第10話 雨降って地固まり、愛は通訳不要
「……まったく。とんだお転婆を嫁にもらったものですわね」
瓦礫の山と化した庭園で、ベアトリス夫人は扇子を閉じてため息をついた。
その視線は、泥だらけのドレスを着た私と、同じく薄汚れた姿のグレイド様に注がれている。
嵐のような騒動の直後だ。
私は気まずさに身を縮こまらせた。
マナーもへったくれもない姿を見られてしまった。
これでは、「公爵夫人失格」の烙印を押されても文句は言えない。
「申し訳ありません、ベアトリス様。このような……」
「謝る必要はありません」
夫人がピシャリと言った。
彼女は瓦礫を避けて私の前まで歩み寄ると、汚れるのも構わずに私の手を取った。
「公爵夫人の第一の務めは、家を守ること。あなたは身を挺して、この家の守り神である竜と、当主である夫を救いました」
厳格な瞳が、わずかに和らぐ。
「その覚悟と行動力。……合格ですわ」
「えっ?」
「あなたは立派な公爵夫人です。認めましょう」
予想外の言葉に、私は目を丸くした。
あの厳しかった夫人が、私を認めてくれた?
「ただし!」
夫人は扇子で私の鼻先を軽く叩いた。
「その泥だらけの格好と、竜の背中に飛び乗るような無茶な振る舞いは、もう少しお淑やかにしていただきませんとね。これからの教育は、さらに厳しくしますわよ?」
「は、はい! 頑張ります!」
私は背筋を伸ばして返事をした。
その厳しさが、今は心地よく感じられた。
期待されているからこその叱咤だとわかったから。
***
レオン皇子の帰国準備は、慌ただしく進められた。
彼はアカの背中に跨り、部下たちを従えて飛び立つ直前、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……最後に一つだけ、忠告しておいてやる」
レオンの表情は真剣だった。
「あんたのその『魔獣通訳』とかいう力。ただのスキルじゃないかもしれん」
「どういうことですか?」
「帝国の古い文献に記述があるんだ。『竜巫女』……かつて竜と心を通わせ、世界を導いたという伝説の存在だ」
竜巫女。
初めて聞く言葉だった。
「もしあんたがその再来だとしたら、俺だけじゃ済まないぞ。大陸中の国が、王族が、あんたの力を欲しがるだろう」
レオンは空を仰ぎ、苦笑した。
「俺は諦めたが、他の連中はもっと強欲だ。……気をつけるんだな」
「ご忠告、感謝します」
「フン。まあ、あの過保護な旦那がいれば大丈夫だろうがな」
彼はグレイド様の方を見てニヤリと笑い、アカの首を軽く叩いた。
アカが力強く羽ばたく。
風を巻き起こし、帝国の一団は夕焼けの空へと消えていった。
竜巫女、か。
不穏な響きだ。
けれど、今の私には不安よりも確かな温もりが隣にあった。
***
その夜。
ようやく静けさを取り戻した公爵邸の寝室で、私とグレイド様は二人きりになった。
窓からは、修復中の庭園と、満月が見える。
グレイド様は私の髪を梳きながら、ぽつりと溢した。
「……怖かった」
「グレイド様?」
「君を部屋に閉じ込めた時、君に嫌われたんじゃないかと思った。でも、そうしてでも君を失うよりはマシだと、自分に言い聞かせていたんだ」
彼の手が微かに震えている。
最強の騎士団長である彼が、私一人のことでこんなにも怯えていたなんて。
それは深い愛ゆえの行動だったけれど、同時に私を信じきれていなかった証拠でもあった。
私は彼の手を両手で包み込み、正面から見つめた。
「グレイド様。私、約束しましたよね? あなたの背中を守るパートナーになるって」
「ああ」
「私は、ただ守られるだけのお人形じゃありません。あなたが苦しい時は助けたいし、戦う時は一緒に戦いたいんです」
今回の騒動で、はっきりとわかった。
安全な場所に隠れているだけでは、大切なものは守れない。
私は「ミスリル製の孫の手」一本で竜と渡り合える女なのだ。
か弱くなんてない。
「だから、もう閉じ込めないでください。私を信じて、隣に立たせてください」
私の宣言に、グレイド様は目を見開いた。
しばらく呆然としていたが、やがてふっと力が抜けたように笑った。
それは、憑き物が落ちたような、清々しい笑顔だった。
「……完敗だ。レオンだけでなく、私まで君に負かされるとはな」
彼は私を抱き寄せ、額を合わせた。
「わかった。もう二度と、君の意志を無視して守ろうとはしない。君は私の誇り高い妻であり、最強の戦友だ」
「はい!」
「その代わり……今夜だけは、私の独占欲に付き合ってもらう」
彼の瞳の色が、甘く熱いものに変わる。
有無を言わせぬ口づけが落ちてきた。
言葉はもういらなかった。
肌と肌が触れ合い、体温を伝え合うだけで、互いの愛が痛いほど伝わってくる。
通訳スキルなんて必要ない。
この鼓動のリズムだけが、私たちだけの共通言語だった。
***
翌朝。
私は全身の気だるさと共に目覚めた。
隣には、満足げに眠るグレイド様の寝顔がある。
窓の外からは、ヴェルドアの元気な咆哮が聞こえてきた。
『腹減ったー! エルマ、飯まだかー!』
いつもの日常が戻ってきた。
でも、少しだけ違う。
私はもう、ただの「通訳係」でも、自信のない「元男爵令嬢」でもない。
公爵夫人として、竜騎士団の顧問として、そしてグレイド様のパートナーとして、胸を張ってここにいる。
レオンが残した「竜巫女」という言葉は気になるけれど。
きっと大丈夫。
私には最強の夫と、最強の相棒がいるのだから。
どんな敵が来ようとも、私の「孫の手」と「通訳」で、かゆい所に手が届く解決をして見せる。
私はグレイド様の頬にキスをして、新しい一日を迎えるためにベッドを降りた。
私たちの愛と冒険の日々は、まだ始まったばかりだ。
(完)
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