表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/30

第8話 脱皮! そして現れたのは……



 バリバリ、という乾いた音が、静まり返った庭園に響き渡った。


 私の目の前で、ヴェルドアの背中を覆っていた巨大な鱗が、次々とめくれ上がっていく。

 まるで枯れ木が割れるように。

 あるいは、窮屈な鎧が弾け飛ぶように。


「うわっ、すごい……!」


 隙間から溢れ出す光が強すぎて、私は思わず目を細めた。

 熱い。

 けれど、それは火傷するような熱さではなく、生命が爆発するような温かい熱気だった。


『んああっ! 抜ける! 抜けるうううう!』


 ヴェルドアが恍惚の声を上げ、全身を震わせた。

 その震動に合わせて、背中だけでなく、首、翼、尻尾に至るまで、全身の古い皮がひび割れていく。


 私は「ミスリル製の孫の手」を握り直し、引っかかっている大きな欠片をこじ開けた。

 ここが最後の難関だ。


「よいっ、しょぉぉぉぉ!」


 テコの原理で力を込める。

 バキィッ!

 大きな音と共に、背中を覆っていた最も分厚い角質が弾け飛んだ。


 瞬間、視界が真っ白に染まった。


 ドォォォォォン!


 光の奔流が天を衝く。

 私は吹き飛ばされそうになりながらも、新しく現れた角にしがみついた。

 さっきまでのザラザラした感触じゃない。

 滑らかで、温かくて、鋼鉄のように硬い。


 光が収まると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 漆黒の鱗は、以前よりも深みのある濡れたような黒色に変わり、その一枚一枚が宝石のような輝きを放っている。

