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第9話 凱旋、そして伝説へ



 どうしてこうなったのだろう。


 私はヴェルドアの背中に揺られながら、眼下に広がる光景を見て遠い目をした。

 公爵領の上空。

 そこには、私たちを包囲していたはずの教団軍や避難民たちが、武器を捨てて地面に額を擦り付けていた。

 まるで神の降臨を崇める信徒のように。


『フォッフォッフォ。愉快じゃのぅ。人間というのは、いつの時代も現金な生き物よ』


 私の隣で、小さくなった始祖竜――自称「おじいちゃん」が、のんきに笑っている。

 彼はヴェルドアの背中の特等席に座り、風に髭をなびかせていた。

 見た目はただの老いた竜人だが、彼から放たれるオーラは隠しきれていない。

 世界中の竜を震え上がらせた覇気が、今は穏やかな威厳となって周囲を圧している。


「……気が重いです」

「気にするな、エルマ。堂々としていればいい」


 手綱を握るグレイド様が、振り返ってウインクした。

 その表情は晴れやかだ。

 数時間前までの悲壮感はどこへやら、今は勝利を確信した将軍の顔をしている。


 私たちはゆっくりと高度を下げ、公爵邸の庭園に着陸した。

 ズシン、とヴェルドアの足がつくと同時に、周囲を取り囲んでいた人々が一斉に声を上げた。


「おお! 巫女様がお戻りになられた!」

「竜神の怒りが鎮まったぞ!」

「奇跡だ! 救世の奇跡だ!」


 わっと歓声が上がる。

 昨日まで「魔女を出せ」と石を投げていた人たちが、今は涙を流して私を拝んでいる。

 複雑な気分だ。


 人混みをかき分けて、あの司教が進み出てきた。

 彼は白々しいほどの満面の笑みを浮かべ、両手を広げて大袈裟に叫んだ。


「見よ! これぞ我らが教団の予言通り! 聖なる巫女が、その祈りの力で荒ぶる神を鎮められたのだ!」


 司教は私の前で跪き、恭しく頭を垂れた。


「素晴らしい、エルマ様。あなたの自己犠牲と敬虔な祈りが、世界を救いました。さあ、こちらへ。あなたを聖女として認定し、教団の象徴としてお迎えし……」

「お断りします」


 私は即答した。

 司教の言葉を遮り、冷ややかな声で告げる。


「祈りなんて捧げていません。自己犠牲もしていません」

「は、はい?」

「私がしたのは、ただ背中を掻いただけです」


 シン、と場が静まり返った。

 司教が口をパクパクさせている。


「せ、背中を……?」

「ええ。始祖様はずっと背中が痒くてイライラしていただけでしたから。垢を落として、マッサージをしたら治りました」


 私は淡々と事実を述べた。

 神聖化なんてさせない。

 変な伝説を作られて、祀り上げられるのは御免だ。


「そ、そんな馬鹿な……! 神話の災厄が、かゆみだと? それを認めてしまえば、我ら教団の威信は……!」


 司教が顔を青くして狼狽える。

 教義が崩壊する危機だ。

 彼は焦って、強引に話を戻そうとした。


「い、いや! それは比喩でしょう! 背中を掻くとは、すなわち魂の浄化! やはりあなたは聖女……」

「しつこいのぅ」


 その時、私の背後からしゃがれた声が響いた。

 始祖竜が、杖をついて前に出てきたのだ。


 人間サイズとはいえ、その存在感は別格だった。

 彼が一歩進むだけで、空気がビリビリと震える。

 司教は悲鳴を上げて尻餅をついた。


「ひぃっ!? り、竜神様!?」


 始祖竜は司教を見下ろし、呆れたように鼻を鳴らした。


『祈りなど、腹の足しにもならんわ。わしが欲しかったのは、的確なケアと、心地よい刺激じゃ』


 彼はくるりと振り返り、私の肩に手を置いた。


『この娘の手技は至高じゃった。千年の凝りをほぐし、わしを極楽へと導いてくれた。……これほどの腕を持つ者は、世界広しといえどこの娘一人であろう』


 始祖竜は翡翠色の瞳を細め、広場に集まった数千の民衆、そして世界中に向けて宣言するかのように声を張り上げた。


『よって、ここに宣言する! この娘、エルマはわしの専属マッサージ師……もとい、魂の友である!』


 オオオオオ……!

