第8話 王命による呼び出しですが、竜同伴で登城します
王家の紋章である「双頭の鷲」が刻まれた漆塗りの馬車が、騎士団の正門をくぐり抜けてきた。
その威圧的な光景に、私は作業の手を止めて息を呑んだ。
竜舎の前でブラッシングをしていた手を止め、隣に立つグレイド団長を見上げる。
「……あのお迎え、もしかして私ですか?」
「恐らくな」
グレイド様は眉間に深い皺を刻み、不愉快そうに舌打ちをした。
舌打ち。
あの礼儀正しい公爵様が、公然と不快感を露わにするなんて珍しい。
馬車から降りてきたのは、王家の使者である慇懃無礼な官僚だった。
彼は私の作業着姿を一瞥して鼻で笑い、巻物のような書状を読み上げた。
「竜騎士団所属、特別管理官エルマ。国王陛下の命により、直ちに登城せよ。『竜を従える力』について、詳細な説明を求める」
予想はしていたけれど、胃が痛くなるような命令だ。
元婚約者の一件以来、私の噂は王都中に広まっているらしい。
曰く、『猛獣使いの聖女』だとか、『竜を虜にする魔性の女』だとか。
実際は、背中を掻いてステーキを焼いているだけなのだけれど。
「……承知いたしました。着替えてまいります」
「待て」
私が宿舎へ戻ろうとすると、グレイド様が低い声で制した。
彼は官僚を鋭く睨みつけ、信じられないことを言い放った。
「彼女一人では行かせられん。私も同行する」
「公爵閣下? しかし、召喚状にはエルマ嬢のみと……」
「さらに、ヴェルドアも連れて行く」
官僚の目が飛び出そうなほど見開かれた。
私も自分の耳を疑った。
「はあ!? り、竜をですか!? 王城に!?」
「当然だ。エルマはヴェルドアの制御装置だ。彼女が騎士団を離れれば、ヴェルドアが寂しがって暴れ出し、王都を火の海にする恐れがある」
グレイド様は真顔で大嘘……いや、あながち嘘でもない脅しを口にした。
背後では、話の内容を理解したヴェルドアが『エルマどこ行くんだ! 俺も行く!』と鼻息を荒くしている。
「こ、これは王命ですぞ! そのような危険生物を連れて行くなど!」
「王都の安全を守るのが私の務めだ。もしここで断り、私が目を離した隙にヴェルドアが発狂したら、貴官が責任を取れるのか?」
グレイド様の背後から放たれる凄まじい威圧感。
それに呼応するように、ヴェルドアが『ギャオオオオ!』と空気を震わせる咆哮を上げた。
官僚は顔面蒼白になり、腰を抜かさんばかりに震え上がった。
「わ、わかった……許可する! ただし、絶対に暴れさせるなよ!」
***
こうして、前代未聞の登城行列ができあがった。
街道を行く王家の馬車。
その上空を、巨大な黒竜が悠々と旋回しながらついてくる。
馬車の中、向かいに座るグレイド様は、腕を組んで厳しい表情を崩さない。
「……申し訳ありません、団長様。私のせいで大事になってしまって」
「謝る必要はない。むしろ、もっと早く手を打つべきだった」
彼は窓の外を一瞥し、声を潜めた。
「宮廷魔導師団が動いている。彼らは君の能力を『先天的な魔力異常』と仮定し、解剖して脳の構造を調べたがっているそうだ」
ヒュッ、と喉が鳴った。
解剖。
そんな物騒な単語が、王宮のエリートたちから出ているなんて。
「あいつらは知識欲のためなら倫理を捨てる人種だ。『国の利益になる』という名目で、君を実験動物扱いするつもりだろう」
「そ、そんな……」
「だから、ヴェルドアを連れてきた。物理的な脅威があれば、彼らも手出しはできない」
グレイド様の手が、震える私の手に重ねられた。
温かい。
その体温だけが、今の私にとって唯一の救いだった。
「安心しろ。何があっても私が守る。君には指一本触れさせない」
***
王城の謁見の間。
豪奢なシャンデリアと、赤い絨毯。
玉座には老齢の国王陛下が座り、その周囲を大臣や護衛騎士たちが固めている。
そして、傍らには黒いローブを纏った集団――宮廷魔導師たちが、獲物を狙うハゲタカのような目で私を見ていた。
「面を上げよ」
国王の声が響く。
私はグレイド様の隣で、恐る恐る顔を上げた。
「そちが、竜と心を通わせるという娘か」
「は、はい。エルマと申します」
「報告は聞いている。凶暴な黒竜を一瞬で手懐けたとか。……魔導師長、どう見る?」
話を振られた魔導師長という男が、一歩前に出た。
痩せこけた頬に、狂信的な光を宿した瞳。
彼は私をジロジロと舐め回すように見て、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「陛下。これは極めて稀有な『変異種』の可能性があります。人の身で魔獣の言語を解するなど、魔法学の理屈では説明がつかない」
男は恭しくお辞儀をし、続けた。
「よって、彼女の身柄を我ら魔導師団でお預かりし、詳細な検査を行いたく存じます。脳波の測定、魔力回路の摘出……国家の軍事力向上のため、多少の犠牲は必要かと」
さらりと言った。
回路の摘出?
