本当に多様性が認められる世の中にはならない」
そうかもしれない、と思った。言葉で言うなら誰でも出来る。理想を語るだけなら子供でも出来る。それを行動に起こすか否かはその人次第である。そして、大抵の人は行動に起こすことなく終わるだろう。それでは何も前に進まない。何も実現しないだろう。
だから結局、女は女らしく淑やかになどと言われるし男は男らしく屈強になどと言われるのだろう。別にどっちがどっちでもいいし他の人に迷惑がかからないならどんな人間性でもいいはずだ。
ただ、別に性別らしさを求めるというのも悪いことでは無いと思っている。自分の性別はこうで、このようにしたいからこうするといったことを自ら掲げるのも良いことだろう。
私が言いたいのは「らしさ」であれ「多様性」であれ、それを他人に指摘して難癖をつけるというのは如何なものかということである。
こんなことを思ったのは友人が恋人から「男らしくない」という理由で振られたという相談を受けたからだ。たしかにその友人は男性ではあるもののあまり男らしさは感じない。仕草も性格も話し方もどことなく女性のような物腰の柔らかさがある。
だが、それが彼の魅力でもある。見た目の線の細さも相まって中性的な雰囲気があり、女子からも男子からも気軽に話しかけられるような人物だ。彼のアイデンティティとも言うべきその性質を嫌だと言われてしまってはどうしようもない。価値観が合わなかった、と言わざるを得ない。
男らしい彼氏がいい、というのが彼の恋人の希望であり、彼は彼でありのままの自分でいられる相手がいいと思っていた。そこが噛み合わなかったという話だ。
とはいえ本人からしてみれば愛していた相手と別れたことを「価値観の相違」の一言だけで片付けられてしまっては堪らないだろう。ひとまず私に言えたのは「辛かったね」の一言だけだった。
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