第2話 面接試験でドラゴンを孫の手で掻いたら即採用されました
白銀の鎧を鳴らして、グレイド団長が一歩、また一歩と私に詰め寄ってくる。
その顔は能面のように無表情で、青い瞳だけが鋭く光っていた。
怖い。
美しい顔立ちだけに、余計に冷たさが際立っている。
背後では、まだ他の騎士たちが呆然と立ち尽くしたままだ。
私の手には、ホームセンターで買えそうな安物のデッキブラシ。
対する彼は、国宝級の魔剣を腰に帯びた公爵様。
勝てる要素が一つもない。
不敬罪だろうか。それとも、軍事機密である竜に勝手に触れた罪で、即座に地下牢行きだろうか。
「……もう一度言う」
私の目の前で、彼が足を止めた。
見下ろされると、心臓が早鐘を打つ。
「君は、ヴェルドアの言葉がわかると言ったな?」
「は、はい……」
嘘をついても仕方がない。
私は震える声で答えた。
「背中がかゆいと叫んでいたので……つい」
「叫んでいた? ただ咆哮していただけでなくか?」
「はい。右の翼の下、肩甲骨のあたりだと」
グレイド団長の眉がぴくりと動いた。
彼は視線を私の背後、大人しく寝転がっている黒竜ヴェルドアへと向けた。
「にわかには信じがたいな」
横から口を挟んだのは、団長の後ろに控えていた副団長らしき男性だった。
三十代半ばくらいの、神経質そうな顔をした騎士だ。
「団長、騙されてはいけません。この女は部外者です。偶然、竜の機嫌が良い場所を当てただけでしょう。あるいは、何らかの幻術を使って竜を惑わせている可能性も」
「幻術だと?」
「ええ。魔女の類かもしれません。直ちに拘束して尋問を」
副団長の言葉に、周囲の騎士たちがハッとして剣の柄に手をかけた。
空気が一瞬で張り詰める。
やっぱり、そうなるよね。
私は絶望的な気分でデッキブラシを握りしめた。
動物と話せるなんて言っても、誰も信じない。
前の婚約者と同じだ。「気味が悪い」「魔女だ」と言われて終わりなのだ。
けれど。
「待て」
グレイド団長が、片手を挙げて部下たちを制した。
その目は、まだ私をじっと見つめている。
疑っているようにも見えるけれど、どこか切実な光が宿っているようにも見えた。
「検証する」
「は? 団長、しかし」
「ヴェルドアがこれほど大人しくなったのは事実だ。偶然か、それとも本当に意思疎通ができているのか。今ここで確かめればいい」
彼は私に向き直ると、静かに告げた。
「君。ヴェルドアは今、何か言っているか?」
私は恐る恐る振り返った。
巨大な黒竜は、地面に顎を乗せたまま、こちらをちらりと見た。
金色の瞳と目が合う。
『あ? なんだよ。せっかく気持ちよかったのに止めんじゃねえよ』
低い声が頭に響く。
不満げだ。
『次は首だ。首の右側。鱗の隙間に虫が入ったみてえでムズムズすんだよ。早く掻け』
私は団長に向き直り、そのまま伝えた。
「ええと……次は首の右側だそうです。鱗の隙間がムズムズすると」
「首の右……」
グレイド団長が顎に手を当てて考え込む。
副団長が鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。適当なことを言っているだけです」
「やってみせろ」
団長の声は短かった。
私に顎で指示を出す。
私は覚悟を決めて、再びデッキブラシを構えた。
竜の首元へと歩み寄る。
巨大な動脈がドクドクと脈打っているのがわかる。
噛みつかれたら一巻の終わりだ。
でも、ヴェルドアは期待に満ちた目で首を少し傾けた。
ここだよ、と言わんばかりに。
私は言われた場所、「首の右側」にブラシを当てた。
鱗の継ぎ目を狙って、ガリガリと擦る。
『おおっ! そこそこ! うめぇ!』
ヴェルドアが喉を鳴らし、目を細めて首を伸ばした。
もっとやってくれと催促するように、私の体に鼻先を擦り付けてくる。
『あ〜、最高だわ。お前、わかってんじゃん』
その反応は、誰の目にも明らかだった。
副団長が口をあんぐりと開けている。
他の騎士たちも、信じられないものを見る目でざわめき始めた。
「ほ、本当に……?」
「あの凶暴なヴェルドア様が、あんなに気持ちよさそうに……」
私はさらに続けた。
「あ、それから」
ヴェルドアの声を聞き取りながら、団長を見る。
「喉が渇いたと言っています。水が欲しいそうです。桶じゃなくて、もっと大量に」
「水か」
グレイド団長が即座に部下に指示を飛ばした。
放水用のホースが引かれ、竜の口元へと水が放たれる。
ヴェルドアはゴクゴクと美味しそうに水を飲み干し、プハッと満足げな息を吐いた。
『生き返ったぜ! サンキュな、チビ!』
どうやら完全に信用されたらしい。
私はほっとして肩の力を抜いた。
そして、恐る恐る団長の方を見る。
これで魔女疑惑は晴れただろうか。
少しは役に立ったと認めてもらえるだろうか。
グレイド団長は、腕を組んで私を見下ろしていた。
その表情は相変わらず鉄仮面のように硬い。
やっぱり、部外者が勝手なことをして怒っているのだろうか。
「……名前は?」
「えっ? あ、エルマです」
「エルマか」
彼は一つ頷くと、信じられない言葉を口にした。
「採用だ」
「……はい?」
「竜舎の専属管理官として採用する。今日からここで働け」
えええっ!?
