第2話 内緒の拾い物
「ママ、今日のオヤツはいりません!」
「僕たち、お腹いっぱいだから!」
昼食を終えたばかりのダイニングルームで、双子のアレンとレンが声を揃えて宣言した。
二人のポケットは、パンパンに膨らんでいる。
どう見ても、テーブルに残っていたパンや干し肉が詰め込まれているようだった。
「……そう? じゃあ、後で食べるのね?」
「う、うん! 探検に行ってくる!」
「行ってきます!」
二人はバタバタと駆けていった。
その背中を見送りながら、私は小さくため息をついた。
わかりやすい。
あまりにもわかりやすすぎる隠し事だ。
彼らが向かったのは、昨日と同じ騎士団の演習場、その隅にある雑木林だ。
あそこには、確実に「何か」がいる。
私は気配を消して、バルコニーからそっと様子を窺った。
庭を横切る双子の行く手に、巨大な影が立ちはだかっている。
ヴェルドアだ。
『おう、チビたち。今日も行くのか?』
ヴェルドアが低い声で話しかける(私には聞こえる)。
双子は立ち止まり、真剣な顔で頷いた。
「うん。あの子、お腹空いてると思うんだ」
「ヴェルドア、誰にも言っちゃダメだよ。パパにもママにも内緒だからね」
口元に人差し指を立てるアレン。
ヴェルドアはニヤリと笑い、片目を瞑ってみせた。
『任せとけ。俺は口が堅い男だ。騎士団の連中もここには近づけさせねぇよ』
「ありがとう! やっぱりヴェルドアは最高のお兄ちゃんだね!」
双子は嬉しそうにヴェルドアの足を叩き、雑木林の中へと消えていった。
……共犯者まで確保済みとは。
私は苦笑して、バルコニーの手すりに頬杖をついた。
昨日の今日だ。
私も、あの藪の中に何がいるのか、おおよその見当はついていた。
風に乗って漂ってくる、野生の獣の匂い。
そして、微かに聞こえる、鋭い威嚇の声。
――竜だ。
それも、まだ親離れしたばかりのような、小さな野生種。
本来なら、公爵邸の厳重な結界内に野生の魔獣が入ることはあり得ない。
けれど、この屋敷には「始祖竜」という規格外の存在が住んでいる。
おじいちゃんの気まぐれか、あるいは傷ついた幼子への慈悲か、結界に小さな通り道ができたのかもしれない。
「……どうしますか、あなた」
背後から気配がして、私は振り返らずに尋ねた。
いつの間にか、夫のグレイド様が立っていた。
彼もまた、穏やかな表情で子供たちの行く先を見つめている。
「気づいていたのですか?」
「当然だ。私の庭だぞ。ネズミ一匹入ればわかる」
グレイド様は私の隣に並び、肩を抱いた。
「野生の飛竜の幼体だ。怪我をしているらしい」
「やっぱり。……保護しますか? 騎士団に命じて捕獲すれば、すぐに治療できます」
それが一番安全で、確実な方法だ。
野生の竜は凶暴だ。たとえ幼体でも、子供たちが怪我をする可能性がある。
母親としては、すぐにでも駆けつけて安全を確保したい。
けれど、グレイド様は首を横に振った。
「いや、待とう」
「でも、危険では?」
「ヴェルドアがついている。それに……彼らの顔を見たか?」
グレイド様は、眩しそうに目を細めた。
「あんなに真剣な顔は初めて見た。彼らは今、自分たちだけの力で成し遂げようとしている。『お母様みたいになりたい』と言っていたそうだ」
ドキリとした。
私みたいに。
それはつまり、竜と心を通わせるということ。
言葉の通じない彼らが、野生の竜を手懐けようとしているのだ。
それは無謀な挑戦かもしれない。
でも、もしここで私が介入して、通訳スキルであっさりと解決してしまったら?