 その声は魔力に乗って、空の彼方まで響き渡った。


『今後、この娘に手出しする者は、わしへの反逆とみなす。国だろうが教団だろうが、わしのブレスで地図から消し去ってくれるわ!』


 最強の不可侵宣言だった。

 世界を滅ぼしかけた張本人が、私のバックについたのだ。

 これ以上の後ろ盾はない。


 司教は顔面蒼白になり、ガタガタと震え出した。

 反論などできるはずがない。

 彼は瞬時に計算を働かせ、地面に額をこすりつけた。


「は、ははぁーーっ! 仰る通りでございます! 新たな契約の形! それこそが新時代の教義! 我ら教団は、エルマ様と竜神様の友情を永遠に語り継ぎます!」


 変わり身が早い。

 まあ、そうするしか生き残る道はないだろう。

 民衆もそれに倣い、「エルマ様万歳!」「竜神様万歳!」と唱え始めた。


 私は大きなため息をついた。

 結局、注目されることからは逃れられなかったみたいだ。

 でも、人柱として死ぬよりは、マッサージ師として崇められる方が百倍マシだ。


「……やれやれ。君は本当に、常識をひっくり返すのが得意だな」


 グレイド様が苦笑して、私の腰を抱き寄せた。

 彼もまた、教団の武装解除を見届け、剣を収めていた。


「これで、もう誰も君を奪えない。世界最強のボディガードがついたわけだからな」

「嬉しくない最強ですよ。……でも、これでやっと、家に帰れますね」


 私は彼の胸に頭を預けた。

 緊張が解けて、急激な眠気が襲ってくる。

 グレイド様も同じだったようで、ふっと力が抜けたように私に寄りかかってきた。


「ああ。帰ろう、エルマ。私たちの家に」


 ***


 その夜。

 公爵邸は、久しぶりの静寂に包まれていた。


 包囲していた人々は去り、教団も撤退した。

 屋敷の修繕はまだこれからだが、とりあえず寝室だけは無事だった。


 ふかふかのベッド。

 清潔なシーツ。

 当たり前の日常が、こんなにも愛おしいなんて。


「……ん」


 隣で寝息を立てるグレイド様の顔を見る。

 数日ぶりの熟睡だ。

 隈はまだ消えていないけれど、その表情は穏やかで、幸せそうだった。


 窓の外では、庭の片隅にヴェルドアと始祖竜が並んで丸まっているのが見える。

 始祖竜は小さくなったままで、ヴェルドアの尻尾を枕にして寝ていた。

 伝説の竜も、寝顔はただの好々爺だ。


 私はそっとベッドを抜け出し、バルコニーに出た。

 夜風が心地よい。

 空を見上げると、満天の星が輝いていた。

 昨夜までは、あんなに不吉に見えた空が、今はただ綺麗だ。


「……終わったんだ」


 呟くと、実感が湧いてきた。

 世界の危機も、私の命の危機も、全部乗り越えた。

 私の手には、何も残っていないようで、全てが残った。

 愛する夫。

 大切な相棒。

 そして、帰るべき場所。


 レオン皇子が言っていた「竜巫女」の運命なんて、もう怖くない。

 だって私には、最強の「通訳」スキルと、この手があるのだから。


 私は自分の手を見つめた。

 ただの、小さな手だ。

 でも、この手で竜の背中を掻き、夫の手を握り返してきた。

 これからも、この手で大切な人たちを癒やしていこう。


「エルマ……?」


 寝室から、寝ぼけた声が聞こえた。

 グレイド様が目を覚ましたらしい。

 私は微笑んで、振り返った。


「はい、ここにいますよ」

「……ああ。夢かと思った」


 彼は安堵したように微笑み、腕を伸ばした。

 私はその腕の中に戻り、温かい体温に包まれた。


「おやすみなさい、あなた」

「おやすみ、エルマ。……愛している」


 優しいキスが落ちてくる。

 静かな夜。

 世界で一番、安全で幸せな場所で、私は深い眠りについた。


 明日はきっと、忙しくなるだろう。

 始祖竜のお世話に、教団への対応、それに屋敷の片付け。

 でも、今はただ、この幸福な余韻に浸っていたかった。


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