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第7話 団長様が私のために社交界でブチ切れたそうです



「おい、そこの地味女! 俺の許嫁だろうが!」


 騎士団の正門を出たところで、聞き覚えのある罵声が飛んできた。


 夕方の買い出し帰り。

 私はビクリと肩を震わせて立ち止まった。

 門柱の影から現れたのは、かつて私を捨てた元婚約者、子爵家の嫡男だった。


「……どうして、ここに」


 私が問うよりも早く、彼は大股で歩み寄ってきた。

 その顔は焦りと苛立ちで歪んでいる。

 以前のような、余裕ぶった態度はどこにもない。

 服も少し薄汚れているように見える。


「どうしてじゃない! 手紙を送ったのに無視しやがって! これだから気の利かない女は困るんだ!」

「手紙? 読んでいませんが」


 ああ、そういえば。

 先日、ヤギのユキちゃんが美味しそうに食べていたあの紙束。

 あれがそうだったのか。


「とぼけるな! まあいい、迎えに来てやったぞ。さあ帰るぞ!」


 彼は私の腕を強引に掴んだ。

 痛い。

 乱暴な力に、買い物袋が地面に落ちる。


「離してください! 私たちはもう他人でしょう! 手切れ金も受け取りました!」

「うるさい! あれは一時的な小遣いだ! お前はまだ俺の婚約者だ、実家の許可も取ってある!」


 許可?

 絶縁しておいて、今さら何を言っているの?

 彼の目が血走っているのが見えた。

 これは、まともな話し合いができる状態じゃない。


「嫌です! 私は帰りません!」

「生意気を言うな! お前の稼ぎが必要なんだよ!」


 稼ぎ。

 その言葉で、全てを察した。

 彼は私が復縁したいわけじゃない。

 私が竜騎士団で高給を得ていると聞きつけ、金づるとして連れ戻しに来たのだ。


「来い!」

「やめて……っ!」


 引きずられそうになった、その時。


 ドォォォォォン!


 突風と共に、巨大な影が空から降り注いだ。

 地面が揺れ、元婚約者がバランスを崩して尻餅をつく。


 砂煙の中から現れたのは、漆黒の巨体。

 黒竜ヴェルドアだ。

 演習から帰還したところだったらしい。


『……おい。何してんだ、テメェ』


 低い、地を這うような唸り声。

 ヴェルドアの金色の瞳が、私の腕を掴んでいた男を睨みつけている。

 もちろん、男には言葉は通じない。

 けれど、その殺気だけは伝わったはずだ。


「ひっ、ひいいっ!?」

「ヴェルドア! 待って!」


 私が叫ぶのと同時に、ヴェルドアの口元に赤い火花が散った。

 ブレスを吐く気だ。

 本気で燃やすつもりだ。


『俺のエルマに触ってんじゃねえよ! 消し炭になりてえのか!』


 まずい。

 ここで民間人を焼き殺したら、ヴェルドアが処分されてしまうかもしれない。


 その寸前で、竜の背から影が飛び降りた。


「……控えろ、ヴェルドア」


 冷徹な声が響く。

 白銀の鎧を纏ったグレイド団長だ。

 彼はヴェルドアの鼻先を片手で制し、そのままゆっくりと元婚約者の方へと歩み寄った。


 カシャン、カシャン。

 金属音が鳴るたびに、場の空気が凍りついていく。


「き、貴様は……グレイド公爵……!」


 元婚約者が震えながら立ち上がろうとする。

 しかし、グレイド様の圧倒的な威圧感に押され、腰が抜けたように動けない。


「私の部下に、何か用か?」


 グレイド様は剣の柄に手をかけたまま、氷のような瞳で見下ろした。

 その声には、一切の感情が乗っていない。

 それが余計に恐ろしい。


「ぶ、部下だと!? ふざけるな! その女は俺の婚約者だ! 家の問題に口を出すな!」


 元婚約者が喚き散らす。

 まだ状況がわかっていないらしい。


「婚約者?」


 グレイド様が片眉を上げた。


「私の調査では、君たちは正式に婚約破棄の手続きを完了しているはずだが? 慰謝料も支払い済みだとか」

「そ、それは……事情が変わったんだ! とにかく返せ! その女は俺のものだ!」


 男が再び私に手を伸ばそうとした。


 瞬間。

 視界がブレた。


「……二度と、その薄汚い手で触れるな」


 気づけば、グレイド様が私の前に立っていた。

 男の手首を掴み上げ、ギリギリと締め上げている。


「ぎゃあああああっ!」

「彼女は国家機密扱いの特別職員であり、竜騎士団にとって欠かせない存在だ」


 グレイド様が静かに、けれど明確な怒りを込めて宣言する。


「そして何より、私の最重要パートナーだ。貴様ごときが所有権を主張できる相手ではない」


 最重要パートナー。

 その言葉が、胸にすとんと落ちた。

 仕事上の意味だろうけれど、彼がそう言い切ってくれたことが、どうしようもなく嬉しい。


「う、うぐぐ……離せ……公爵だからって、何でも許されると……!」

「許されるとも。ここは軍用地だ。不法侵入および職員への暴行未遂で、このまま牢にぶち込んでもいい」


 グレイド様が腕を振ると、元婚約者はゴミのように数メートル先へ転がった。


「失せろ。次に彼女の視界に入ったら、社会的地位だけでなく、その命も保証しない」


 背後では、ヴェルドアが『燃やせ! 燃やせ!』と鼻息を荒くしている。

 男は完全に戦意を喪失したようだった。


「お、覚えてろよ! ただで済むと思うな!」


 捨て台詞を吐き、男は逃げるように走り去っていった。

 その背中が見えなくなるまで、グレイド様は微動だにしなかった。


「……エルマ」


 彼が振り返る。

 その表情は、先ほどの鬼のような形相とは打って変わり、ひどく痛ましげなものだった。


「怪我はないか?」

「は、はい。大丈夫です」


 緊張が解けて、膝が震えた。

 へたり込みそうになった私を、グレイド様が咄嗟に支えてくれる。

 硬い鎧の感触。

 でも、そこから伝わってくる体温は温かかった。


「すまない。私がついていながら、怖い思いをさせた」

「いいえ、団長様のおかげで助かりました。……本当に」


 涙が出そうになった。

 ずっと孤独だった。

 実家にも婚約者にも捨てられ、誰にも必要とされていないと思っていた。

 でも、今は違う。


「もう二度と、あんな男には会わせない。約束する」


 グレイド様が、私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

 それは上司が部下を守るという範疇を、少し超えているような気がした。


『おい! 俺も混ぜろ! エルマ無事か!?』


 空気を読まないヴェルドアが、巨大な頭を擦り付けてくる。

 グレイド様が苦笑して、私から体を離した。

 少し残念だと思う自分がいた。


「帰ろう、エルマ。温かいお茶を用意させる」

「……はい」


 私は落ちていた買い物袋を拾い上げ、彼らの隣を歩き出した。

 夕日が、私たちの影を長く伸ばしている。

 

 かつて私を捨てた男の言葉など、もう届かない。

 私には今、こんなにも頼もしい味方がいるのだから。


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