それは彼らの冒険を、成長の機会を、私が奪うことになるのではないか。
「……男の冒険、というやつですか」
「そういうことだ。見守ろう、エルマ。彼らを信じて」
夫の言葉に、私は頷いた。
守るだけが愛じゃない。
信じて手放すこともまた、親の務めなのだと自分に言い聞かせて。
***
それから数日が過ぎた。
双子の「秘密の任務」は続いていたが、状況は芳しくないようだった。
夕暮れの雑木林。
私はこっそりと、木陰から様子を窺っていた。
過保護だとは思うけれど、どうしても心配で見に来てしまったのだ。
藪の中に、錆色の鱗を持つ小さな竜がうずくまっていた。
体長は大型犬ほど。
翼には傷があり、痩せ細っている。
その瞳はギラギラと敵意に燃え、近づく者を拒絶していた。
『グルルルルッ!』
『来るな! 人間め! あっちへ行け!』
私には聞こえる。
恐怖と不信に満ちた、拒絶の言葉が。
その目の前に、アレンとレンがしゃがみ込んでいる。
地面には、彼らが運んだパンや干し肉が手つかずのまま転がっていた。
「ねえ、食べてよ。おいしいよ?」
「怖くないよ。僕たち、君の味方だよ」
レンが差し出した肉を、小竜が鋭い歯で弾き飛ばす。
バシッ!
「うわっ!」
「レン!」
レンが尻餅をつく。
小竜は威嚇音を上げ、さらに奥へと後退った。
『罠だろ! 騙されないぞ! 俺を捕まえて殺す気だろ!』
小竜の叫びが胸に刺さる。
この子は、人間を深く憎んでいる。きっと親を人間に殺されたか、酷い目に遭ったのだろう。
そんな複雑な事情を、言葉の通じない子供たちが理解するのは難しい。
「……どうして食べてくれないのかなぁ」
「僕たちのこと、嫌いなのかな」
アレンが悲しげに呟く。
レンも泥だらけの手を握りしめ、泣きそうな顔をしていた。
「ママなら、きっとすぐ仲良くなれるのに」
「僕たちには、やっぱり無理なのかな……」
その言葉を聞いた瞬間、私は木陰から飛び出しそうになった。
違う。無理じゃない。
あなたたちの気持ちは、きっと届くはずよ。
ただ、この子は今、怖くて仕方がないだけなの。
教えてあげたい。
「この子は人間が怖いって言ってるのよ」と通訳してあげたい。
そうすれば、彼らは対策を立てられる。
簡単に解決できる。
――彼らを信じて。
グレイド様の言葉が、私をその場に縫い止めた。
私が答えを教えるのは簡単だ。
でも、それでは彼らは一生、「ママがいないと何もできない子」になってしまう。
「聞こえない自分」への劣等感を、克服できないままになってしまう。
私は唇を噛み締め、木の幹をギュッと掴んだ。
我慢だ。
これは、あの子たちの戦いなのだから。
近くの木の上で、ヴェルドアが退屈そうに尻尾を揺らしていた。
彼もまた、小竜の言葉がわかっているはずだ。
それでも口を挟まないのは、彼なりに双子を認めているからだろう。
『……食わねぇと死ぬぞ、チビ』
ヴェルドアがボソリと呟いた(双子には聞こえていない)。
小竜はヴェルドアの方をちらりと見たが、それでも頑なに口を閉ざしていた。
日が沈んでいく。
双子は諦めきれない様子だったが、やがてアレンが立ち上がった。
「……また明日来るね」
「絶対、治してあげるからね」
二人は小竜に手を振り、屋敷へと戻っていった。
その背中は小さく、そして寂しげだった。
残された小竜は、誰もいなくなったのを確認してから、ぐったりと地面に頭を落とした。
呼吸が浅い。
衰弱している。
このまま食事を拒否し続ければ、命に関わる。
私は胸の痛みを押さえながら、静かにその場を離れた。
双子の挑戦は、まだ始まったばかりだ。
けれど、残された時間はそう長くはないかもしれない。
親として、どこまで見守れるか。
それは私自身の試練でもあった。




