第7話 千年分のかゆみ
ヴェルドアの鋭い爪が、始祖竜の背中を覆う巨大な鱗にガッチリと食い込んだ。
着地した衝撃で、足元が激しく揺れる。
そこは、まるで荒れ果てた岩山のようだった。
見渡す限り、灰色のゴツゴツとした岩肌――いいえ、硬化した皮膚と角質が広がっている。
そして、その隙間を蠢く、無数の影があった。
「……うわ、これは酷い」
私は思わず口元を押さえた。
近くで見ると、その惨状は明らかだった。
馬車ほどの大きさもあるダニのような魔獣が、びっしりと鱗の隙間に張り付いているのだ。
彼らは始祖竜の魔力を吸い、ぶくぶくと肥え太っている。
『うぅ……気持ち悪ぃ……鳥肌立ってきた……』
ヴェルドアが嫌悪感を露わにして身震いする。
同族として、この状態は見ているだけで辛いだろう。
「同感よ。でも、これを取り除かないと始祖様は楽にならないわ」
千年の間、誰も手入れをしてこなかった結果がこれだ。
歴代の巫女たちは、精神を同調させて痛みを麻痺させていただけ。
根本的な原因であるこの汚れを、誰も掃除しようとしなかったのだ。
キィィィィン!
耳障りな鳴き声を上げて、寄生虫たちが一斉にこちらを向いた。
新たな餌が来たと認識したらしい。
鋭い牙を剥き出しにして、わらわらと迫ってくる。
「下がっていろ、エルマ!」
グレイド様が前に出た。
白銀の剣が一閃する。
先頭にいた魔獣が、真っ二つに裂かれて吹き飛んだ。
「掃除の時間だ。こびりついた汚れは、根こそぎ落とす!」
彼は舞うように剣を振るい、群がる寄生虫を次々と斬り伏せていく。
その背中は鬼神の如く、けれど私を守る鉄壁の盾だった。
体液が飛び散り、魔獣の死骸が積み上がっていく。
「ヴェルドア、お前も手伝え! ブレスで焼き払え!」
『おうよ! 汚物は消毒だ!』
ヴェルドアが炎を吐き、残りの魔獣を灰に変えていく。
最強のコンビネーションだ。
私はその隙に、患部の中心へと走った。
そこには、小高い丘ほどもある巨大な角質の塊が鎮座していた。
これが諸悪の根源。
逆鱗のすぐそばに食い込み、神経を圧迫しているのだ。
私は腰から愛用の「ミスリル製孫の手」を抜いた。
けれど、目の前の塊と見比べる。
「……足りない」
圧倒的にサイズが足りない。
私の孫の手では、爪楊枝で岩盤を掘るようなものだ。
これでは日が暮れるどころか、百年かかってしまう。
「どうした、エルマ! 道具がないのか!」
敵を片付けたグレイド様が駆け寄ってくる。
「小さすぎます! もっと大きくて、頑丈なものじゃないと!」
「大きいもの……」
グレイド様が周囲を見渡し、そしてヴェルドアを見た。
彼の視線が、ヴェルドアの頭部に止まる。
そこには、先日の脱皮で抜けきらずに残っていた、古い角の一部が突き出ていた。
大人の背丈ほどもある、鋭利で強靭な黒い角だ。
「ヴェルドア、すまん。少し痛いぞ」
『え? なになに? ぎゃっ!?』
グレイド様が跳躍し、剣を一閃させた。
パキーン! という快音と共に、古い角が根元から切り離され、地面に突き刺さる。
「これを使え!」
グレイド様がそれを引き抜き、私に放り投げた。
重い。
けれど、持ち手となる部分はグレイド様が即座に削って握りやすくしてくれている。
先端は自然なカーブを描き、フックのように尖っている。
素材は最強種である黒竜の角。硬度はオリハルコン以上。
これなら、いける。
即席の、特大孫の手だ。
「ありがとうございます! ヴェルドアもごめんね!」
『俺の角……まあ、じいちゃんのためならいいけどさ……』
ヴェルドアが複雑そうな顔をしているが、今は構っていられない。
私はその巨大な角を抱え、患部の裂け目に先端をねじ込んだ。
ズズズッ。
重い手応え。
人間の力だけでは動かない。
「ヴェルドア! 私と一緒に押して!」
『へいへい!』
ヴェルドアが前足で角の端を押さえる。
私も全体重をかけて押し込む。
「せーのっ!」
メリメリメリッ!
不吉な音がして、角質の塊に亀裂が走った。
始祖竜の体がビクリと震える。
足元が揺れる。地震だ。
『うおおおおおん! そこじゃあぁぁぁぁ!』
頭上から、始祖竜の絶叫が降ってきた。
怒りではない。
千年間待ちわびた刺激に対する、魂の叫びだ。
効いている。
今、私は神話に干渉している。
祈りでも、生贄でもなく、物理的な労働によって。
「グレイド様! あの亀裂を狙ってください!」
「心得た!」
グレイド様が剣を構え、魔力を集中させる。
私が孫の手でこじ開けた隙間に、彼の一撃が叩き込まれる。
ドォォォォン!!
衝撃で、岩のような欠片が弾け飛ぶ。
その下から、ドロドロとした黒い液体――溜まっていた膿と魔力の澱が溢れ出した。
『あぁ……熱いのが……抜けていく……!』
始祖竜の思考が、クリアになっていくのを感じる。
痛みが快感へと変わり、そして安堵へと昇華されていく。
でも、まだだ。
一番大きな根っこが残っている。
逆鱗の真裏に食い込んだ、化石のような芯。
私は汗だくになりながら、ヴェルドアに指示を出した。
「ラストよ! 全力で掻き出すわよ!」
『おう! 覚悟しろよじじい!』
私たちは呼吸を合わせた。
グレイド様も背後から支えてくれる。
三人分の力と想いを、この一本の角に乗せる。
「いきます! 千年分、まとめて掻き出します!」
私は叫び、渾身の力で孫の手を引き上げた。
世界を救うのは、聖女の祈りじゃない。
かゆい所に手が届く、この爽快感だ。
バキバキバキィッ!!
凄まじい破壊音と共に、最後の塊が浮き上がった。
――抜ける。
その瞬間、世界中の空気が変わるのを肌で感じた。