管理官?
私はただの清掃員に応募したつもりだったのだけど。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私は清掃員の募集を見て来ただけで、そんな大層な役職は……」
「不満か?」
グレイド団長がズイと顔を近づけてきた。
圧が凄い。美形すぎて直視できない。
「給金は求人票の五倍出す。住居は騎士団寮の特別室を用意しよう。食事付きだ」
「ご、五倍!?」
金貨五枚。
それはもう、平民が一生遊んで暮らせるレベルの金額だ。
思考が追いつかない。
「団長! 正気ですか!? どこの馬の骨とも知れない娘を、いきなり管理官などと!」
副団長が慌てて止めに入るが、団長は聞く耳を持たなかった。
「ヴェルドアの言葉がわかる。それだけで、彼女は国家予算を投じる価値がある人材だ。文句があるなら、お前がヴェルドアの背中を掻いてみせろ」
「うっ……それは……」
副団長が黙り込む。
グレイド団長は再び私に向き直ると、真剣な眼差しで言った。
「エルマ。君が必要だ」
ドキン、と心臓が跳ねた。
そんなふうに真っ直ぐに必要とされたことなんて、今まで一度もなかったから。
実家でも、婚約者の前でも、私はいつも「余計なもの」「隠すべきもの」だった。
「……本当に、私でいいんですか?」
「君でなければ駄目だ」
彼は断言した。
そして、私の手にある安物のデッキブラシに視線を落とし、眉をひそめた。
「それから、道具が悪いな」
「えっ?」
「ヴェルドアの鱗は硬い。そんな安物ではすぐに壊れるだろう。手も痛める」
彼は背後に控えていた補給係の騎士を呼びつけ、淡々と指示を出した。
「おい。至急、ミスリル銀で特注のブラシを作らせろ。持ち手は衝撃吸収の魔法革だ。先端の形状は……そうだな、孫の手のようなカーブを描いたものがいいだろう」
「は、はいっ! 直ちに手配します!」
ミスリル製……孫の手?
国宝級のレアメタルを、孫の手に?
私はポカンとしてしまった。
この人、もしかしてすごく真面目なんだろうか。
それとも、常識が少しズレているのだろうか。
呆気に取られていると、巨大な影がぬっと近づいてきた。
黒竜ヴェルドアだ。
彼は巨大な頭を私の肩に擦り付け、甘えるように鼻を鳴らした。
『おいチビ。お前いいやつだな!』
ごつごつとした鱗の感触。
熱い吐息。
けれど、そこには敵意も害意もなかった。
『気に入ったぞ。俺の専属になれよ。毎日掻いてくれよな!』
頭の中に響くその声は、無邪気な子供のようだった。
私は思わず、その鼻先をそっと撫でた。
「……うん。わかったよ、ヴェルドア」
目頭が熱くなった。
「気味が悪い」と言われ続け、隠してきた私の力。
それが初めて、誰かの役に立った。
感謝された。
「これからよろしくね」
私の言葉に、ヴェルドアは嬉しそうに喉を鳴らした。
その様子を、グレイド団長が静かに、けれどどこか満足げに見つめていたことを、私はまだ知らなかった。
こうして、私の竜騎士団での新しい生活が、唐突に幕を開けたのだった。