 体格も一回り、いや二回りほど大きくなっていた。

 翼の骨格はより太く、爪は鋭く研ぎ澄まされている。


 脱皮。

 それは単なる成長ではない。

 生物としての格が、一段階上がったような神々しさがあった。


『……ふぅ。スッキリしたぁ……』


 ヴェルドアが長い首を伸ばし、満足げに鼻を鳴らした。

 その声は、以前よりも低く、威厳のある響きを帯びている。

 中身は相変わらずかもしれないけれど、見た目は完全に「伝説の魔竜」そのものだ。


「よかった……本当によかったね、ヴェルドア」


 私はへなへなと彼の背中に座り込んだ。

 緊張の糸が切れて、全身の力が抜けていく。

 手のひらがジンジンと痺れている。

 必死すぎて気づかなかったけれど、ドレスは煤と泥で真っ黒だし、髪もボサボサだ。

 公爵夫人にあるまじき姿だろう。


 けれど、ヴェルドアは長い首を回して、私の顔を覗き込んだ。

 新しくなった金色の瞳が、優しく私を映している。


『サンキュな、エルマ。お前のおかげで生き返ったぜ』

「どういたしまして。でも、次はもっと早く言ってよね。心配したんだから」


 私が鼻先を撫でると、彼はくすぐったそうに目を細めた。

 脱皮したてだからか、皮膚が少し湿っていて柔らかい。

 今は一番敏感な時期なのだ。


「しばらくは激しい運動は禁止よ。保湿クリームをたっぷり塗って、安静にしてなきゃダメだからね」

『えー、肉食いたい』

「ご飯はいいけど、暴れるのはなし」


 そんな日常会話を交わしていると、下から名前を呼ばれた。


「エルマ!」


 グレイド様だ。

 彼は瓦礫の山を駆け上がり、ヴェルドアの背中までよじ登ってきた。

 普段ならあり得ないほど必死な形相だ。

 その白銀の鎧も、煤と土埃で汚れている。


「グレイド様、私……きゃっ!」


 言いかける間もなく、私は強い力で抱きすくめられた。

 彼の胸に顔が埋まる。

 心臓の音が、痛いほど激しく聞こえた。


「無事か……! 怪我はないか!?」

「はい、大丈夫です。ちょっと汚れちゃいましたけど」

「そんなことはどうでもいい! 君が無事なら、それだけで……」


 グレイド様の声が震えている。

 彼は私の肩を掴んで体を離すと、顔中を検分するように見つめ、そして再び抱きしめた。


「生きた心地がしなかった。君を投げた瞬間、後悔で死ぬかと思った」

「でも、信じてくれたでしょう? おかげでヴェルドアを救えました」


 私は彼の背中に手を回し、ポンポンとあやした。

 この最強の騎士様は、私に関することになると途端に弱くなる。

 それがどうしようもなく愛おしい。


「……もう二度とさせない。あんな無茶は」

「ふふ、善処します」


 グレイド様が顔を上げた。

 至近距離で目が合う。

 青い瞳が熱を帯びて揺れている。


「エルマ」


 名前を呼ばれ、唇が重なった。

 戦場の真ん中。

 ドラゴンの背中の上。

 泥だらけの二人。

 ロマンチックとは程遠いシチュエーションだけれど、今までで一番情熱的なキスだった。

 彼の不安も、愛も、全てが流れ込んでくるような。


『おいおい、俺の背中でイチャつくなよなー』


 ヴェルドアの呆れた声が聞こえたけれど、今回ばかりは無視させてもらった。


 長い口づけが終わると、私たちは額を合わせて笑い合った。

 

 その時だった。


 ドサッ!


 下の方で、重い何かが落ちる音がした。

 私たちが視線を向けると、そこには信じられない光景があった。


 上空にいたはずのレオン皇子が、地面に無様に転がっていたのだ。

 そして、その上には赤い竜――アカが覆いかぶさるように着地していた。


「な、なんだ……!? アカ、貴様、俺を振り落としたのか!?」


 レオンが尻餅をついたまま、震える声で叫ぶ。

 彼の顔には、怒りよりも困惑と恐怖が浮かんでいた。

 自分の手足のように動くはずの道具に、拒絶されたことが理解できないのだ。


 アカは低い唸り声を上げている。

 その瞳は、先ほどまでの虚ろな色ではない。

 ヴェルドアと同じ、強い意志の光が宿っていた。


『……もう、痛いのは嫌だ』


 私には聞こえた。

 アカの心の声が。


 アカは首元の「支配の楔」を、自らの爪で引っ掻いていた。

 血が滲むのも構わずに。

 それは、レオンへの明確な反逆だった。


「やめろ! 俺の命令が聞けないのか! 止まれ!」


 レオンが手をかざし、再び黒い魔力を放とうとする。

 しかし、アカは翼を広げ、その魔力を風圧で吹き飛ばした。


「うわっ!?」


 レオンが吹き飛ばされ、泥水の中に転がる。

 「竜帝」と呼ばれた皇子の、あまりにあっけない失墜だった。


 グレイド様が私を庇うように剣に手をかける。

 しかし、アカは私たちを攻撃しようとはしなかった。

 代わりに、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


 その視線は、真っ直ぐに私に向けられていた。

 敵意はない。

 むしろ、何かにすがるような、迷子の子どものような目をしている。


「……エルマ?」

「大丈夫です、グレイド様」


 私はグレイド様の手をそっと押し留めた。

 ヴェルドアも、敵意を感じていないのか、静かに見守っている。


 アカはヴェルドアの横まで来ると、長い首を下げて、私の方へ鼻先を近づけた。


『……なあ』


 拙い、けれどはっきりとした言葉が響く。


『お前なら、俺の言葉もわかるのか?』

『あいつみたいに、俺の背中も……楽にしてくれるのか?』


 それは、切実な願いだった。

 支配され、心を閉ざしていた彼が、初めて自分から求めた救いだった。


 私は泥だらけの手を伸ばし、その赤い鼻先に触れた。


「ええ、わかるわよ。……アカっていうのね?」


 レオンが呆然と口を開けて見ている前で、赤い竜は私の手に頭を擦り付けた。

 どうやら私には、新しい友達が増えてしまったようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