それはつまり、私を殺すということではないか。
「待て」
遮ったのは、グレイド様だった。
彼は私の前に立ち塞がり、魔導師長を睨みつけた。
「彼女は竜騎士団の正規職員だ。貴様らの実験台ではない」
「おやおや、公爵閣下。個人の感情で国益を損なうおつもりですか? その娘の力と構造を解明すれば、全ての兵士が魔獣を使役できるようになるかもしれないのですよ?」
魔導師長は譲らない。
国王も、興味深そうに顎を撫でている。
まずい。
このままでは、「国のため」という大義名分に押し切られてしまう。
その時だった。
ズドォォォォォォン!!
謁見の間の巨大な窓ガラスが、外側から粉々に砕け散った。
悲鳴が上がる。
飛び込んできたのは、窓枠を無理やりこじ開けた巨大な黒い頭部。
『おい! 話がなげぇぞ! エルマを返せ!』
ヴェルドアだ。
彼は長い首を室内に突っ込み、魔導師長に向かって牙を剥き出しにした。
『テメェか? 俺のエルマをいじめてんのは。食うぞコラ!』
室内に暴風のような殺気が吹き荒れる。
魔導師たちは「ひいっ!」と悲鳴を上げて腰を抜かし、護衛騎士たちも剣を抜くことさえできずに硬直している。
ヴェルドアの言葉は彼らにはわからない。
けれど、今にもブレスを吐きそうなその態度は、誰の目にも明らかだった。
「ひ、ひぃぃ! 公爵! 竜を止めろ!」
魔導師長が床を這いずりながら叫ぶ。
グレイド様は冷ややかにそれを見下ろし、言った。
「無理だ。言っただろう、彼女がいないと制御できないと。彼女に危害を加えれば、この城は灰になる」
そして、彼は玉座の王に向かって、朗々と宣言した。
「陛下。これでおわかりいただけたでしょう。彼女と竜は一蓮托生。彼女を害することは、最強の戦力を失うことと同義です」
さらに、彼は私の肩を抱き寄せ、とんでもない追撃を放った。
「それに、彼女は私の婚約者です。公爵家の次期当主の妻となる者を、実験台になどさせません」
――はい?
時が止まった。
私だけでなく、国王も、魔導師たちも、口をぽかんと開けている。
こ、婚約者?
いつの間に?
「こ、公爵……それは真か?」
「はい。既に書類の準備も進めております。彼女以外の女性を娶るつもりはありません」
グレイド様は迷いなく断言した。
その腕に込められた力は強く、私を絶対に離さないという意志に満ちている。
国王はヴェルドアの巨大な顔と、グレイド様の真剣な眼差しを交互に見て、大きなため息をついた。
「……わかった。認めよう。竜の制御と公爵家の顔に免じて、魔導師団の手出しは禁ずる」
「ありがたき幸せ」
グレイド様が深々と頭を下げる。
私は何が何だかわからないまま、とりあえず一緒に頭を下げた。
***
帰りの馬車の中。
私はようやく混乱から立ち直り、グレイド様に尋ねた。
「あの、団長様。さっきの『婚約者』発言ですが……」
「ん? 何か問題でも?」
「いえ、その、私を守るための方便ですよね? あそこまで言っていただいて、ご迷惑では……」
公爵家には公爵家の都合があるはずだ。
私のような元男爵令嬢を盾にするなんて、リスクが高すぎる。
しかし、グレイド様はきょとんとして、それから少し拗ねたように言った。
「方便? 私がそんな器用な嘘をつける人間に見えるか?」
「えっ」
「本気だと言っただろう。書類も作成中だ。……嫌か?」
彼は真っ直ぐに私を見た。
その瞳は、竜に対するときのような純粋さと、私への不器用な情熱で揺れている。
「君以外に、私の隣に立てる人間はいない。ヴェルドアも、私も、君が必要なんだ」
それは、プロポーズだった。
飾り気のない、実利と感情が入り混じった、彼らしい言葉。
私は顔が熱くなるのを感じた。
仕事上のパートナーだと思っていたのに。
いつの間にか、外堀だけでなく内堀まで埋められていたらしい。
「……嫌じゃ、ないです」
蚊の鳴くような声で答えると、グレイド様は安堵したように微笑み、そっと私の手を握り直した。
窓の外では、ヴェルドアが『おい、何イチャイチャしてんだ! 俺も混ぜろ!』と並走しながら窓ガラスをコンコンと叩いていた。
ガラスが割れないか心配しながらも、私は握り返された手の温かさに、かつてない幸福を感じていた。




